この世界での、生活3
あの事件以来、自分の切羽詰っていた部分を自覚し、俺は心にある程度の余裕を持つことができた。冷静さを取り戻したことで、今まで気にしていなかったことに気を配り始めたり、アンシアかわいいかわいいしたりしているわけだが、決して本業を疎かにしているわけではない。
「――という理由で、こうした並びの方が、お客さんの足を止めることができるという考え方があるんです」
「なるほどね……じゃあ、また考えておくわ」
「はい、じゃあ失礼しますね!」
俺はここ最近、市場のすべての店を順に回っている。
そしてそこで、すぐにできる範囲の知識を伝えるだけ伝え、実際に実行するかは各人に任せるという形をとっていた。
売上を伸ばすための工夫は、大きな資金が必要なものから、日頃の心構えで可能なものまで様々だ。
その知識は元の世界のもので、この世界の市場で通用するかは分からない。
でも冷静になってみると、入念に環境調査を行わなければ、文化や宗教的理由で通用しないことなど、例えば海外出店の場合では当たり前のことだ。年単位での実地調査を行うことも珍しくない。
それが異世界になったところで、やることはそこまで大きく変わらない。
まだまだ知らないここだけの背景があるというなら、その知識を蓄えるまで、それを知っている現地の人たちの助けを借りればいい。
あくまで俺は、何か役に立つかもしれないアイデアを、皆に提供するだけだ。
要するにこの市場のアドバイザー的な立ち位置に、俺はここのところ収まっていた。
そうは言っても、全員から歓迎されていたり、求められているわけではない。
表面上はしっかり話を聞いてくれても、実際は聞き流している人も居る。
実際まだ目に見えて結果が出ていない以上、それも仕方がない。
なにより、こういうことは理屈が通っているかより、誰が言ったかの方が重要だ。
不特定多数と良好な関係を築き上げるのは、そうそう簡単なことでは無いんだ。
その為にも、俺はアドバイスで皆に貢献して信用を得たいのに、それを聞いてもらうには信用が必要という、現状堂々巡りになっているわけだが……。
可能なら、皆から意見をフィードバックしたいんだけどな。
「お兄さん、最近お忙しいみたいですね」
「えっ」
「毎日毎日、違う人のところに顔を出しては、口説くのに必死のようではないですか」
「待ってマリー、その言い方だと完全に違う意味に聞こえるよ」
「いいえ、違ってなんかいませんよ。私を子供扱いするくらいです。ここの人たちは、さぞかしお兄さんのストライクゾーンなのではないですか?」
「え、本当にそういう意味で言ってたの……。そんなわけないでしょ」
「そうだといいんですけど」
「あー……」
マリーは先日、子供扱いをしてしまって以来、少しご機嫌斜めだ。
多感な年頃で、女としてのかわいいプライドみたいなものがあったんだろう。
それを俺が傷つけてしまったんだ。
いわゆる、地雷を踏んだという奴らしい。
普通に話はするし、何かされたりするわけではない。
でもだからって、一応真面目に市場の立て直しを目指して頑張っているんだ。そんなナンパ者みたいな扱いは止めてほしい……。
これが娘に冷たくされる親の気持ちというやつだろうか。
いや、俺子供いないし、そもそも奥さんすらいないけどね。
なら本当にナンパをしてやろうかとも思うけど、そもそもここの人たち、結構歳いった方ばかりだし、さすがにちょっと……。
ちょうど俺とマリーくらい、歳が離れているんじゃないだろうか。
40、50はいってる人がほとんどに見える。
人によってはハーレム状態なのかもしれないけど、ここは男性どころか、同年代すら一人もいないから、少しさみしいんだよな。
まあ、そんなこんなで俺は少し困っていた。
「とまあ最近こんな感じなんですけど、マリーに何かしてあげられたら、と思いまして……」
「「……」」
「それが無くても、普段からお世話になりっぱなしでしたし、恩返しのアイデアを相談したいんですよ」
「いや、話は分かったんだけどねニイちゃん。本気で言ってんのかい?」
「え、もちろん本気ですよ」
