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王都での生活再び2

 在庫回転率と言う言葉がある。

 これは所謂業界用語で、商品の売れ行きを表すものだ。

 簡単に言うと、店に置いている在庫の総数が、何日で全部売れるかがわかる数値になる。商品の管理において、重要視されるものの一つだ。

 例えば全部売れるのに、数日しか掛かっていないなら、仕入れのスパンによってはもっと在庫を抱えるべきと言う事になる。逆に在庫が全部売れるのに、数年単位で掛かると言う計算結果になる事がある。そういう時は発注を控えたり、その商品の取り扱い自体を、取り止めたりする訳だ。

 チェーンストアでは、こういう明確な数字によって、商品が売り切れない様に管理している。

 感覚で仕入れをして売り切れを起こしたり、過剰な在庫を抱えたりするのを防いでいるんだ。

「なら…これで…」

「うん、大丈夫。まだデータが足りないし、これからも注意して」

「はい」

 現在俺は、アンシアにそれをレクチャーしていたところだ。どうにも勝手の違うこの店の発注に、苦戦しているみたいだったから。

 もっとも、この世界ではそこまで細かいデータを作るのはきつすぎるし、全員にこれを教えてはいない。

 でもアンシアは、こういう自分が納得するための考え方を多く知っていた方が、やりやすいと思ったんだ。

 それから、これまでは正直、ここまでする必要が無かったと言うのもある。

 この店舗で初めて、そうしなければならない程、商品が売れているって事だな。

 そのうち、皆にも教えておくか。次の講習会にでも…。

「あの…」

「うん、何?」

「翔さん、今度…わたしと…お休み一緒ですよね」

「そうだね」

「あの…」

 何か、言い辛い事か?

「わたしと、久しぶりに…組手とか……しませんか?」

「…」

 なぜ組手? そんな事は出会った頃以来だし、訳が分からない。

 アンシアは今や俺より何段階も強いはずで、何か為になるとも思えない。

 もしかして逆か? 俺が戦闘をレクチャーされると言う話か? そうだとしても…最近はそういう話も無かったはずだ。

 頭の中で、可能性を考えては否定する。

 しかしそれとは別に、俺の脳内では、これは断るべきだろうと言う結論が出ている。

 だから俺は、それを口に出した。

「それは遠慮しようかな…。ほら、これまでみたいにローナとかとさ」

「だめ…でしょうか……」

 う…。

 アンシアにはどうにも弱い。出会った頃から控えめなのは変わっていないし、そんな年下の女性からのお願いだ。あの前髪の向こうで、瞳が揺れているかもしれないと思うと、出来るだけ叶えてあげたくなる。

 でもな…。

「翔さん…?」

 うわ。この首をかしげる仕草、久しぶりに見た気がする。

「…わかった」

 結局そのまま、肯定してしまう俺が居た。




 アンシアと言えば、気になっている事がある。

 それは、髪型だ。

 アンシアは今、見慣れた目まで掛かる前髪のままだ。つまり、昔と変わっていない。でも、変わってる。

 俺は知ってるんだ。

 あのメルと話をした空間で、この世界を眺めていた時に、アンシアが前髪を上げていた事を。

 何かを決意したように、前を向いて頑張るアンシアを見て、俺も勇気づけられた。

 でも、この世界で目を覚ましてアンシアと会った時、すでに髪型は元に戻っていた。

 その時から気になってはいるのだが、当然ながら、ずっと生活を覗いていましたなんて言えるはずも無い。そうなると、俺はアンシアが髪型を変えていた事を、知ってるはずが無い。

 問題がある訳でも無いので、聞くに聞けず、そのままにしていたと言う訳だ。下手に踏み込むのは、出来れば避けたいからな。

 とまあ色々他事を考えてみてはいるのだが…。

「本当にやる…んだよね」

「は…い……」

 目の前には、なぜかそわそわとした様子のアンシアが居る。

 約束の休みの日、俺達は組手をするべく向かい合っていた。

「それで、どうしようか。普通に模擬選形式で、何でもあり…?」

「えと………魔術無しで、やりませんか…?」

「え?」

 ここへ来て謎が増えた。魔術無しでは、本当にただのごっこ遊びにしかならない。

 アンシアは俺よりずっと強いはずだけど、それは魔術あっての事だ。

 魔術禁止の格闘大会にでも出る訳じゃ無し、実際にする事の無い条件下での組手にそれほど意味は…。

 いや、この世界ではまだ聞いた事無いけど、お前の魔術は封じたーみたいな事態が来る可能性もあるか。

 アンシアには、出会ったばかりの頃、俺の知る武術の考え方を少しだけ教えた事があった。もしかしたら、そういう技的なものを盗みたいのかもしれない。何か伸び悩んでいるのかもしれないしな。

 …それなら、実戦形式じゃなくて良くないか?

