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棚卸3

 やる事は多く、午前中は慌ただしく過ぎていった。


 店長だって一人の人間。どうやったって、完璧に不備を潰しきる事は難しい。ただ経験を積んでいる分、過去にあった不備は見逃しにくいと言うだけだ。

 だから俺も、全部を疑って作業に当たる。商品が隙間に落ちているかもしれないし、似ている商品が混ざっているかもしれない。複数一緒になった商品なんかは、数え間違いも発生しやすい。

 そうこうしているうちに、もうお昼だ。

 こういう午後から忙しい日は、交代で早めに昼食を済ませる。だから、午前中に出来る事は意外と少ない。

 この時間の無さ、厳しさを知らないと、棚卸の準備が遅れがちになってしまう。

 毎年ほとんどの新人が、店長や上司から指摘を受けていた。優秀な新人でも、これが初めての指摘になる事も多い。それくらい厳しいんだ。

 定期的に、店内の管理を引き締める切っ掛けにもなるしな。

 最近は、仕事なんだから常に厳しく重い空気で…なんてご時世じゃない。普段は良い雰囲気の職場を求められる。だからこそこういう機会くらいは、厳しくする必要があるんだ。

 まあそんな、年にたった一度か二度の重い空気が嫌で、急に休む人も居るんだけど…。むしろだからこそ、なのかもしれない。

 この休憩室も、今日は普段より会話のトーンが控えめだ。

 そう思って顔を上げた時だ。

 アルの姿が目に入った。

 アルはそのまま俺の視界内の席へ向かって行く。特におかしい事は無い。彼も休憩時間で、昼食をとる為に来たのだろう。

 そう考えているうちに彼が座った席の向かいには………マリーが居た。

 うん…?

 珍しいな、と思った。

 他にも席はまだある。マリーの近くよりは、他の同期や歳の近い皆と座っている事が多かったはずだが…。

 まして、今日のマリーは真剣な表情そのもの。今も昼食を取りながら、自分のメモ帳とにらめっこしている。やり残しなどが無いか、確認し、潰しているんだろう。

 はっきり言って、普段より近寄りがたい。

 それなのに、あえてそこへ座ったんだ。

 そんなアルの違和感が気になり、なんとなしに見続けていた。ただそれだけだったのだが―――。

「マリーさん、今日は…いい天気ですね」

「っぶ!!?」

「うあっきったねーすよ!」

「あ、いやごめん…。かかったりしてない?」

「まあ自分で手当ててましたし、こっちにかかっては無いすけど…」

 自分の向かいに座っていたリィンに、申し訳無い事をしてしまった。

 でも吹き出してしまいもする。

 このいつもより重い空気の中、いきなりあんなナンパみたいな…。

 マリーも、何をいきなりという様子だ。

 俺は、再び向こうの会話に耳を傾ける。

「それで…今度一緒にどうですか。食事にでも」

 っっ!?

 リィンが目の前でサッと手をかざしたけど、今度は耐えた。

 でもこれ、みたいなじゃなくて本当に誘っている。…なぜ今?

 アルはこちらに背を向けて座っているから、表情を伺えない。少し声に違和感はある気はするが、わかるのはそれだけだ。

 俺が戸惑っているうちに、いつの間にか向こうの会話はひと段落ついてしまった。

 マリーは適当に断っていたけど…。

 そのマリーは、昼食が終わったのか、休憩室から出て行ってしまう。

 残されたのはアルと、今の会話を聞いていた近くの席の同僚。距離があって気付いていない人も居るけど、そっちはいい。問題はこっちの面子だ。

 どうするんだこの空気…。

 ただでさえ、真剣で普段と違う空気だった。集中するマリーに対し、遠慮や気遣いも混ざったような…。

 そんな中で、なぜかデートの誘いの話題が出て、しかも即断られ、その本人がこうして席に残っている…。

 室内がさらに静かになってしまった。

 …本当に疑問しか無い。

 アルは確かに貴族だった頃の名残か、ああいう台詞は似合う。様になる容姿も持っている。世の女性が彼に誘われたら、試しに食事くらい行く人も多いだろう。

 マリーだって、例外では無いかもしれない。

 でも、今この場所はおかしいだろう…。

 そんな事、アルなら俺なんかよりよっぽど理解しているはずだ。どうにもおかしい。

 こんな――。

 ここまで考えたところで、気付いた。

 この違和感…今日すでに、同じ事を考えたはずだ。

 俺は、正面に座るリィンの顔を伺う。

「…?」

 そこには、どうかしましたかという風な、リィンの笑顔があった。

 ………違和感しかない。

 リィンは、俺に向かってこんなにこやかに笑いかけない。

 これも…わざとか…?

 もしかしたら、このあからさまに変な部分も、俺への訴えかけの一部なのかもしれない。これだけ普段との違いが目立てば、誰でも気付く。

 仮に今のも、本当に俺へ見せる為のもので…。俺に危機感を感じさせる為の、マリーへのアプローチだったなら…。

 なんでそこまで…。

 …と言うか、この想像が合っているとすると、俺はマリーの事を好きであると、周りに思われている事になる。

 ずっと興味が無いように振舞って、マリーに良い人を探してはどうか、みたいな話もしていたのに…?

 そもそもそういう関係になりたいとか、本当に考えてられていなかったし、気付かれるはずが…。

 思考がぐるぐると回り、答えは見えない。

 実際リィンやアルがどう考えているかなんて、わかるはずも無い。

 それ以前に、今日は大事な大事な棚卸。こんな私情を、いつまでも考え続けている訳にはいかない。

 頭を切り替えないと…。

 午後も忙しくなる。

 そうした思考の中、俺はもう一つ考えていた。

 俺の視線の先には、ぽつんと一人で食事をとるアルの姿がある。

 集中するマリーを気遣い、もともと従業員が周りに少なかったので、そうなってしまっているんだ。さっきのやり取りを聞いた面々が、一つ席を離れて行ったりもしている。いたたまれないのか、触れるべきでは無いと思ったのか…。

 つまり――。

 アルの状況が罰ゲーム過ぎるから、時間よ早く過ぎ去ってあげてくれ…。

 時間に追われ続けているこの世界で、本当に珍しく、そんな事を少し思った。

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