「あの、わたしは、よく、わからない、です。すみません……」
「あ、そうだよね。アンシアはまだまだこういうの分からないよね。でもその代わり、マリーと一番歳が近いから、何が嬉しいか教えて貰えたらなって思ったんだ」
商売もプレゼントも、現地の相場を知るのは大切なことだよ。
「べつにあたしたちに聞かなくても、ニイちゃんの思うとおりにしたらいいだろう。その歳で、女性に送り物一つしたこと無いのかい?」
「女性へのプレゼントなら、まあ世間で無難とされてる物を送ったことくらいあります。でも、姪っ子とかいなかったんで、勝手が少し違うのかなと思って……」
「姪っ子ってねえニイちゃん……」
「わたしと、同じ、お人形、さん、とか?」
「あ、それ実は考えたんだよ。でも、今回機嫌を損ねた理由を考えると、少し子供っぽ過ぎるかなと思ってね」
「そう、ですか……」
「はあ……こればっかりは、ニイちゃんの見る目が変わらないと、どうしようもないしね。あたしはもう行くよ」
「え、ソウさん行っちゃうんですか」
「ニイちゃんは難しく考えすぎなんだよ。子供扱いされたのが原因だって思ってるんなら、自分との歳の差なんて気にせず、ただ女性として扱ってやればいいだろう」
「あ、なるほど……」
ソウさんはそんなアドバイスを残して、自分の店へと戻って行ってしまった。でもいいヒントをくれた。さすが年の功だ。
「でも、女性、への、プレゼントって、何がいいん、でしょう……?」
「うーん、そうだな……」
結局この世界での、定番プレゼントなんて分からない。
ならもう、いっそシンプルに、マリーくらいの年頃の女の子が、使っていそうな物でも送るのがいいかもしれない。
「わたし、何か、手伝える?」
「うん、じゃあ……もしよかったらお願いしたいんだけどね――」
準備を終え、俺はマリーの店まで戻ってきた。
「マリー、ただいま」
「今日はまた、遅いお帰りですね」
「マリー、今日はね、お土産があるんだよ」
「……はい? お土産?」
「そう、はいこれ。日頃の感謝の気持ちです」
「は、はあ……ありがとうございます。何ですこれ?」
「それはシュシュって言って、俺の居たところでは、女の子……女性がおしゃれに使ってる物なんだよ。」
俺は悩んだ末、プレゼントとしてシュシュを選んだ。
アンシアにまた古布を貰って、それらしい感じに縫い合わせたものだ。
何か用意しようにも、俺は未だに自由なお金なんて無いし、考えてみれば、またしても選択肢がほとんど無い。
そこで、本当ならおしゃれの一つくらいしていてもよさそうな年頃であるマリーに、これを送ってみる事にしたわけだ。材料費、タダだしね。
さて、肝心の反応はどうだろう。
「……どうやって使うんです?」
「え?」
「え、じゃありません。お兄さんはよく知ってるのかもしれませんが、私はこんなの初めて見ましたよ」
「そ、そりゃそうか。えっと、腕にはめたり、髪留めの代わりに使ったりする物、かな」
厳密にはシュシュと、髪留めシュシュって違う物らしいけど、そこまでは知らない。俺の答えを聞いたマリーは、さっそく腕にシュシュをはめて、それを見ている。
「ふうん……」
「どうかな。気に入って貰えた?」
「目を輝かせてるところ申し訳ありませんけど、気に入ったかという質問に対しては……分かりません、としか言えませんよ」
「あ、あれ?」
「だってお兄さん、お兄さんの居た世界ではどうだったか知りませんけど、ここではおしゃれなんて、噂に聞く貴族のお嬢様くらいしかしません。一瞬なんのことだったか、思い出せなかったくらいです」
「そ、そこまで、なんだ」
確かに、ここの人たちは着飾っているどころか、古びた服を着た人ばかりだ。
貧困な生活水準が、長く続いているせいかもしれない。このプレゼントは、見当違いだっただろうか。
でも、こういうちょっとした工夫で、楽しんではいけないなんてことは無いと思う。
これも、今後の課題の一つになるかもしれないな。
「まあ、喜んで貰えなかったのは残念だけど、似合ってるよマリー」
「……喜んでないとは言ってませんよ。これでやっと同点ですし」
「ん?」
