要調整
環境が変われば、常識も変わる。
それは当たり前の事で、個人だけでなく、企業にとってもそれは重要な事だ。
一方、小売業界のチェーンストアでは、本来、どこでも同じサービスをがモットー。となれば、どうしても矛盾してしまう事もある。
そんな中でも、自分たちの根幹を見つめ、どこまでを土地や文化に合わせるのか。どの部分は、自分たちの店のルールをそのまま使うのか。
その判断はとても難しい。
そして俺達の丸猫屋も、その難しい状況に当てはまる。使っているマニュアルが、異世界の常識によるものだからだ。
本来は、数年規模での議論をした上で、決定するような事。なんせ失敗したら多大なお金がかかる。
それを俺は、ここへ来たばかりの頃、ほぼ一人で決めてしまった。
あの頃は…。いや、言い訳をしても仕方が無い。
とにかく今言えるのは、この丸猫屋も、大規模なマニュアルの更新をする頃合いと言う事だ。
これは仕方の無い事で、同じ場所で商売を続けていたとしても、時には必要になってくる。環境が変わらない世界、国なんて無いんだから。
べたつく空気の中、今日も丸猫屋は営業中。
「うん…」
向こう数年は、調整を続けていくしかないだろうな…。
俺は今、マニュアルの改変案をまとめていた。
チェーンストアと言う、この世界に無い形態を保つために、曲げてはいけない部分はある。各支店の店長であっても、絶対に守って貰わなければいけない物が。
これは重々、皆にも言い続けている事だ。
しかし、もっとこの世界に寄せていい部分もあると思う。
例えば、休みについて。
現在丸猫屋では、俺の居た世界同様、共通の基準で休日を割り振っている。
これは悪い事では無いし、俺達が示す事で、休日と言う概念が広まる事は、今でも狙っている。そうなれば、暇な時間が出来てくる。そこから買い物需要も出てくるんだ。つまり、経済が回る。
ただ、この世界ではそれを嫌がる人も居る。
仕事をするなら、それが命で、やりたい事で、やらせて貰えないのは苦痛な事。そういう人達が多いんだ。
休日を取っても、店を回す事が出来るノウハウが広まれば、そういう人達もそのうち減って行くかもしれない。
でも。
…仕事を毎日でもしたいと言うのは、悪い事か? そんな事は無いはずだ。
元居た世界では、全員平等が絶対的な正義という風潮があった。
丸猫屋も、ひとまずそれに沿っていたが…ここはあえて締め付ける必要は無いと思う。
ここではまだ、丸猫屋の方が異端で、この考え方が気に入らず、うちへの入社を断った人も居た。
もっと、自由でいいはずだ。だって、誰も文句は言わないんだから。
働きたい人は、働きたいだけ働ける環境も、作った方が良いかもしれない。
…しかしここで、ただ変えれば良い訳じゃないのが、企業にとって難しいところだ。
例を挙げれば、まず単純に給料の問題がある。
出来高制、時給制、固定給制…単語で表すだけでも、いくつもの種類がある。時にはこれらを複合したりしながら、従業員が納得するものを用意しなければならない。
特に小売業の様な、同じ職場で、異なる業務を行うような企業では、これが難しい。
既定の時間の間、ずっと居て貰わないと困るレジ打ちさんなんかは、どうしても時給制に近い制度、もしくは固定給になってくる。反対に売場担当なんかは、創意工夫によって、大きな利益を上げても給料が上がらないのでは、その従業員に不満が溜まる。固定給のみと言う訳にはいかない。
これは本当に難しい問題で、だからこそ、出来るだけ働き方を制限し、ほとんど同じ給料で統一する様な企業も増えてきていた。
全員が納得できる落としどころを探しても、切りが無いからだ。
でも、この世界ならもう少しくらい、働き方の幅を広げる事が出来るかもしれない。
皆それぞれ違う方が常識で、平等にしろと言う風潮が存在しないここなら。
…それでも、簡単じゃないんだけどな。
