夢と、初めての村と3
翌日の昼ごろ。
俺はマリーと共に、市場の近くの開けたスペースに居た。
「はあー……。これが竜かあ……!」
俺はこの世界に来て、初めてと言って良いファンタジー要素に直面して、年甲斐もなく目を輝かせていた。二足歩行の陸竜で、フォルムはダチョウに似ている。爬虫類っぽい皮膚に、俺の背よりも高い大きさも相まって、結構な威圧感を放っている。そいつが、鞍と大きなカバンを背負っている。
「触っても平気かな……」
俺はそっと手を伸ばしてみる。しかし、触れる前にグルルと威嚇されてしまう。
「はいっすみません!」
おっかない……。
さて、俺はこうして竜を眺めている。じゃあマリーは何をしているのかと言うと、他でもない目の前の竜が運んできた、素材の買い付けをしていた。要するに仕入れだ。
何でも半月に一度、こうして騎竜便が来て、各原材料を卸してくれているらしい。マリーだけじゃ無く、市場の人たちも同様に集まっている。今日の市場はお休みらしい。
にしても、仕入れが月に2回しかできないなんて、すごく不便だな。どおりでどの店も、品揃えがそんなに良くないわけだ。仕入の機会が少ないからって、大型量販店みたいに、大量在庫を抱えるってわけにもいかないんだろうしな。
ちなみにこの騎竜便しか、仕入れ先が無い理由は、この村の立地にあるそうだ。実はこの村、マリーの家までの道のりと違い、ちゃんとある程度舗装された道が、村の外へと続いている。ただ、それほどしっかりしたものでは無く、しかもここは山の中だ。途中で一部、舗装が途切れている所もあるらしい。坂も多い為、通常の荷車などでは入ってこれず、こうして竜がカバンを背負って、村まで来てくれているというわけだ。
竜を眺めるのにも、ひと段落つけた俺は、マリーの傍へと近づいた。
「マリー、仕入れはどう?」
「ああ、お兄さん。今終わったところです」
今日はいつもと違って、空っぽのまま持ってきた鞄に、ゴロゴロと重そうな塊が入っていた。これが鍛冶の原材料というわけだ。
「ただ、また少し物価が上がってしまいました。仕方ないとわかっていますが、中々厳しいです」
うっ……唯でさえきつそうだったのに、物価上昇か。確かにどうしようもないけど……。
「いくらくらい掛かったの?」
「今回は本当にギリギリなので、剣が一つ作れる程度ですよ。銀貨45枚です」
うわあ……そのくらいかかるのは聞いていたけど、これ、もう赤字だよね?
「マリー、今回の分、頼むよ」
そんなことを考えていると、俺が最初に挨拶をした、ソウさんがマリーに声をかけた。
「はい、お願いします」
マリーはそう答えると、ソウさんの手に銀貨を10枚ほど乗せる。
「ああ確かに。お互い大変だけど、踏ん張るんだよ」
「はい、いつもすみません」
早々に去っていくソウさんに、マリーは申し訳なさそうに答えた。
「マリー、今のって……?」
「え? ああ……あの騎竜士さんへ支払うお金ですよ」
「え、商品の代金と別に、そんなのも必要なの?」
「はい。立地の悪い村ですし、お願いして、ずっと定期的に来てもらっているわけですから」
「そう……なんだ」
俺は、その騎竜士さんへ視線を向けた。そこそこ歳のいった男性で、太っているわけでは無いけど、少なくともこの村の人たちよりは、何倍も健康的に見える。物価が上がったのが嘘、とまでは思わないけど、それなりに儲かっていそうだ。騎竜って言うのも、仮に想像したほどじゃなかったにしろ、それなりに値が張るはずだ。確かにこの騎竜便が、この村の生命線みたいだし、そう考えるとおかしくはないのかな。
……くそ。この村しか知らないから、この世界の一般的な相場がわからない。結局いくら悩んでも答えは出てこないか。一応覚えておくことにしよう。
「では今日はもう戻りましょう」
「うん、わかったよ。かばん持つね」
俺とマリーは家路を歩き始めた。その道中も俺は思案を続ける。
結局ここ数日で、俺が店に顔を出すようになってから、売れたのは剣が1本だけだ。それが銀貨90枚、この剣にかかっている原材料が銀貨40で、食費が今日の分も増えて銀貨36だ。この時点で余裕は銀貨14枚しかない。それなのに、今日は次の為の仕入れで、合計銀貨55枚も使っている。生活のために運営する店として、明らかにまわっていない。
