चंद्र讚歌 -La L'inno per il Candra-
チャンドラ讃歌
LAAL
ブラッディ・ムーンという現象が見られると、テレビで言っている。血みどろの月。今年14歳になったわたしの娘がいかにも喜びそうなワードだと思った。娘は最近いわゆるゴスロリと呼ばれる、黒を基調としたフリルで過剰に装飾された衣裳を好んで着るようになり、口調もどこか達観したような、「君、そんな言い回しをどこで覚えてきたんだ」と思わず突っ込みたくなるような、要するに『そういう年頃』になったのだなあと感じさせられる。
案の定、娘は居間に這入ってくるなり、
「今宵は『猛きチャンドラの血祭』のようね」
と言い放った。そして決めポーズ。どうやら自らの発した台詞の余韻に浸っているらしい。ここで驚いてやると面白くないので、「うん、そうだね」とだけ返してテレビに向き直る。娘は必死にポーズを保ってい入るが、だんだん顔が赤くなってきて、さらに震え始めたようだ。
「こら、りっちゃんをいじめないの」
彼女の母親が娘の頭を撫でた。ちなみに、娘の衣裳は母親の手作りである。彼女は若い頃からこの手の衣裳製作が得意で、私も何度か実験台にさせられたことがある。時には、今娘が着ているようなロリータ調の服を着せられたこともあり、あの時は我ながら結構な勢いで抗議した覚えがある。
「ブラッディ・ムーンって、どうしてブラッディ・ムーンって言うの? 本当に赤い色をしているの?」
娘が母の腕に抱かれながら訊ねた。彼女は眼鏡を押し上げ、得意げに話し始めた。
「そうよ、その名の通り、血みたいな真っ赤な月なの。これはどうして起こるかっていうとね――」
私はブラッディ・ムーンの由来を知識として知っているので、立ち上がってコーヒーを淹れにキッチンへ向かった。そこでどういうわけか、唐突に、自らの現在の幸せを実感した。
私は今、結婚して子供を儲け、都内に小さいながらも一軒家を持っている。それほど稼ぎは多くないが、安定した収入を得ることができている。これは、幸せなことだと、私は思う。
では、この幸せは、いつまでも変わらずにいるだろうか。――私は違うと思う。まず初めに、幸せとは、その時その状況に応じて時々刻々変化するものだと考えている。例えば、いつか私の娘が結婚して(これはきっと既にこの上ないほどの幸せではあるが)孫が生まれたときなどは、現在感じている幸せとはまた異なる幸せであろう。もちろん、予想はつかない。なぜなら、未来はこれからやってくるものであり、可変的なものだからである。未来を確定することは世界の理に対する冒瀆であると思う。
「何があるかわからないから、面白いんじゃない」
とは、妻の口癖である。さらに、彼女が日常的に言う「面白がりながら」という接頭辞は、こういう意味を含んでいる。
「面白がりながら応援してる」
これは20年前に、当時の妻が私に向けて言った言葉である。この頃は、私と妻が結ばれるなどは微塵にも思っていなかった。世界とは、そういうものなのである。
居間から、娘の元気な声が聞こえてきた。
「怒れるチャンドラの来訪!」
そして、私の幸せとは、こういう日常にこそ横たわっているものなのである。
***
NEELA
あと数時間で八月になろうという時分のこと。
「今夜はブルームーンです。これは二、三年に一度しか見られない珍しい現象です」
このようなニュースが目に飛び込んできた。どうにもわたしは「珍しい」だの「最後の一つ」だのという言葉に弱いらしい。この間だってまちでウインドウショッピングをしているときに『本日限定! 大安売り』というのぼりにつられて、必要のない品物を買ってしまったくらいだ。今回もわたしは兎にも角にも見なければ損と思い、早速外に出た。
月の見える位置まで移動して空を見上げる。なるほど見事な月である。しかし青くない。こはいかに、と首を傾げていると、後ろにくっついて来た眼鏡が待ってましたとばかりに、
「ブルームーンとは、単に青い月、という意味だけではなくて、今では一月に二回見える満月のことなのよ」
と蘊蓄を傾け始めた。これが喋り始めると止まらないということは嫌というほど経験しているから、普段は適当に聞き流すことにしている。何しろ放っておくとどんどん話が大きくなり、仕舞には「こういうのは全て地球外生命体の陰謀だ」などと言い始めるのだ。しかし今回はすこしだけ興味を持ったため、聞いてあげることにした。そうしたこちらの心の内を知ってか知らずか、眼鏡は我が意を得たりと滑らかに語り続けた。
「そもそもブルームーンとは……」
ところで、眼鏡の解説を聞きながら、ふと、あることを思い出した。
昔、まだ携帯電話が現在ほど普及していなかった時代に、親友からこんな文を添えた電子メールが届いたことがある。
「月は間違いなく青いけどね。」
今までずっと、真実を知るのが怖くて意味を調べることもなかったこの言葉の意味を、思いがけず理解してしまったと同時に、もっと早く親友の本心に気づいていれば、と遅ればせながら後悔した。当の本人はそんなことを忘れているかの如く、喜々として滔々としゃべり続けている。
…La L'inno per il Candra
『NEELA』は2015年7月「コラム」に掲載された『チャンドラ讃歌』を加筆・修正したものです。