社会での役割11
十人十色。
従業員や客なんて言葉で一括りにしがちだけど、皆違う人間だ。
例えばその中には、店員の顔を覚えるお客さんが居る。
そんなの全く気にしないなんて人も多い時世だったけど、元の世界でもそういう人は居た。
顔を覚え合っていれば、それはもう知人だ。だから軽くではあるけど、雑談になる事もある。
「いやあ本当ありがとね! おかげでうちの子のしつけが捗るのなんの!」
「それは良かった! なかなかお手伝いしないとお悩みでしたもんね」
「そうそう!」
この人は、王都の近くで農家を営んでいるそうだ。
お子さんが仕事を手伝わない。将来が心配と時々愚痴をこぼしていた。気さくな奥さんだ。あとおしゃべり好きでもある。
先日のストーカーのように長時間は困るが、多少のコミュニケーションなら、そこまで駄目と言う事も無い。
そんなお客さんだが、遊びを餌にする事で、お子さんが仕事を手伝うようになったらしい。まだ嫌々ではあるみたいだけど、本当に助かっているそうだ。
先日のドッヂボールブーム以来、そういうのも有りと町の風潮が変わってきた。
中にはこの人みたいに、それを上手く活用している親御さんも居るようだ。
この変化を喜んでいる人が、1人でも多いのは良い事だな。
「あっ…そうだ聞いた? 店長さん」
「何かあったんですか?」
この人はこの性格のせいか、町の噂にも敏感だ。丸猫屋にとっては、外部からの貴重な情報となる時もある。
「いやね」
なんでもない話の事も多いけど…。
「ほら、最近出来たあの店。ちょっとねー」
「………」
俺は表面上、新鮮で軽い相槌を打ち続ける。
しかしその心中は、とても穏やかとは言えないものになっていた…。
とうとう起きた。起きてしまった。
いや、これは当然の事だ。わかっていたのに、ガイルに手があるのではないかと、そんな言い訳に逃げてしまっていた。
ご近所の噂と言うのは侮れない。こうなってしまったら、もう事実じゃなくても厳しい。
それは何でも屋“竜”の噂。それも、悪い噂だ。
町へ行き確かめてみた結果、元はたった一件の、接客トラブル…のようだった。
噂の主な内容は、竜では露骨な差別があるというものだ。
その実としては、人によって値引きして貰えたり、貰えなかったりするといった内容。美人だと安く買えるとか、元貴族だとサービスが良いとか。ここから先は噂の内容もバラバラで、信憑性はまるで無い。
重要なのは噂の中身では無く、その噂が良いか悪いか…。
丸猫屋がずっと前から気を付けて来た事。店の名前を持つと言う事の意味が関係してくる。
ほとんどが、ただ商品を並べただけの名も無い店。有名どころでも、誰々がやってるあそこ…なんて、人の名前で呼ばれる事が多いこの世界で、店の名前を掲げる。
それは、皆が情報を共有しやすいと言う事。噂になりやすいと言う事だ。
市場の真ん中の…えっと近くにあれのある店。こんな話より、話が早く進むしわかりやすい。
丸猫屋は、それを活用してここまで有名になった。
しかし、それはもろ刃の剣。
良い噂が広まるなら、悪い噂も広まる。名を持つ店は、そういうリスクを負っている。
だから店は、そのもしもを考えた形でなければならない。
俺の居た世界では、様々なチェーンストアがあった。
そして、扱う範囲の多い店ほど、単なる量販店…つまり対応の少ない業態になっていた。
例えば今回の値引きに関して言えば、そもそもするチェーン店は少なかった。そんな中でもやっていたのは、電気屋なんかの専門店だ。大手スーパーやホームセンターなんかでは、俺の知る限り一社たりとも、交渉による値引き対応をしていたところは無い。
その理由の1つこそ、トラブル発生のリスクだ。
人と人が関われば、時には諍いも起きる。これは仕方の無い事。
それが値引きなんかの交渉事をすれば、当然トラブルも起きやすくなる。もちろん、必ず起きる訳ではないが、可能性の問題だ。
そうなった時、どうやってそれを収めるかは、扱う商品やサービスによって様々。交換、修理、お詫びや返金…複雑になる事だってある。
そんなトラブルが、スーパーなどで扱う数多の商品で発生し続けたら、その対応だけで店はパンクする。母数が多いのだから、トラブルの件数も増えて当たり前。
だからそういう手の広い店ほど、販売形式はシンプルなものになっている。リスクを下げているんだ。
ガイルの店はどうだろうか。
竜は、差別をする店と噂が流れてしまった。
でも、思い出してほしい。竜は確かに一つの店だが、その中身は集合店の様なものだ。店内でバラバラに商いしている。資本が統括されているだけだ。
おそらくではあるが、トラブルを起こした噂の元は、どこか一カ所の売場だけだろう。それなのに、噂ではそこが言及されていない。
これが名の怖さだ。伝わりやすい部分があると、他が零れ落ちて広まってしまう。
今回の噂によって、おそらく好調だった他の売場にも影響がある。集合店と違って、売り場ごとに別の店にしなかったのが良くなかった。
中身が同じであっても、表面上だけでいいからそうするべきだったんだ。
店が大きく、扱う商品が多い程、こうなった時の損害は大きくなる。店の抱える商品…資産が桁違いだからだ。店が続けられなくなれば、その抱えていた商品すべてが、ただの負債の山と化す。
お客さんに必要とされ、利益も出せる良い店であっても、トラブルの可能性はある。だからリスク管理が必要なんだ。
値引き交渉など無くても、トラブルなんて起きる時は起きるのだから…。
すべては可能性の話。
でもそれは、完全に回避する事ができないものだ。
既存の店よりどれだけ喜ばれようと、どれほどの利益が見込めようと、もしもの場合を軽視しちゃいけない。
これこそ、大手スーパーなどのチェーンストアが、シンプルな販売のみに特化している理由の1つだ。
丸猫屋に似てるって言うのも、マイナスに働いてしまってるんだよな…。
そもそも、市場の店では値引き交渉が存在しているのだから、それで差別だなんだとここまで噂になる事自体がおかしいんだ。
そういう事を一切しないと謳う丸猫屋が念頭にあって、こっちを基準にしてるから、竜の方はとなってしまったんだろう。
個人店でも、露骨な贔屓でトラブルなんて事はあるけど、規模が小さく客数も少ないから、町への影響は少ない。しかし規模が大きく町の依存度も高ければ、いざ潰れてしまった時、従業員どころかその町まで困った事になる場合もある。
竜は、そういう可能性を孕んだ経営スタイルになってしまっているんだ。
それこそ、ここ最近の流れのまま、町の個人店が減ってからそんな事になれば、間違いなく経済衰退となる。丸猫屋が、手を広げていない範囲の需要もあるんだ。
まだ、あくまで噂が流れ始めたばかり。すぐに経営がどうこうって事も無いだろうけど…。
「…お兄さん。したいように、したらいいんですよ」
諭すような、優しい声。
「そう…だね」
マリーの後押しを受けて、やっと心が決まった。
ガイルと、直接話をする。