「では…おねがい…します」

 そうはいかないらしい。

「…お願いします」

 気付いた時には、下から突き上げるような蹴りがとんで来ていた

 俺はそれを腕で包むように側面から受け、同時に斜めに踏みだす。蹴りの勢いそのままに、自分の身体の横へとずらす。

 これでアンシアの重心を支えるのは片足だけ。そして俺はその真横に居る。このまま軸足を刈って、体重で押しつぶせば、ひと手合い目は終了と言ったところなのだが………俺は、ここで躊躇してしまった。

 魔術を使ってないと言っても、アンシアは戦闘においては、かよわい女性と言う訳じゃ無い。案の定、その隙に俺から距離を取ってしまう。

 この辺りの動きは、ローナから学んだんだろうなーと感じる。普段の性格を知っているから、それに似合わないおてんばな動きに少し戸惑うな。

 …で、問題はそこじゃないんだ。そう、そこじゃない。

 俺が困っている理由、それは一言で表せば………恥ずかしいからだ。

 だって考えてみて欲しい。

 男女が仲良く武術の稽古なんて、大人になってするのもじゃ無い。今時なら、小学生だって男女別に出来るならしているところの方が多い。

 さっきだって、蹴りを受け流す為に、要はアンシアの脚に腕を這わせている。完全にアウトだ。

 アンシアがどのくらい気にしているのかはわからないが、自分から申し出て来たんだし、嫌では無いんだろう。それ自体は嬉しい…嬉しい?んだけど…。なんか、思春期の娘に嫌われたくない父親みたいな思考してるな。

 それにしても、こうしてあれこれ並行して考える余裕がある程度には、アンシアから動きが無い。

 もしかして、恥ずかしいという事に向こうも気付いた? そ、それともやっぱり気持ち悪かったか?

 ひとまずそうでは無いと信じるとしても…俺も問題だ。

 実戦形式でやるなら、さっきみたいにぬるい事をしていては、アンシアの為にならない。でも自分が有利な状態で、ただ身体で覚えろとばかりに彼女に技を放つのは気が引ける。

 好きな漫画やアニメでは、こういう時に遠慮するのは失礼な事、みたいなエピソードは良くあるけど、俺はアンシアと師弟でも無ければ、武人でも無い。そこまで割り切るのは難しい。

 なら…そうだな。

「…アンシア」

「は、はいっ」

「身体強化は有りにしない?」

「え、でも…」

 要するに、技を見せればアンシアの為になるんだ。

 それなら、俺が有利な状況より、不利な状況の方が都合が良い。

 身体強化を有りにすれば、おそらくアンシアの方が有利になる。そのくらいの方が、俺は必死さにかまけて、全力で相手をしてあげられるはずだ。

「大丈夫だから」

 ()()()()()()()、おそらく大丈夫。

「その代わり、全力で行くよ?」

「………わかりました」

 ずいぶん間があったけど…。俺を心配してとか、その辺りかな。

 そんな事を考えている間に、アンシアが元居た場所から消える。そして先程より遠くに居たはずの彼女から、先程よりも早く俺の身体に蹴りが放たれた。

 同じ軌道なのは、万が一、俺が付いて来れない事を案じて、対応しやすい様にしてくれたのだろうか?

 でも…心配は無用なんだよね!

 俺は、先程と同じ体捌きでアンシアの脚を掴む。そしてそのまま蹴りにこちらの力を乗せて放り投げた。

「ぇ…ひゃああああああ!?」

 うん…やっぱり基本的な力が変わると、本当にマンガみたいな事も出来るんだな。

 アンシアは数メートル宙を舞った後、上手く体勢を整え着地した。大きな声を上げるのは珍しいな。なんだか得した気分になってしまう。

「大丈夫だったでしょ?」

「しょ…翔さん、今の…魔力は感じな…。どうやって…」

 アンシアの髪が乱れ、片方の目がほんの少し覗いている。その瞳は、驚きに染まっていた。

 アンシアとの組手を受けた理由に、()()を実戦で試しておきたかったと言うのもあったんだけど、この分なら問題無さそうだ。

「うーん…」

 話しても良いし、実際試している限りじゃこれで合ってるはずだけど、推測だしな。

「内緒かな」

 ここは、秘密だ。アンシア達にも、色々と秘密にされてきたし…それに、なんかかっこいいしな。

 アンシアはしばらくきょとんとした後、くすりと笑った。それを見て、俺も笑って返す。

 そのまま俺達は、組手を再開した。

 やっぱりアンシアは強い。俺は何とかだましだまし、相手を続ける。

 相手の力をそのまま使い、流す。放る。力を上乗せして、扱い切れない状況を作り出す。

 そしてこちらの身体能力も高いなら、こういう事も出来る。

 俺は攻撃では無く、その予備動作に力を加えた。普通の人間では、とても合わせられない。意識外のタイミング。攻撃を繰り出す前の小さな動き。そこへ身体能力に任せて介入する事が出来れば…。

「…ひゃぁ」

 こうして意表を突く事が出来る。

 しかしここで、この一本貰ったなどと、大人げない欲を出したのがいけなかった。

 流れで身体を寄せて足を払ったところ、アンシアの抵抗が合わさり、ぴったりと身体がくっついてしまった。

 うわっ!?