しかしこれを放置し、全員平等な基準に押し込む事で、逆に不満が出ていても問題がある。
やるしかないんだよな…。
それに、そういう制度を作ってしまえば、俺も仕事しやすくなるし。
あいつは休んでずるい、こっちは休めない、みたいな状況では無く、どちらも選べるし、やりたい様に出来るのだから大丈夫…のはずだ。
一人でまとめられる分はまとめて、決定は会議をしてからにしよう。この王都で雇った、ここに住んでいる人の意見も参考にしないとな。
…さて。
「ですからそうでは無くて、この商品はですね…」
「…うん」
「ああーっ! ま、またですね!? なんでわかってるのにそういう事するんですか!」
「………」
「ティ、ティサさん! 話は終わっていませんよ!」
定期巡回の為、売場に出て来たところ、ここ最近お馴染みとなっている状況に遭遇した。
行動としては、ティサが澄ました顔で逃げ、マリーがそれを追いかけている。
そして内容としては、ティサがからかい、マリーが遊ばれていると言った構図だ。
ティサがやって来てから、これでもかと彼女を構っていたマリーだったが、その甲斐あってか、二人はそこそこに打ち解けたようだった。
今となっては、ああして遠慮の無いやりとりを交している事も多い。
ティサは、マリーのころころと変わる表情が面白いのか、時々わざと怒らせる様な事をしていた。
マリーの方は、本当に釣られているのか、付き合ってあげているのか、最近は日々騒がしい。当初は教育ママの様だと思っていたけど、今はもう見る影も無い。
そういえば、これも俺の常識で考えちゃいけない事なんだよな。
だってこの二人のやり取りは、元の世界だったら即叱られるか、クレームが入る様なものだ。仕事中に遊んでるんじゃないだとか、あの店員はサボっているだとか。
いや、良い事とまでは言わないし、言えない。
でも、そんな元気な二人を見て、ここのお客さん達は笑っている。
ローナの居眠りもそうだけど、それがお客さんにとって喜ばれる事で、店の為にもなるのなら、それはきっと、駄目な事では無いんだ。
そんな基準、そうそう決められないし、微妙な個人個人の判断にもよる。
だから、本来チェーンストアでは禁止せざるを得ない。厳しく同じ基準で縛って、真面目に、マシーンの様に仕事を完遂する事を求められる。
でも、理想を追ってみても良いと思うんだ。
システムや、管理的な面はチェーンストアの特性を活かして経営。
他はもっと、自由に、好き勝手にしても良い様な、そんな店になれたら…。
「もうティサさんいい加減にぃ…」
マリーと目が合った。
「お、お兄さん。いつから…」
「さっき。ほどほどにねマリー」
「なっ!? こ、これは違います。色々あってと言いますか、ティサさんが…あ、あれ、どこに…」
ちなみに、ティサはしれっと作業に戻っている。会ったばかりの時は、もっとトゲトゲしい態度だったのに、本当は結構やんちゃだったみたいだ。
「というか、たまにはお兄さんからも、ちゃんと言ってあげてくださいよ!」
「まじめに仕事しなさいって?」
「そうです!」
「そうだなあ…」
「またそんな曖昧な!」
何と言うか、夫婦の会話みたいで、少し気恥ずかしくなって来た。
…って、何考えてるんだか。
「まあとにかく、俺も話をするから、一度仕事に戻ろう。今日の日暮れまでに、そこの売場完成だよ」
「…わかってますよ。行ってきます」
少し不満そうにしながら、マリーは作業中の売場へと戻って行く。
様子がおかしいと思っていたけど、あれだけ元気なら大丈夫…か?
日々、考える事は尽きない。そろそろ、本当は本部…全店舗を統括する場所が欲しいところなんだよな。
それから、気がかりなのは…。
俺は、店の入り口から外を伺い見る。
ティサが来て、数日経った頃からだろうか。
王都では随分と長い間、雨が降り続いていた。




