第六太刀
思わず触れてみたくなる、ふわさらのアッシュオレンジ。
人を優しく甘やかす様な魔性さを秘めた、琥珀の瞳。
幼げな顔には不釣り合いな程、醸し出される儚い色気。
美々しくも可憐な出で立ちは、優美な秋桜の花を彷彿とさせる。
どれを取っても前世、画面越しに見ていた、『逆恋』の秋風そのままの姿が君親の目の前にはあった。
違うのは、彼の心臓が鼓動を刻み、この現実に存在しているって事。
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一応、『逆恋』の秋風ルートも紹介しておこう。
まず、全キャラのルートを攻略し解放されるのが、田上秋風の隠しキャラルートだ。
他キャラが全員受け身であるのに対して、彼は『逆恋』唯一、攻めキャラにも転身する。たまには積極的に迫られたいかも、と言う肉食系女子のために生み出されたキャラなのだ。
他キャラとの乱立するフラグを潰し続けると、中盤辺りで主殿司として登場する。
主殿司とは、後宮の清掃や灯火、薪炭などをつかさどった役所の事。そういった仕事を専門に働いている女官、と言えばわかるかな。
(この世界で女官と言えば、立場が逆転しているので男性の仕事を指すのだが。何故、役職名も一緒に逆転してくれなかったのか………!
ややこしい事この上ないし、こんがらがっていけない。)
けどまぁ、当然これは表の顔であって本職ではない。真の目的は、後宮への潜入捜査だ。
后候補たちの入内と帝の失踪が時期的に被っている事を怪しんだ頭目に、誘拐の線で内側から犯人、若しくはその関係者がいるかどうかを調査するために間諜として送られたのが秋風である。
早い話が、スパイだ。
秋風は一族の薬師であると同時に、間諜のスペシャリストでもある。ゲームでは、同じく潜入している仲間に「毒蝶」と呼ばれているシーンがあった。
これは、一族で受け継がれている称号の一つだ。好感度を上げ、徐々に親密な間柄となる過程で秋風の抱えている闇と共にその意味も明かされる。
甘い密を求め飛び回る蝶は、余り戦闘力を必要としない代わりに高い演技力が重要だ。
仲間に扮して敵の懐へ空気の様に溶け込み、警戒心を抱かす事なく欺く。騙し合いの果てに、甘い密だけを根刮ぎ奪い去り。間諜が知らぬ間に内部を破壊していた事を、八方塞がりと言う形で敵が気づく頃には既に手遅れとなる様、画策する。
別人を演じる技術や間諜とバレれば人生即終了な危ない橋を渡るため、膨大な知識と咄嗟の対応力、大胆不敵な腹黒さを持っていないと務まらない職だ。
ゲームでも、偶然を装って何度も主人公に接触してきたりと策士な部分を覗かせていた。
攻略対象について説明した時に、全キャラ何かしらの闇を抱えていると言ったと思うけど。それは、隠しキャラも例外ではない。
秋風の闇は、間諜であるが故の闇だ。
様々な人物に成りきり、相手だけでなく時には自分自身でさえも任務のために騙し別人を演じ続ける。そうする事が田上一族に生まれた自身の定めであり、当然の役割であり、仕事だから。
けれども、彼は恐れていた。敵の心を意のままに掌握する毎に、胸中で膨らんでいくもう一人の自分と言う存在がどんどん大きくなっている事に。
そう、秋風の闇とは幼い頃から間諜として教育されたため、日常的に役者顔負けの演技力で別人そのものに成りきり、もう一人の人格を生み出してしまった、二重人格の事だ。
その内、もう一人の自分が主人格である自分を飲み込み、自己の境界が曖昧模糊となって、己が誰か解らなくなるかもしれない恐怖に秋風は怯え、煩悶する。
そんな風に、独りもがき苦しむ彼の前に現れるのが偽帝となったヒロインの糸森菊里だ。理由は違えど、同じく他者を演じる者同士である二人。
秋風の方から任務で近づいていくのだが、会う度に相手の意外な一面と出逢い、いつしか興味だけだったものが恋へと変化し惹かれ合ってしまう。しかし、互いの間には弟を溺愛する姉の邪魔に、秋風自身の抱える闇、二人の立場や身分など様々な障害が立ち塞がる。
