少女の可能性
自分の攻撃によるものではない、別の何かの干渉によって倒れていく龍の姿を、イヴァンは呆然と見つめていた。ズーニグリは、イヴァンの左側の切り立った斜面を、悲鳴を上げつつ転げ落ちていった。
しかし、イヴァンは左から右に薙いだ。本来なら、イヴァンの右にある森に向かって行くのがしかるべきであろうに、それと逆のことが起きたのだ。
「あぁ、皇帝陛下が討伐なさったぞ。」
「あの雪山をか!?」
「皇帝陛下、ありがとうございます!」
後方から飛ぶ賛辞の声、それらも耳に入らない様子で、イヴァンは森を見た。そこに、白い雪の中に、何かしらの別のものが伏しているのを、イヴァンは見つけた。
「……まさか、彼女が……?」
そこには、青い髪の少女が一人。雪の上に仰向けに倒れていたのであった。
数時間後に、列車はアーデルクに到着した。アーデルクの街の石畳は、ところどころが凍結しているために、注意を払いながら歩いた。目指すは、街中を走る馬車だ。馬車といっても、レールの上を走らせるものだから、実質的には列車に近い。
歩きながら、イヴァンは、先ほどの出来事の後に保護した少女のことを考えていた。彼は、少女が雪の中に倒れていたから保護したという訳ではない。
(光君にも似た、体内の膨大な魔力。彼女も、恐らくは能力者なのだろう。)
あの龍を一撃で打ち倒し、その反動によって失神したということか。ともすれば、その威力たるや、計り知れない。イヴァンは、その可能性に目をつけたのだった。保護という名目で自らの力の及ぶ範囲内に収め、ワルハラへ連れ帰る、というシナリオは、既に彼の中で出来上がっていた。
(しかし、それにしてもなんだって雪山の中に。)
馬車の中でも、イヴァンの興味は、その少女に向いたままだった。馬車が止まったところで、イヴァンはやっと、アーデルクの街の中心にある、ノアキス王宮に着いたことに気づいたのだった。
ワルハラと同じような白い壁面。ただし、ワルハラの王宮がきらびやかであるのに対し、ノアキスの王宮は、雪に溶け込むような、純朴な印象をイヴァンに与える。同じく白い門扉が開かれると、目の前には長い廊下。この奥で、諸王侯会議が開かれる。
「お待たせしました。ワルハラ皇帝、イヴァン・フロプト八世、ただ今到着至しました。」
扉を開け、中にいる面々に、一礼するイヴァン。諸王は、一斉に扉の方を向いた。
「やっと来ましたね、イヴァン。」
円卓の正面に座る、中性的な人物。ノアキス国王、フェリクルスがイヴァンに声をかける。決まり悪そうにイヴァンが頭を掻くと、とりなすように、フェリクルスの左手に座る人物、プロメタイ帝国皇帝、ギュスターブ二世が声をかける。
「そなたのことである、退き引きならぬ事情があったのであろ。安心せよ、まだ会議は始まっておらぬ。」
「そぉそぉ。召集した奴がまだ来てねェのヨ。いい気なモンだぜまったく、ここまで来んのにどれだけかかるかァ……。」
愚痴を溢すのは、ヴェイル国王、クロードである。欠伸をしながら、ちらちらと閉じた扉を伺う。気になっているのは、未だに現れない二人の王、シレヌム皇帝ルードヴィヒと、シメリア皇帝リヒャルトが、一体何をしているかである。
ワルハラ、プロメタイ、ヴェイル、シレヌム、シメリア。この五つの国々は、この大陸の中でも特に強大な大国である。故に、この内のどの国が会議を欠席しても、議決を採ることはできない。そして、早いところ会議を終わらせたいクロードは、苛立ちを隠そうともしない。落ち着かない様子で、組んだ指を動かしている。椅子に座ったイヴァンは、いつものことだ、と冷静に分析する。イヴァンの対角に座る、ギュスターブもまた、同じような目でクロードを眺めていた。見下すような冷たい目線であるが、無理もない。王国は、帝国より格下であるのだから。
各々が国策について語らう。自国産業の自慢や、不作と経済の影響など、世間話にしては、少々スケールの大きな会話が交わされた。皆が皆、来ないシレヌムとシメリアを待ちつつ。
「おうおう、よぉうやく来おったかえ?」
開かれる扉に、クロードが声をかける。が、その表情は、すぐに変わった。待たされた怒りから、困惑に。
「シレヌム皇帝、ルードヴィヒは到着した、が。」
戸惑いを繕いつつ、ギュスターブは状況を整理する。扉のところには、若い見た目の、仮面を被った男性、ルードヴィヒと、もう一人。白いドレスを着た女性がいる。しかし、それはシメリア皇帝、リヒャルトではない。
その顔に見覚えがあったフェリクルスは、確認をとるような口振りでルードヴィヒに問うた。
「その女性は、確か、カタリナ・ディ・カリオーブかい?シメリア帝国の王女の。」
円卓の面々は、納得した。確かに女性は、シメリアの王族、カタリナに間違いなかった。それでは、リヒャルトはどうしたのか。
「諸王侯会議は、よほどの理由がなければ欠席することも許されないものだ。それを欠席するということは、……何か、リヒャルトにあったのかい。」
心配そうな顔で、イヴァンが聞く。彼は、その発言の直後、カタリナがドレスの裾を握りしめたのを見逃さなかった。カタリナはこの質問に答えず、代わりにルードヴィヒが答えた。
「なんだ、万雷帝、貴様はまだ知らんのか。」
ルードヴィヒの意味深な発言に、イヴァンは首を捻り、思い当たる節がないという素振り。しかし、腹の内では、二人の反応から、何があったのか予測しようとしていたのだった。だが、やはり心当たりがない。
「いや、知らないな。なぜ、あの矍鑠とした老爺が王女を寄越したのか。見当もつかないよ。」
苦笑いしながら、手を広げ、お手上げを示すイヴァン。それを見たルードヴィヒは、棘のある口調で言う。
「ほう、驚いた。貴様が裏で糸を引いていたと思ったのだが。」
「陰謀か。何の、何を証拠に、何を根拠にそんな言いがかりをつけるんだい。」
あらぬ疑いをかけられている。そう感じたイヴァンは、負けずに言い返した。会議のメンバーは、心配そうに二人のやり取りを傍観している。そこに割り込めるのは、ただ一人だけだった。
「いい加減、しらを切るのは止めていただけませんか。イヴァン皇帝。」
口を開いたのは、今まで沈黙していたカタリナであった。軽く舌打ちしたイヴァンは、濡れ衣の怒りを彼女にぶつける。
「しらを切るとは、また異なことを。僕を二人で貶めるのを、まずは止めて然るべき……。」
「まだ分からないのかよ、貴様は。なぜ彼女が会議に出向いたのか。なんでリヒャルトが出てこないのか。」
イヴァンは、一度冷静になって思案した。今までの、ルードヴィヒとカタリナの言動、仕草から察するに、まさか。
「リヒャルトは、崩御したというのかい。」
「それも、貴様の陰謀によってな。」
会議室に、どよめきが、波のように持ち上がる。波は、狭い部屋の中で、どんどんと大きくなっていった。イヴァンは、自分のおかれた状況を見失い、難破した船のような心持ちだった。




