チェーンストアの力6
そして、その時は来てしまった。
町の一部が、徐々に水に呑まれ始めたのだ。初めての事態に、町はいよいよ混乱を極めた。
人は、学んでいない事はわからない。わかりやすく、魔物が攻めて来たりしたなら、避難も多少はスムーズだったと思う。でもこの町の人達は、水が溜まり始めた事に対して、迅速な避難と言う意識がまるで無かった。ひとつひとつ、どうしても行動に時間が掛かる。
そもそも、どこへ避難するのかも明確になっていない。その為の場所も無い。
いや…本当はある。
いつか商人の許可証を得るために試験をした憲兵場。あそこがそうだ。国は今、町のほとんどの場所より高い位置にある、あの建物を解放している。
しかし、それが全く機能していなかった。
長きに渡る平和の弊害。
憲兵場には、基本的に一般人は立ち入らない。そして城の近くに位置している。人によっては、この町にずっと住んでいるからこそ、近寄りがたい場所になっていた。
城の騎士達が、優先度の高い区画の人達を優先しつつ、誘導を始めてはいる。それでも遅々として進まない。
その騎士達に、説明を求めに行く人が多すぎる。
本当に避難所へ入っていいのか。私財を運び込むのを手伝って欲しい。この雨はいつになったら止むのか…。
不安なのは理解出来るが、それぞれ身勝手に行動していた。騎士に聞いても仕方のない質問も多い。
聞かれた方も、この状況には不安を感じているはずだ。
それでも表面上は冷静さを保ち、動き続けているんだから、さすが訓練されているだけある。
そんな混乱のさなか、俺達丸猫屋は…未だに営業を続けていた。
「お客さん…減りましたね」
「ああ」
こういう時の流れは早い。
我先にと競い合っていた買い物ラッシュは終わり、出歩く人も少なくなった。
それでも、うちの店は開いている。こういう時だからこそ、ぎりぎりまで開いている店も必要だからだ。
現に、お客さんはこの状況でもやってくる。
うちの店を頼りに、避難を先延ばしにされても困るが…。
だからと言って、生活用品の買い忘れなんかは、これだけ人口があれば誰かしらするものだ。
一応各レジに、ここが避難地区となった場合は休業と、告知は貼り出してある。それである程度の牽制になっているのを願うしかない。
それに、最後まで店を開き続けるなら、個人店よりこういうチェーンストアだ。何かあっても、外部に伝手があるから立て直しやすい。事丸猫屋に関しては、こういう時の動きを心得ているメンバーも揃っているのだから、ますますさっさと逃げる訳にはいかない。
しかし、全員をわざわざ残らせたりもしない。
一部の従業員はすぐに避難させたし、他も段階的にそうして貰う予定だ。お客さんの減り具合に合わせてになるな。
店内を見て回る。
アンシアとティサが、この際にと売場をひたすら綺麗にしていた。この二人は、こういう静かに出来る作業の方が好きそうだ。
あとは…。
さらに視線を巡らせた時だった。俺はレジが混んでいる事に気付いた。
当たり前だが、お客さんは平均的なペースで会計に来る訳じゃ無い。人を減らしている営業日はこうなる事もある。
そんな時は、誰であってもレジに入って、待たせないのが鉄則だ。レジを打たない作業専門の従業員を入れて、効率化を図る事もあるけど、今の丸猫屋にはまだ居ないしな。
レジを開けようと近づこうとしたところで、従業員が一人目に入った。
ガイルだ。レジの方を見ているし、それなら彼に任せてしまおう。
そう思い、浸水対策に戻ろうとしたが…予想と違う事が起きた。
そのままガイルが、気付かなかったかのように去ってしまったのだ。
彼があの状況で、レジの状況に気付かないとは考えにくい。…となると、あえてレジを開けなかった事になる。
「いらっしゃいませ! 荷物お持ちしますね。こちらでお会計します」
俺はひとまず、自分でレジを開けお客さんを誘導した。会計をしつつ、先程の様子を思い返す。
あれだけ優秀な彼が、どうして基本的な業務を疎かにしたのだろうか。
これはもしかすると…この世界ではあまり見かけない考えの持ち主かもしれない。間違いなく能力は高いのに、本当に勿体無いな…。こうなると、やはり彼の店長昇格はまだ先になってしまう。
欠点の数は少ないのに、それが決定的に、昇格に響く部分の人は結構居る。なまじ優秀な分、人によっては思えに言われたくないとばかりに、指摘を聞き入れてくれない事も多い。
彼はそうじゃないといいけど…。
「ありがとうございました!」
お客さんを見送り、フロアへ目を向ける。見える範囲にガイルは居ない。
すぐ感情的に、突発的に注意すればいいってものじゃ無いからな。
彼の事は、この件が終わったら…かな。
また外へ出て、地面を確認する。水の溢れ始めた地区は増えてきているのに、この雨にしてはどうにも遅い。
懸念。
メル…商売の神が居る様に、この手の事に関する神も…おそらく居る。
もしこの状況が、その存在の力に寄るものだとしたら。
もうぎりぎりで、耐えきれなくなっているのだとしたら…。
出来る事なら、少しずつ加護を緩めて欲しい。
一気に決壊するような事があれば…ここの人達は、無傷では済まないかもしれないぞ。
俺はただ、どこに居るかもわからない神々に願う事しか出来なかった。




