俺は、この世界で4
見慣れないシルエットの生物が、木々の合間をぬって降り立つ。
着地の時に生じた音は、あまりに聞きなれない、重さを感じるもので、思わずこれは夢なんじゃないかと、現実逃避しそうになる。
背中から翼が生え、その翼の先に手が付いている。高さは俺と同じくらいのようだが、横幅が全然違うからやたらとデカく見える。
知っているイメージの中では、ガーゴイルが一番しっくりくる感じだ。
こいつと、こうして対峙してしまった以上、もう後には引き返せない。
だから、俺がやることは決まってる。
全力で……逃げることだ!
俺は手に持っていた剣を地面へ振りおろして音を立て、来た方向よりも少し右側へ向かって走り出した。そしてすかさず魔物との間に、森の木が入り込むようジグザクに動きを加える。
すると魔物は狙い通り、こちらに向かって直線的に襲い掛かってくる。
結果、魔物は木をなぎ倒す代わりに、確かに減速した。
これならいける……!?
俺は、魔物が付いてきているのを時々確認しながら、引き続き逃走を続ける。
仮に木を避けながら来たとしても、どの道、身体が大きければ、この山の中では速度が落ちると思っていた。
聞いていた通り、頭はそんなに良くないみたいで助かった。
目指す目的地は、村と同様にこの世界で慣れ親しんだ場所、マリーの家だ。
この魔物は、放っておいたら人里に向かい、そこを壊滅させてしまうらしい。
普通の人間程度じゃほぼ抵抗できないらしく、だからこそ天災扱いされているそうだ。
だから俺たちが勝利するには、まずこいつを村へ向かわせてはいけない。
それを達成するため、俺は自分からこいつが来るであろう方向へ走り、接触した。
しかし、その後どうするのかが問題だ。
俺は超人的パワーに憧れてはいるけど、ピンチになった瞬間奇跡的に力が目覚める。なんて考えられる程、楽観主義ではない。俺にこいつは倒せない。
減速しているとはいえ、ちょっと棒でも倒しているかという程度の感覚で、木をなぎ倒して向かってくる生物に、太刀打ちできるとは思えない。
なら、どこかでこの逃走劇を終わらせなければいけない。
つまり、こいつを罠にはめる。
「ふっ……は、あっ……! 何と、いうかっ! これでこそっ、異世界って感じだ!」
走り始めたばかりの時は、普通に行けると思ったが、次第に疲れも出てきて、魔物との距離が縮まっている気がする。
緊張のせいか、無駄に心臓の鼓動が早く、より呼吸が辛くなってくる。
「……来た!」
俺は上空に灯る、新しい光を見つけ、走る方向を少し修正する。
これが、マリーたちに頼んでいたことの一つ目だ。
暗くなりかけている山道を、大体の方向目指して目的地にたどり着けるわけが無い。
そこで、マリーには定期的に、家の上に火の玉を作って貰うように頼んでおいた。
本当はずっと浮かべておいてほしいところだが、それは魔力的に難しいらしい。
それでも、これが無いと正しい方向なんて分からない。贅沢は言えなかった。
他に光源なんてほぼ無いから、見逃す心配が少ないのが救いだ。
「うお!?」
少し他に気を取られていたうちに、いつの間にかまた距離が縮まっていた。
倒れこんできた木が自分の近くで沈み、枝や葉に足を取られそうになる。
それにしてもこの魔物というやつは、本当に何も考えていないかのように、こちらへ突っ込んでくる。
初めは単純で良かったと思ったが、こう追いかけ続けられていると、その純粋なまでの真っ直ぐな脅威が、逆に怖くなってくる。
「くっそっ……! こんなに生きてるのを、実感できた事、はぁ! これまで、なかったぞ……っ!」
こちらはどんどん足が重くなるのに、魔物は全くお構いなく、衰えない脅威を押し付け続けてくる。
もう何度か、木を間に挟むことに失敗し始めている。
爪が空気を切り裂く音が、時折大きく響く。
こいつがいちいち攻撃をしては、改めて動き出すなんて効率の悪いことをやっていなければ、とっくに追いつかれていただろう。
「大、丈夫! もう半分は来てる! それにっ、俺、はっと、選ばれし、異世界転移者!」
台風の時でも聞いた事が無い轟音が、さらにじわじわと近づいてくる。
「こんなところで! 死んだりしない! って……話だ!」
不定期に近くの地面が鳴り、揺れているように感じる。
「こんな、時こそ! 修行の成果ぁ! 縮地でっ、一気に、距離を離して!」
前だけを見て、目的地だけを目指して精一杯走る。
「俺が! 最強だあ!」
それでも、危ない場面が増えていく。
やがて、その時は来てしまった。
「――――ゥ」
爆音が耳の真横、では無い。耳のあった場所で鳴る。呼吸がおかしくなり、のどから聞きなれない音が出る。
俺の左耳が、一部吹き飛んでいた。
「で……もっ……!」
でも大丈夫だ。
この程度の怪我を負うのは、ちゃんと想定していた。ちゃんと、想定……して……。
……。
「ぅあ……あああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
ふざけるな……ふざけるな!