それらを一つずつ解決していくと、晴れてハッピーエンドで何の柵もなくなり、大団円だ。バッドエンドは、ヤンデレ化した姉の松月から秋風を護る事が叶わず死が二人を分断つ。そして、駆け落ちエンドはもう一人の人格が暴走してしまい、それを止めようとして一緒に心中。
悲しいほど、報われるルートが少ない秋風ルートだが。他キャラには無い、もう一人の人格と入れ替わって攻めに転身した時が最高に格好良いので、どのエンドも攻略する価値が大いにある。
さて、この世界の田上秋風は、二重人格であるのか否か。『逆恋』で、見たままの人物なのかどうなのか。
それも、確かめねばなるまい。
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急いで来たようで、小さく息を弾ませながら、ささっと障子を後ろ手で閉めた秋風は、若干焦った様に姉様とは逆側の横へ膝を突く。屈んで片手を布団へ置き、うつ伏せで背中の痛みに耐える私の顔を覗き込んだ。
ぐっと、二人の距離が縮み、秋風の吐息が君親の片耳にかかる。
「っ!?」
あまりにも唐突な急接近に、息を飲んだ。
予想外に秋風の体温を直に感じ取り、身体がピシッと硬直して咄嗟に何も反応する事ができない。
視線を横へ移し、目だけで兄様を見上げる。
と、覗き込んだ拍子に俯いたからか、顎のラインで綺麗に切り揃えられたふわさらのアッシュオレンジが一束、足早に駆けてきたせいでほんのり上気した頬の上を、サラリと滑った。
その光景たるや。
誰か、奇声を上げなかった私を、褒めて欲しい!
流石、攻略対象者の中でお色気担当と言われていただけはある。たったそれだけの仕草なのに、妙に色っぽいのだ。
今にも泣き出してしまいそうに潤んだ涙目と、心配そうに寄ったハの字眉が、常ならば自身よりも年上の男性に感じる事のない庇護欲を掻き立てられる。
超絶至近距離にある麗しい美貌に、心臓が飛び出そうだ。
ってか、本当、近い!
あともう少し屈むか、布団に置いている手のバランスを崩せば私の心臓が飛び出る処の話ではなくなる!
飛び出たまま止まって、帰って来なくなるぞ!?
いや、うん。一旦、落ち着こうか、私。
止まって帰って来ないって、確実に死んでるからね、それ。
せっかく、死の淵から生還を果たしたのに、危うく三度目を体験するところだよ!
どうやら、兄様の美貌と溢れる色香に惑わされ、思考回路がショートしかけて軽くパニックに陥っていたようだ。
両側にいる二人に気づかれない様、冷静になるべく小さく深呼吸をする。一度、瞼を閉じて心に平静を呼び戻し、再び目を開くと、憂いを帯びた悲しげな瞳とぱっちり視線が重なった。
次いで、驚きと歓喜にパアアッと見開かれた星屑の様に煌めく琥珀に、暫し見惚れてしまう。
「君親!?」
「兄様………」
「あぁ、良かった!意識が、戻ったのですね!?」
ぽーっと見つめていたら心底、嬉しそうな泣き笑いの表情と更に近距離でかち合った。
ん?近距離で、かち合った??
自分の心の言葉を怪訝に思って、内心で首を傾げた瞬間―――――――理解する。
互いの額に触れ合うか合わないかくらいの微妙な距離に、兄様の方から顔を寄せられているのだと。
同時に、うつ伏せになった私から見て右側。そこから、黒いオーラが噴き出し、ジワジワ全身へまとわりついてくる錯覚を覚える。
しかも、低い声が何やら不穏な呟きを、ブツブツと洩らしていて。
「秋風が………私の可愛い可愛い、秋風がっ。私よりも、君親の方を優先させるなんて!それに、何?あんな慈愛に濡れる、泣き笑いの表情はこれまで一度も見たことないわ!!その表情を引き出したのが、私ではなく君親だなんてっ、悔しい!!!…………今から私も同じように瀕死の重体になれば、あの表情を独占出来るのかしら?」
ヒィッ!?
これは、真面目にヤバい!
殆どノンブレスで言い切ったと思ったら、最後は真剣そのものの声音が、本気で実行しそうな危うさを伴ってはっきり耳に届く。
ぶわっと、忘れかけていた冷や汗が一気に噴き出した。
目に入れても痛くないくらい溺愛している弟のためなら、姉様は冗談ではなく絶対に実行してしまうだろう。
本当に悲惨な姿と成り果てる前に、止めなければ!
主に、兄様の行動を!!
