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第十三話 ある日の厨房での密談

 カチャカチャと泡立て器がボールの中で踊り、卵白をふわふわの液体に変えていく。透明だったものが白くなり、キメとツヤをともなって体積を増していくまで、そう時間はかからなかった。

 厨房でそんな華麗な泡立てテクニックを披露しているのは、クレーフェ侯爵家の執事にしてたったひとりの上級使用人であるハインツだ。

 彼は食事の支度以外のあらゆる雑事を一手に引き受ける敏腕執事で、本当は食事も作りたいと思っているが料理人の手前できないし、多忙につき難しいのが現実である。

 そんな何でもこなすハインツの趣味は、お菓子作りだったりする。

 クレーフェ家のワケありの客人であるミュリエル嬢はハインツのことを謎多き使用人だと思っているが、まさかお菓子まで作っていると知ったときは心底驚いた様子だった。神出鬼没ゆえにミュリエルに謎だと思われているが、ただ単に有能で、それゆえ忙しいだけだ。


「俺は、メルヒとミュリエルは両思いだと思うんだけど」


 てきぱきとお菓子作りをしているハインツを眺めながら、リカがニヤニヤして言う。


「リカ坊っちゃん、無駄口を叩かないで、さっさとその粉をふるってしまってください」

「何だよー。いいじゃんか」

「よくありませんよ。使用人として、いろいろ教えてほしいとおっしゃったのは坊っちゃんたちでしょう。それなら、きちんとおやりなさい」

「ちぇー」


 リカは唇を尖らせて可愛らしい顔をしてみせるが、ハインツはボールの中身を注視していて、リカには一瞥もくれない。ハインツに美少年のぶりっこは通用しないのだ。ハインツの指導がやさしいものに変わらないかと度々ぶりっこを試みているが、効いた試しが一度もない。

 一応は、リカもリケもハインツにいろいろと手ほどきを受けている最中なのだ。やる気がないだけで、今では使用人としての職務はある程度こなせるよう指導されている。

 家から逃げ出してメルヒオルの元に身を寄せているリカとリケは、暇を持て余していた。それに、何もしていないのが心苦しくて、いつしかメイドと従僕のお仕着せに身を包むようになった。


「さっきの話だけど、冗談じゃなくてわりと本気で思ってるんだけど。リケはどう思う?」


 渋々粉をふるいながら、今度はリケに尋ねてみる。リカとは違い、真面目に卵黄に砂糖を加えて混ぜていたリケは、しばらく考えてから首をかしげた。


「メルヒオル様については、たしかにそう思う。獣頭に順応してくれた女性だから貴重だってのもあるだろうし、ミュリエルって気は強いけど顔は可愛いし心根は真っすぐだから、好きになるのもおかしくないわね」


 わくわくしているリカに対し、リケは冷静だ。面白そうにもしていない。


「でも、ミュリエルがメルヒオル様を好きになる理由なんて、今のところないでしょ」

「そうかな。メルヒは優しいし、ミュリエルもあの獣頭を嫌だって言わないから、いい感じだと思うんだけど」

「あのねえ……優しいからとか親切だからで恋が始まるなら、世の中の人たちはそこらじゅうで恋を始めちゃってるわ。それにね、個性的な容姿を受け止められたからって即ち好き、なんて解釈されてしまったら、誰も広い心なんて持てなくなるわよ」


 若干うんざりした様子でリケは言うが、リカはよくわかっていないようだ。


「優しいなって思ったり、その人の容姿を許容できたりするのは、好きになることに必要なことであっても、それだけじゃ足りないのよ。“好き”って……恋愛感情って、そんなに単純じゃないの」


 ミュリエルと同い年で、リカよりお姉さんなリケは思案顔で言う。十六歳で、結婚というものが現実味を帯びている立場の者は、やはり考え方が違うのだろう。


「“嫌いじゃない”と“好き”は同じじゃないってこと? でも、ミュリエルに『メルヒとキスしたら?』って言ったら、顔真っ赤にしてたけど」

「うら若き乙女にそんなこと言ったら、誰だって赤くなるわよ! どうしてそういう話になったの?」

「ミュリエルがメルヒを元の姿に戻すために一生懸命勉強してたからさ、そんなに親身になってやるなら試しにキスでもしてみたらって思ったんだよ」

「……おとぎ話じゃないんだから」


 弟のデリカシーのなさに、リケは頭を抱えた。しかも、メルヒオルの事情を軽く見ているように聞こえるのも気がかりだ。


「たしかにミュリエル様は、旦那様のために頑張ってくださっていますね。夢中になると時間を忘れて遅くまで活動してしまうあたり、さすが師弟関係といいますか」


 それまでずっと黙って聞いていたハインツが、そう口を挟んできた。話しながらも手は止まることなく、泡立てた卵白にリケが混ぜた卵黄、リカがふるっていた粉を加えていく。


「ほら。ハインツの目から見ても、やっぱあのふたりはいい感じだってさ」

「慕っているっていうのは、私も認めるわ。でもねえ……恋に届いてないと思うの。メルヒオル様といて、ドキドキすることってなさそうだもの」


 ハインツがリカの意見に同調するみたいなことを言い出したため、リケは困った顔になる。だが、頑として自分の言い分は曲げない。


「屋敷に来てすぐ、メルヒの獣頭を見てぶっ倒れただろ。あれはドキドキって言わないの? 何なら、今度ふたりでいるときにおどかしてみようか?」

「それはドキドキじゃなくてびっくりよ……」


 なかなかわかってもらえず、リケは疲れてきたようだ。


「まあ、あのふたりの縁組は悪くないと思うわ。問題ない、とまではいかないけど。ただ、縁組としていい組み合わせだからって、それが幸せな結婚かどうかはわからないでしょ」

