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第四話 初めての授業

 昼食のあとでクレーフェ侯爵の部屋に呼ばれたミュリエルは、そこでもまだ頬をふくらませていた。

 飼い主としてフィリの口の悪さについてどう思っているのか問いただそうとすると、大笑いされてしまったのだ。

 クレーフェ侯爵にとってフィリはただただ可愛い存在らしく、“ポンコツ高慢ちき”と言われたことを伝えると、「そんな言葉、いつの間に覚えたんだろう。あの子は賢いから、バラバラに覚えた言葉を組み合わせたんだろうね」と嬉しそうに笑っていた。

 おそろしげな野獣頭で上機嫌に笑うのを見て、ミュリエルは何か言う気にはならなかった。

 フィリのことで頭にきていたのに、クレーフェ侯爵を前にすると獣頭の印象の強さに意識のほとんどが持っていかれてしまうのだ。出会って一日では、まだ慣れない。慣れてたまるものかという気持ちもある。

(絶対にこの人の頭を元に戻して、無事に婚約を破棄するんだから!)

 そうミュリエルが決意を新たにする横で、クレーフェ侯爵はナイフでずっと何やら木を削っていた。ミュリエルを部屋に呼んだときにはあらかた完成していたようで、細かな微調整を繰り返したのち、ようやく手を止めた。


「ミュリエル嬢、ちょっとこれを持ってみてくれるかな」

「は、はい。これは、何でしょうか?」


 渡されたのは、先ほどまでクレーフェ侯爵が削っていた木の枝だ。握るところと思われる場所には細かな文様が彫られていて、先に行くほど細くなっている。


「それは、魔術を使うための杖。授業を始める前に、君に合う杖を贈ろうと思ってね」

「杖、ですか。魔術にも杖が必要なんですね」


 ミュリエルは自分の父が魔術を使う様子を思い出して、首をかしげる。

 杖といえば魔法使いのもので、魔術師が使うという印象はない。魔術師たちは術式の書かれた呪符や魔術陣を用いて魔術を用いる。高い能力を有する魔術師の中には、簡単な魔術ならそれらすらなしで発動することができる者もいるくらいだ。

 ミュリエルの父も、娘にちょっとした魔術を披露するときには呪符も陣も、杖もなしだった。


「魔法使いの杖と魔術師の杖は少しものが違うというか、持つ意味が違うんだ。どちらも媒介という意味では同じだけど、精霊に指示を出すためのものと、自分の中の魔力の出力を補助するためのものっていう、役割の違いがある。そして、魔術師でも杖を持つか持たないかは、流派の違いかな。ちなみに私は、初心者のうちは魔術師でも媒介が必要だと思ってるんだ」

「わかりました」


 正直、半分以上わからなかったが、ミュリエルは素直にうなずいた。クレーフェ侯爵はこれからミュリエルの魔術の先生になる人で、その人が必要というのならそうなのだろう、と受け止めたのだ。


「この杖は月桂樹で作ったんだ。月桂樹には“栄光”とか“輝ける未来”という意味があるから、ミュリエル嬢の魔術師として歩む道がそうあるようにと願って。ちなみに私が師匠からもらった杖は、カルミアの幹でできている。“大きな希望”とか“大志を抱け”という意味があるんだ。杖って、素敵だろう?」


 懐から自分の杖を取り出し、クレーフェ侯爵は目を輝かせて語った。彼の表情から、杖というものがどういうものなのか伝わってくる。


「杖とはつまり、魔術師の誇りだ。私は師匠に、ミュリエル嬢は私に、それを贈られたということだよ」

「……大切にします」


 杖を渡されたのにはそんな意味があるとわかって、ミュリエルは月桂樹の杖を両手で抱きしめるように握った。


「さて。それじゃあ魔術の講義を始めようか。ミュリエル嬢はどんな魔術を使ってみたいかな?」


 近くにおいていた本をパラパラとめくり、クレーフェ侯爵はにこやかに問いかける。ミュリエルが何と答えるか、それにすごく興味がある様子だ。

 尋ねられ、ミュリエルは少し考え込んだ。

 魔術といってミュリエルの頭に思い浮かぶのは、やはり父が見せてくれたものだ。

 ハンカチを生き物のように踊らせる風の魔術、指を鳴らすだけで蝋燭に火を灯す魔術、晴れた日の庭に虹をかける光と水の魔術――。父が見せてくれるものはどれも美しく、優しい。

 父が得意とするのは実は戦闘用魔術だと知ったのは、ずいぶん大きくなってからだ。魔獣討伐などに駆り出されれば雷や石礫いしつぶてをバンバン撃っていると知っても、ミュリエルにとって魔術は美しく優しいものであり続けている。


「光の魔術がいいです。クレーフェ卿が昨日見せてくださったようなものが」

「そうか。あれを気に入ってくれたんだね」

「はい。それに、光の魔術を初めに覚えておけばいろいろと役に立つかと思ったんです」


 ミュリエルは夜中にぽっかり目を覚ましてしまったときや、ランプが切れてしまったときなんかに光の魔術が使えればいいと考えた。その答えを聞いて、クレーフェ侯爵は「なるほど」とうなずく。


「一番最初に何の魔術を使うかという選択は、その人の資質が反映されると思うんだ。火が一番大事だと思う人もいるし、水が一番だという人もいる。ミュリエル嬢は、光なんだね」