「あ、あの、兄様?」
「もう、あのまま、会えなくなってしまうのかとっ。肝を冷やしましたよ、君親………」
「それは、ご心配をおかけしてしまい申し訳ございません、兄様。しかしちょっと、近すぎるので離れてもらえま」
「本当に、とってもとってもとーっても、心配しましたよ。貴女の意識が戻ったと知る、今の今まで大切な妹が居なくなってしまうのではないかと気が気ではなく、大好物の金平糖も喉を通らなくなるくらいでした」
「ワォ。毎食後とおやつには必ず食すほどの大好物を、ですか?それは、一大事だ」
嘸や、秋風命な姉様はご立腹に違いない。
だって、大好物も喉を通らなくなる程、気落ちさせたのは全て私の自信過剰が招いた結果だから。
最初から簡単な任務だと侮る事なく、万全の準備をしていれば。させなくても良い心配も、かけさせる事はなかった。
こうやって、兄様本人は冗談混じりな口調で何て事ない様にサラッと言っているが。この三日間は、相当な不安と心労をかけさせてしまっていた様だ。改めて近くにある顔を見つめると、目元に薄らと隈が出来ている。ほんのちょっと痩けた頬が、痛々しい。
背中に重傷を負っているにも拘わらず、目覚めた時に見えた景色が枕や布団ではなく天井だったのは、姉様が兄様に代わって与えた罰なのだろうと今なら理解出来る。
傷口に塩を揉み込む様なあんな罰は、もう二度と味わいたくない。心身共に忘れる事のない楔として、しっかと刻み付けたよ。
大きな雫を瞳いっぱいに溜めた視線を、兄様は自身と同じ眼前の琥珀から逸らす事なく重ねる。その視線に妹の体調確認と、生きている事への安堵、一歩間違えば命が無かった浅慮な行動への叱責が浮かぶのを見てとった。
最初の焦りと君親の意識が戻った事への歓喜を見せた時とは違い、微妙に冷静さが窺える瞳にあぁ、と気づく。
はい、この近すぎる距離は、わざとですか。
姉様の苛立ちを、私で解消させようという魂胆なのですね。わかります。
しかし、お願いですから、怪我をしている今はご勘弁を!
治ったら、幾らでも甘んじて受け止めますので!大好物の金平糖も、飽きるほど献上させて頂きます!!
今、姉様のそれを受けると、私の命が幾つあっても足りない処ではなく、本気で命が危ぶまれる大事になりかねないですから!!!
と、内心ビビりまくる私の必死な思いが通じたのか、兄様の考えに理解を示す目を向けたからか。はたまた、忍び装束の懐からクナイを取り出し始めた姉様に本気で危機感を覚えたからか。
榛色の小袖で、瞳に溜まった雫が流れ落ちる前に拭いながら、兄様は覗き込んでいた身体を起こす。
二人の間に、適切な距離が戻った。姉様のまとわりつく不穏な気配も多少、引っ込んでくれた様だ。
緊張で固まっていた君親の全身が若干弛緩し、バクバクと脈拍していた心臓も距離が開いた事で、徐々にいつもの調子を刻み始める。
拭い終えると、兄様はもう一度君親を見て「仕方ない、許そう」とでも言う様に頷き、正座をしてピシッと背筋を伸ばす。それから、姉様の方へ顔を向け口を開いた。
「姉上、そのクナイと今考え付いた事を、直ぐに納めてください」
「んー、でもね、秋風」
「でも、ではありません。確かに、先程は君親を心配する余り気持ちが急いてしまい、最初にするべき姉上への挨拶を怠ってしまったのは私の誤りです。申し訳ございません。しかし、自身の欲を満たす為だけの理由で自傷行為に走るなど、愚かな行いです。お止めください」
「けどっ」
「けど、でもありません!もしその行動によって、命を落とす事になりかねない大事になったら、どうするのですか!?そもそも、例え死ななかったとして、君親に向けたものと同等のものを得られると、姉上は本気で思っているとでも?」
「むぅ……………」
言葉に詰まる姉様だが、そのはぶて顔は「思ってない」と雄弁に語っていた。秋風から目を逸らし、ぷくっと頬を膨らます様は、まるで親に叱られ拗ねる子供のそれだ。
双子なのでどちらが上か下かなど大した差ではないかもしれないが、これではどっちが姉で弟かわかったものではない。
加えて、秋風の童顔が作用してしまい、二人の関係を知らなければ傍目からは子供に叱られる残念な大人の構図にしか見えなくなっている。
君親としては幼い頃から見慣れた、妖艶美女が童顔美青年に叱られる図を生暖かい目で見守っていると、兄様からは見えない角度を狙って、眼光鋭く睨まれた。
もし、その目からビームが出ていたら、うつ伏せで動けない私は瞬殺だっただろう。それだけ強い威圧と苛立ちを込められた、眼力だった。
自身の顔が、引き攣っていく。そのまま、そーっと姉様の視線から逃れる様に目を下へ移した。
「はぁ。私の言いたい事が理解出来たのなら、その物騒なものを今すぐに、元あった所へお仕舞いください、姉・上?」
「…………………わかったわよー、今回は諦めるわ」
目を眇め、聞き分けのない子を窘める様な呆れを滲ます兄様の態度に、これ以上怒らせては不味いと判断したのだろう。
姉様は渋々と言わんばかりに、持っていたクナイを懐……と言って良いのか。ボンッキュッボンッのナイスバディーな体型の中でも特に凄い、豊満な胸の谷間。その間に仕舞い戻していた。
そんなに諦められない程、命を懸けてでもあの泣き笑いの表情を独占したかったのか。
姉様、秋風の兄様の事、好き過ぎでしょ。
………………何だか、二人の将来がちょっと心配になってきた。
大丈夫だろうか?
