表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/22

第二十話 ミュリエルとメルヒ先生

「うえっへっへぇー! グツグツ煮込んで、煮詰めて、より凶悪な薬を作ってやるぜー!」

「ちょっと! 真面目にやりなさい。そんなのじゃ、すぐに焦げつかせるわよ」


 ふざけて悪者みたいな台詞を叫ぶリカから木べらを奪い取り、ミュリエルは毒々しい液体の入った鍋をかき混ぜる。


「真面目にやってどうするんだよ。このくらいの気分でなきゃ、やってられないって」

「でも、大切な薬でしょ? この薬がなくては、またメルヒ先生があなたのお母様に追いかけられるのだから」

「……そうだけどさ。本当、迷惑なジジイとババアだ」


 ミュリエルが真剣に鍋をかき混ぜ続けるのを、リカは面白くなさそうに見ている。だが、自分の両親のことが絡んでいるから強くは出られないのだ。

 なぜなら、今作っているのはファルケンハイン公爵夫妻の夫婦円満の秘訣――精力増強剤なのだから。


 あの夜会の翌日、正式にメルヒオルがリトヴィッツ伯爵家に挨拶に訪れ、ミュリエルの父に婚約を申し入れた。

 口約束とはいえ、一度は破談になった話だ。認めてもらえないのではと心配したが、意外なほどあっさり認められた。


「ミュリエルは絶対にメルヒオル君の顔が好きだと思ったんだ。娘を託すなら、いけ好かない美形より信頼できる美形メルヒオルがいいと思ってな」


などと言って、むしろご機嫌だった。ひと波乱あったものの、娘が自分のお気に入りの青年と結婚することになって気分がいいようだ。

 結局父の思惑通りになってしまったことは癪だが、メルヒオルが嬉しそうにしているのを見ると、ミュリエルも文句を言う気にはならなかった。

 正式に婚約するのは、ミュリエルが十七歳を迎える翌年の春だ。それからゆっくりしっかり準備をして、式を挙げることになっている。

 それまでの間は本来、花嫁修行に勤しむのだが、ミュリエルの場合は魔術を学ぶ時間にあてることにした。十六歳になったら、本当は魔術学校に行かせてもらえるはずだったのだ。だから、結婚するまでは存分に学ばせてもらうというのが、ミュリエルのせめてもの意地だった。


 すぐにクレーフェ家の屋敷に戻ったミュリエルだったが、なぜだかこうしてリカと忙しく薬作りをしているのがほとんどだ。

 必要なものだから仕方がないとはいえ、これではいけないと自分でもわかってはいる。

 だが、想いを通わせてから、メルヒオルと顔を合わせることがミュリエルは難しくなっているのだ。


「ちょっとー。悪の秘密結社の人たち。適度に休憩入れながらやらないとだめだよ。それと、換気はしなさい」


 リカとかわりばんこに鍋を混ぜていると、ドア越しにメルヒオルから声をかけられた。においがつくのを防ぐためにリカもミュリエルもローブを着てフードまで被っているから、そのコソコソとした様子を見てメルヒオルが“悪の秘密結社”と名づけたのである。


