生活はどうなった8
市場全体の動きも、さらに次の段階へ入っていた。
一通りの研修が終わり、人手に余裕が出来た。
各取引の為、俺以外に他の町へ行ってもらう事も出てきた。最初は戸惑う人も居たが、その時は複数人で組んで、行って貰ったりした。とにかく、この閉鎖空間で凝り固まった感覚を、取り払って貰いたかったからだ。
これも、未来への布石の一つ。
ここ半年で準備してきた物が、一気に形になってきた。
いよいよ開店の目途も立ってくる…そんなある日。
「えー皆様、お忙しい中ご足労頂いて、誠にありがとうございます」
「何変な言葉遣いしてるんです?」
「ニイちゃん、要件を簡潔にね。他ならぬ、あんたが出した仕事があるんだよあたしは」
「…」
ここにいるのは、俺とマリー、ソウさん、アンシア、それにメルの5人だ。メルは寝ているが。
今日は、とある件について、話をする為に集まって貰った。
「ええ…要件なんですが…少々、問題がありまして…知恵を、貸して頂ければと」
「な、なんです…改まって…」
「実は………レジを、どうしようかと…」
「はい…? レジって、会計の時に使うって言ってたアレですか?」
「ニイちゃんまさか…」
「ちょ、ちょっと待って下さい。当たり前の様に、講義で取り扱ってましたよね? 冷風機やら、そういうものを準備しているんです。と、当然…」
「無い、ん…ですか…?」
「…大丈夫、まだ時間はある」
「お兄さん!?」
いや、待って欲しい。言い訳をさせて欲しい。
中規模以上の大きさの店が、古い時代には少なかった。その大きな理由の一つが、レジだ。
一般的にレジと言うのは、大きく分けて2種類ある。
会計の機能のみが付いているものと、POSシステムが搭載されたものだ。
これらは、一般の人から見れば外見はさほど変わらない。でも、中身は似て非なる物だ。
今回問題となるのは後者になる。
バーコードをスキャンすると、値段が出て、会計できる。これを、レジが単体で、完結して行っている。そう思っている人は、割と多い。
でも実際は、それぞれがサーバーに繋がっていて、そこで商品の情報を管理している。細かい情報は省くが、現在大手の店なら、どこでも使われているレジって奴は、その画期的なシステムのおかげで成り立っているんだ。それを維持するための、専門の会社だって存在する。
決しておもちゃみたいに、一つ一つの機械が完結している訳では無い。
そしてだからこそ、あれだけ大量の商品や値段を管理できているんだ。
とまあ、それは置いておく。
要するにこの世界で、小さな規模の店が、こういくつも分かれて存在しているのは、仕方がない事なんだ。
なぜなら、人の力では捌ききれない。そういう数の商品を管理する為の、根幹となるシステム、それが無いのだから。
「それで? その最重要システムを、ここまで放置していたお兄さん?」
「いやあ…も、元の世界でも、レジの搬入とかって、本当に最後の最後なんだよ。あとは、あれって契約の絡みで、発注とかは本部があげてて、それにこの世界来て、しばらく使ってなかったのとか、俺にとっては当たり前の存在過ぎてついうっか」
「ああっ…! 迂闊でした…。お兄さんが、こうエネルギーに溢れている割に、どこか抜けてるのはわかっていたのに…」
「ニイちゃん…持ってる知識は大した量だし、それを覚えてるんだから、頭は悪くないんだろうにねえ」
「え、えと…どうするか、です、よね?」
ああ、アンシアはやっぱり癒しの存在…。
「そ、そう。まだ開店予定まで時間はあるし、皆ももう、レジがどういう物かは知ってるでしょ? この世界に、それの代わりになる何かって、無いかな?」
「代わりになる物って…それがあったら、お兄さんの知識曰く、今こうなっていないのでは?」
ごもっとも…。
今回の店は、この村の中では大きな建物だ。とは言っても、実際は良くあるコンビニより少し大きい程度、品種はそのコンビニよりかなり少ない。
だからいくらでも、やりようはあるんだ。
価格帯を揃えて、暗算で行くとか。何かタグを付けて、回転ずしみたいに、何色はいくらで計算するとか。
最悪、ここまで来て、この形態を止めるしかないのか…?
