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第八話 リケとリカ

「……大丈夫? 怪我はない?」


 慣れない魔術を二回連続で使ったことで、ミュリエルはふらふらだった。それでも、リカをそのままにしておくことができず、身体を引きずるようにして近づいていく。


「あんたのほうがボロボロじゃん」

「ちょっと、魔力の使いすぎみたい……」

「ごめん……ありがとう」


 リカのそばまでたどり着いて、結局彼に支えられることになってしまった。リカのほうは尻を強く打っただけで、ほかには大きな怪我もないらしい。「よっこいしょ」と言いつつミュリエルの脇を支える身体は、意外にも力強い。


「あの木を相手に体術の練習をよくするんだけどさ、今日は虫の居所が悪かったらしくて、酷い目にあわされたんだ」


 ミュリエルに肩を貸して歩きながら、言い訳のようにリカは呟いた。やはりばつが悪いのか、いつもの感じの悪さはない。


「どうしてそんなことを?」

「鍛錬のつもりだよ。強くならなきゃだからさ。……てか、俺たちの見分けがついてたんだな」

 

 どこかすねるような感じでリカは言う。すねているというより戸惑っているのだろうなと思い、ミュリエルは何だかおかしくなった。


「わたくしに隠し通せると思って?」

「別に、隠してないし。そんなことしなくても、気づかないやつは気づかない」

「……そうね。わたくしも最初は不思議に思っただけで気がつかなかったの。でも、仲良くなれないかしらと思って毎日よくよく見ていたら、リカとリケの違いがわかるようになったの。なかなかの観察眼でしょ?」

「何だよ、高慢ちき」

「……それに、ああいった樹妖は、男性ばかり狙うと、どこかで聞いたことがあった、から……」

「おい!?」


 普通に会話をしていると思っていたのに、突然ミュリエルの身体が膝から崩れ落ちてリカは慌てた。よくよく見てみれば顔色は青くなっており、血の気が引いているのがわかる。


「……気を強く持てば、部屋まで戻れるかと思ったのだけれど……」


 そう言ってパタリと倒れてしまう。……最後に残った気力で、めくれあがったスカートの裾を整えてから意識を手放した。


 ***


 次にミュリエルが目を覚ましたのは、すっかり夜になってからだった。

 締め切られたカーテンと多めに灯された蝋燭からそのことを判断して、もうひとつのことに気がついた。


「……リケ、ついててくれたの」


 寝台のそばの椅子に腰かけて、リケが船を漕いでいた。きっと、気を張ってミュリエルを見守っていたのだろう。


「あ、起きたの。ごめん、声かけてくれたらよかったのに」

「わたくしも今起きたところだから」

「そう。それならよかった」


 リケはミュリエルの額と自分の額に手を当てて、安堵したように頷いた。


「魔力が切れてフラフラしただけで、熱はないと思うわ」


 心配をかけたことが申し訳なくて言うと、リケは難しい顔をして首を振った。


「熱がなさすぎるのが問題だったの。すごく冷たくなってたんだから。飲み物とか何か、欲しいものはある?」


 ミュリエルが返事をするより先に、身体のほうが声をあげた。昼食前に倒れたのだから、お腹が空いていて当然だ。


「じゃあ……スープか何か軽く食べられるものを」

「わかったわ」


 リケが立ち上がって部屋を出ようとしたとき、ドアが開いてワゴンが入ってきた。押しているのは、リカだ。なぜかメイド姿になっている。


「食事、持ってきた。メルヒが魔術で冷めないようにしてくれてるから、まだあったかいと思う」

「……起きるまで、部屋の前で待っててくれたの?」

「うん。あと、夜に異性の部屋に入るのはどうかと思ったから、この格好をしてるだけだから」

「ありがとう」


 ミュリエルがお礼を言うと、リカはぷいっとそっぽを向いてしまった。そんなリカを、リケが肘で小突く。


「もう……ちゃんとお礼を言って」

「……ありがと」

「改めてお礼を言うわ。ミュリエル嬢、リカを助けてくれてありがとう。いつも無茶するのが気になっていたんだけど、今日はあなたが助けてくれてくれなかったら、本当に危なかったと思う」