「ミュリエルは、そろそろ私と授業だよ」


 返事をするより先に、ドアが開いてメルヒオルが入ってきた。ダークブラウンの髪に琥珀色の目をした美形を見て、ミュリエルは叫ぶ。


「キャーッ! 先生、素顔で現れないでって何度言ったらわかるんですか!」

「あー! ごめんごめん!」


 叫ばれて、メルヒオルはあわてて顔を両手で覆って部屋を出ていく。まるで裸を見てしまった人と見せた人のようだ。そのおかしなやりとりを見て、リカがニヤニヤする。


「ミュリエル、早く慣れろよ。じゃないと、何かメルヒの顔が猥褻物みたいだろ」

「だって、あんまりにも美形で、恥ずかしくなってしまうんだもの……長く見ていると、鼻血が出ちゃうし」

「やっぱ、猥褻物だな」


 リカに呆れられるが、自分自身でも呆れている。好きな人の本当の姿に慣れることができなくて、ジッと見ていると鼻血が出てしまうなんて情けなさすぎる。

 頑張って慣れようとは思うのだが、まともに顔を合わせると鼻血が出てしまうのだから、どうしようもない。夜会のときのように、倒れないだけまだましだ。


「はい、顔を隠してきたよ」

「出たな、変態仮面!」


 少しすると、あの猫仮面で目元を隠したメルヒオルが戻ってきた。

 打開策として、こうして仮面で顔を隠している。


「リカ、あまり言わないでくれよ。私だって気にしているのだから」

「……すみません」


 悲しそうにされて、ミュリエルは謝るしかない。


「さあ、行こうか。今日は暖炉のある居間で授業をするよ」

「はい」

「リカは火の後始末をして、部屋で勉強だ」


 ミュリエルを部屋の外へ促しながら、メルヒオルは忘れずにリカにも指示を出す。薬を作ることになったなりゆきで、リカも魔術を学ぶことになったのだ。いい年頃の貴族の子息が何もせず無為に過ごしているのはよくないと、メルヒオルがそう判断した。


「やだー! 俺も箒に乗ったり実技したりしたいー」

「それはまた今度」


 リカを適当にあしらって、メルヒオルも部屋を出る。後ろから「同じ弟子なのにミュリエルばっかり贔屓だー」とリカが文句を言っているが、肩をすくめるだけで無視してしまう。リカはまだしっかりと座学に取り組まなくてはならないから、仕方がない。

 リカとの薬作りに使っているのは、屋敷の端にある部屋だ。そこから居間までは少し距離があり、メルヒオルの隣をしずしずと歩きながらミュリエルはぷるると小さく震えた。まだ雪が降るほどではないとはいえ、もう十分に寒い。


「寒い? もう少し廊下も暖かくなるようにしたほうがいいかな」

「大丈夫です」


 ちょっとした仕草すら見逃さずにいてくれることが嬉しくて、ミュリエルの心はほっこり暖かくなる。

 とんでもない美形になっただけで、こうした気遣いができるあたり、やはり紛うことなく彼はミュリエルの大好きなメルヒ先生なのだ。そう改めて実感すると、早くこの本来の姿に慣れねばと思う。


「うー、寒いね。今日は暖炉に火を入れるところからやってもらおうと思って、一旦火を消していたんだ」

「じゃあ、早くつけちゃいますね」


 自分の身体を自分で抱くメルヒオルの姿が何だか可愛くて、ミュリエルはいそいそと暖炉に向かった。


「あれ……灰も全部かき出されてる……」


 薪に火の魔術を放てばいいと思っていたため、何もなくなっている暖炉を見て戸惑った。暖炉には火が灯されているのが当たり前の生活をしていたから、どうしたらいいかさっぱり見当がつかない。


「暖炉に火を起こすにはね、薪と小枝と、藁とか紙とか火種になるものがいるんだ。これらをどう使うのか、今からやってみるよ」


 暖炉を前に固まっているミュリエルの頭を撫で、メルヒオルは手早く薪を組んでいった。


「まず、薪で土台を作る。箱のような形を作るのが一番簡単だね。そしたら、その中に火種になるものを入れる……今日は新聞を千切って丸めたものにしよう。その上に小枝を重ねて、さらに薪を重ねたらできあがり」

「……すごい。先生、無駄がないですね」

「慣れてますから」


 感心するミュリエルに、メルヒオルは少し格好つけて言う。それから、「さあどうぞ」というようにミュリエルを促した。

 これで暖炉としての格好はついたはずだ。あとは火の魔術さえ使えば部屋を暖かくできるだろうと、杖を振った。

 だが、炎は新聞紙や小枝を舐めるだけで、そこから薪へと燃え移ってはいかない。


「あれ……火力が足りないのでしょうか? もっと大きめの火の魔術にしたほうがいいですか?」

「その必要はないよ。だって魔術を使わない人は、マッチ一本でこの暖炉に火を入れるのだから。それより、足りないものを補うことを考えてみて」

「足りないもの?」


 土台は作ってくれたが、どうやらこれがすべてではないらしい。ということは何か目に見えないもの――魔術的な要素で足りていないものがあるのだろうと考え、思考をめぐらせた。

(火を起こすのに水は関係ないわね。だったら土も。部屋を明るくするのだったら光が関わってくるかもしれないけれど、たぶん今は関係ないし、闇でもないだろうから……風?)

