チェーンストアの力13
なぜこうなっているかはわからない。
俺の視界に飛び込んできたのは、身体を空中に投げだしたティサと、手を伸ばすマリーの姿。あのまま落ちれば、増水した川へ真っ逆さまだ。
この堤防には、細かい装飾なんて当然出来ていない。そんな時間は無かった。
町がある内側はともかく、外側はただの急な壁。上がってくる事も難しい。
だからもう、壁は町側町側へ伸ばすばかりにして、川へは誰も近づかないよう徹底していたのに…。
間に合わない…。いや、なんとか…!
くそっ。なんで俺は、まともに身体強化魔術すら使えないんだ!
確かに俺は今、身体強化を使ってはいる。でもこれは、本来そういう用途のものでは無い力を、流用しているに過ぎない。
今日まで試した限りじゃ、アンシアやローナみたいなレベルには、どうしたってなれそうになかった。
一瞬の事なのに、やけに長く感じる。
マリーがティサの手を掴んで助けようとしたが、失敗してしまった。
そんな機会も無かったから、ティサが泳げるかなんてわからないし、そもそもこんな激流じゃ、それを想定した訓練をしていても助かるとは限らない。
距離が縮まって、目算も正確になった。大丈夫、俺の身体を投げ出すだけで行ける!
落ち着いて対処するんだ。
ティサに上から跳びついても助けられない。
坂道は急と言っても垂直じゃない。ぎりぎりまで粘って………届く!
「ティサ! 力入れて! 準備!」
「…」
一瞬だけ目線があった気がする。果たして今ので伝わったかどうか。
でもゆっくり了解を取っている時間は無い。
俺は足首がねじ切れそうになりながらも、なんとかほぼ垂直の壁を蹴り、下からティサへと跳びつく事に成功した。もう、着地する場所は無い。
勢いが少しでも残っているうちに、でもティサが衝撃で怪我しない程度に…上へ!
「マリー! 受け止めて!」
「えっ…あ」
呆けていた…? でも俺の声には気づいてくれた。後は信じるしかない。
次は自分の事!
…とは言っても、出来る事なんて無いな。
こういう時は、着水時に慌てて泳ごうとせず、しばらく流れに任せてから落ち着いて…だったか?
やけに冷静で自分でも驚いているけど…空気だけは着水前にしっかり吸って、後は堤防の壁にぶつかって気絶しない様に頭を―――。
「翔っ…さぁん!!」
まさか今の大声…アンシアか!?
振り向くと、そこには確かにアンシアが居た。作業場所が近かったから、騒ぎに気付いてくれたみたいだ。
大きく息を吸い、力を溜め込む姿が見える。となればおそらく…!
次の瞬間、予想通りに壁から土の柱が伸びた。でも小さい…。さすがのアンシアも、ここまで手元から距離があると難しいのか。
でも無いよりずっとマシだ…!
位置は…手がぎりぎりか!?
そう思う間に、すでに手が柱に触れていた。
無理やり力を込めて耐えようとする。しかしただでさえギリギリの状況に加え、この雨でさらに滑りやすくなっていた。
ああ…。
結局ほとんど身体は支えられず、手を柱から離してしまった。
落ちるのは避けられなかったか…それならまた着水に備えて……………?
おかしい。堤防はそこまでの高さじゃ無い。
こんなに時間があるはずは…。
俺は急ぎ、周りを確認した。
これは…浮いてる?
漫画なんかで良く見る飛行魔法の様に、俺の身体が宙に浮いていた。
でもなぜ…この世界では、こんなの見た事が無い。誰かの風魔術による、疑似的な物か? いや、それでも見た事は…。
……そんな場合じゃ無かったな。
俺は、未だ届く位置にあった柱を掴み、そのまま身体を持ち上げる。そのまま柱を足で蹴り、数メートル跳び上がった。
無事、堤防の上まで戻る事が出来たんだ。
瞬間、周りがワッと沸き立った。助かってよかった、良くやったと称賛を浴びる。
でも、今はそんな事はいい。
「ティサ!」
俺は素早く、マリーに抱かれているティサに駆け寄った。
…? 今、魔人の姿に戻ってた? もう人間に化けてしまってるけど…。
いや、それも後でいい。
「怪我は? 放り投げた時、どこか痛めなかった?」
「…大丈夫」
俺は大きく、それは大きく安堵のため息をついた。
これでティサに何かあったら、カインに顔向けできない。それ以前に、自分を許せなかっただろう。
「ごめん。考えてみれば、ティサが一番に疲れるのは当然だった。ちゃんと俺が指示して休ませないといけなかった」
俺は心からそう謝罪した。
しかし、それに対するティサの返事は首を横に振る事…否定だった。
「…ごめん」
「…ティサが謝る事は無いでしょ?」
これに対しても、ティサはなぜか否定の意を示す。
自分で注意するべきだった…と思っている? それなら構わないけど…。
とにかく結果的には、誰にも被害は出ていない。
良かった………そうだ!