 リケはリカの頭を押さえつけ、一緒になって頭を下げた。まさかそんなふうに改まって礼を言われるとは思っていなかったから、ミュリエルは驚いてしまう。

(……まるで別人みたい)

 従僕姿のリケとメイド姿のリカ。こうして並んでみると、顔つきは全然違った。おそらく、リケのほうがリカに似せていたに違いない。リカの根っからのそっけなさは簡単に真似できるものではないから、リケはただの無愛想に見えていたのだろう。


「双子なのかと思っていたんだけど、リケのほうがお姉さんなのね?」

「そんなことまでわかっちゃうんだ。……そうよ。今日まで騙してたみたいになっててごめんなさい」


 心底申し訳なさそうに頭を下げられ、ミュリエルのほうが恐縮してしまった。


「いいのよ。わたくしのほうこそ、暴くみたいになってしまってごめんなさい」

「いいんだ。そろそろ潮時だったから。……ずっとリケを守ってやりたいけど、俺も成長期が来たんじゃ、もう無理だから」


 どこか悲しげに言うリカは、喉を押さえていた。


「声が出にくいの?」

「声もそうだし、身体もあちこち痛いんだ。そのうち低い声になって身体もごつくなって、リケの真似なんかできなくなる」


 そう言うリカは、伸びやかな雰囲気と窮屈そうな様子が同居していた。変化を仕方がないと思う心とそれを厭う心がぶつかり合うから、いつもあんなふうに苛立っていたのかと、ミュリエルは納得した。


「……あなたたちにも、いろいろ事情があったのね」

「主には私の事情なの。……食べながらでいいから、聞いてくれる?」


 ほんのわずかに悲しみをにじませたリケに言われ、ミュリエルは頷いた。手持ち無沙汰なものもあれだから、スープの器に手を伸ばす。


「まずは、きちんと自己紹介をさせてね。私は、リーケ・ファルケンハイン。弟はリカルドよ」

「えっ……ファルケンハインって、公爵家の……?」


 話の核心にも触れていない出だしの部分で、ミュリエルはスープを取り落としそうになった。

 ファルケンハイン家といえば、たどっていけば王家に連なる公爵家だ。知らなかったとはいえ、そこのご子息ご息女を顎で使おうとしていたなんて、恐ろしすぎて背筋が寒くなる。


「そんな、恐縮しないで。立場をはっきりしたくて名乗ったわけではないの。ただ、私たちのことを話す上で名乗ったほうがわかりやすかったというだけ」

「そ、そうなの……」


 リケになだめられ、落ち着こうとスープを口にした。だが、緊張のせいか味がしない。仕方がないから心の中で自分のことを「ポンコツ高慢ちき」と罵ることで、いくらか気持ちを落ち着かせた。


「本当に、家のことは気にしないで。私たちだって今、その家から逃げてきてるのだから」

「逃げてる?」


 首をかしげるミュリエルに、リケは悲しそうに頷いた。


「きっかけは、私に来た縁談だったの。まだ私は正式に社交界デビューしていないのだけど、母と一緒に参加したガーデンパーティーか何かで見初めたという方がいて、その方から申し込まれたの。……まるで、唾をつけるみたいでしょ?」


 うんざりと言うリケに、ミュリエルも苦笑いで応じた。

 貴族社会においては、ままある話だ。誰もがより美しい者と、より家柄がよい者と婚姻を結びたいと考えている。美しく家柄のよいパートナーを持つ者は、それだけ社交界で高い地位を築けるから。そういった野心に燃える者にとって、リケは欲しがられる存在だろう。

 良識のある相手なら、リケの社交界デビューまで待ったはずだ。それをしなかったあたりが、リケに嫌悪されているに違いない。


「以前はそんなことはなかったのだけれど、最近父が少しおかしくて、それにつられて母も落ち着かなくなっていて……誰も守ってくれる人がいないの。それで相手の強い要求でお茶会という名の顔合わせの席まで用意されてしまって。このままよく知らない、私の顔と財産目当ての男と結婚するなんて嫌だったから、そのときにリカと入れ替わることを思いついたの。そんなに私の顔が好きなら、きちんと見分けがつくだろうと思って」


 リケの皮肉っぽい笑みを見れば、その相手が女装したリカをリケと間違ったことは容易に想像ができる。まだ男性っぽい骨格になっておらず、鎖骨の下あたりまで美しい金髪を伸ばしているリカなら、それはそれは愛らしい令嬢に化けることができただろう。


