約束の日3
俺達は、開店前の丸猫屋に集まっていた。寮では何も知らない従業員達に、気取られる心配があったからだ。
面々は、マリーとアンシア、ローナ、そしてメルと…カイン。さっき見た光は、やはり彼だった。先程丸猫屋寮で合流する事が出来た。
屋内の一室を使用しているので、ここには椅子もある。しかし、誰一人使おうとはしない。部屋の中は、重い緊張感で満ちていた。
「翔の予想通りで、間違いないじゃろうな」
「やはり、そうですか…」
メルが俺の考えを肯定し、カインもそれに続く。
この場で俺を含めた三人が、十年もの間見続けた映像は、今朝一斉にそれを断った。
おそらくもう間違いない。今日が……運命の日だ。
「この前の情報交換から、間がほとんど空いてないのは良かったね。時間短縮になる。あれから変わりは?」
「こちらは…特に何も」
「こっちも特に無しかな」
「通信機の開発は…間に合わなかったんですね……」
「……」
「なら、俺はもう行きます。各地を回って、戦力を集結しないと…。それで―」
カインは俺達を順に見回し、言葉を続ける。
「今日を乗り越えるために、戦力が要ります。俺と一緒に来て、戦ってほしい」
表面上は、凛々しく地に足の着いた言葉…。
しかし俺には、彼の緊張が伝わってくる。これから死ぬかもしれない戦いに向かうんだ。何も思わないはずが無かった。
「もちろん、戦う力を持つ方だけ…です。どうなるかわかりませんから」
「わたし、行きます」
一番に名乗りを上げたのは、アンシアだった。
「アンシアさん…」
マリーが心配そうに声を上げるが、俺は何も言わない。意外だ…とも思わない。
アンシアが、努力して戦う為の力を磨いていた事を知ってる。ここで心配だからと引きとめても、世界が無くなれば意味が無いって事もわかってる。
「アンシアさんの事は、存じ上げています。心強いです」
「はい」
だから、俺は心配じゃ無くて、信じるべきなんだ。彼女なら、世界の為に貢献して、無事に帰ってくる。
そんなアンシアが、ローナの方へと視線を投げる。
「師…匠」
「…うちも行くよぉ。まあ今となってはー…、アンシアちゃんには及ばないかもだけどねぇ」
「……よろしいですか?」
「…ん―」
次の瞬間には、室内に突風が巻き起こっていた。
カインの剣撃を、ローナが得意の足技で捌いたんだ。
「…頼もしいです。よろしくお願いします」
「はぁい」
謙遜しているけど、ローナだって、隠れて鍛錬を続けていたのを知ってる。面倒くさがりで、本当ならそんな事嫌なはずなのに…。
魔術的な応用の差で、アンシアが追い抜きつつあると聞いているけど、ローナだって会ったばかりの頃より強くなっている。
「それから…」
「私は…きっと足手まといです」
「わかりました」
マリーへの簡単な確認が終わり、カインの視線がいよいよこちらを向いた。
「翔さん、共に…戦いましょう」
この可能性は、あると思っていた。
これまでは、世界全体の発展の為、商業をずっと気に掛けて来た。それがこの世界を救う為の、助けになると信じて…。
その成果か、かつての夢とはまるで違う、逞しく健康体のカインが目の前に居る。
しかしそれも、今日この日が決戦となれば役目は終わり。
最後の最後…最終決戦だけでも、前線に立ち、世界の為にこの身で敵と戦う。世界を救う勇者のように…。
それは俺が憧れた夢の一つ。立ち位置は多少違っても、誰かの為になれるのは、俺にとって嬉しい事だ。
今の自分の立場…。俺がもし、最終決戦に立ち会える状況になったなら、必ず全力を尽くす。そして、少しでもカインの力を温存する。
世界の未来を変える要因となれる、数少ない存在。その俺が出向いて、例えば命を投げ出す事で何かが変わりそうなら…それも辞さない。むしろやっと、人の為に何かを成し遂げ、終われるんじゃないか…。
そう…長い間考えていた。
でも、今は違う。
「カイン、俺は…行かない」
「なっ、翔っ―――」
「…メル?」
「い、いや…何でもない」
俺は、一番に反応したメルをしばらく見つめ、考える。しかしメルは、そのまま俺の言葉を待っていた。
この状況下で、遠慮して意見を収めるメルでは無いはずだ。ちゃんと考えあっての上で、言わない方を選んだ…。
そう結論付けた。
「翔さん…俺も納得がいきません。わかっているでしょう? 俺達の力はノートに対して特攻のようなもので…」
「わかってる。…でも俺のそれは、聞く限りカインのそれとはまた別のものだから」
「しかし…今は力があれば、少しでも結集すべき時では?」
「お兄さん…?」
俺の答えはマリーにとっても予想外だったのか、少し不安げな表情をしている。
「まだ、身体を張って戦う意外にも、やれる事は残ってる」
「世界の為に…?」
「もちろん。そしてそれは、俺程度が前線に加わるより、世界を救う助けになる可能性があると思ってる」
