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終わった物語  作者: 大地凛
終末のアラカルト・第一章━━死霊編
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黒煙浸潤

 小窓でもあれば良かったのに、と光は思った。蔵の上方には、採光用の窓が開いているのだが、これでは空しか見えない。光には曇天にしか見えないが、アテナや蔵の人々曰く、墓所や不審死の被害者が纏っていた黒々とした煙のような、『マナの集合』が、立ち上っているという。末恐ろしいことだと、誰かが口走ったことで、不安は伝播していった。


 ただし、オーエンだけは、その不安の波に飲まれることなく、飄々としていたのだが。


「へぇ、君は見えてないのかい。能力者なのに。」


 それには恐らく、心に蓋をしているから。具体的にいえば、能力が開花していないことが大きく関係しているのではないかと、光は推察していた。いくら特殊なマナの結晶、つまりは輝石が体内にあったとしても、それが眠っていては魔法もからっきしということになってしまうのであった。


「でも、見えてない方が怖いですよ。」


 光は、その黒い煙に捕らわれた者は、生きていられないのだろうということを感じとっていた。それが不可視なのだから、怖い。だがオーエンは、朗らかに笑ってこう言った。


「大丈夫大丈夫。僕は見えてるし、何かあったら皆守るから。」


 この青年は、どうしてそう言い切れたのだろう。未知の物質である死の煙を相手どって、傷の未だ癒えぬ身体で、この建物に集まった数名の人間を守ると。それは、騎士としての意地であり、誇りであり、また矜持であったのだろう。


「本当に、ここにいても大丈夫なのでしょうか。」


 尚も不安そうに、イーリスが問う。その問いの答えは、当たり前ではあるが、誰も持ち合わせていなかった。皆も未知の恐怖に対して危険は感じていた。しかし、未知に対しては、何が正解なのか、分かる訳もなかった。故に、全員が蝋人形の如くに膠着し、時間だけがいたずらに過ぎた。


 皆が救世主が扉を開けるのを願った。しかし、扉を開けるのは、向こう側からでなくてはならない。こちらから開けたとき、外が黒煙の海であったならば、笑えない。故に待った。待つしかなかった。


 このとき、調査本部の面々は、煙の中に生人がいるとは思っていなかった。もし、煙の中で動ける者がいたとしたら、それは死者以外の何者でもなかった。



 この予想は、ある意味では当たっていた。


「……おいおい、あいつぁ……。」


 呆然として呟くのは、ジャックスである。ハルシュタインに発破をかけられ、周章狼狽しながら詰所を飛び出した二人は、街中で思わぬ光景を目撃した。


 左半身が黒く変色した同僚が、肢体を投げ出している。そのあまりに異様な光景は、二人を驚愕させた。あの煙の仕業に違いなかった。あの禍々しい黒いマナの集合は、その効力をさらに強めていたのである。その黒いマナが体内に入り込み、暴れ回った結果がこれであろう。今までの被害者と違い、表情は苦痛に歪んでいるように思えてならなかった。まるで、身体を中から食い破られたような顔だった。


 見渡せば、他にも様々な死体が転がっている。よく観察すれば、身体の一部が黒くなっている程度のことはむしろいい方で、中には身体の部品(パーツ)が欠損している人間もいた。男性も女性も、老人も子供も、騎士も市民も隷属民も、皆が平等に殺されていた。


「ひどいナ。こんなこと、初めてだゼ。」


 奇怪かつ残酷な市街風景には、ただただ閉口した。無理もない。これは異常だ。異常以外の何でもないのだ。



「……あ、おい、あれは人じゃないカ!?」


 ガリエノが声を上げた。黒い煙の中に、動く影を見つけたのだ。ジャックスも、ガリエノの指す方向に、朧気ながら人のような動くものを見た。しかし、彼は怪しんだ。


「まて、あの中に人がいるものか。」


 その言葉に、ガリエノもはっとした。腰の片手剣に手を伸ばす。するとどうだろうか、影は、いきなり横に伸びたかと思うと、次の瞬間には、見上げるほどに大きく膨れあがった。


 人のような形をしていたが、大きさは騎士団の二人の五倍は軽く超えていたように思われる。それが、黒い煙を吸い込むように、どんどん巨大になっていったのだった。


「これが儀式の術者か?」


「だとしたら、勝てないだロ!?」


 二人はじりじりと数歩後ろに下がると、踵を返して逃げた。今は何より自分の身を守ることである。



 瓦礫の山を眺めて、一介の小市民であるメリアは嘆息した。恐ろしさより、呆気にとられたような感が勝ったのだ。先ほどから、黒い煙に追いつかれた人々は、体が変色していった。体が崩れた者もいた。あれに捕まれば、自分はなす術なく死屍を晒すことになるだろう。逃げねば。しかし、体が動かない。


(ヤバい……。)


 体をよじって後ろに退くが、建物の煉瓦の欠片を掻くばかりであった。体の動かし方を、恐怖で忘れたらしい。その間にも、黒い煙が徐々に徐々に迫ってきている。


 ふと、何かが頬を撫ぜたような感覚に、はっと上を見上げると、輪郭だけの何かが見えたように感じた。


「これが……、ロロの言ってた……。」


 死を眼前に突きつけられて、鋭敏になったのか。透明な、人を崩したような、まさに亡霊といったような姿の物がはっきりと見えた。その亡霊は、不恰好な口を大きく開けて、メリアを目標に定めたようだった。

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