 にこやかに言いながら、クレーフェ侯爵は紙に何か文様と文字を書いていく。その形をすべて暗記しているらしく、ペンを握る手はよどみなく動いている。


「これは、ごくごく初歩的な光の魔術を発動させるための陣だ」

「杖のこの部分の文様に似てますね」

「よく気がついたね! 君にあげた杖には、火・水・風・土・光・闇を表す簡易的な文様を刻んであるんだ。ごくごく簡単なものなら、さっと発動できるようにと思って」

「便利なんですね。ありがとうございます」


 杖の文様を指先でなぞりながら、ミュリエルは目を輝かせていた。月桂樹の杖の地味さが少し残念だったのだが、実用的なのだとわかって嬉しくなる。簡単に発動できるとわかって、早く魔術を使ってみたくてうずうずしてきた。


「あの……どうすれば、光の魔術を発動できますか?」


 新しいおもちゃを前にした子供のように、ミュリエルははしゃいでいた。

 そんなミュリエルを見て、クレーフェ侯爵はアーモンドのような形の琥珀色の目を細める。獣ならば獲物を前にした物騒な表情のように見えるが、人間味が混じると柔らかな表情なのだとわかる。


「杖の、光の文様をなぞりながら、光の球を想像してみて。それから『我が杖の先に光を』って唱えてみよう」

「はい」


 ミュリエルは杖を左手に持ち直すと、右手の人差し指で文様をなぞった。目を閉じ、頭の中には光を思い浮かべる。

「我が杖の先に光を」

「……おお!」


 クレーフェ侯爵の声に目を開けると、握った杖の先に光が灯っていた。まるで星をひとつ捕まえたかのように、ゆっくり瞬きながら光はそこにある。


「さすがはリトヴィッツ卿のご息女だ。実に筋がいいね。魔力を均一に放出できるようになりさえすれば完璧だ。初歩の初歩にしては上出来と言えるだろう」

「……本当ですか?」


 手放しの褒め言葉に、ミュリエルは面映ゆくなった。

 幼いときから家庭教師をつけられ様々なことを学ばされてきたが、出来のいいミュリエルはそんなに褒められることはなかった。

 すんなりやってのけてしまうよりも、苦労して達成する姿のほうが見ている者の胸を打つらしい。

 ミュリエルはできて当たり前という顔で卒なくこなすため、教える側もさらりと流してしまうことが多かった。


「本当だよ。最初は力みすぎて魔力を無駄に放出してしまったり、集中できなくてうまく発動しなかったりするんだ。でも、ミュリエル嬢は上手だった。この筋の良さは誇っていいことだよ」

「……あ、ありがとうございます」


 野獣の顔に満足げな笑みが浮かんでいるのを見て、ミュリエルは思わずうつむいた。まっすぐに褒められて、どう反応していいのかわからなかったのだ。

 いつもなら、「こんなことくらい、できて当然ですわ」と言ってしまうところだ。優秀な魔術師の娘であるという自負と圧迫が、いつしかミュリエルに傲岸にすら見える態度を取らせてしまうようになっていた。

 だが、何の含みもないクレーフェ侯爵の褒め言葉は、素直に嬉しいという気持ちを引き出してくれた。


「あの、水の魔術陣を書いてくださいませんか? やってみたいことがあるんです」

「いいよ、やってごらん」


 喜んでみせる代わりに、そうクレーフェ侯爵にお願いした。ミュリエルの思いつきが何か気になったのか、クレーフェ侯爵は笑顔でサラサラと書いてくれる。


「では、やってみますね。『水、光、七色の橋を架けよ』」


 杖の先で魔術陣をなぞり、指先は光を表す文様をなぞった。すると、魔術陣の中心から小さな水柱が噴き上がり、そのまわりをキラキラした光が覆った。


「わっ……どうしましょう!」


 水は天井まで届くと今度は水滴となって降り注ぎ、あっという間にミュリエルとクレーフェ侯爵を濡らしてしまった。


「すみません! 虹を出してみたかったんです……」

「あはは! いいんだ。謝らなくて。すごくいい。すごく面白い発想だ!」


 クレーフェ侯爵は杖をひと振りして水と光を消し去ると、風を吹かせ身体を乾かした。その間、ずっと笑っている。怒られると思ったミュリエルは、大笑いする獣頭を前に戸惑った。


「陣と杖の文様を使って同時にふたつの魔術を使おうとするなんて、すごく面白くて柔軟な発想だ! 魔術学校に悪戯者はたくさんいたけど、彼らの発想力に負けてないよ!」


 どうやら笑いのツボにはまったらしく、しばらくクレーフェ侯爵は笑い続けた。そして笑い止むと、ミュリエルの頭をポンポンと撫でた。


「ミュリエル嬢、君にいろんなことを教えるのが、これからすごく楽しみだよ」

「……頑張ります」


 失敗したのに、それを咎めないどころか面白がってくれた。その上、褒めてくれた。それが嬉しくて、ミュリエルの胸にはやる気が満ちあふれた。

 まっすぐに褒められたのはいつぶりだろうか。

 こんなふうに頭を撫でられたのはいつぶりだろうか。

 思い出せないくらい久しぶりのことで、それだけに喜びはいつまでも広がっていくように感じられる。

 結婚は嫌だが、いい先生に巡り会えたことは、とても幸運だと思えたのだった。

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