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自由に生きれないと目的は成し遂げられないのではないか

私が、死ぬまでに成し遂げたいことを見つけたのは、大学一年の9月である。


「自分の生きる意味を見つけたい」


これは、所謂、一般的な


「〇〇の仕事をしたい」


「〇〇の趣味に没頭したい」


等とは違う。


自分が死んだらどうなるのか。


「天国に行くのだろうか」


「輪廻転生するのだろうか」


「完全に無になるのだろうか」


この答えを見つけない限り、自分の一挙手一投足の行動に確信が持てるはずがないと感じた。


そこら辺にいる宗教人のように、容易にその答えを自己完結したくもないし、

彼らとしても、もし、その教理が間違っていたとしたら、人生を棒に振るうのと一緒ではないか。


「一度しかない人生なら、馬鹿みたいに終えたくない」


「悔いは残したくない」


これは自分の自我かもしれないが、そこは誰にも譲れない。


「There is no such thing as No.2 Only No.1」

(2番というものはありえない1番だけ)


自我の強い自分との闘いが最も大変ではあるが、それを乗り越えたい気持ちもある。



それもあってか自分は大学の就職活動もしたことがない。


なので会社も3年ほどの契約社員等といったかたちを選んでいる。


正社員になってしまったら、会社に対しもっと責任を持つ立場になり、間違いなく人生の大半を費やしてしまうことになるのではないか。


正社員が悪いわけではない。正直内心では通常の社会生活を送っている人々が羨ましい。


自身の自我による人生の目標を考えた場合、その道を選択しなければならないと思ったからだ。


もう三十路に差し掛かった自分。


後悔はない。


その夢を成し遂げるためには。。。。







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