doll's eyes
「離して、くれない?」
「はっ。あわわ、ごめんね。忘れてたよ。」
じたばたと体を捩るロロを、小屋の中の朽ちかけのテーブルの上に置く。
「うへぇ、きったねー。ねぇ、早く家に帰ろうよ。」
テーブルの上の埃を指でなぞって、メリアに見えるように突きつけるロロ。しかし、メリアは首を横に振った。
「だめだめ、人が歩いているでしょ。見つかったらどうするの。」
膨れるロロを宥めると、彼女はちぇー、と不機嫌そうな声を出し、屋内を徘徊し始めた。しかし、小さな石に躓くばかりで危ないので、しばらくして、光たちが墓所の奥の手に向かったのを確認したメリアが抱き上げた。
「もう……、さぁ、行くよ。さっきの子たちが帰ってくる前に、お店に帰らなきゃ。」
「うぅう、さっきまでは、出るな出るなって言ってたくせに……。自分勝手な人間だよまったく。」
よく動く口だ。と思いつつ、両の頬を指でつまむ。そのままロロを抱き抱えると、外に出る。
そのとき、唐突に墓所の方から物音がした。はっとして振り返ると、先ほどの二人が歩いてきていた。見つかったらまずいと、慌てて駆け出す。
「……あ、あれは?」
先行して歩く光は、ここに来るときにはなかったはずの、何らかの物体が、道に落ちているのを見つけた。それは、淡い桃色のリボンのようなものだった。無論、風で飛ばされてきたとか、鳥がどこからか運んできて、落としていったとか、そういった可能性も無論考えられたのだが、いや、しかし、駆け行く女性のものという可能性も、また大きかった。
万が一の可能性を考え、二人は、その女性の後を追うことにした。女性は、もうかなり前を歩いていたのだが、幸いにも二人は女性が一軒の店に入るところを見ることができた。
その店は、人形を売る店だった。と、一口にいっても、簡単な作りのままごと用から、本格的に作られた、まさしく小さな人間のようなもの、犬や猫などを模したものなど、様々な人形が並んでいた。嵌め殺しの窓から覗けば、それらが整然と並んでいる様子が分かる。朝に見るからよいものの、夜に見たら、叫び声を上げたとしてもおかしくはない、そういう不気味さがあった。
窓から覗く光に対し、アテナはまた別のところを見ていた。
「ヒカル君、このお店、まだ営業時間外みたいですよ。」
アテナの指し示す看板には、確かにそう書かれていた。光が感じていた不気味さの正体は、日が昇っても、明かりがついていない店内の景の違和感だったのかもしれない。
「じゃあ、あの人はこの店の店員?」
「そうか、通りでこのリボン、短いと思いました。人形のためのリボンを落としたんだったら、頷けます。」
確かに、結びからして、幼い人間にもこれは適さないだろう。
「うーん、どうしようか、そのリボン。店が開いてないんじゃ、届けようがないしなぁ。」
光が頭を抱え、唸ったそのとき、店の中に明かりがついた。つまり、店がちょうどよく開店したという訳だ。あまりによいタイミングだったので、二人は驚いた。そうやって立ち尽くす二人の姿を見留めたのか、中から先ほど走り去っていった女性が出てきた。
「あらぁ、いらっしゃい。あなたたち、人形に興味がおあり?」
店の中は、たくさんの人形で溢れていた。店の外から見えたのは、その内のほんの一部であったことに、店に入ってから気づいたのだ。
「あ、これ、かわいい。」
建物に入って早々、アテナは机の上に置いてある、手のひらに乗る位の大きさの人形に目がいった。
「おぉ! 嬉しいな、それは私が何年か前に作ったもので、ちょっと思い入れがあるんだ。」
自分の人形を手にとってもらえて、店主のメリアは、とても嬉しそうだった。自作の人形をかわいいと褒められることは、ある種、彼女にとっては、最大級の賛辞であろう。
「どう、買ってく?」
えー、どうしよう。と頬に手を当てて考えるアテナ。その様子を見て、光は、女子とはこういうものなのだろうか、これが好きなのかと自問自答した。その答えは、当然持ち合わせていなかったのだが。
それに、この店に来た理由を、彼女が忘れていないか、光は少々疑っていた。肩を軽く叩いて振り向かせ、リボンはどうするのだと聞いたところ、表情が強張ったので、もしかしたら本当に忘れていたのかもしれない。アテナは、咳払いを一つすると、拾ったリボンを差し出した。
「あの、このリボン、あなたのものじゃないですか。」
そのリボンを見たメリアは、嬉しそうな顔をし、直後、困惑の表情を浮かべた。光は、その表情の変化が気になったが、あえて問い質すほどでもなかった。
「そ、そうです。いやー、落としちゃったのかなぁー。」
そう言いつつ、リボンを受け取るメリア。さっと店の奥に引っ込むと、すぐに一体の人形を手に出てきた。
「多分この子のだと思うわ。えぇーっと、……私の服に引っかかって、外に落としたのね、うん。」
その人形は、店に並んでいるものとは、明らかに違う、精巧さが群を抜いていたのだ。今にも動き出しそう、という表現は、いささか使い古されたものではあるが、それでも、この人形にはぴったりだと思われた。薄い紅色をベースとして、フリルが多用された豪奢なドレス。ブロンドの、丁寧に手入れされた巻き髪。幼いようで、大人びているようにも見える、端正な顔立ち。華やかでありながら、どこか凛々しさも兼ね合わせている。ここにある人形の中でも、最も完成度の高いものだろう。
「そうそうここだよ、ここのリボンがとれたんだね。」
そう言って、ドレスの裾に手を添えて、リボンを元あった場所にとめるメリア。気づかなかったのだが、確かにドレスに一ヶ所、妙に抜けたところがある。それを繕えば、左右対称の美しい人形だ。この対称性が、或いはこの人形を、最高の人形たらしめていたのかもしれない。
「うわぁ、すごく綺麗……。」
アテナが、感嘆の声を漏らす。光も、これにはある種の感動を覚えた。やはり、全体の印象が、リボン一つで変わってしまうという感覚は、人間の感情を強く揺り動かすのだった。
「うん。私も、そう思う。これほどの出来の人形は、恐らくもう作れないだろう。」
まるで我が子を愛しむように、慈しむように、髪を整える。その目には、どこか悲しそうな雰囲気も宿っていた。
「ところで、メリアさん。最近、墓場に怪しい人間が出没するという噂があるんですけど、何か知りませんか。」
目的を果たした光は、そちらの調査も進めようと、話しかけた。ここは墓所からもほど近く、不審な人物を見たかもしれないという期待を込めて聞いてみたのだ。しかし、彼女の答えはすげないものだった。
「いいえ、何も知らないわ。」
その声の調子は、何か隠しているように、光には感じられた。育ってきた環境が環境だけに、子供のような無邪気さを通して見るより、大人としての、人の顔色を見る感覚の方が発達していたのだ。だが、それ以上しつこく聞こうとも思わなかったので、分かりました。と返した。
聞くことも聞いたので、光は帰ろう、とアテナに促した。アテナはもう少しここにいたいという気持ちがあったらしく、不満そうだったが、今はオリバーの頼みを片付けるのが先決と判断し、店を離れた。




