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第十四話 素敵な魔術

 メルヒオルはそわそわした様子で、ミュリエルの訪れを待っていた。

 昼食後のひと心地ついた頃、いつもミュリエルはメルヒオルの研究室にやってくる。魔術の授業を受けるために。

 だが、今日はいつもの授業ではない。


「失礼いたします」

「ミュリエル!」

「おまたせしてしまいましたか……?」


 ドアを開けるとメルヒオルの耳がぴょこんと跳ねたのが見え、ミュリエルは思わず笑ってしまった。待ちくたびれさせたのかと思ったが、メルヒオルはブンブンと首を振る。


「君が来るのが楽しみだっただけだよ。今日の授業は特別だから」

「特別? どんなことをするんですか?」


 特別と聞いて、ミュリエルの目が輝いた。それを見て、メルヒオルは得意げな顔になった。


「いろいろだよ。いつも地味な授業ばかりしていたらミュリエルが退屈するんじゃないかってリカたちに言われてね。それで今日はきれいなものをたくさん見てもらいたいと思って、何日か前からこっそり準備したんだ」


 数日前、突然夜にリカが訪ねてきて、もっとミュリエルを喜ばせろと説教されたことは内緒だ。

 だが、メルヒオルとしてもミュリエルに楽しい授業をしてやりたいと常々考えていたから、良い機会ではあったのだ。


「それは楽しみです!」


 メルヒオルはウキウキしながら手招きし、ミュリエルもそれに従って部屋の中央に進んだ。


「まずはこれに光の球を集めよう。蛍くらいの大きさの」

「蛍?」


 瓶を見せられ、ミュリエルは首をかしげた。


「そうか。見たことがないんだね。きれいな水辺に棲息する虫で、夏の初めの夜に光るんだ。こんなふうに」


 メルヒオルは親指と人差し指をパチンと鳴らし、ポコンポコンと爪の先ほどの大きさの光を出現させた。


「きれい……これを瓶に集めるんですね?」


 そわそわしながら杖を取り出し、ミュリエルも見様見真似で光の球を生み出した。ミュリエルの杖の先からなひょろり、としか出てこない。


「じゃあ、どちらが先に瓶をいっぱいにできるか、競争しようか」

「そんな……!」


 もうひとつ瓶を取り出してメルヒオルがいたずらっぽく笑うと、ミュリエルは必死になって杖を振った。負けまいと懸命に杖を振るうちに慣れてきて、光の球の排出速度は上がっていった。


「こんなにきれいなものが、自然の中で光ってるんですか? 見てみたいです」

「見けてあげたいなあ。夜の湖に小舟を浮かべると、蛍が飛び交うのが見えて、まるで星空を渡る舟に乗っている気分になるんだ」

「素敵……」


 メルヒオルの語る星空の舟を想像して、ミュリエルはうっとりとした。かすかに頬を染めるその顔を見て、メルヒオルも笑みを深める。

 おしゃべりをしつつもふたりは手を動かすのをやめず、ポコンポコンと光を生み出し続ける。淡い黄色や黄緑色の光の球はふよふよと漂うが、瓶で迎えにいくと瓶の底へと落ちていく。やがてそれはいっぱいになって、あふれ出すほどになった。


「よし、集まったね。それじゃあ、部屋の灯りを落とそうか」


 メルヒオルが指を鳴らすと、ふっと部屋の中に風が吹いて灯りが落ちた。真っ暗な部屋の中、瓶の中の光の球だけが輝いている。


「――光よ、星空を描け」


 瓶の中に息を吹き込むように唱えると、その声に従うように光の球は舞い上がり、天井に貼りついていく。


「どうせなら、存在しない星座を作ろう」


 メルヒオルは指を伸ばして、宙に絵を描くように動かしていく。触れていないはずなのに、光はその指の動きに導かれるようにして動いていき、様々な形になっていった。


「あれはティーカップ! あっちは、ネコですね。ウサギもいる! あれは、バラの花ですか!」


 メルヒオルが何か作るたび、ミュリエルは楽しげに声をあげた。そのはしゃぐ声に応えるように、メルヒオルは次々に星座を作り出していく。

 そのうちに、研究室の天井は星座たちで埋めつくされてしまった。


「きれいですね。こんなににぎやかな星空は、初めて見ました……」

「本物の星空の美しさには負けるけどね。さあ、仕上げといこうか」

「仕上げ?」


 ミュリエルが首をかしげている間に、メルヒオルは囁く声で呪文を唱える。今度の魔術は複雑なのか、呪文は長い。そして、魔力がこもっているらしく、その声は身体にズンと響く。


「――星、降り注げ」


 ミュリエルが聞き取れたのは、その短い呪文だけ。その直後、天井で満天の空を作り上げていた光が次々と落ちてくる。

 最初、ぶつかるのではないかと身構えたが、光はぶつかっても身体をすりぬけていくとわかって、ミュリエルは安心した。

 シュンシュンとかすかな音を立てて降り注ぐ星の光は、気まぐれに部屋の中を動き回ったあとは、メルヒオルの手元に集まっていく。星々が描いた光の線はやがて束になり、ひとつの形になった。


