会議の招待と氷龍の襲来
「……じゃ、俺はヨハンさんの家からここへ出勤すればいい訳ね。」
ヨハンが頷く。最初は嫌そうな顔をしていた彼であったが、今はその表情も和らいでいる。まぁ、受け入れた、ではなく、諦めた、の方が正しいような気もするが。とはいえ、決まったことなのだから、仕方ない。光の、よろしくお願いします。と挨拶を改めてしたところ、ヨハンはため息混じりで、こちらこそ。とぶっきらぼうに言ったのだった。
「陛下、失踪事件の捜索本部が完成いたしました。」
「おお、早かったね。さすがアーネストだよ。」
同じ頃、大公は王の間でイヴァンに報告を行っていた。報告を聞いたイヴァン皇帝は、さも嬉しそうであった。
「よかったよ。これで多くの人が救われる。今までの調査の態勢は、十分とはいえないようなものだったからね。逼迫した国際の情勢を鑑みれば、仕方のないことだったとは思うのだけれど。でも本当によかった。……これで僕も父や母に再会できるかもしれないしね。」
「……陛下……。」
目を伏せるイヴァンを労るように大公は腕を伸ばした。イヴァンはそれを片手で制すると、椅子から立ち上がり、窓際へ向かった。そこからは、王宮の壁の中、そしてその向こうの街並みがよく見える。無論だが、失踪事件対策本部となった建物もはっきり見える。そこでは、まだ多くの人が残って互いに何やら話しているのが、遠目にも伺えた。
「失礼します。陛下、諸王侯会議の召喚の通達が来ました。」
カスパーが、扉を開けて入ってきた。イヴァンは、その言葉を、意外なものだと受け取ったようだ。
「えぇと……。この前の諸王侯会議からまだ一ヶ月しか経っていないよ。ついぞこんなことはなかったのだけれど……。とはいえ、受けない訳にはいかないよね。不興を買って、ワルハラが戦争に巻き込まれでもしたら大変だしね。」
諸王侯会議、それは諸国の王が、その能力、権力、地位に関係なく議論を行う、国際的な会議のことである。通常は三ヶ月に一度ほどなので、イヴァンは驚いたのだった。
「なんでも、緊急の召集でありますれば……。」
「そうだね。……よし、準備するか。」
イヴァンは、いそいそと出立の準備を始めたのだった。
思えば、この会議こそ、後に世界の根底を揺るがすことになる戦争の火種になったのである。しかしながら、今、このときは、誰もその災禍を予期しえなかった。ただ、少しずつ、世界の安寧秩序にひびが入っていくのみ、それは誰の気にもとめられないほどの小さなひび。そこに撃ち込まれた一発の銃弾が、この世界だけでなく、さらに高次のものをも巻き込んだ、大きな変化のきっかけとなったのであった。
「しかしまぁ、アーデルクの街は、ここより冷えるのだろうね、嫌だなぁ。あそこに行くのは、夏の間ならまだしも、冬にあそこに赴くなんて、正気じゃないね。」
「国王陛下、そうおっしゃらずに。それに、滞在も短期間でしょうし、少しの辛抱ですよ。」
馬車の窓から顔を覗かせ、愚痴をこぼすイヴァンを、アーネストがとりなす。アーデルクの街とは、ワルハラの隣国であるノアキス王国にある都市の名前である。アーデルクに限らず、ノアキス王国の諸都市は、山がちな地形と豪雪のために、一つ一つが要塞のように堅牢である。その堅牢さを生かして中立と独立を守ってきたのだ。それ故に、ノアキスはしばしば外交や国際会議の会場として使われてきた。完全中立の独立国家内では、どんな王も外交官も、その国力に関係なく平等だからである。
「そうなんだけど……、いや、そうだね。……アーネスト、とりあえず僕のいない間は、ワルハラを頼んだよ。」
「ははっ。」
車窓から眺める白い雪に包まれた景色に、イヴァンは懐かしさを覚える。幼い頃に、失踪する前の父母が連れて行ってくれた離宮が、雪のように白い壁だったことを覚えている。離宮へ至る鉄道は、雪の中を、ときに矢のように真っ直ぐに、ときに弓のように曲がりながら、目的地へ向けて走った。そんなことを思い出していたイヴァンは、雪の質が変わったことに気づいた。
「ノアキスに入ったか。」
独り言のように呟く。鉄道は、この先の急な山肌を、何度も折り返しながら登っていくのだろう。多少せっかちの気があるイヴァンは、それがたまらない。歯痒さを感じつつの旅となった。山を登れば登るほど、深くなる雪のために、列車は速度を落とさざるを得ない。腕組みをしつつ、指をトントンと打ちながら、イヴァンは懐かしいながらも、単調に繰り返す車窓風景にため息を一つついた。
