チェーンストアの力4
そこからの景色は俺にとって、確かに初めて見る物だった。しかし、ほんの少しだけ、懐かしさも感じている。
この世界にはビルが無く、普段、高いところから町を見下ろす事は無い。
おそらく、そんなちょっとした既視感によるものだと思う。
「…よく見えないなー」
イエローが見ているのは、川がある方だろうか。
確かに、この雨で視界は悪く、遠くまでは見渡す事が出来ない。はっきり見えるのは、隣に居るお互いくらい…。
「リア…今日は急にどうしたの」
「っ…どうしたって?」
「こうやって、遊び…に行こうみたいなの。今まで無かったから」
「………」
俺はここでなぜか、拗ねた様な表情を向けられてしまった。
「あー…」
これは、また気付かぬうちに、何かしてしまっていたんだろうか。どうにも、他人の思考はきちんと読めないな。
「はー…」
「う、うん…?」
「……翔君…最近はどう? …って、こんな状況で聞くのもあれだけどね」
こんな状況って言うのは、この長雨による危機の事だろう。俺の最近って言うのは…単に元気か、とかで良いのだろうか。前に倒れた事もあったしな。
「大丈夫。無理はしてないし、するつもりも無い」
今日も、こうして息抜き出来てるしな。
「…こ…の町は、大丈夫だと思う?」
「わからないけど…多少は丸猫屋が、力になれると思う」
少なくとも、無いよりはずっと…メルの指示通り、耐える事が出来るはずだ。
「あたし…はへーきかな?」
「…俺から見る限りじゃ平気だよ。いつも元気を貰ってる」
………なんか、妙な雰囲気だな。
平気だとは答えたけど、正直なところ、確かに今日のイエローは少し変だ。結局、このお出かけの理由も、返事が返ってこないし…。
「…ねえ、翔君はさ」
「あ、うん」
次の質問だろうか。
「……………誰かと、婚姻を結んだりしないの?」
「―――…」
急な質問だね。
そんな軽い返答をしようとして、すぐにはする事が出来なかった。
言い方はラフなのに、婚姻なんて堅い言い回しが、何とも育ちの違いを感じさせる。
「今のところ、予定なし…かな」
とりあえず、そんなただの事実を返す。
普段から同じ職場、同じ寮なのだから、そんな事はイエローも知っているだろう。だから聞かれているのは、おそらく俺の内面の方で…。
「あたしとじゃ…だめ?」
「は…」
待て。
さっきまでのは、ただの質問だった。予想外だっただけだ。
「…急だね」
「急じゃないよーひどいなー」
でも今のは…違う。疑問形で聞いてきてはいるけど、そうじゃない。
これは…しっかり答えなければならない事だ。
「それに、あたしたちもいい歳だしー」
俺は、イエローの方へ向き直ってから、言った。
「…ごめん」
「………理由を聞いてもいい?」
「理由って言っても…リアがどうとかじゃ…無い。むしろ、俺なんかには勿体無いって思うよ」
「…」
イエローは、黙って言葉の続きを待っていた。
何と言うか、良くわかってくれている。
だったらとにかく結婚しよう…みたいに押しては来ない。俺が納得しない限り、そんな事では流されないと知っている。
だから、向こうもそれを知る為に、ただ待っている。遠慮や謙遜じゃ無い。何か理由があると思っている。
…でも、この件に関してだけは、買い被りだ。
「俺には…リアを幸せに出来ないと思う。だから、ごめん」
正確には、誰かを…だけれど。
「それが…理由なの?」
「そう」
「それじゃ…それじゃ納得できない! だって、あたしは一緒に居れば幸せだもん!」
うわ。
こんなにも、ストレートに好意をぶつけられたのは、人生で初めてなんじゃないだろうか。
でも…。
「今そう思ってくれてるのは嬉しい。でも、駄目だよ。今は丸猫屋の事で、色々と先陣切って、出来る人みたいに見えてたりするのかもしれないけ。でも他人の考えてる事とか、よくわからなかったりするし」
そういう価値観とか、考え方の違いで…ずっと俺は生き辛かったんだ。この世界へ来て、今のところは上手くやっているだけ。
俺が、誰かと同じ価値観を持って、心から愛し合って生きる。幸せにする。
そんな事を、全く出来る気がしない。
「そんな…そんなのあたしは気にしないよ! 翔君が凄い人だから、一緒に居たいんじゃない。それに、他人の考えてる事なんて、あたしだってわからないよ!」
「本当、そんな事言って貰えて、嬉しいよ」
「あたしは、そんな返事じゃ嬉しくないっ…」
イエローも他人の気持ちはわからないって言うけど、少なくとも、俺とは違う。他の誰よりも、大きく違うかもしれない。
そうじゃ無ければ、あんな風に、普段から皆の気持ちを汲んで、行動したり出来ないはずだ。
きっといつか、俺が勝手な価値観で、振り回して、不幸にさせてしまう時が来る。
こうして皆と一緒に、仲良く店を営業するだけでも、俺にとってはしっかり自分を律さないといけない。とても神経を使う事なんだ。
そんな人間が、どうして他人と、より親密な関係になれる?
