トルンの失踪事件
オリバーの故郷は、ワルハラ帝国の首都の東側にある街、トルンである。意外なことであるが、オリバーは、ヨハンと同郷であるらしい。
事件は、数ヶ月前。トルンでの失踪事件は、多発的に起きた事件の中でも、早期に起こったものだった。
オリバーは、事件の一報を詰所で聞いた。せききって駆け込んできた部下の口から聞かされたのは、信じられない事実だった。すぐに団長に許可をとると、故郷へと急いだ。
失踪事件のあったトルンは、以前にもまして寂しい雰囲気が立ち込めていた。それもそのはずだ。トルンからは、多くの成人が消えていたからだ。残ったのは、子供と老人、少しの大人だけだった。これが、連続失踪事件の特徴である。
「それは、俺の故郷でも同じです。……やっぱりおかしいですよね、どこでも同じように人が消えるなんて。誰かが裏で糸を引いてるようにしか思えないですよ。」
「だけれども、お前さんは、その『誰か』が誰なのか、まったく掴めていない訳だろ?」
その通りだと光は頷く。当時は光自身もまだ幼く、夜の間に人々が忽然と姿を消したのだから、失踪した人々についていた糸を引き上げて、舞台から下ろした傀儡師のことなど、知るよしもなかった。
「だがな、俺は住民からいろんなことを聞いた。……その『誰か』のことも、証言が得られたんだよ。」
光は息を飲んだ。傀儡師の情報は、光が最も欲し、それでいて手が届かなかったものだ。それが、今、手に入ると、ある種の興奮を覚えた。
「仕事で足を怪我したある町人の証言なんだが、そいつも失踪に巻き込まれかけたらしい。」
「えっ、『巻き込まれかけた』?どういうことですか?」
横からカリーニが、興味深そうに尋ねる。
「本当に、かけた、らしい。つまりは、失踪しかけたが、できなかったそうだ。」
失踪しかけたが、できない。光は、その言葉を反芻した。その規則性、連続性から、失踪というより誘拐に近いイメージを抱いていた光であったが、話を総合してみるに。
「つまり、住民は自主的に失踪しようとした、でも、その人は足を怪我していたからできなかった、ということですか……。」
信じられない、という空気だ。その空気は、カリーニやハルシュタインにも伝染した。
失踪事件は、人々が、彼ら自身の意思で行ったことだということか。それならば、なぜ人々は突然失踪したのだろうか。
「おっと、早とちりすんなよ。俺は、人々が自分から失踪したとは言うけど、それが自分の意思で、とは言わないぜ。」
「それは、失踪事件の被害者が、自らの意思に反して、しかしながら、自ら失踪したと言いたいということですか。フランシスさん。」
「そう……、うん、そうだな。なんというか、操られた、というのが正しいな。」
操られた……。それではまさしく傀儡ではないか。人々が人形のように意のままにされたのなら、それは、人形に対する傀儡師のような、絶対の関係があったからに他ならない。そもそも、人を操るなど、人間業ではないのだから。ならば、失踪事件の犯人は……。
「人間じゃ、ないのか。」
ぽつりと、口から零れ出る。それを聞いた各々の反応は、それぞれ異なっていた。カリーニは、怯えたような顔になり、ハルシュタインは、馬鹿らしい、とでも言いたげに鼻を鳴らした。そして、オリバーは……。
「あながち間違いじゃないかもしれないぜ。」
「間違いじゃない……。それは、失踪事件が、神か悪魔の仕業だ、と言いたいのですか?」
いや、そんなはずないですよね。というニュアンスを含め、ハルシュタインがオリバーに問う。しかし、オリバーはいたって真面目だった。
「その通りだよハルさん。」
「馬鹿馬鹿しい。第一小隊長は、いつからオカルト狂になったんです?」
「そんなこと言って、ハルさん、本当は怖いんでしょ。」
ハルシュタインは今まで光が見た中で、一番鋭い目で、オリバーを睨んだ。オリバーは、冗談めかして、怖い怖い、と肩をすくめた。
「まぁ、神や悪魔じゃなくても、人間ではないだろうな。一つ、その男の言うことにはだな……。」
その男の言うことには、窓の外は、昼だというのにどこか薄暗く、ひどく不気味であったという。暗い景色は、重い空気感を伴い、体にまとわりついてくる。そのくせ、意識だけは、外へ外へと向かっていた。まるで何かに操られるかのように。
しかしながら、男は怪我のせいで家から出ることはできない。もどかしい思いで寝台から体を起こし、窓の外を見ると、街の人々が、導かれるようにして、同じ方向に歩いていくのが見えた。男は、違和感を覚えたものの、それが欲求を止めることはなかったという。
男が、人々の向かう先に目を移すと、そこには小高い丘があり、上に人影が立っているのが見えた。その人影が、大きな旗を左右に振っているのである。さしずめ、人々を先導、誘導するかのように。男は、今すぐ、窓を突き破ってでも、その丘に向かいたい衝動にかられたという。
そうして、窓際で逡巡していた男は、部屋の扉を息子が開いた物音で正気に戻った。改めて外の景色を見ると、なるほど、これは異常なことだ、と身震いしたそうだ。しかし、もう既に行列は丘の向こうに消え、息子がそこに着いたときには、人々は忽然と消えていた、ということである。
「この話で恐ろしいのは、人々が操られていたことだけじゃない。街に残っていた人間の内、誰も連れていかれる人々を止めようとしなかったところもだ。だって、どう考えたって異常だろう?街の人々が、一斉に同じ場所を目指して行くんだぜ。」
光は、それと同じことが自らの故郷でも起こった、と想像してみた。その様子は、まさに奇怪そのものである。そして、それをただ見ているだけの自分のことを考えると、頭が痛くなってきた。自分もまた、多くの人と同じように、失踪事件が起きていたそのときに、疑念がなかったのだろうか、いや、オリバーの話と照らし合わせれば、そういうことになる。
「つまり、その旗手が、失踪事件を裏で操っていたと。」
ハルシュタインが、オリバーの話を要約して、言う。オリバーは、たぶんな。と頷いた。
「事件の奇異なところも似てますし、光君の故郷で起きた失踪事件も、同じ人物が関わっている可能性が高いですね。」
「いずれにしても、その旗手については誰も知らない。まぁ、人じゃあないんだろうがな。」
オリバーは、そう言って、話を打ち切った。