「リケ……」


 憂鬱そうな姉の様子に、ようやくリカは気がついたようだ。そして、こういった話題をリケが好まない理由にも思い至った。


「自分たちのお気に入りの人たちが結婚してくれたら嬉しいし、わくわくする気持ちもわかるわ。でもね、そこに当人たちの気持ちがなかったら、不幸なことになるってことは頭に入れておきなさい。たとえば、私は良い子だと思うし叔母上も喜ぶと思うけど、そんな理由であなたはクリスティーネと婚約させられて平気?」


 わかりやすい例をということで、リケは個性的な顔立ちで少々夢見がちがすぎる従妹の名を口にした。それを聞いた途端、リカは怯えたように目を見開き、首を激しく横に振った。


「嫌だ! 無理だ! 『リカルド様とは前世から結ばれる運命だったの』とか言う変なのと結婚するくらいなら、舌噛んで死んで来世に逃げる!」

「ね? 周囲の思惑と本人たちの意向が必ずしも一致するわけではないのよ」

「……でも、メルヒをあのゲテモノ女と一緒にするのはどうかと思う」


 リケの言い分に納得しつつも、リカはなおも食い下がろうとしていた。それを見て、ハインツがやれやれと肩をすくめた。


「旦那様も、こんなにリカ坊っちゃんを心配させてしまうとは情けない。わたしとしましても、ミュリエル様が旦那様を好きになってくださったら嬉しいなと思いますが、旦那様はあんな感じでこじらせておりますし、女性の喜ばせる術を知らない方ですから……」


 嘆くように見せかけて、さりげなくハインツはメルヒの悪口を言っている。それに素早く気づいて、リカがニカッと悪い顔をした。


「ちょっと顔が良くて女の扱いに慣れた男が近づいてきたら、ミュリエルはあっさりそっちに転ぶだろうなあ。あいつ、若干お馬鹿だから」


 本人が耳にすれば顔を真っ赤にして憤慨しそうだが、これについてはリケも否定しなかった。


「……あの子、私の男装姿が好きだしね。悪い男に簡単に騙されそうだとは思うわ」


 ミュリエルがメルヒオルと婚約するに至った理由を知っているから、ハインツは二人の会話を聞いてこっそり苦笑していた。

 ミュリエルにリトヴィッツ伯爵家の令嬢としての意識が足りないとまでは言わないが、顔の良い男性に弱そうなのは誰の目にもあきらかな欠点である。今のまま外の世界に出て行っても、八割方ろくな目には合わないと予想される。


「周囲が勝手に決めた縁組は不幸になるかもって思ったけど、ミュリエルは放っておいても心配ね」

「そうだろ? それなら、メルヒオルとくっつくのが安心安全でいいんじゃないかって思うんだよ。あいつまだお子様で自分の気持ちに気づいてないだけで、絶対メルヒのこと好きだって」

「そうなのかな」

「そうだよ。それにさ、元の姿に戻ったら、何の問題もないだろ」

「んー……」


 意見が一致したように思えてリカは喜んでいたが、リケは再び冷静になった様子で眉を寄せた。


「メルヒオル様は、誰から、どうして逃れるために顔を変えようとしたかは話してないのでしょう? それってつまり、騙した形で協力させていることにほかならないと思うの。きっと言えなかっただけで、騙すつもりはなかったんでしょうけれど。でも、真実を知ったとき、ミュリエルはどう思うかしら?」


 リケが悩ましげに言うと、リカも難しい顔になった。

 メルヒオルが逃げている相手のことは、彼らにとっても無関係でないのだ。だからこそ、この話題になると軽口は叩けなくなる。


「やっぱり、まずいよな」

「まずいわよ」

「でも、メルヒにやましいことなんてないだろ。……話せば、ミュリエルもわかってくれるんじゃないかな」

「メルヒオル様が、きちんとご自分の口から話せばね。それ以外のところから耳にすれば、誰から聞かされてもミュリエルはショックを受けると思うわ」

「メルヒのこと、嫌いになるかな……?」


 不安げなリカの呟きに、リケもハインツも答えなかった。そのくらい、デリケートな話なのだ。


「このままこじれずに、少しずつ思いを育んで、落ち着くところに落ち着くといいのですが」


 しみじみというハインツに、リケもリカもうなずいた。メルヒオルのことを隠しているという共犯者めいた罪悪感はあるものの、ミュリエルが幸せになってほしいという思いも嘘ではないのだ。

 

「でもさ、ほっといてもメルヒが何か進展させられるとは思わないんだけどなー。いっちょ、つっついてみますか。もうちょっと若い女が喜ぶようなことしてみろよー、とか」

「そうね。メルヒオル様は何かロマンティックな提案でもして、ミュリエルとの距離を縮めないと」

「では、このケーキが焼けたらそれと一緒に、何か良いアドバイスを持っていきましょうか」


 おそろいの髪色の頭を突き合わせてああでもないこうでもないと言い出したリケとリカを見守りながら、ハインツは焼き菓子の生地の仕上げに入ったのだった。

 


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