時は進んで4
翌朝の丸猫屋、従業員寮――。
「話には聞いてたけど、これが…」
「いかにもっ」
「ちょっ…そんな言い方失礼では…」
「いやでも気にしてないっぽいし」
そこには、真ん丸な身体で精一杯踏ん反り返っているメル。そしてそれを驚きの表情で取り囲む、丸猫屋メンバーの姿があった。動いているメルを初めて見るメンバーも多いので、興味津々といった感じだ。
知っている面々は少し離れて、その様子を見ているのだが…。
そんな中俺は、輪の外でメル達を見守るマリーの事を見ていた。
昨夜、あの後俺とメルは、ある話をしていた。
「まあ堅い事は言いっこなしじゃ」
「でも、何年も戻らなかったのに…」
「お主も察しはついていたようだが、こっちはこっちで手が離せなくてな」
神様達も、裏でかなりの事をやっているに違いない。俺は確かに、そういう事情でメルが戻ってこない可能性は考えていた。
「そ・れ・で、そんな事より」
「は、はい」
なぜだろうか。メルは久しぶりに会ったと言うのに、少し怒っているような気配だった。
「手が離せん傍ら、我はお主らの事はそれなりに見ておった訳だが…さすがに限界じゃ」
俺には、メルの言葉が指すものがわからなかった。
何か大きな失敗でもしていて、この世界の命運にも関わると言うなら、もっと早くにアクションを起こしているはず。でもそうでは無い。
それに、未来の夢の内容も、少しずつとはいえ良くなっているのは間違いないはず。それが根本的に間違っていて…。いや、さっき否定した通り、それならずっと眺めて我慢しているのはおかしい。
「このままでは…あやつの娘も浮かばれん」
小さな呟きだったけど、聞き間違いじゃないなら、あやつの娘って言ったのか? 誰の事を指している?
可能性が高いのは…やっぱり村出身の誰か。
マリー…の事なのか? “あやつ”が指しているのは、マリーの母親?
「翔。お主…まだ傷は癒えぬのか?」
頭の中で考えていた事が、打ち切られた。
「それは…」
何の事…とは続けられなかった。
最近ずっと考えていた…その事を言われているんだと思った。
…でも待て。だとするとメルはそんな理由で…?
「翔よ。このままでは、あまりに不憫だと思わんか?」
「良くないとは思う…ね」
「そうだろう」
やっぱり、話が噛み合っている気がする。本当に想像している通りなのか?
「翔、今日はめでたい式だったな」
メルは言葉を続けていく。
「そろそろ、お主も解放され、同じようになっても良いと思うのだが?」
「つまり…」
「まあ、その為に来たと言う訳じゃ。まだ忙しい中、時間を作って来てやったんじゃぞ。ありがたく思え」
「で、でも…ほら、今はそれよりも優先すべき事が」
「………」
「………」
「翔よ」
「…何でしょうか」
「これは、世界の為に必要な事なんじゃ」
――!?
どういう事だと思った。
俺が考えていた事はまるで見当違いで、メルはもっと真面目な話をしていたのではないか。だとしたら、どこから勘違いしていたのか。
そちらの線を検討し始めていた。
「お主が、他人の幸せを願える者なのはわかっておる」
でも、メルが話す言葉は…。
「いい加減、お主も幸せになってみせろ。それがこの世界にとってもプラスになると言う事じゃ」
「…」
俺の想像を、肯定するものだった。
昨夜はもう遅いと言う事で、話はそこそこで終わった。
今朝起きた時には、特に何も言われなかったけど…。
「真ん丸…投げやすそうすね」
「ふざけるな!」
「な、投げないで…下さいね…」
やんわりと仲裁に入るアンシア。
メルは普通に出歩いて、こうして皆と打ち解けている。
すでにリィンなんかは、冗談を投げかけているほどだ。
…冗談だよな?
彼女はここ数年でどっぷりスポーツにハマって、休みの日は大抵それだ。仕事もサボらなくなって、良い事なんだけど…。遠慮の無い性格も、物理的な行使に至るまでが早いのも変わっていない。
メルが、マリーとアンシアの出身地で祀られていた神様だと言う事は伝えてある。今までも、丸猫屋の看板のシンボルでもあるし、由来と共に話はしていた。
だから周りで見ているメンバーも、人によっては気が気でない様子だ。
「ふん! …お前! 今日は休みだったな。少し付き合うのだ」
「え、なんで知って…と言うか嫌すけど」
「この…良いから耳を貸せ」
ここでメルが、ちらりとこちらを見た気がした。
しばらくの後、メルがリィンからぴょんと離れる。
「仕方ない…アタシの部屋いきますか」
「「えっ」」
俺とマリーの声がシンクロした。
どんな話をすれば、リィンが自分の予定より、メルの呼び出しを優先するのか。本当に意外な事が起きている。
「ちょっと、いいんすか? そろそろ店、準備しなくて」
「そ、そうですね…」
気にはなるが、それで店の開店を遅らせる訳にはいかない。マリーは寮を出る支度をし始めた。
一方俺は、身体だけは同じく準備に入りつつ、迷っていた。
今朝から、マリーを目で追ってしまう。昨日メルと話した事が、どうしても気に掛かる。
あんな事を言われたくらいでこうなるなんて、俺に元々そういう気があるのはもう明らかだ。
…むしろ、今までだって、この気持ちに気付いてはいた。
ただ………どうしても怖かっただけ…。
―――うっぜえ…もうくんなよお前。
俺が一緒に居て、本当に…。
でも、これが世界の為になると言うなら、つまりは試練のようなもの。
俺が逃げ続けていたせいで、わざわざこんな風に突きつけられたのかもしれない。ここで俺が勇気を出せるかで、未来に影響が出るのかもしれない。
正直、半信半疑だけど…。
神様だって、嘘をつかない訳じゃ無い。以前本人が言っていた通り、神様に生まれただけで、メルはメル個人の考えがある。
しかし期限も迫り、藁をもすがる思いなのは事実…。
乗せられてるだけな気もする…。でも少し…、考えて…みようか……。
この世界に来てもう十年近く…。ずっと世界の事を見て、考えて行動してきた。
でも今考えているのは、間違いなく自分の事でもある。
俺はここへ来てやっと…、自分の中の変化を感じていた。
この期に及んでも、いい歳したおじさんが…なんて思ってしまう。
そういうアプローチ…。自分がそんな事を出来るようになるとは思わなかった。そもそも、まだ実際に出来るかどうかもわからない。
情けない話だが、この手の事を避け続けてきた俺にとって…。他のどんな難しい仕事より、難易度の高い試練だった。