なぜ俺は、こんな死ぬ思いをして、こんな化け物を誘導なんてしているんだ。
順番がくるってる。
俺はまだ、チート能力も、超人的身体能力も、何もかも授かっていない。
チュートリアルすら、終わっていないのに……!
もし、この世界にも、俺を呼び寄せた神様みたいな存在が居るなら、文句の一つもぶつけてやりたい!
「あ゛っ……ふぅ゛う゛……」
耳が燃えるように熱く、そのせいで思考が鈍る。
痛いと言うよりも、ただただ熱かった。
焼き鏝を耳に押し付けられているようだった。
首から肩にかけて気持ち悪い感触が広がり、不快感が上がっていく。
それなのに、身体はこれ以上無いほどの寒気を感じていた。背筋どころか、全身が氷漬けになりそうだ。
目からは涙があふれ、顔はもうぐちゃぐちゃだ。
俺は本能のまま、杖代わりにここまで使ってしまっていた剣を、魔物へ向かって投げつける。
身に着けた防具も、今はひたすらに邪魔なものに思えて、続けて放り投げた。
しかし案の定、魔物にダメージなんて無い。
でも投げた物を弾くために、翼を振って止まってくれて良かった。
そのまま突っ込まれていたら、それで今度こそ終わりだったかもしれない。
明らかに冷静さを欠いていた。
再び振り返り、走り出す。
このままどうにかなってしまいそうだったが、俺はここで、幸いにもそれを視界にとらえることができた。
「あ……マリーの……合図……」
この一瞬の間に起きたあまりの衝撃に、手放してしまっていた目的を思い出す。
前後不覚になりかけていた頭に、大切な人の顔が浮かぶ。
そうだ。
俺にはちゃんと、理由があったはずだ。
俺は、元の世界で、小さい頃から人付き合いが苦手だった。
なんでも全力で取り組む性質だった。
特に他人に強制したりしていたわけでは無い。
でもそんなことは関係なかった。
世間は頑張りすぎる人間に厳しかった。
空気が読めないと爪弾きにされたり、そんなに考えて、頑張ってるわけない、アピールするななどと、やってることを認められない時も多かった。
最近はやっと、自分を抑えてうまく立ち回れるようになっていた。
おかげで、同期の中でもかなり早く出世し、店長になって商売を頑張っていた。
でも心の中ではずっと不満だった。
もっと自分は全力でやれるのに、これからもこんなに苦しい状態で、上手くやっていくしかないのかと思っていた。
ここではない、もっと生きやすい居場所が欲しいと願っていた。
そんな中、ある日この世界に来た。
不安からか冷静さを失い、久しぶりにやりすぎて、失敗をした。
でもそんな時、マリーが言ってくれたんだ。
俺が居たから、良かったって……。
自分を抑えず行動して、そんなことを言ってもらえたのは初めてだった。
べつに運が悪かっただけで、元の世界でも貰うことはできた言葉かもしれない。
それでも俺は、あの時本当に、嬉しかった。
だからこそ、そんなマリーことも、マリーの居場所も、全力で守りたいと思えるようになったんだ。考えた末、その居場所の一部を壊してしまう策しか、すぐには思いつかなかったのが、少し悔しかったけど……。
ちゃんと身体を張る理由がある。
だから冷静になれ!
「ぁああああ!」
さっきの悲鳴とは違う、自分に活を入れるための声を上げる。
正直覚悟していた以上に、恐怖も、不安もあってきつい。
泣き出したい、というかもう泣きじゃくってる。
油断をすると、すぐに距離が詰まる。
でも、飲み込まれてしまいそうになった後、冷静さを取り戻せた。だから大丈夫だと、自分に言い聞かせて、踏ん張るしかない。
さっき見かけた光は、もうかなり近くだった。
きっとそろそろ……!
そう考えた直後、ほんの少しだけスペースの広い場所へ踏み込んだ。そこは決して整備された場所ではないけど、よく踏みならされ、普段から使われていることを示していた。
いつもの道に出た!
俺は、瞬時に右方向に顔を向ける。来た方角から考えて、この道に出た以上、目的地は右側だ。そうした俺の視界には、限界が近い自分にとって、確かな希望になる建物があった。