「一体…」
「通信手段を、あと半日で完成させる」
様々な感情が渦巻く静寂を挟んで、カインが再び口を開いた。
「それは、確かに完成すれば…。しかしそれこそ、翔さんが居なくても、間に合う時は間に合うのでは?」
「いや、俺が居なかった場合、間に合う可能性はほぼ無い」
先日の研究段階、状況から考えて、あのままのアプローチでは無理だ。
「………そちらの方が、勝算があるんですね」
「今のところ、そう考えてる」
「わかりました」
辺りが、さらに静かになってしまったようだった。
「…お二方は、どうされますか?」
カインが、先に参戦を表明していた二人に尋ねた。
俺が行かないと答えた事で、それなら二人も行かないかもと気を使ったんだろう。
しかし、それは無い。
確かに二人も思うところがあり、悩むかもしれない。でも……。
「わたしは…それでも行きます」
「…ん、うちも」
「…いいんですか?」
「はい」
「ここに残っても、その開発ぅ…? は手伝えないからねぇ」
「では…行きましょう。時間がありません」
「カイン、一つお願いがある」
「…何ですか?」
「途中でイエローを見かけたら、王都に向かわせてほしい」
「イエローさんも……いえ、わかりました。それが未来を変える可能性になるなら」
「お願い」
何とも言えない空気になってしまったと思う。
こんなの今この瞬間だけ見るなら、びびって大の大人であるおっさんだけが戦いから逃げ、身内の女性だけ送り出したようなものだ。
ただただ、かっこ悪い。
でも、そんな事はどうでもいい。
俺が今するべきなのは…。この世界が救われる可能性を、可能な限り上げる事だ。そうする為の腕っぷしとは違う力が、俺にはある。
昨日、世界が今までと違って見えると感じてから、ずっとあらゆる可能性を脳内で試し続けている。すでに今まで思いつかなかった方法が、いくつか浮かんでいるんだ。
もしも通信手段が完成すれば、俺一人程度が前線に入るのとは、比べものにならないレベルの支援になる。
だから、今は見送る。他でもない、戦いに行く二人の為にも…。
「アンシア、ローナ…いってらっしゃい」
「……いって…きます」
「まぁす」
いつもと同じ。
帰ってくるのが当たり前。そんな挨拶をして…二人は戦いへ向かった。
柔らかく微笑んで…。
俺が、行く事の無い場所に………。
さあ、感慨にふける暇は無いな。
「メル、念の為に確認したい事がある」
「…なんじゃ」
「カイン達の戦いが始まった後…その様子を俺に伝える事、出来るよね?」
遠方からのテレパシーも、世界の様子を見つめる事も、メルがずっと出来ていた事だ。
「無論、この憑代から戻れば可能だが…」
「うん、これでさらに問題が減った」
「心配だから中継しろ…などと言う事では無いんじゃろうな?」
「当然」
「ならよい。我も世界の為…お主を信じよう」
「最善を尽くすよ。何をお願いしたいかは、見ていてくれればわかるだろうから、早速研究室に向かう事にする」
「あ、あのっ、お兄さん。私も何か…」
「マリーは、重大な仕事があるでしょ?」
「な、何です…?」
「……」
「……」
「今日は、棚卸翌日だよ? 頑張って」
俺は、再びいつも通りの日であるかのように言った。
マリーは、呆気にとられた顔になっている。
「こ、こんな時に何言ってるんですか!」
「冗談なんかじゃないよ。町の中に、何かあっても冷静に動ける人が多いのは重要だし、丸猫屋の従業員達も心配だし…」
「で、でも…」
「それに…マリーはすでに凄い事をやってくれたから。もう充分」
そのおかげで、俺は今世界を救う可能性を追う事が出来ているんだ。
マリーとの事が無かったら、俺はきっとカインと戦いに行っていた。そして大した事も出来ずに、命を落としていたかもしれない。
まるで、その命ならどうでもいいと投げ捨てるみたいに…。
ちゃんと世界の為に動いているはずだった。実際、出来る限りやってきた。
でも足りなかったんだ。
だってそれは…所詮自分の命をその程度にしか思えない人間の考え。
甘かった。
限界まで考え抜いて、必ず守り抜く。自分の命を懸けて…。
その懸けた命の価値が小さい人間なんかに、本当の極限が見えるはずが無かった。
「何の事か…わかりません」
「まあ、近いうちにわかるよ」
そう言いながら、俺は随分久しぶりに、マリーの頭を撫でた。彼女が、とてもつらそうな顔をしていたから…。
「お兄さん…頑張って下さい」
「うん。じゃあ行ってくる」
「はい…、いってらっしゃい」
頭から手を離し、そのまま外へと向かう。憂いは無い。
行き先はカイン達とは違って、戦いからは遠い場所だ。この世界に来てから、ほとんどずっとそうだった。
それでも…物理的な戦いとは遠くても―。
……そこが俺の――戦場だ。