いや、それは出来れば回避したい。
この世界には今、何か変化が必要なんだ。大きな違いが、誰からもわかる変化でなければ、この歪みきった流通状況は変わらない。その旗印に、何としても…。
「というかまあ、うちの市場で扱ってる量くらいなら、別に値段くらい覚えきれるだろう。今まで通り、あたしたちで計算すればいいさ」
「え!? そ、それって全員、誰でも出来ます…?」
「お兄さん、それはさすがに、私達を馬鹿にし過ぎですよ」
「ア、アンシアも?」
「え…はい」
マジか…。
確かに俺は、今市場にある商品の料金くらい、全部覚えている。元の世界でも、売り出し品やら、チェック品の数々やら、自分の担当分くらいは、ほぼ覚えていた。それくらい覚えろとも言われていた。
でも、本当にそんな事をしている人は稀だった。
便利になると、人は逆に退化するって奴の、典型かもしれない。
まして、俺は市場の商品の値段を調整するつもりだし、そうなればもっと覚えるのは容易になる。
となれば、当面の切羽詰った問題、では無くなったか。今後見据えている、超大型店舗ではそうはいかないし、放置は出来ないけど。
「そ、そうか…。とりあえず安心したよ」
「…はぁ。私も、反省しないといけません」
「え、マリーは何も悪くないでしょ」
「いいえ、私は、お兄さんが進めているだろう、なんて甘く考えていました。これでは駄目です。私は、お兄さんと同じ立場で居るんですから…」
「マリー…ありがとう。でも無理しない程度にね」
「…」
実際、マリーは十分すぎるほど良くやっている。
教えた事はすぐ覚えるし、簡潔な説明なために情報を省くと、そこについて質問が飛んできたりする。
自分が元の世界に居る時、同僚だったらどれだけ助かっていたか分からない。こんな風に、考え、行動する人間は本当に稀だった。
それでも、マリーは今、経験を積んでいる所なんだ。
初めて起こる事に、先んじて対応するのは難しい。当たり前の事だ。
今回の件は、さすがに俺がおかしすぎた。でも俺一人で先導している状態では、どうしたって、これからも何かしら、ミスが出てもおかしくない。
やっぱり、欲しい。この世界の、商売の専門家と言える人物の協力が。これからの俺達に、きっと必要になる。今は、そんな当てどこにもないけれど…。
しいて言えば、やっぱりイエローか。
結局、一度会ったきりになってしまった。少なくとも、俺よりこの世界の商売事情に詳しいはずだ。
でもここは、かなり辺境って事みたいだし、旅商人じゃあ、また会うのは難しいかもしれない。会えるとしても、一体いつになるのか…。
「ねぇえ翔様ぁ?」
「うわあ!!?」「ええ!?」「!」
いきなり耳元で、ねっとりと自分の名前を呼ばれ、俺は驚き跳び上がった。
「それって、銘打てばいいんじゃないかなぁ?」
「め、銘…? というかいつから居たのローナ」
「さっきからー」
「ええ…?」
ローナのマイペースさには本当に驚かされる。というか、いつから聞いていたのか。特に態度に変わりは無いみたいだ。でも、正直情けなさすぎる相談事だったし、不信感を抱かせないために、メンバーは厳選していたと言うのに。
「んーうちの町では、皆知ってるんだけどぉ、わからない?」
「わ、わかる?」
「す、すみません私はわからないです」
「ソウさんも?」
「あー…いかんせん、もう長い事村に籠っていたしねえ。でも、なんか聞いた事が…」
「うちが見せてあげるーって、出来れば良かったんだけどぉ…あはーちょっとそういうの苦手で」
「それって、魔術ですか?」
「そだよー」
ローナ、あんなに強いのに、魔術が全般得意という訳では無いのか。完全肉体派?
…怒らせないようにしよう。怒る姿が想像できないけど。
「んあー…なんだ?」
「あ、メル様」
「起きたか」
「ねぇえメルー、んっとー…このコップに、銘打ちしてー?」
「だからお主は、我を呼び捨てにするなと…ハァ。レコレクでよいのか」
「わかんないけどぉ、それー」
この二人、いつの間にこんな仲良く…いや、普段から一緒に居るか。寝てるけど。
「ほれ」
メルがレコレクなる魔術を、コップへ掛ける。すると、何やらコップに文字が浮かび上がって消えた。
そして、それをローナが受け取ってしばらくすると、先程の文字が再び浮かび上がる。どうやら魔力を込めたみたいだ。
これは…もしかして情報を記憶する魔術か何かか? なるほど確かに、これは使えるかもしれない。
というか、あれ…?
「え、メル、魔術使えるの!?」
「翔! 貴様我をなんだと思っておる!?」
「いや、だって力が無いからどうのって」
「この村におれば、この程度の些細な魔術、造作もないわ」
まじか。
色々自由がきかないのは、魔力不足なだけで、やっぱり知ってる事は知ってるし、出来るんだなあ。
俺の聞きたい事は、知っていてくれないのにな。
「メル様、もう一度見せて頂けますか?」
「ん、これはだな…」
メルとマリー達は、先ほどの魔術を試している。どうやら簡単らしく、皆違った文字を浮かべていた。
これは、値札みたいなものとして使えるかな。そうなれば、記憶違いによるミスなんかも減る。緊急の対策としては、十分すぎる。
元の世界では、臨時で値札シール貼っておけ、となる様な状態だけど、魔術ならそういう備品代もかからないし、色々とエコだな。
その便利な魔術を、自由に使えないのは本当、悲しいよな…。
何はともあれ、店を始めるのに支障はなさそうだ。
大型店を出すときにどうするかは…それまでに、何とか方法を模索しよう。
課題は尽きない。この世界にない物を、一から浸透させようとしているのだから、仕方ない事ではある。俺なんかは、確立して、運用できている状態を知っているだけ、余裕があると思って頑張るしかない。
様々な変化を続けたこの生活も、そろそろ終わりを迎えようとしていた。