どのくらい経っただろうか、イヴァンが、失踪事件対策本部のことを色々と思案していたとき、列車の速度がガクンと落ちた。やにわに、車内が騒がしくなる。
「おい、一体この騒ぎはどうしたことだ。」
廊下を走っている乗員をつらまえたイヴァンは、彼に尋ねた。
「……へ、陛下……。龍が、龍が出ました!」
乗員は、歯の根が合わぬ様子であったが、それでも絞り出すように答えた。青ざめた顔、震えている体、そして龍という単語に、事態の重大性を理解したイヴァンは、窓から身を乗り出した。すぐに乗員に引っ張り戻されたが、それでも、列車前方に山のように、いや、突然現れたのだから、さしずめ土砂崩れによって流出した土壌のような、そんな影を見留めることができた。
「あれは、何種だ……、いやこんな雪山で出くわす、あの大きさの龍など、一種しかいないか。」
乗員は、ただ頷くばかりである。無理もない。その龍は、通称『動く雪山』。余りの巨大さ故に、その体には、雪山と同じ生態系が構築されていると言われるほどに巨大な龍である。もっとも、この龍の危険性は、巨大さによるものではない。問題は、体内で生成される冷気と、外敵を発見したときの狂暴性である。
「ズーニグリか、こんなところで出くわすとはな。」
「今から、ゆっくりと後退しますので……。」
乗員の放った弱々しい台詞に、イヴァンは怒った。
「後退だと、それは許さない。会議に遅れることは、国際的信用の消失に繋がりかねない。」
そう言うと、イヴァンは一振りの剣を取り出した。何の変哲もない実直で無骨な剣は、華美な楼閣に住まう王の持ち物だとは想像もつかないだろう。しかし、その剣の輝きは、いらないものを全て取り払ったような、そう、言い換えれば、命を刈り取ることに特化したような、妖しさや恐ろしげな気配を醸し出していた。
「やられる前にやるよ。歴代の皇帝がそうしてきたように。」
イヴァンは、乗員に言い残すと、窓から外へ出た。乗員の静止を振り切ると、どんどんと龍との間合いを詰める。人とはかけ離れたような、素早く、無駄のない動きは、さしずめ雪中で狩りを行う肉食獣のようだ。剣の具現のように、イヴァンは確かな殺意でもって、ズーニグリと対峙した。ズーニグリも、足元に現れた男に気づいたようだった。その男の放つ、獰猛な気配にも。
咆哮を上げながら、前足を振りかぶる龍。尾でもってバランスをとり、目の前にいる外敵を、一踏みに踏み潰さんとする。
直後、雪煙が上がる。龍の前足が、轟音と共に地面に打ち落とされたのだ。すんでのところでかわしたイヴァンは、剣を固く握り直すと、龍に応戦する。龍も再び、外敵を倒そうと、今度は長い尾を振りかぶった。鞭のようにしなる尾は、当たれば確実に対象を仕留めることができると評される。龍の動きを見たイヴァンは、後ろに一歩飛ぶ。その立っていたところをめがけて薙がれた尾の一撃の勢いを見たイヴァンは、少々手こずるかもしれない、と感じた。龍を初めとした魔法動物狩りは、ワルハラ皇帝の専売特許、十八番であるのだが、ズーニグリ級の大型種となると話は別である。もっとも、イヴァンの実力をもってすれば、龍の討伐などは片手間なのだが、問題はその後である。自国の領外で、イヴァンがその真価を顕した場合、外交に軋轢が生じかねない。イヴァンの本気、それは、地形や天候までも変化させるほどのものだったのだ。
「なるほど、厄介だな。」
尾の振りの反動で、体を回転させていたズーニグリは、首をイヴァンに向けると、その巨大な口を開けた。まずい、とイヴァンは感じた。ズーニグリの最後の切り札である、体内の冷気を放出する準備が始まったからである。イヴァンは覚悟を決めた。乗員の命も最早一蓮托生である。それに、元はと言えば、イヴァンの蒔いた種である。彼自身の手で決着をつける必要があると、彼は判断した。
剣を持ち替え、雪を蹴り、一気に間合いを詰める。狙いは、ズーニグリに限らず、全ての龍、魔法動物の弱点である、体表に露出した魔力鉱石である。透明に近い薄い水色の水晶は、周りの霊気を吸いとり、周期的な明滅を繰り返す。しかし、それは、弱点を無防備にさらけ出すという、危うい側面も持ち合わせているのだ。イヴァンは、最も大きな、右前足の水晶めがけ、剣を振るった。