「何でもありません。というか、最近全然私の店に居ないじゃないですか。たまにはうちにも寄って下さいよ」
「そうは言っても、この店はすでに結構、やることやってるしね。また不要なトラブルが起きないように、市場では公平な立場で居たいんだよ」
「むぅ……」
「何、ひょっとして寂しい?」
「そんなんじゃありませんよー」
お、少しからかってみたのに、笑顔で返事が返ってきた。一応プレゼント作戦は成功と言っていいのかもしれない。
それに、そんなんじゃないって言うけど、同年代がほとんど居ないのはマリーも同じだ。
慣れているだけで、やっぱり常に寂しさを感じているのではないだろうか。
アンシアとも、もっと仲良くして、絡んだらいいのにな。
あまり友達みたいな様子で一緒に居るのは見たことが無い。
よし、ここはお兄さんが、マリーの為に友情の橋渡しでもしてみようかな。
「そういえば、そのシュシュってね、結構簡単に作れるからアレンジもしやすいんだよ」
「そうなんですか」
「うん。おしゃれするのは貴族ばかりって話だけど、これならほとんどお金は掛からないし、案外流行るかもしれないよ。そうしたら、マリーがファッションリーダーだね」
「その言葉の意味は分かりませんが、髪留めに使ってもいいという話ですし、その方向なら多少は売れるかもしれませんね」
「いつか、試してみたいね」
なんでもない話をしていたはずなのに、商売の話になっていくのは、なんだか不思議だ。これが職業病というやつだろうか。
でも、今の俺は友情のキューピットだ。
「よかったらそのいつかの為に、作り方を覚えてみない?」
「そうですね。まあ、それもいいかもしれません」
「でしょ? ちょうどアンシアにもさっき教えて来たところなんだよ。よかったらお互いにかわいいシュシュを作って送り合ったりとか、いっそアンシアに作り方を教わるのもいいんじゃない?」
少し無理やりだったけど、我ながら、それなりに上手く誘導できた。
さあ、反応は?
「……なるほど、やっと同点になったかと思いましたが、まだ1対2でしたか……いえ、むしろ0対2ですかねこれは……」
「え、何? いきなり何の点数の話?」
「お兄さん、やっぱり私にどこぞの貴族みたいなおしゃれは合いませんよ。ちょうど生地屋さんでぴったりですし、かわいいアンシアさんと、新しい流行でも何でも作ってきたらどうです? ……はっ!? むしろお兄さんが、噂に聞くどこぞの貴族みたいに、アンシアさんみたいな小さい子しか相手にしない人とか? いや、アンシアさんは歳の割に小柄なだけで、そういう対象として見てもおかしくない歳ではありますけど、そうなると、私を子供扱いしていたのはどういうことです? もしやただのフェイク!? 色々分からなくなってきました!」
「……」
途中から完全に独り言になってるし、早いし小さいしで全く聞き取れなかったけど、俺は鈍感野郎ではない。
これは間違いなく何か地雷を踏んだ!
でも何かが分からない。きちんと女の子として扱っているし、あとは友情の懸け橋になろうとしただけなのに、どこが地雷だったんだ。
「お兄さん!」
「はい!」
「とりあえず、色々良しとします」
「は、はい」
「良しとしますので、シュシュの作り方は、今度お兄さんが教えて下さい」
「え、でも」
それだと仲良し作戦が……。
「わかりましたね!」
「はい!」
「もう、とりあえずそれでいいです。気にしても仕方がないという結論に至りました」
「そうなんだ。じゃあ、それで……」
結局、自分がその年頃だった時にすら理解できなかった女の子の心中を、大人になったところで理解できるはずも無いってことみたいだ。
「この間の件で、ニイちゃんの常識がこことは違うこともあるって理解しただろうに、わかってないねえ……」
市場では、そんなソウさんの呟きが、誰に聞かれることも無く空気へ溶けていたんだとか……。
この日以来、マリーの刺々しさは無事、無くなった。
しかしその代わり、ジッと見つめられていることが多くなった気がする。べつに構わないけど、少し気になる……。
ちなみにシュシュは、あれから毎日つけてくれている。




