棚卸7
一瞬、その言葉の意味を汲み取れず、固まってしまう。
「え…と…」
かろうじて相槌のような何かを返しつつ、俺は考える。
無理をしなくていい…。
もう、無理だと思われるような仕事量を抱えないよう気を付けているし、そういう事では無いはずだ。
俺に、どんな無理をしなくていいと言うのだろうか。
可能性が高いのは…、やはり今日のあれこれに関係するような…。
「気にしなくていいんですよ」
「それって、今日皆が色々として来た事?」
「ですね」
「特に、俺が無理してるような事は無いと思うけど…」
どちらかと言えば、仕掛けて来ていたうちの何人かの方が、無理をしていた気がする。
「違いますよ。これから…って意味です」
「これから…」
「今日はなんと言いますか…。色々と、おせっかいをやいて下さる方が多かったですけど…」
「…うん」
「それを、気にしなくていい…って事です」
「それ…って…」
なんだろう。
いつも通り、このまま変わらずやっていこう意味だとは思う。
でもマリーは、もっと色々とわかった上で、これを言っているような気がする。
だってそもそも、マリーがこんな考えになった理由だって、俺は知らな――。
「怖いん…ですよね? 人と、親しくなる事が」
「――っ!?」
な…んで……それ…。
「いいじゃないですか、今のままでも。毎日充実していますし―――」
「知ってて…」
俺はマリーの言葉を、聞いているようで半分理解できていない。
ただ俺に向けられたその言葉は、純粋に、心から俺の事を想ってのものだと信じる事が出来た。
それくらい、温かさに溢れる声で…。
「だから、私達はこうして、家族ごっこをしているくらいがちょうど良いんですよ。ね、お兄さん?」
「………」
思わず見惚れるとは、こういう事を言うのだと知った。
つまり…え? なんだ…。いつからだ?
おそらくだけど、マリーに俺の気持ちは筒抜けで。
ひと回りも歳が離れ、一時は完全に子ども扱いしていた相手に、好意を抱いてしまっている事も。
それを、表に出すつもりが無かった事も。
その最たる理由が、怖いからなんて言う、情けないものだって事も。
でも、なんで…。普通はこんな事まで察せるものなのか?
「こうやって…。これからも、丸猫屋を一緒に盛り立てて行けばいいんですよ」
全部わかった上で、ずっと一緒に居てくれると…。そう言ってくれているって事なのか…。
こんな、中途半端な関係のまま。
周りの人達が、幸せな関係になって行くのを見ながら…。
「ああでも…もっと好きにしていいんですよ。会ったばかりの頃のお兄さんはどこへ行ってしまったんです?」
「え…ああそれは…」
あの頃の俺は、ちょっと事情が違う―。
「違ったりしませんよ?」
マリーは、まるで確信しているような口ぶりだった。
でもあの頃の俺は…。
「少なくとも、ずっと気を使っている今より生き生き…は違いますね。…楽そうでした」
「…」
…あの頃は、無理な人格を演じていた気で居た。それはもしかして違った…のか?
いっぱいいっぱいだった頃の事は、自分でもよくわからない。
「好きにやったらいいですよ。それでもし苦しくなったら…仕方が無いので慰めてあげましょう」
鼓動が…うるさい。
良いのか?
ここまで言ってくれる人を、まだ信じられないって言うのか? 怖くて動けないままなのか?
確かに、以前の俺なら動けなかったと思う。
でも、マリーとは何年も一緒に過ごしてきた。
時には離れて行動していた時期もあったけど、それでも出会ってから、もう十年は経とうかというくらい、ずっと一緒に…。
ここで、ここで動けなきゃ……っ。
「あ…お兄さん、やりました。ここは塞がれてなさそうですよ」
「…えっ」
急に話が変わり、気の無い返事をしてしまった。
「よいっしょっと…」
そうしている間に、マリーはさっさと乗り越え、窓から脱出してしまう。
…ってそうじゃない!
「マリー、あの――」
「お兄さん」
「な、何…?」
「初めに言った通り、無理する事も、気にする必要も無いんです。とりあえず今日は戻って、ゆっくり休みましょう。明日の朝も早いですよ?」
「い、いや…」
「おやすみなさい、お兄さん」
それは、俺にはとても逆らえない優しい笑顔で―。
そんな表情…反則ってやつだろう…。
「お……おやすみ…」
俺は、思わず窓の向こうのマリーを見送ってしまった。
そのまま、自分も脱出する事すら忘れ、しばらく立ち尽くして…。
ゆっくりと、我に返る。
もう、マリーは寝ているだろうか。俺達は朝が早いからな…。
すぐに動けなかったのは、全く持って情けない限りだ。
でも……、ここで何もしないなんて無しだろう…!
これでも勇者に憧れた事もあった男なんだ。ここで勇気が出せなくて、一体いつ出せるんだ。
俺はすぐさま窓を乗り越え、丸猫屋の店内から脱出した。そしてそのまま、静かな夜の町へと走る。
向かう先は、一つの店。
一切疲れを感じぬまま走り抜け、俺はそこへたどり着いた。しかし、当然ながら店が開いている時間じゃない。
迷惑なのはわかっている。普段なら、絶対にこんな事はしない。こんな角が立つような事は…。
でも、それでも今は…!