「リカのドレス姿も、ちょっと見てみたいわ」

「嫌だよ。ドレスだけは二度と着るもんか。……あの男の好色そうな視線を思い出すんだよ。あいつ、股間を踏み潰してやりたくなるような顔してた」


 本気でドレスを着せてみたかったのだが、リカの悪魔のような表情を見てミュリエルはあきらめることにした。それほどまでに憎しみを抱くような気持ちの悪い体験を思い出させるのは、気の毒だ。


「あのときリカに嫌な思いをさせてしまったけれど、それより問題だったのは、両親が私たちの入れ替わりに気づかなかったことなの。この人たちはおかしな男から私を守ってくれないし、私たちが姿を変えても気づきもしない――そのことを思い知らされて、家を出たの。それで、クレーフェ卿にかくまっていただいてるってわけ」

「……そういうことだったの」


 勝手に婚約してしまうような父だし、のほほんとしている母だが、ミュリエルは両親に愛されているという自覚がある。だからこそ、リケとリカの悲しみを思うと胸が痛んだ。


「安心しろ。メルヒとは親戚だから。リケと特別な関係とか、そういうんじゃない」


 ミュリエルの憂い顔をクレーフェ侯爵のことだと勘違いしたリカが、すかさず言い添えた。言われてとっさにその意図がわからず、わかったときには苦笑していた。


「今、クレーフェ卿の婚約者であることを忘れていたわ」

「メルヒ、それを聞いたら地味に傷つきそうだな」


 クレーフェ侯爵贔屓のリカはうかがうように見てくるが、魔術の先生という以上の感情はないから仕方がない。


「リケとリカの事情はわかったわ。……部外者が突然やってきて、生活を乱してしまってごめんなさい。それに、ついさっきまであなたたちのことをこの屋敷の使用人だと思っていたし」

「いいのよ。こちらこそ、リカが八つ当たりみたいにひどい態度をとってしまっていてごめんなさい。あまりきちんとしたことはできないけど、お世話させてね。ミュリエル嬢」

「ミュリエルでいいわ」


 うまいこと話をそらしたことに気づいたリケは、パチッとウィンクしてみせた。初日にミュリエルがときめいた表情だ。やはり、とびきりの美少年に見える。美形はずるいなあと、すねたい気分になった。


「どうして家を出たのに、まだ男装や女装を続けてるの?」


 ふと、気になったことを尋ねてみる。


「この服装でいると、とりあえず今まで自分を縛っていたものからは解放される気がするから、かな。令嬢ではなく、リーケ・ファルケンハインでもなく、ただのリケ……みたいな」

「俺は、これを着るとリケが喜ぶから。そのうち、着てくれって言われても着てやれなくなるし」

「そうね。可愛いリカも、もうじき見納めね」


 ミュリエルの質問に、二人は肩を寄せ合って答える。その姿に仲の良さを見せつけられ、少し羨ましくなった。


 それからミュリエルが軽食をお腹に収める間、とりとめもないことを話した。

 リカがまだ十四歳で、リケはミュリエルと同じ十六歳ということとか。

 どんなことをして屋敷で過ごしているかとか。

 執事のハインツの特技や趣味の話とか。

 同年代の誰かとそんなふうに語らうのはミュリエルにとって初めてのことで、それだけに尊いことだった。

 ようやく念願叶って、二人と仲良しになれたのだ。


「リケに求婚してきたやつとは違って、メルヒはおすすめなんだけどな」


 おしゃべりを終えて部屋を出て行く間際、リカがまたそんなことを言ってきた。和やかな雰囲気の中での不意打ちに、ミュリエルはすぐに言葉を返せない。


「……よく知らない方と、何の断りもなく婚約されたことが嫌だったのよ」

「なら、これからいろいろ話とかして、よく知ってる人になればいいだろ」


 やっとのことで言葉を返したのにそれにも華麗に言い返されて、今度こそミュリエルは何も言い返せなかった。


(たしかにお話をするのも、よく知り合うのも、嫌ではないけれど、それと婚約とは話が違うのよ)

 その夜、目が冴えて寝つけない寝台の中で、リカに言い返せなかったことを考えたのだった。

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