 

「もしかして、風……空気ですか? そっか! 火が大きく燃え上がるために、空気を送り込む必要があったんですね!」

「そうだよ」


 ひらめいたミュリエルはもう一度杖を振り、炎を出現させた。その小さな炎の舌が消えないうちに、そっと息を吹き込む。


「やった! つきました!」


 ふぅふぅと何度か吹くうちに、炎は薪へと移り、赤々と燃え盛り始めた。無事に、火を起こすことができたのだ。

 手を叩いて喜ばんばかりのミュリエルを、メルヒオルはクスクス笑って見守っていた。


「風の魔術を使うのでもよかったのに……一生懸命息を吹く姿は、可愛かったよ」

「……!」


 笑われていた理由がわかり、ミュリエルは即座に真っ赤になる。だが、嫌な気分ではない。

 ミュリエルを見つめる仮面越しのメルヒオルの視線は優しくて、柔らかくて、大事にされているのがわかるから。

 それに、こうして暖炉のあたたかな光に照らされていると、メルヒオルの美貌を前にしているのに、それほど緊張していないことに気がついた。


「どうやら、少しは緊張がほぐれたみたいだね。君は何かに取り組ませたらそれに集中する子だから、こうやってちょっと難しい作業をさせたら、私への緊張を和らげられるかと思ったのだけれど、正解だったかな」


 言いながら、メルヒオルは暖炉の近くに椅子を二つ運んでくる。


「これでようやく、ミュリエルとゆっくり話ができる」


 おもむろに仮面を外すのがわかって、ミュリエルは身構えた。そして、素顔が晒されても少し心臓が跳ねただけだったことに安堵する。鼻血が出なかったことにも。

 どうやら暖炉の明かりは輪郭をぼんやりと優しく見せてくれるため、美形の眩しさをいくらか緩和してくれるらしい。

 ほっと息を吐いて、改めてメルヒオルを見つめた。


「いろいろ、考えてくださってるんですね」

「それはそうだよ。だって、好きな女性と見つめあえないなんてつらいからね。ちゃんと顔を見ておしゃべりできないことも」

「好きな女性……」


 改めてその言葉の響きを噛みしめて、ミュリエルは嬉しくて、それでいて不思議な気分になる。


「私はミュリエルが好きだよ。私の心に寄り添ってくれた女性は、君が初めてだから」

「わ、わたくしも、メルヒ先生のことが好きです」


 羞恥に顔を真っ赤にさせながらも、ミュリエルは言った。好きな人からの好意には、素直に応えたいと思ったのだ。

 そんなミュリエルを前に、メルヒオルは優美な笑みを浮かべる。


「獣の頭でも好きになってくれるなんて、ミュリエルは物好きだね。……でも、それは君がきちんと私の中身を見てくれたということだ。だから、できたらこの本来の姿も、早く慣れて好きになってくれるといいな」

「そうですよね……せっかく、元の姿に戻れたんですものね」

「君に会うために、必死だったんだ。獣のままでは外に出られない。外に出られなければ、君に会えない。その思いが、何より元に戻るための薬だったと思う」

 

 メルヒオルはそっと手を伸ばして、ミュリエルの頬に触れた。その感触を楽しむように指先をすべらせて撫でられ、ミュリエルの身体はかすかに震えた。緊張と、期待に。


「もっと、触れてみてもいいかな?」


 メルヒオルの指先は、頬から唇へと移動している。その意味がわかって、ミュリエルは目を閉じた。


「……はい」


 期待が緊張を上回り、一気に鼓動を速めていく。そのせいで自分の身体が揺れているのでないかと不安になってくるが、そんなことは唐突にどうでもよくなる。

 柔らかなものが、唇に触れたのだ。

 口づけられたのだ、とわかると途端に顔が熱くなる。だが、いつもの鼻の奥がつんと痛くなる感覚はなかった。

 数秒の後、メルヒオルの唇は離れていく。

 鼻血が出なかったことにばかり気を取られているうちに接吻が終わっていて、ミュリエルは何だか物足りない気分になる。まだドキドキしているくせに。


「これ以上は、だめだよ。……私が、我慢できなくなってしまうから」

「……は、はいっ」


 この口づけより先がある――そのことを強く思い知らされて、ミュリエルの心臓は持ちそうになかった。


「ミュリエル!? ミュリエル!」


 椅子から滑り落ちるようにして倒れてしまったミュリエルの身体を、メルヒオルがあわてて助け起こす。顔を覗き込んでみても、鼻血は出ていない。だが、意識は失っているようだった。

(この美しすぎる顔に、いつか慣れる日がくるのかしら……? 鼻の血管と心臓を強くしないと、近いうちにわたくし、死んでしまうわ……)

 夢うつつの意識の中、そんなことをミュリエルは考える。



 魔術師を志す令嬢と獣の頭だった侯爵の恋は、前途多難だ。




《第一部・完》


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