俺が負担になってしまっている、と言う事実がより実感となって襲ってきた。このままではいけない。超人的な能力とか、魔術とかの前に、まず現状をなんとかしたい。
「お父さんの剣、本当はもっと価値が高い、すごい物なんですよ」
「え?」
俺が考え込んでいると、暗い雰囲気を振り払うように、マリーが努めてそうしたような、明るい声で話し始めた。
「でもやっぱりこのご時世ですし、もう長いこといつもの価格で売っています。本当はお父さんの為にも、きちんとした価値で売りたいんですけどね。現状でも売れなさすぎて困ってしまいます」
マリーが普段より少し大きな歩幅で歩く。声は明るいのに、その姿はとても落ち込んでいるように見えた。
「あ、でもでも、昨日の方みたいに、常連さんは価値をわかってくださる方が多いんですよ。まあ、価値がわからなきゃ、ほとんど売れてないとも言えますけどねー」
並べてる商品は、普通の価格から値下げしたものだったのか。俺は現状を何とかしないといけないって考えていたのに、そんなことすらまだ知らなかった。
……そうだよな。
確かに、俺なりに市場を調査していたけど、それはたかだか数日の話だ。本気で現状を打開するなら、まだまだ情報が足りていない。
そろそろ、様子を見守るのも終わりにしよう。必ず力になってみせる。
「……よしっ」
「ん? どうしたんですか?」
マリーが俺の声に反応して、近くへ寄り覗き込んでくる。しっかりしているとはいえ、見上げる仕草がかわいらしい、まだまだ子供と言える姿だ。
「マリー、色々聞きたいことがあるんだけど良いかな!」
「は、はい。どうぞ?」
「じゃあまず、ストスさんの剣って、適正価格はどのくらいなの?」
「ええと……さすがに物によるので一概には言えな」
「あと、この村ってどんな立地なのか詳しく知りたい。周辺にどんな所があるかも知りたいし、そういえばメインの客層ってどんな人たちなのかわかる? お客さんには普通に男性も多いよね?」
「ちょ、ちょっと待ってください! なんです急に。一つずつ順番に……」
「マリー、期待してて」
「は、はい?」
「そろそろ勝手もわかってきた。このまま、世話になりっぱなしにはなりたくない。だから、少しの間だけ、そうだな……次の騎竜便の日! それまで、俺に店を任せてみてくれないか?」
「気持ちは嬉しいですけれど、それは……」
「いきなり店を勝手させろなんて、失礼なのはわかってる。でも俺が言えた立場じゃないけど、このままじゃまずいでしょう?」
「そう、ですね」
「何をするのかはきちんと説明するし、マリーの了解を得てから実行するよ。それで、どうかな?」
これでも駄目と言われてしまうと、さすがにもう言いづらい。
マリーはしばらく、無言のまま歩く。じっと見守りながら、俺も静かに横を歩いた。
やがて、マリーの口から答えが出る。
「わかりました。確かに、お兄さんとこうして知り合ったのも、何かしらの縁です。おまかせ、してみますね」
おそらく、この世界に来て初めて得た、本当に小さな、ほんの少しの期待と信頼。
「まかせて! きっとマリーが、丸々太っちゃうほど食べられるくらい、稼げるよう頑張るから!」
「ええー、お兄さんそれ失礼じゃないですかー?」
「え、ご、ごめんね」
「まあいいです。そういう事なら、私がわかる範囲でなんでも答えます。どうぞ?」
「本当? じゃあとりあえず、さっきのとは別に十、二十くらい気になってることがあって、それぞれの内容について細かく聞きたいんだけど……」
「え゛、ちょっと待ってください。いくらなんでも多すぎでは……どれだけ時間がかかるかわかりません」
「俺は売上を上げるための知識は、それなりに持っているけど、現状に対して使えるのはごく一部だと思う。失敗できないし、市場や地域の知識は可能な限り必要なんだよ」
「や、やっぱりさっきの」
「マリー」
俺はじっとマリーの目を見つめた。
「は、はいっ!」
マリーもつられて、俺の目を見つめる。歩きながら、見つめ合う二人。
「今夜は、寝かさないから……」
「……え、えええええええええええええ!?」
一日たりとも無駄には出来ない。今日中に情報を精査しないとな!
その夜の質問会は、明け方まで続いたらしい。