この世界での、生活2
俺はここで暮らすようになってから、日課にしていることがある。
まずは、マキ割りや水汲みなんかの、生活に必要な力仕事関連だ。
市場に顔を出すようになってからは、やらなくてもいいと言われたけど、俺は食事などでお世話になっているままだし、市場で仕事をしているのはマリーも一緒。こちらからお願いして、続けさせてもらった。
それから他に、昼時に行っているもう一つの日課がある。
「フッフッフー……」
一通りの動きを終え、呼吸により身体の在り方を意識し、高めていく。
俺がしている日課、それは武術の型だ。それから各種筋トレもしている。
いや、待ってほしい。
できれば引かずに話を聞いてほしい。
確かに厨二病くさいかもしれないし、事実厨二病なのだけれど、そうではないんだ。
これを始めたのには、きちんと理由がある。
それはマリーと初めて市場まで歩いた時、基本的な体力に不安を感じたからだ。
年下の女性が余裕でやっていることをしただけで、息が切れるのは正直いただけない。
そりゃあマリーの方が若いが、さすがに年齢を言い訳にできるほど歳は食ってない。
しかもここは異世界で、いつチートバトルものに路線変更されるか分からないと来た日には、このなまった身体を鍛え直すしかなかった。
これでも学生時代は運動部だったし、小さい頃には武術教室みたいなのにも通っていた。
ただ、この教室が曲者で、実は未だに何の武術の教室だったかわからない。
方向性は柔道とか、合気道っぽいものが多かったけど、それだけというわけでもなく、我流武術のようだった。
しかもその内容が、曖昧な表現が多くて、当時は全く理解できなかった。
でもなぜか、師範がやけにかっこよくて、そこそこ通ったんだよな。
それに、良かったこともある。
それは人生の早いうちに、本物の技ってものを知ることができた点だ。
マンガやアニメではよくある、重心がどうとか、呼吸を読むとかそういうのは、実は本当にある。
例えば本当に要点が分かっている人に投げられると、まさに世界が変わるんだ。
全く倒される気なんて無かったのに、顔が地面にぶつかりかけていて、あの時は肝が冷えた。
あの感覚を味わったこと無く、武術の技を有り得ないとか言って馬鹿にしている人は、人生を損しているとすら思う。
もしかしたら、俺がこの歳で厨二病こじらせ続けているのも、あの教室が原因かもしれないな。
とまあそんなわけで、社会人になってからサボりにサボっていた筋トレ各種を始め、型の復習なんかも、日課としてやっているのである。
「とは言ったものの、しっくりこないなあ。当たり前だけど……。そもそも元からほとんど技なんてできないし……」
当時を思い出しつつ練習を続けている俺だったが、はっきり言ってほとんど役に立つ気がしなかった。
師範が頭で理解しろってタイプだったから、この歳になって逆に分かった技も、実はいくつかあるけど、その程度だ。
まあ、最悪筋トレやイメトレ程度にはなるだろうし、いずれ役に立つ時もあるだろう。
そんな事を考えながら型を続けていると、ふと後ろから視線を感じた。
だけど俺は動じない。
この世界へ来てから、もうこのパターンが何度あっただろうか。例えドン引きな目で見られようと、俺は全く構わない。以前と違って今しているのは、恥ずかしいことなんかじゃないし、むしろあの目が待ち遠しい気もする!
さあ、バッチ来い!
