第十一話 ふさふさなヤツら
ブラウスに広がりの少ないスカートをあわせ、足元は乗馬用ブーツを履いた。髪は邪魔にならないように二つ結びの三つ編みにして、メルヒオルにもらった深緑色のローブを羽織れば、できあがりだ。
「魔術学校の制服みたい」
鏡に映った自分の姿を見て、ミュリエルは満足そうに微笑んだ。
今日は屋敷を出て、敷地の森で採集を行うことになっている。それで、外で活動してもが汚れないようにと、メルヒオルがローブを用意してくれたのだ。魔術がもし暴発してしまっても、少々のことなら防いでくれるらしい。
少し前に実家から着られそうな服を送ってもらっていたから、自分なりに魔術学校の生徒のような着こなしをしてみて、ミュリエルはご満悦だ。
「いけない、いけない。遊びに行くんじゃなくて、授業とお手伝いに行くんだから」
初めての野外での授業が嬉しくて浮かれてしまう気持ちを抑え、ミュリエルは玄関ホールへと降りていった。
「……フードを被ったほうがいいですか?」
玄関ホールには、すでにメルヒオルがやってきていた。彼も今日は黒のローブを着て魔術師然としているが、獣頭を覆い隠すようにフードを被っていると、怪しさが満点になる。
見慣れたと思っていた獣の顔も、ローブの影になっていると凄みが増しているように見えて、少し怖いと思ってしまった。
「被っても被らなくてもいいよ。私の場合はフードを被っていないと木の葉や草がたくさんくっついたり、耳に虫が入ってきたりするんだ」
「耳に虫……」
三角のふさふさ耳を思い浮かべて、そういうことかと納得した。あの毛の間に小さな虫が入り込んできたら、きっと気持ち悪いし、なかなか取れないに違いない。
「じゃあ、そろそろ行こうか。今日は絶好の採集日和だからね」
「はい!」
気合いを入れ、ふたりは連れ立って屋敷を出て行く。
メルヒオルが一歩先を歩き、ミュリエルはその後ろ姿を眺めた。ローブに覆われた背中はすらりとしている。いつも獣頭にばかり意識がいってしまうが、こうして見るとメルヒオルはスタイルがいいのがわかる。手脚が長く、かといってひょろっとしているわけではなく、肩幅も広い。
戦闘魔術に特化したミュリエルの父は同じ長身でもがっしりとした身体つきをしていて、その後ろ姿が頼もしいと思っていたが、それとは全く違うメルヒオルの背中も同じように頼もしく見えるのが不思議だった。
「さあ、これから薄暗いところに行くから、灯りを調達しようか」
「は、はい!」
ふいに森の手前で足を止めメルヒオルが振り返ったため、ミュリエルはあわてた。そして、ボーッとしていてはいけないと気を引き締める。
「光の魔術で明るくするのは簡単だけど、もし魔術が使えない状況下にあるときに光が必要になったときのための方法を教えておくね」
言いながら、メルヒオルは足元から小石をふたつ拾い上げ、それらを打ち合わせた。それから、その石を角灯に放り込んだ。
するの、放り込まれた石が淡く光り始める。
「……わあ!」
何が起きるのかと見守っていたミュリエルは、思わず感嘆の声をもらす。
「この石は光虫石といって、強い衝撃を与えると発光するんだ」
「普通の石と、見た目は変わりませんね」
「しっかり見てごらん。光虫石はよく見ると少しキラキラしているから」
「……本当だ」
メルヒオルはよくある石ころと光虫石の両方を拾い、ミュリエルに比べさせた。どちらも灰色の石だが、よくよく見比べると光虫石のほうはキラキラとしたものが混じっている。日に透かしてみると、まるで小さな石の中に夜空が閉じ込められているようだ。
「これでまたひとつ知識が身につきました。あの、やってみてもいいですか?」
「いいよ。指を傷つけないよう、気をつけて」
「はい」
許可を得てから、ミュリエルは石と光虫石を打ちつけてみた。少しして光虫石のほうはぼんやりと色が変わり、やがて手のひらの上で光りだす。
「きれいですね」
ミュリエルが感激して見上げると、メルヒオルは困ったような微笑みを返してきた。
「ミュリエルが外で灯りに困る事態になってほしくないと、しみじみ思ったよ。君のきれいな指が傷つかないか、私は気が気じゃなかった……」
甘やかすようなことを言われ、その不意打ちにミュリエルの頬は染まった。蝶よ花よと育てられてはいるが、殿方にそうして甘やかされるのにはまだ免疫がない。
(……って、相手は先生じゃないの。何を恥ずかしがっているの!)
