黄色の王都4
これはおかしい…おかしいだろ…!
目の前の光景が信じられなかった。あまりに呆然としてしまい、その場にただ立ち尽くしている。
その割に、いつもの癖のせいだろうか。頭だけは動いていた。
この試験は、本当に商売人になる為のものなのか。
そもそも、なぜ魔物が居るのか。ここは王城のすぐそばでは無いのか。
これが普通なのか。この世界にとっての、魔物と言う存在の扱いは。
そして…。
「―ッア゛ア゛ア゛ア゛ァア!!」
「うっ…!」
もう聞きたくなかった。この雄叫び。
そう、ごちゃごちゃと考えている場合では無い。
一番重要なのは、俺は今から、本当にこいつと戦うのかと言う事だ。
目の前の光景を、現実として認識した時、すでに魔物はこちらへ向けて跳び出して来ていた。
俺は必死に身体を奮い立たせ、その直線的な突進を、まずは一度すり抜けて躱す。
あの時出会った魔物とは、別の個体ではあるのだろう。でも噂通り、この世界の魔物と言うのは、同じ種類の奴が、複数いるみたいだ。
行動も、その速度も、記憶にある物と変わらない。
今のところ、何とか躱す事は出来る。
…でもどうする?
視界の端に、アンシアとメルの姿が入った。
そして、思い出す。俺は確かに考えていた。
あの時、村に魔物が来て、自分が何も出来なかった時。そしてその後、イカズチのおかげで命を救われた時。
今度同じ事があったら、ちゃんと俺が、皆を守りたいって。
あんな、守られて、足を引っ張るばかりなのは嫌だって。
だからこそ、ハンスさんの特訓も受け続けた。
身体がボロボロになっても、根本的な解決になっていないとしても。
せめて、自分より一回りも年下の女の子達くらい、逃がしてあげられるようになりたかった。
倒せなくても、せめて時間を稼ぐくらいって思った。
しかしこれは想定外だ。
せめて何か、能力を手にするイベントでも挟んだ後なら良かった。それすらも無く、唐突に魔物と対峙する事になると、誰が予想できるのか。
轟音と共に、魔物の腕が耳の横を掠める。あの時えぐられた耳が、ぞわりと震えた気がした。
血の気がさらに引き、身体が竦みそうになる。
でもそのおかげか、どこか頭の一部が落ち着きつつもあった。
これは、チャンスなのではないか?
今の俺では、こいつを倒す事は出来ないかもしれない。
でも、さっき騎士さんは、注意していると言っていた。それはつまり、危なかったら止めてくれると言う意味のはずだ。
これは数少ない、経験を積むチャンスなのではないだろうか。
今後、いつ起こるか分からない魔物との遭遇。その時の為に、ここは出来る限り、立ち向かっておくべきではないか。
必要な時に、何かが出来るように…。
俺は再び、魔物の直線的な攻撃を躱した。
そもそも、これは俺の悪い癖だ。何でもかんでも、じっくり理屈で考えれば良いわけじゃ無い。
今は、この状況で、出来る事をする…!
そうと決まれば、話は単純だ。やれる事なんて、元からそんなに無い。
魔物の攻撃に対して、反発する方向で触れたりすれば、おそらくそれだけでこちらは潰される。それほどの、純粋な力の差がある。
なら、いつも通り、相手の力の向きに合わせて、こちらの力を加えていくしかない。
それも、出来る限り全力でだ。いくら相手の力を利用すると言っても、小さな力では意味が無い。
動いている象の脚に、蟻が力を加えた所で、動きを速められてバランスを崩す、なんて事は起こらない。
そもそも、全力でやっても足りるか不明だが…まずは挑戦だ。
「ぐっ…!」
挑戦したい…のだが…。
おかしい。なぜ…?
相手の力に自分の力を乗せようとすれば、当然タイミングが重要になる。狂いなく、相手に合わせないといけない。
それなのにどういう訳か、先程から微妙に、思い通りに行っていない。
想定よりも、自分の蹴りや打ち込みが、早く相手に当たってしまうのだ。
初めは恐怖のせいで、相手の動きを速く見積もりすぎているんだと思った。実際は想像より遅いから、タイミングが合わないのだと。
でも違う。これは…俺の動きが速いんだ。
本来なら、もしや自分が強くなったのかと、喜ぶところなのかもしれないが、これは困る。
相手を圧倒できる程強くなったなら良いが、そういう訳でも無い。未だ格下の力しか無い以上、これではただただ、思い通りに動けなくなったと言うだけだ。
やり辛い。
火事場の馬鹿力とやらなのか。アドレナリンが出ていてと言う奴なのか。
理由は知らないが、とにかくこれは不味い。
唯でさえ敗色濃厚なのに、普段通りの事を試す事すら出来ないなんて…。
「ぃづっ!」
またもタイミングを外し、敵の力が僅かにこちらへと掛かってしまう。それだけで、とてつもない衝撃だ。
…それでも、やれる事はこれしかないんだ。
敵の力を利用し、空回りさせ…例え倒せなくても、せめて対処出来るように…!
無我夢中だった。
…どのくらい戦ってる?
わからない。
もう数十分くらいは、経っているのだろうか。
「ふっ…あ゛…」
息も切れてるし、こうして余計な事を考えてるって事は、集中力も途切れてしまっている。
対して魔物は、まるで疲れた様子が無い。
でも…でもまだ…せめて、こいつをほんの一度、転倒させるくらい…。
そう、改めて気合を入れようとした時だった。
魔物の動きが止まった。
「ここまでにしましょう」
「あ…」
いつの間に近くへ来ていたのだろうか。
騎士さんが魔物の傍に立っていた。何をしているのかは知らないが、魔物が暴れ出す様子は無い。
「正直、ここまで魔術の使用を抑えても、これほど対応できる物なのかと、私も勉強させて貰いました。しかし、これ以上はやはり危険だ」
抑えるも何も、魔術は使えないんだけどね…。
実質何も出来ず、悔しさはある。でも、確かに潮時だ。
これで最悪命を落としたりしたら、冗談では済まない。
「あなたの試験は、ここまでにしましょう」
あ、そういえば、これ試験だったっけ…。もう途中から、それどころじゃ無くて、完全に失念していた。
不合格だろうなあ…。
俺は騎士さんに肩を貸してもらいながら、元来た出入り口へと戻っていく。
今後合格出来る見通しも、まるで立たない。これから一体どうしようか…。
都合良く師匠でも現れて、俺もやっと超パワーを手にすると言う、夢のある展開でも来てくれないだろうか。
無理だよなあ…。
ようやくアンシア達の元に辿り着き、俺は力なく座り込んだ。
「ごめんアンシア、メル。駄目だったよ…」
「仕方あるまいよ」
「…」
…あれ?
アンシアからの返事が無い。お疲れ様でしたとか、何か声が掛かっても良いのに。
もしや、あまりの不甲斐なさに呆れられて…いやアンシアに限って、そんな事はないはず。
なら、どうして。
疲れで下を向いたままだった頭を動かし、アンシアを見上げる。
すると、ちょうどメルが、ぴょんとアンシアの胸元から跳び下りた。
そして、アンシアは…。
「準備はいいですか」
騎士さんから、そんな言葉が発せられる。
「…はい」
…いやいや、ちょっと待て。
「では、十分お気をつけて」
「ア、アンシア…っ!」
駄目だ。
身体がガタガタで、引き止められない…!
「翔…さん。わたしも、きっと…同じ…です、から」
俺は、闘技場へ進んで行く、小さな背中を見つめる事しか出来なかった。