「皆さん!」
俺は立ち上がり、今度は周りへ向けて声を張る。
「ここで気を引き締め直して行きましょう! 疲れの見えた人は各自休んで! これ以上事故が起きない様に!!」
この瞬間なら、どんな人だって注意喚起を聞き入れやすいはずだ。
目論見通り、色よい返事が方々から返ってくる。良い緊張感が、場に戻ってきた。
…我ながら本当、打算的と言うか汚いと言うか。
今の事故を、大丈夫とわかるや即利用するなんてな。
でも、これでまた一つ。この戦いは良い方向へ進んだはずだ。
「あの…お兄さん」
「ん」
気が付くと、アンシアも合流して、マリー達3人が近くに居た。
「す…すみませんでした……」
…マリーまで謝罪?
「これだけ動いてたんだから、注意散漫になる事もあるよ。謝る事なんて無いでしょ」
特に、俺に謝る必要なんてないはずだ。ティサになら、守れなくてごめん…みたいな気持ちはわかるけど。
現に俺もそうだし。
「そう………じゃ……」
そういえば、そもそも何で川に落ちる様な位置まで近づいたんだ。
この沈んだ様子に、それが関係してるのか?
「マ―――」
詳しい事情を聞こうとした時だった。
遠くから、聞き慣れた重い足音と声が聞こえた。
あれは…ローナ達か。
ショウツーの背にはイエローが乗っていて、その横をローナが軽快に走っている。
迫力ある地竜の横に、美人な女性。
…絵面がすごいな。
俺とアンシアが並走してた時も、端から見るとこんな風だったのか。
「っと! 翔様おつかれー」
「お疲れ様。そっちは完了?」
「だよー。ある程度溜まったから、こっちに参戦しようと思ってねぇ。それを伝えに来た感じかなぁ」
「了解。そっちは?」
「うん、こっちも避難は完了。でも、無事に堤防の方が間に合ったみたいだね?」
「まだ途中だけどね。まあ確かに、今後の事に目を向けても良い段階にはなったかも」
「こちらも了解ー。特に問題とか起きてない?」
「ちょっと危なかったけど、とりあえず何も無し」
「…」
「…え、何?」
「こういう時の翔君は信用ならないからなー。ほんとにちょっと?」
「えと…。解決できてないトラブルが、無いのは…ほんとうですよ…?」
「アンシアちゃんありがと。よくわかったから、落ち着いたら問い詰める」
「……」
相変わらずの扱いだ。まるで信用されてない。
「その時はうちにも教えてねぇ」
「そんな大した話じゃ…」
「はいはーい。あたしも気になるけど、今は作業優先だよー」
「そういえばイエロー、そんな大きな声でばれるとまずいんじゃ」
「だからあの服見えない様に、上から羽織ってるでしょ?」
「旗印が行方不明でいいの?」
「へーきへーき。もううちの騎士達が、各場所指揮してるしね」
俺達は、また作業に参戦するべく歩き始める。
「あれ。マリーちゃーん! ティサちゃーん!」
振り向くと、二人はまだ止まったまま、何かを話している様だった。
やっぱり何かあったのか?
聞いた方が――。
――パァァァァン!
近くの全員が振り向くほどの音だった。
「ちょっとマリーちゃん何やってんの! 気合い入れるにしても、やりずぎだって…!」
マリーが自分の両頬に、これでもかという力で張り手をぶつけていた。
「………」
「マリー、やっぱり…」
「さあ行きましょう! ここが踏ん張りどころですよ!」
「マリーあの」
「お兄さん! もうすぐさらに合流する人も増えるはずでしょう。準備準備、先に先にですよね!」
「……そうだね」
こうなったら、もう聞いても大丈夫としか返ってこないからなあ…。
それにこれまでにもあったけど、マリーだって大人だ。これも、一人でしっかり折り合いを付けてるって事。
介入のし過ぎは良くない。
ティサの方は、しばらく気を付けていてあげよう。
もういつも通り、しれっとしているけど、読みにくい子ではあるしな。
俺達はトラブルもありつつ、しかしそれを乗り越え、そして…。
無事、堤防を完成に漕ぎ着けた。