そんなのボロが出た時、相手がかわいそうだ。
「ごめん」
「もう謝るのは無し! …ねえ、本当にそんな理由で、あたしはフラれちゃうの? 心に決めた人が居るとかじゃないの?」
「…そんな人は居ないかな」
「…そんなの困る。どっちにしても、はっきりすると思ったのに」
また、小さな独り言だ。すべてを聞き取る事は出来なかった。
でも、こんな情けない返事をしたのだから、悲しませた事はわかる。
「その…気持ちには応えられないけど…。出来るだけ、幸せにするよ。…同僚として」
「…なにそれ」
イエローは少しだけ笑っていた。呆れた笑いだったけど。
本当、なにそれだ。
しかし、こんな事態を想定出来る程、俺は自分に自信が無い。想定していなければ、どうすればいいかなんて、誰だってすぐにはわからないはずだ。
こんな時、すぐ気の利いた返しが出来るのは、世の中のモテ男達くらいだろう。
しばらく沈黙が続いた後、イエローが口を開いた。
「仕方ないから…納得した…事にする。でも、一つ訂正して。同僚じゃ無くて、友人として…これからも仲良くして欲しいな」
「それは…構わないけど」
「…ならよしっ」
それは訂正が必要なのか?
それじゃあまるで…同僚じゃ無くなった時を見据えているみたいだ。
そもそもこの話も、町がこんな状況の今する事だろうか。しかも、俺達の中で一番真剣に悩んでるはずのイエローがだ。
タイミングが…今じゃないといけなかった理由がある…?
それに、やけにあっさりしてる気がする。もしかして、最初から俺がどう答えるか、わかっていたんだろうか。それとも、こんなものなのか?
「翔君っ」
「ん?」
「ちゃんとわかってる? 約束だよ?」
そう言って、イエローが小指を差し出してきた。
俺はそれに対して、無意識のうちに応じようとして…途中で気付く。
待て。指切りはまずかったはずじゃ―――。
そう考えた時には、すでに遅かった。俺とイエローの小指が絡み、そのまま一気に腕が振られる。
「はいっ指切った! これでやーっと、あたしも仲間入りだねー」
「…懐かしい話を」
指切りは、一生守る…みたいな、告白めいた意味を含む事もあるんじゃなかったか?
結婚ごっこ…の様な感覚なんだろうか。せめて、遊びでくらいは…みたいな。俺達はもう、小さい頃の話だからって、ごまかしが効くような子供じゃないのに。
これで俺は、都合4人も一度は将来を誓った事になるのか? どこのプレイボーイだ。
まあ本当にそのつもりで、指切りした相手は未だに居ない訳だけど…。
「翔君」
「何、リア」
「えへー…。………これから大変だろうけど、頑張ろうね」
「…だね」
「うんっ」
イエローは、自分なりに落としどころを見つけたみたいだった。
あんなへっぴり腰な返事しか出来なかったのに、負担をかけてしまっていると思う。
それでも、こうして切り替えて話をしてくれている。なら、俺もせめて、気持ちをしっかり仕事へ向けよう。
恋人にはなれないけど――。
さっき誓った通り、イエローには、幸せになって欲しいから…。