俺は、その店の裏口に回り、扉を叩く。
「…す、すみません! 夜分遅くに…」
合わせて声を上げ、しばらく待つと…幸いな事に、店主が出てきてくれた。
「あら、翔さんじゃない。どうしたのさこんな時間に」
「改めて、こんな時間に申し訳ありません…。あの…」
「ん?」
「…買い物をしたいんです」
「買い物って、翔さ…。んー…んーふふっ」
店主である奥さんが、にやりと笑う。何か、見透かされた気がするな。
「いいよ。理由があって、こんな時間なのに来たんだろう。ただし、特別だよ?」
「あ、ありがとうございます!」
ああ…どこの青春少年だ? 今こんな事をしているのは。
何十年か遅いんじゃないのか?
本当に…情けないやつだ。
俺は買い物を済ませ、店主さんにお礼を言い、来た道を取って返す。
買ったのは、装飾に用いる石…。宝石と呼ばれる石だ。
情けなさがさらに上塗りされてしまうのだが、お金を持ってきていなくて、まさかのツケ購入だ。明日にでも払いに行かないといけない。
さすがに勢いで動きすぎた…。こんな事、人生で一度でもあっただろうか。
でも、こんな常識知らずのお願いだったのに、快く応じて貰えたんだよな…。
お金が無いと気付いて伝えた時も、俺ならツケで良いと言ってくれた。俺なら、いいさって…。
こんな俺でも、少しは他人から、そんな信用を貰えるようになれたのだろうか。
俺は、初めてそれを実感できた気がした。
気の持ち方が変わったおかげだろうか。初めての感情に振り回されている気がする。
そのまま走り、再度丸猫屋の店内へと侵入した俺は、今度は金属類の売場へ向かった。
そしてさすがに、ここまで時間が経てば、冷静にもなってくる。
良くないよな…。よりによって棚卸日、明日から詰めの調査もあるのに。
でも、ちゃんと明日購入処理をするから…マリーごめん。
そう心の中で謝りながら、必要な金属部材を確保する。
俺は今度こそ店を後にし、寮へと戻った。
マリーが起きていた場合、戻っていないのではと心配をかけているかもと思い、わざと少し音を立て、部屋へと戻る。
これで、部屋に居るはずの彼女にも聞こえたはずだ。
そのまま俺は、金細工を始めていく。
ジュエリーショップみたいな店があれば良かったのだが、あいにくそこまで高額な嗜好品が売買されるところまで、この世界は来ていない。今行ってきたのも、隅に珍しい素材として扱っていたのを、日々の巡回で覚えていた雑多な扱いの店だ。
だから、追い追いちゃんとした物を依頼するとしても、今は自分で作るしかない。
明日以降、鍛冶の職人を当たった方が良いのはわかってる。でもそれより、今自分で作成したいと思ってしまうんだ。
自分が…そうしたいと思った。
「でき…た…」
完成したのは、一つの指輪。
いつか、これを送るのと同じ意味の契約を、知らずに結んだ事もあったっけ…。
でも、もしこれを渡せた時は…、今度こそ間違いなんかじゃない。
問題は、いつ渡すかだけど…。
今から…は、さすがに寝ているだろうし、起こしていきなりこんな話をしても、ムードも何もあったものでは無い。そもそもそう思って、さっき我に返った後、マリーを追わなかったんだ。
なら近いうち、明日…は、俺は魔術研究所に行くし、マリーも棚卸後で朝から集中するはず。いいタイミングでは無い…か。
でも、絶対近いうちに渡したい。
そして、マリーとちゃんと幸せに………。
幸せに、なりたい…?
今俺は、そう思ったのか? そう心から、思えたのか…?
「あれ…」
涙が出ていた。
これは何の涙なのか、自分でもわからない。でも……決して辛くは無かった。
とにかく、今出来る事はもう無い…か。
そう考え、灯りを消して横になる。
俺は…マリーと生きていきたい。この世界で、今よりずっと幸せになって…。
目をつぶると、また自然にそう思えた。
そのせいで胸が高鳴り、おそらく顔も火照っている。初恋したての少年か何かか俺は。
今までと同じで、情けない自分だと思うのに、なぜか息苦しさは感じなくなっている。
俺は今まで、物事をよく見て、客観的によく考えている方だと思っていた。
知識の上では知っていた事だけど、それが気の持ちよう一つで、こんなにも新鮮な気持ちになるなんて…。
実感してみなければ、わからない事はやっぱり多いな。
これまでの自分は、たくさん考えているつもりで、実はとてつもなく狭い範囲しか見ていなかったのかもしれない。いや、きっと今の自分だって、大した範囲は見えていないんだ。
そうか……だから、人は…。
これが…………本当…の……。
一人の女性と、それから丸猫屋の皆に切っ掛けを貰った今日…。
俺はこれまで感じた事の無い、あたたかな気持ちを抱きながら、眠りについた。