そういえば、クナイを取り出した時は敢えて言わなかったけど、胸って大きいとああいう使い方も出来るんだね。
絶壁だった前世と違って、ギリ谷間ができる大きさまで育ってくれた今世なら私にも出来るだろうか?
うむ、これは一考の価値があるかもしれない。
もしも、今回の様に敵に襲われ捕らわれてしまった時に、武器を全て奪われても、忍術が使えなくても一つや二つ隠し武器を持っていれば、逃げられる確率はぐっと上がる。
まぁ、その前に捕まんなよって話だが。
一度失敗してしまった今、同じ轍は二度踏まないよう努めたい。
が、まず心配すべきは、今後の身の振り方だろう。
前にも言ったけど、私の母は田上一族を束ね、くノ一と言う闇に生きる集団の手綱を握り統率する頭目だ。
性格は、非常に聡明で冷静沈着。他者にも自身にも厳しく、生真面目。仕事に対してはとてもストイックで、一つのミスも許さない完璧主義者タイプ。
一族で、最強を極めし者に受け継がれる称号――――「影神」を拝命している。
肩よりも気持ち長いくらいのサラサラの白銀を靡かせ、微笑みすら浮かばす事なく淡々と任務を遂行する同色の鋭利な眼には、心の底からゾッと凍える様なブリザードが吹き荒れていて。
その眼に囚われた者は氷像の如く凍りついてしまい、何の抵抗もできぬまま無慈悲に闇へと堕とされるのだ。
そうして敵を一切躊躇なくほぼ無音で屠っていく超人的姿が、息を吹きかけ一瞬にして人間を凍死させる妖怪の雪女を想起させられる事から、「氷眼の吐息」とも呼ばれ裏の世界では恐れられている。
これは、頭目が忍術の一種、"氷眼の術"の使い手と言う事にも起因している。
使用者の視界に入った対象者の動きを、眼力だけで一時的にストップさせる事が出来る術だ。目に見えぬ力で瞬きの間に身体の芯から凍てつき動きを阻害する眼が、感情の灯らない無機質な氷に似ている事が術名の由来。
通常、一度に最高でも三、四人にしか掛ける事の出来ない術だが、頭目は一気に二、三十人へ効果を与える事が可能だ。しかも、それだけの人数を汗一つかくことなく、涼しい顔で易々と相手取っていくのだから、その戦闘力の凄まじさが分かろうと言うものだ。
実の娘だからと言って、特別扱いやその判断を甘くする事はない。
常に公平な立場と正確な目をを求められ、組織を統率し導いていかなければならない存在の頭目が、私情や感情を優先し流される事はあってはならないからだ。
そして、一族三番目の強者"白夜"の名が築き上げてきた誇りや名誉に傷を付けてしまった君親を、決して許しはしないだろう。
けじめと、他の者への示しとして厳しい処罰が下るだろう事は、もう決定事項なのだ。
問題なのは、処罰の内容。それによって、私の未来が左右されるのだから生還を果たしたと言っても、気は抜けない。
まずは情報収集だと、未だにムスッとしている姉様へ視線を移す。
帝の事を聞いた時と同じく、何かしら知っていると睨んで。
次回の更新も未決定です。