そう自分でつっこみ、照れを吹き飛ばした。
「き、きれいって……先生はわたくしが何もできないとおっしゃりたいのね!」
「ち、違うよ。私はたはだ心配で……」
「もう、メルヒ先生は過保護なんだから」
すねてみせると、メルヒオルはうろたえた。それを見て申し訳なく思いつつも、ミュリエルは引っ込みがつかなかった。
「灯りを調達したことだし、採集に向かおうか。今日採集するものは、日陰の湿ったところにあるんだ」
気を取り直したメルヒオルは、落ち葉をザクザク踏みしめて木々の間を進んでいった。進んでいくと足元に射し込む木漏れ日がどんどん小さくなっていき、やがてあまり日の射さない、薄暗い場所にたどり着いた。
「お目当てのものは、木の根もとの近くに多くあるよ」
「……カビですか?」
「たしかにカビから作られる薬もあるけど、私が作る薬の材料ではないね。今日集めるのは、これ」
メルヒオルはしゃがみこむと、懐から取り出した金属のコテのようなもので木の根もと付近の土を掘り返していく。それから指先でつまみあげるように地面を持ち上げると、うっすら緑色になった部分ガペロンとはがれた。
「これは苔。今日はこの苔を集めてもらいます。なるべくわさわさと茂っていて、元気がよさそうなものを選んでね」
「わかりました」
コテを渡され、ミュリエルもメルヒオルにならってしゃがみこんだ。
地面のそこらじゅうに苔が生えているが、よく見てみると茶色くなっていたり、縮れていたりするものがあった。だから、そういったものは避けて、緑色が鮮やかでしゃきっとしているものを選んではがしていく。
最初のうちはコテを使う感覚がわからずぷちぷちと苔をちぎってしまっていたが、慣れてくるとメルヒオルがやってみせたようにペロンとまるまるはがせるようになった。それが楽しくなって、黙々とはがし続けた。
「この苔は、何の薬になるんですか?」
はがした苔がバケツいっぱいになった頃、ふとミュリエルは疑問に思った。
今日採集するものは、メルヒオルが黄金の魔術師の称号を賜る理由となった薬の材料と聞かされている。
王家に認められるほどの薬というのだから、一体どんな素晴らしい効能があるのだろうと期待したのだが、メルヒオルはなぜか手を止めてそっぽを向いていた。
「……先生?」
もう一度呼びかけるとミュリエルのほうを向きはしたが、どこか気まずそうに目をそらしている。
「……君になら言ってもいいのだろうけど、多くの貴族男性たちの大切な秘密に触れるというか、沽券に関わるというか」
「そういえば、うちの父もメルヒ先生の薬のお世話になっているのでしたよね……?」
元々、夜会で父が声をかけたのも、メルヒオルの薬の効能に感激したからだと聞かされている。
(健康で頑強さが取り柄のお父様がありがたがる薬って、何なのかしら……?)