「ミュリエル、これは何かわかる?」

ほうき、ですか?」

「ご名答!」


 楽しげに言って、メルヒオルはまた指を鳴らした。この、上級魔術師ならではの杖を用いない術の発動に、ミュリエルはたまらずほぉ……と息を吐いた。

 指を鳴らしたことで部屋の中には灯りがともり、カーテンと窓が開いた。


「手品みたいですね。すごくわくわくします」


 明るくなったところで見ると、光の束でできていたはずの箒は実体を持っていた。


「タネがあるからね。さあ、もっとわくわくすることをしよう」


 メルヒオルは箒にまたがると、自分の後ろをポンポンと叩いてみせた。


「乗るんですか……?」

「大丈夫。ちょんと腰かけて私に掴まっていれば怖いことはないよ。ほら、魔法使いといえば箒で飛ぶことだろう? 私は魔術師だけど」

「わかりました」


 ミュリエルは好奇心半分恐れ半分といった様子で、箒にお尻を乗せた。


「ほら、腰にしがみついて。……って、おじさんが言うと何だか嫌な感じだけど」

「先生は、おじさんではありません。……失礼いたします」


 恥じらって箒の柄を握っていたが、メルヒオルがすねるからミュリエルはあきらめた。おそるおそる手を伸ばし、思いきったようにエイッとしがみつく。


「じゃあ、行くよ」

「きゃ……!」


 ミュリエルが掴まったのを確認すると、メルヒオルは軽く床を蹴って飛び上がった。一瞬浮いたと思ったらいきなり前進を始めて、ミュリエルは小さく悲鳴をあげてしまった。だが、舌を噛むのが怖くて、すぐに口を閉じた。

 開け放たれた窓から飛び出していった箒は、そのままグングンとクレーフェ家の屋敷の庭を出て、敷地の森の上空に出た。


「ミュリエル、見てごらん。この前、苔を採集した場所の上を飛んでいるよ」


 メルヒオルに声をかけられ、ギュッと目を閉じていたミュリエルはこわごわと目を開けた。


「わあ……」


 眼前には、いつもより近い空。そして眼下には、小さく見える屋敷と森があった。

 地面から離れて浮いているという状態は、身体の芯がスースーするようで落ち着かないし、少し怖い。だが今は、それを上回るほどの高揚感をミュリエルは感じていた。


「メルヒ先生、箒で飛ぶのって楽しいですね。眺めが素晴らしいですし、風がとても気持ちいいです」

「気に入ってくれてよかった。この風をもっと感じたくて速度を出すために箒を改造する魔術師もいるほどなんだ」

「それも楽しそうですね」

「だめだよ。ミュリエルを不良にするわけにはいかないから、改造箒には反対するよ」

「まあ!」

 

 高揚感と開放感が合わさることで楽しくなってしまい、それからふたりはしばらく笑い続けた。

 もっと楽しませようと、メルヒオルは森の上をゆっくり大回りで旋回した。

 手の届きそうなところで飛ぶ鳥を、足下に流れていくジオラマのような景色を、風に揺れるメルヒオルの毛並みを眺めて、ミュリエルは終始笑顔だった。


「君が楽しそうでよかったよ。私は常々、魔術の楽しさをミュリエルに伝えられているか心配だったんだ。魔術は好きだけれど、私自身がその楽しさを感じられていたか、自信がないからね」

「メルヒ先生……」


 メルヒオルは前を向いたままだ。それでも、ミュリエルには今は、彼がどんな顔をしているのか何となくわかってしまう。


「学校という場所を楽しめなかったせいで、そこでどんな喜びを得られるのか語ってやることができない。疑似体験もさせてやれない。私にできるのは、こうして空を飛んだり、部屋の中で偽物の星空を見せてやることだ。……そのことが、やっぱり気になってしまってね。だから、ミュリエルが楽しそうにしているのを見ると、救われる思いだ」


 箒はゆっくりと高度を落とし、屋敷のほうへと近づいていた。空の端も、少しずつ色が変わっていっている。

 もう、素敵な時間が終わりに近づいているのだとわかって、ミュリエルは切なくなってしがみつく腕に力を込めた。

 それに、メルヒオルを悲しそうなままにしておくのも嫌だった。……なぜだかわからないが。


「メルヒ先生は、十分すぎるほどわたくしに素晴らしいものを与えてくださっていますよ。先生の授業は、先生にしか教えることができないものです。おかげで、わたくしは前にも増して魔術を好きになりましたから」

「……ありがとう」


 まだ足りなくて、もっと何か伝えたいと思うのに、適切な言葉が思い浮かぶ前に箒は、メルヒオルの研究室に戻ってしまった。


「先生、いつか夜空を飛んでみたいです」


 名残惜しい気持ちで言うと、メルヒオルは獣の顔にとびきりの笑みを浮かべた。

 今日の授業のすべてが気に入ったということが、その一言で伝わったのだ。


「そうだね。夜空の散歩に行こうね」


 メルヒオルはそう言って、ミュリエルの髪をくしゃりと撫でた。

 じっと、ミュリエルはメルヒオルを見上げた。メルヒオルも見つめ返していた。

 ふたりの間に流れるのはあたたかな沈黙で、心地がいいが簡単に霧散してしまいそうな繊細な気配がする。

 だからそのままふたりは、しばらく何も言わないまま、箒で飛んだ高揚感の余韻に浸っていた。

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