誰かのために
王城下は、依然不気味な静寂に包まれている。
皇帝の命で城下に駆り出された五人であったが、その誰もが、なぜ皇帝が自分たちを行かせたのか、まったく分かっていなかった。釈然とせず、まだ危険の残っているかもしれない城下へ行くのを、肯じなかった者もいた。つまるところは、光のことである。
「はぁ。」
ぽつりと、ため息をつく。一体何人がそれに気づいただろうか、先頭を歩く騎士団の二人組は、恐らく気づいていないだろうと、光は予測した。
(しかし、本当に大丈夫なんだろうな……。)
光は、王城でのやり取りを思い出していた。
「やだよ。」
顔を引きつらせてそう応じる光に、騎士団の二人は首を傾げる仕草をした。もちろん、それは彼らにとっては当たり前のことだったのかもしれない。彼らは、皇帝直属の兵士であり、帝国の自衛組織の一員である。危険と隣り合わせの状況を潜り抜けてきたのだろう。
この少女、ソフィーも含め、ワルハラの住人は皇帝第一である。だが、そんな理屈は、ワルハラに来てからまだ日の浅い光には通用しない。今まで皇帝の偉大さや恐ろしさは嫌というほど聞かされた、それに、初めて会った皇帝は、常人ではない何かを纏った、怪物のような印象だった。しかし光にとっては、今は離れて見えない皇帝より、目下の危険の方が重要である。怪物の記憶は、日々の中で次第に薄れ、最早朧気、そんなことより、多数の死傷者が出ている王城下に繰り出すことの方に、生命の危機を感じとったのだ。
「そんなこと言ったって、陛下の命令なのよ、ごちゃごちゃ言わないでちょうだい、新参のくせに……。」
不満気な口が開いたかと思えば、また新参と言われ、光はソフィーに苦手意識を覚えた。いらつきを抑えながら、しかし自分の身を守るために、光はごちゃごちゃと言うことにした。
「だって、安全は保証できるんですか。もし予想もつかないようなまずい事態になったら?」
「……いや、だってそれは……。」
陛下の命令だから、と言いかけて、ジャックスは口をつぐんだ。光は、皇帝の権威や威光には屈しないと悟ったからだ。或いは、まさかとは思うが、自分たちの見た死の煙から、光やアテナを逃がす自信がなかったのかもしれない。
「腰抜けは置いて行けばいい、じゃ、そっちの娘はどうするのかしらね。」
ソフィーは光の説得に区切りをつけ、アテナの方に向き直った。アテナは、光のように不満を口に出すこたはなかったが、やはり不安そうな顔であった。
「私は……、怖いです。亡くなった方もいらっしゃるのですよね。」
ソフィーは平然と頷いた。
「確かに。それに、今は術が発動していないとはいえ、またいつ煙が発生するかも分からない。儀式に編み込まれた術式を読まないことには……。」
「でも、誰かがやらなければいけない。そう、ですよね?」
アテナがふと放った言葉に、皆は驚いた。が、最も驚いたのは光であった。この場において、皇帝に支配されていない人物であるはずのアテナが、なぜ、このように言ったのか……。
「私は、陛下に言ったんです。『救われた命なら、誰かを助けたい。』と。陛下は、『ならば自分を助けなさい、自分の思うところをしなさい。』とおっしゃりました。」
「つまり、君のやりたいことっていうのハ、人を助けるということカ。」
アテナは、いつものように優しさを内在させた、しかし、引き締まった厳しさのようなものを纏った目をしていた。
「城下に行ったとき、たくさんの子供がいました。きっと皆、心細いはずです。でもきっと、自分にできることをしたいと、思っているはず。」
光は、穴蔵の中で、妊婦の母親と妹に寄り添う少年を思い出した。身重の母と、幼い妹を庇うように立っていた少年は、半べそをかきながらも、気丈に両の手を広げていた。それは彼にとっての、できること、であった。
「なら私は、皆の手助けをしたい。自分にできることなら、……あの子にできたなら、私にだって……。」
うつむきながらしゃべっていたアテナの肩を、誰かが叩いた。はっとして見上げた彼女は、肩を叩いた人物、ソフィーと目が合った。
「……あんた、泣いてるの?」
「泣いてません!……泣きそうな、だけです。」
「それならいいわ、泣き始めたら、しばらく涙が止まらないだろうから。」
ソフィーはくるりと半回転すると、門の方へすたすたと歩きだした。しかし、三歩歩いたところで、またこちらを振り向くと、じっとりとした目で光を見てきた。
「んで、あんたは。結局行かないの?」
光は緘口した。皇帝の命令は、『人のために』、『自由に動ける人間』を抽出した結果だったのではなかろうか。そしてそうならば、光は思った以上に大きなものを負わされたことになる。
放り出せば、事態は悪化するのではないか?
この考えに心中を支配された光は、俺も行きます。とはっきり言ったのであった。
城門を出るとき、そこに直立不動の態勢で構えていた、重装の戦士のように思われる人物が、光に声をかけてきた。
「おい、お前。剣は持っていないのか。」
光は、騎士団の二人に守ってもらうつもりだったので、自分の武器のことはまったく考えていなかった。刃物といえば、いつぞやヨハンから渡されたペーパーナイフくらいか。持っていないと答えると、男は、自らが帯びていた剣を外して、光に手渡してきた。
「……いいんですか?」
「今王城下に出るのだ。危険に巻き込まれたとき、己の身は己で守れねばならない。」
ゆっくりと持ち手を握って、刀身を引っ張り出すと、剣は陽光を受けてまばゆい光りを放った。
「ワルハラの神よ、天主、天使、聖霊、神祖よ。どうかこの者共に祝福をもたらさせ給え。」
男の祈りの言葉に見送られ、光たち五人は、城下へと繰り出したのであった。