そう考えて、ミュリエルはハッと気がついた。
「もしかして、頭髪のお薬ですか?」
強くダンディな父が唯一悩んでいること――年々寂しくなっていく毛髪のことについて、ミュリエルは思い至ってしまった。
だが、これは父だけの問題ではない。父と同じ薬を求めている人たちすべての問題だ。
ミュリエルの問いに、メルヒオルは重々しく頷いた。
メルヒオルが王家から称号を賜る理由となった薬は、毛生え薬だった。つまり、王家の方々にも寂れゆく頭部に悩まされている人が存在しているということだ。
そして、その薬を開発するに至ったということは、メルヒオル自身も……。
「ミュリエル、気づいてしまったんだね。……そうだよ。私自身も、かつて髪の毛の悩みを抱えていたんだ。心労のせいで、髪の毛の一部が抜け落ちてしまっていたんだ」
「心労で……」
「そう。学生時代にね。自分の見た目が元からあまり好きではなかった上に毛が抜けるなんて耐えられなくて、それで必死になって薬を研究したら……世に認められるきっかけになってしまったという皮肉だよ」
「……そうだったんですね」
メルヒオルの苦労を思い、ミュリエルはしんみりとした。
薬の効能は衝撃的だったが、それ以上に薬を作るに至ったきっかけがあまりにも気の毒だ。
「先生、材料はこれだけあれば足りそうですか?」
ミュリエルはさりげなく、話題を変えた。
自分から尋ねたことではあったが、あまり深く尋ねるのも申し訳なくなったのだ。特に、毛が抜けるほどの心労が学生時代にあったことなど、気になっても軽々しく聞けない。
「そうだね。じゃあ戻って、新鮮なうちに調合してしまおう」
「はい」
メルヒオルは少しほっとした顔をしていた。やはり、あまり掘り下げられたくない話だったのだろう。
メルヒオルが苔がこんもり入ったバケツを持ったから、ミュリエルは代わりに角灯を持った。それから、とりとめもないことを話しながら元来た道を戻っていった。
屋敷に戻ってから苔をきれいに洗い、刻んでから鍋で煮詰めた。
様々な薬品を混ぜ、魔力を込めて練っていくと、元の苔からは想像できないような色と光沢を持つ液体に変化していった。
魔女が大鍋で作るような薬に憧れていたミュリエルだったが、作業のあまりの地味さと大変さに現実を思い知らされた。
「それにしても、苔が髪の毛のお薬になるなんて、何だか不思議ですね」
木べらで鍋をかき混ぜる手を止め、ミュリエルはしみじみ言った。額にはじんわりと汗がにじんでいる。今の季節はまだいいが、夏の薬作りは大変だろうなと思う。
「薬術の世界には“見立てる”という考え方があってね、効能を期待するものと形が似ていたり、部位が同じものを利用したりするんだ。たとえば、心臓を強くしようとしたら他の動物の心臓を材料にしたり、頭を良くしようとしたら脳に似ているクルミを材料にしたりする。そういうのが“見立てる”ということなんだ」
「なるほど。だから、わさわさ生えてる苔を髪の毛に見立てて薬の材料にしたんですね。メルヒ先生の発想力って、すごいですね」
“見立てる”という考え方にも驚いたが、髪の毛の薬を作ろうとして苔を思いつくのがすごいと、ミュリエルは素直に感心した。
だが、鍋をかき混ぜ続けているメルヒオルは、何だか気まずそうに目をそらしている。
「そうやってまっすぐに感心されてしまうと、何だか申し訳ないな。……禿げができてしまって思い悩んでいたときに、日陰でわさわさ茂っている苔を見て、『あのふさふさ、うらやましいなあ。苔、強いし』なんて思ったのがきっかけだったんだ。発想力というより、執念というか執着というものに突き動かされた結果だから」
キラキラしたミュリエルの眼差しに、恥じらいながらもメルヒオルは答えた。心なしか、三角の耳まで力をなくしているように見えて、何だかおかしくなってミュリエルは笑ってしまった。
「ひどいよミュリエル。何も笑わなくたって」
「すみません。ただ、先生が気にしなくていいことを気にしてらっしゃるので……。『必要は発明の母』という言葉もありますから、メルヒ先生のその姿勢は間違ってないのだと思います」
「何だか、誤魔化された気がするな……」
まさか可愛いと思ったなどとは言えず、ミュリエルは笑顔で取り繕った。
そして、怖いと思っていたこの獣の顔をこんなふうに好意的に見る日が来たということに、自分でもひそかに驚いていた。