私はもっと器用になりたい
「じゃ、アテナさん。もっとも、渾名みたいなものだが。貴殿をワルハラ帝国立失踪事件対策本部副長に任じる。」
自分の中の小さい罪の意識をノアキスの雪に埋めたイヴァンは、アテナをこの調査本部の住人とした。
「え、副、ってことは、俺は上司ですか?」
「ふむ、君が上司として行動できるならね。」
ぶんぶんと首を振る光。その反応は予想通りだったため、イヴァンは別段驚かない。下手なことをして、待遇の優劣をつけ、軋轢ができることは、好ましくなかった。だからこそ、形式だけの任官を行ったのだ。
(これほどの力を備えた子供たちだ。放出されるマナも、密度が違う。ならば、なるべく近くに置いて、高め合わせるのが吉だ。)
イヴァンの言葉は巧みだった。二人を一言で、マナの授受ができる距離にしたのだから。同じ場所で、同じ目的に向かって行動する、これほどに成長を促されるものはない。
激しく厳しい出来事に直面するほど、マナが多く出されるであろうことは、アテナとの出会いを通じて理解した。ならば、彼らを出来る限り危険なところに放り込み、能力の覚醒を促す。
これが、イヴァンが数分で考えた筋書きだった。
光とアテナが話し合っているのを尻目にしつつ、イヴァンは倉を出た。
「陛下。」
倉を出たイヴァンを待っていたのは、カスパーだった。
「一体、どうするおつもりですか。」
イヴァンはその質問には答えなかった。急造の骨子に、肉をつけていかねばならなかったのだ。まだ決まっていなかった、答えられなかった、と答えるより他ない。代わりに、彼は、今気にかかっていることを、カスパーに問いかけた。
「陸軍は今どうなっているんだい。」
カスパーは、呆気にとられた顔をしたが、その仮面をしまうと、適切な答えを出した。
「はい、順調です。先手の第五軍団は、既にシュトルプ・チャウナント線に展開を完了しているとのこと。」
イヴァンは頷く。何も憂いはない、計画はあらゆる面で完璧だと言えた。戦場では、ジュゼッペが。王宮では、アーネストが支えてくれる。この二人のジブライルは、イヴァンにとって、いなくてはならない存在である。そして、能力者。彼らによって、戦局を動かし、この世界を支配する。これこそがイヴァンの計画であった。
イヴァンは、カスパーに命じた。
「準備ができ次第、機先を制して攻撃をしかけるように伝えろ。勝つためには先手をとることこそ肝要だ。」
それは、ジュゼッペも同じ考えだった。言われなくともそうしただろうが、王が下命することにこそ意味はあった。
「……っつー訳で、ここにあるいろんな資料やらなんやらは、ワルハラで起きた失踪事件の調査記録で、調べてく内に段々共通点も見つかってきて……。」
ペラペラと紙の束をめくりつつ、光はアテナに説明する。トルン、アウデルバート、チューペラといった都市名が記された紙には、被害者の目録が続く。この一人一人が、突然消えたと思うと、とたんに恐ろしく感じる。自分の両親にも起こったことだという事実は、二人に重くのしかかった。
「あの、ノアキス、の記録はありますか。」
光の説明の間を縫ってアテナが尋ねた。ノアキスの調査記録か、確か二冊ほどあったような気がする。棚の上の方をまさぐって、薄い綴じ本を手にとるとアテナに手渡した。
「はい、こんなものしかないけど。なにせ他の国のことだから、資料もちょっとしかなくて。」
本をめくり、ページをじっくりと読み込んでいたアテナだったが、ふるふると首を振った。それはつまり、失くした記録に触れるものもなかったということだ。ならば、手がかりのないところを、一から探すしかないということか。ある意味、最も大変な作業なように思えた。
「ワルハラでもノアキスでも、王様が事件に巻き込まれたんですね。ほら、ここ。『ノアキス王モース、宮殿より姿を消す。』って、本当に無差別なんだ……、誰が消えるかも分からない。」
本を閉じて、元の場所へ戻そうとするアテナ。だが、棚の上にあったために、彼女の身長では届かなかった。
「いいよ、そ、そこら辺に置いておいてくれれば、後でかたすから。」
ぶっきらぼうに光が言う。別にアテナが嫌いという訳ではなかったし、同じ苦しみを負う仲だから、むしろ近い関係を感じていた。だからこそ、二人の距離が離れるのを、光は恐れた。自分の対人能力の低さはしっかり分かっているつもりだったから、下手な真似をして彼女が離れることは避けたかった。
だが、こんな態度でいれば、逆効果なのは目に見えている。それを理解していないところに、彼の不器用さが表れていた。




