皇帝の野望
「陛下!」
駆け込んでくるなり叫んだカスパーに、流石の皇帝も驚かされた。ましてや窓の方を向いていたのだから、なおさらだった。カスパーは、遠くばかり見てないで、目下の危機に目を向けてください。と苦言を呈したかったが、彼が皇帝の元に来たのは、そんなことを言うためではなかった。
「なんだい、カスパー。驚かせるなよ。」
「陛下、正直におっしゃってください。墓所の調査隊とは何ですか、そんな人員、いるはずがないではありませんか。」
イヴァンは、微笑を浮かべながら、いるよ。と言った。カスパーは、それを見て、自分の予想が当たっていることを理解した。
「もしや、調査本部の二人を……。」
イヴァンは、口角を引き上げるような笑みを浮かべた、無理に笑うという感じではなく、自然に浮かべた笑みが不気味なものだったという方が正しい。何も言わなかったが、カスパーはそれを肯定と捉えた。
「ソフィーをつけてある、それに、騎士団の某も。彼女たちなら、きっとうまくやってくれるさ。」
「そういう問題ではないのです。砕けたら困る玉であると、おっしゃったのは陛下ではありませんか。もし、これで二人が死んでしまったら、どうするおつもりですか。」
イヴァンは、椅子にゆっくりと腰かけた。カスパーに背を向け、またいつものように窓の方へ向く。カスパーはこのとき、イヴァンの見ているのが、石室から出てきた二人と、そこについているであろう武器庫長、ソフィー・ネージュの方であることに気づいた。いつぞや、こんな光景を見たことがあったように感じた。
「大丈夫、二人は死なない。……死なれたら、困る。」
イヴァンの言葉の後半部分は、とても小さな声であったために、カスパーには聞き取れなかった。
「それに、君だって二人を守ってくれてるじゃないか。大丈夫さ。」
「……なぜそれを……。」
気づいていたのか、いや、気づいていないはずがなかったのだ。そう思わせるほどに、イヴァンの言葉には力があった。何度も経験してきたことであるはずなのに、この、全てを見透かされるような感覚を。もしかしたらあの男も、この皇帝の力に信服しているのかもしれない。ならば、これまでの隠密の行動も、筒抜けなのではないか。
結局、カスパーはこの後何も言えないままに、すごすごと退出していったのであった。
「なんで、こんなことになったんだカ……。」
「仕方ないだろ、勅命なんだから。」
騎士団の二人、ジャックスとガリエノは、三人の小さな人影を眺めてため息をついた。先刻、アトラスと二言三言交わし、その仕事を手伝おうとしたとき、通信用の鉱石が鳴ったかと思えば、ハルシュタインから指令が言い渡されたのだ。
『いいですか、墓所の調査をする失踪事件対策本部の二人を護衛しなさい。これは、皇帝の命令です。』
それだけ伝えると、ハルシュタインはすぐに通信を切ってしまった。呆気にとられ、何かの聞き間違いかとも思ったが、二人が二人とも同じ内容を聞いていただけに、それもあり得なかった。
「っていっても、何でまた陛下はあの二人にことを任せようなんて言い出したんだ。」
「分からんナ、陛下には陛下なりの考えがあるんだロ。」
「なら、俺たちが考えてても仕方ないな。おーい。」
かくして、急拵えの調査隊のメンバーが揃った。改めて見回すと、凸凹な面々であった。
『不思議な光景だよまったく。旦那、本当に皇帝陛下はそんな風に指令なすったんですかい?』
「……そのはずだ。」
通信用の鉱石を持たせておいた男からの報告を受け、カスパーは小声で答えた。確かに、皇帝から聞いた話によると、彼自身が調査隊のメンバーに、調査本部の光とアテナ、武器庫長のソフィー、騎士団員のジャックスとガリエノを指名したという。一体なぜ、この五人を選んだのだろう、光とアテナはともかくとして、あとの三人は。単に護衛としてつけたのか、手が空いていたからか、しかし、カスパーには、何かもっと大きな企みがあるように思えてならなかった。しかし、その中身まではまったく分からなかった。
「とにかく、何も考えないで守衛に集中しておれ。」
『へいへーい。』
カスパーはため息をついたが、それはあくまで彼の態度に対してである、けして彼の能力の低さを予測して、不安のためについたため息ではない。彼の腕前は、カスパーが身をもって知っていた。
一方その頃、ワルハラ帝国王宮付通信所の通信員が、前線に派遣されていたワルハラ帝国陸軍第三軍団からの通信を受信した。連絡を入れてきたのは、白髪の軍師、ヨハネス・シモーニだった。
「これは、作戦参謀長。申し訳ございません、王都はただ今混乱しておりまして、通信が繋がらずに……。」
『そんなことはどうでもよい。』
ぴしゃりと強い語調で遮られた通信員は驚いて、危うく送話器を取り落としそうになった。数秒の静寂の後、ヨハンは重々しく告げた。
『皇帝に伝えよ、ワルハラ帝国陸軍は、シレヌム帝国軍に敗北し、撤退中であると。』
「……は?」
『それと、傷兵院のベッドが開いているか確認しておいてはくれまいか。手術が必要な者もかなり大勢いる。』
通信員は、あまりにも絶望的な事実と、ワルハラを取り巻く情勢に、しばしの間動くことができなかった。