「誰だ!」
勢いよく振り向いた先に居たのは……、以前あげた一頭身生物を抱え、困り顔で陰からこちらを見つめるアンシアの姿だった。
ごめん、これはその……クるものがある。
俺はアンシアを呼び寄せ、並んで座った。
市場にすぐ戻れるようにって、村から少ししか離れていない所でやっていたのが裏目に出たな。
「武術、ですか?」
「うん、そう。種類は色々あるけど……例えば、素手で武器と渡り合うための技って言われてたりするかな。他には、小さい人が大きい人を倒すため、とか」
「そう、ですか。翔さん、不思議なこと、たくさん、知ってますね」
不思議なこと扱いされてしまったか。
まあ、マリーの店みたいに、日常的に剣やらの武器が売れていく世界だ。あんまり徒手空拳は、出番が無いのかもしれないな。魔術だってあるし。
「確かに不思議かもしれないけど、覚えておくと為になるかもしれないよ? もっとも、コツを掴むのが大変だけど……」
「あ、えと、役に立たない、とか、思ってるんじゃ、ない、です。ちょっと、考え方が、おもしろいなって……」
「そう、なんだ? じゃあ、試しに一つ教えるから、やってみない?」
「あ、じゃあ、少しだけ……」
「うん、それじゃあっと」
俺とアンシアは、立ち上がってお互いに向き合う。
それにしても、意外な返事が返ってきた。てっきり、わたしには無理ですとか、どんな理由にしろ断られると思ったのにな。
さてこうなると、何を教えるか迷う。
まあ、一番シンプルな奴でいいだろう。
「これは、相手の上からの力を、そのまま想定している先まで加速させる技で、いかに一番力が入ってる時に、こちらの力を上乗せできるかがポイント……らしい」
最後自信が無さそうなのは、他でもない自分が、説明だけ聞いた時に全く分からなかったからだ。
今でこそ、ちゃんとまともな、柔道とかそのあたりの理屈を勉強して、理解したつもりにはなってるけど、実戦で使ったことなんてない。
武術教室で繰り返し、掛稽古はしていたから、感覚だけはわかる程度だ。
「……はい」
「ええと、そうだな……。本当は、相手が上段から殴りかかってきてたり、切りかかってきてる想定で、その中でタイミングよく技を掛けるんだけど、危ないから、腕同士が触れている状態から形だけやろうか」
「わかり、ました。……どうぞ」
「あれ、う、うん」
最初は俺が手本を見せるつもりだったけど、アンシアはなぜか、腕を上へと伸ばし、そのまま待っている。これでは俺が、技を掛けられる側だ。教えてもいないのに、今の説明で考え方を知っただけで、何かができるわけが無い。まあ元々アンシアには難しいと思っていたし、おままごとみたいなものだと思えばいいか。そう考えた俺は、手刀の形で腕をかざし、アンシアにそれを持たれる。そして軽く、下向きに力を入れた。
「どうぞー」
「……」
「……?」
適当に腕ごと、下に引っ張られでもするかな、と考えていた俺だったが、一向に何もされる気配が無かった。もしかして、まだ技のお手本を見ていないことに気づいて、固まってしまったのだろうか。それならこちらから声を掛けようかな。
「翔、さん」
「ん、何?」
「力の、入った、ところに……力を、乗せるんです、よね? もっと、翔さんが、力を……その……」
「あ……そ、そう」
まさか、こちらが指摘を受けるとは思わなかった。
アンシアは、ひょっとしてこういうことの経験でもあるんだろうか。そうだとしても、あまり力を入れるのは憚られる。
ほんの一瞬だけなら、大丈夫かな。
「それじゃあ……行くよ!」
そう声を掛け、アンシアが上手く合わせたら、俺も適当に地面に転がり、受け身でも取ろう。そう思って、力を込めた。
「――ふっ!」
「――――」
驚いた声を出すことすらできなかった。
いや、むしろ驚くことすらできていない。
力を込めた瞬間、それがさらに下、というよりも少し自分寄りに加速してきて、身体がぐにゃりと曲がったと思ったら、今目前に地面が迫っている。いつか経験した、不思議なあの感覚が蘇る。
あれ、これこのままだと、脳天から地面にぶつかる――!
「っだめ!」
「うぐ!?」
このままぶつかるしかないと思った俺に、横向きに引っ張る力が加わった。そのまま俺の身体が回り、側面から地面に落ちる。反射的に両手を打ち付け、受け身を取った。武術の経験があって助かった。
しかしそんな俺に、さらに衝撃が降ってくる。
「ひゃ……」
「え……」
その衝撃は、アンシアの身体によるものだった。
俺を助けた拍子にバランスを崩したのか、覆いかぶさる形で倒れこんできている。腕は俺の頭の両側に突き立てられており、壁ドンならぬ、床ドンをされているような格好になっている。そして体格差があり、腕がこの位置に来ている以上、身体は完全に密着している状態だ。
待て、この状態は非常によろしくないのではなかろうか。世が世なら、一発タイーホなのではなかろうか。
俺がやられる側ならいいのか?
……いや良くない。
「ね、翔、さん」
「お、おうアンシア!」
「だい、じょぶ?」
アンシアが小首を傾げて、こちらを気遣う声をかけてくる。
かわいすぎなんじゃないでしょうか?
覆いかぶさる格好になって、いつもは隠れている瞳が良く見える。まつ毛が長く、普段のかわいさに加えて人形のような、美しさも少し感じた。
「うん、大丈夫ー大丈夫ー」
「そ、そう、ですか」
俺はのん気にそう答えながら、アンシアの頭を撫でていた。アンシアも気持ちよさそうにしてるし、しばらくこうしていても良いよね。
いい子いい子~。
頭のおかしいお調子者の俺が、そんなことをしている一方で、冷静な俺は考えていた。
こんなに小さな子が、大人をこんなふうに封殺できるということは、まさかこの世界の人は、皆かなり強いのではないだろうか。
思えばマリーも、来て最初に会った時、こちらに剣を向けてきていた。
異世界……怖い。
俺はこの日以降、日課を量をさらに増やした。さすがにこのままの状態では居たくない。情けなさすぎる……。