 動揺した俺は、そのまま抱き合う様にして、地面に倒れこんでしまったのだ。

「……」

「……」

 偶然にも、懐かしい体勢。俺が下で、アンシアがその上に四つん這いになって居る。

 あの時とは全然違う戦闘の流れから、どうしてこうなってしまったのか。

「…よかったです」

 え。

「何が?」

「翔さん…が、翔さんで……」

「…よくわからないけど、アンシアがよかったなら、俺もよかったかな」

 …それにしても、この体勢のままなのは、心臓によろしくない。

 でも…自分でどいてとも言い辛い。それに、アンシアの前髪が垂れて、顔がよく見える。こうしてアンシアの目を見て話す機会は少ないので、もったいなく感じてしまう。

「……っ!」

 しばらく見つめあっていた俺達だったが、アンシアがハッと気付いた様に後ろに下がり、顔を手で覆った。

 俺も合わせて起き上がり、二人で向かい合って座る体勢に変わる。

「あ…の…」

 アンシアは恥ずかしがるように顔を隠したままだ。

 そもそも、なぜこんな髪型なのだろう。昔は臆病だったりとか、もしくは何か、もっと理由があったのかもしれない。でも最近は、人見知りせず話も出来るようになっているし、現に一時期、しっかりと顔が見える髪型に変えていた。

 いや、個人的にはこの髪型もかわいいのだが…。

 それでも、これはアンシアにとって、成長するための一歩な気がするのだ。

 彼女に勇気を出して進めと思うなら。

 俺も…踏み込んでみようか…。

「アンシアはさ…髪型を変えたりしないの?」

「え…かみがた…ですか」

「うん。例えば…前髪を横に流してみたり」

「そ、それは…その…」

「そうすると…辛かったりとかするの?」

「…いえ。昔は…その…。やっぱり、良くなかった…でしょうか」

「いや、良くないって事は無いよ。その髪型もかわいいと思うし」

「えっ…そのあの…あ…」

「でもその髪型が、アンシアにとって良い事なのかは、気になってた」

「……」

 これが、臆病なアンシアの象徴の様にも見えるんだ。

「これは…確かにわたしが、弱かったからこうしてたものです」

 アンシアはそう言いながら、前髪をゆっくりを弄っていた。

「でも…今はもう違ってて…その…」

 アンシアは顔を斜め下へ向け、俺から隠すようにする。

 なんだろう。

 恥ずかしがってる様な仕草だけど…今はそんな状況でも無いよな。

「翔っ…さんは、どんな髪型が好きですかっ」

「お、俺?」

 しかしそんな状況から、次に飛んできたのは、アンシアにしては珍しく、押し気味な口調での問だった。

 この質問は…迷う。

 実のところ、俺の好みだけで言えば、今の髪型で良いと思ってしまう。ただ一人前として、社会でやって行くと考えた時に、やっぱりこの世界でも浮いていると言うだけなんだ。

 でも、最終的にどうするかはともかく、今アンシアは俺に聞いている。

 …。

「やっぱり…せっかくですし、ばっさり切ってしまっ」

「いやっ……あ…」

「……」

「……」

 いやっ…じゃない。俺は何をやってる?

 せっかく、これを機に前へ進もうと言う意志を口にした彼女に、自分の好みで待ったをかけてどうする!

「その…もしかして……さっきの、お世辞とかじゃ…なく…」

 今度は俺の方が顔を逸らすしかなかった。

 なんだ? どこのピュアな少年だ俺は。恥ずかしすぎる。

「翔…さん」

 こういう答えと言う答えが無い問いは、本当に苦手だよなあ。昔からずっとそうだ。

「翔さん」

「あっ、う…ん」

 俺は慌てて視線を正面に戻した。

 そこには…前髪の半分だけを横に流して押さえ、片目を見せて儚げに笑うアンシアが居た。

 それを見て俺は…素直に魅力的だと思った。

 彼女はまだ歳の割に小柄で、けれどこの瞬間は、少し大人びて見えたんだ。

「えと…この髪は、確かにわたしの逃げ場所…だったんです。だから、皆みたいに、普通の髪型にするのは…わたしにとって、その…勇気のいる事…。でもっ…ちゃんとしないとって思ってましたっ。こうしてその…翔さんにも、気にかけて貰って…で、でもその…翔さんは、元の髪型も褒めてくれて…」

 ここでアンシアは、ゆっくりと深呼吸を挟んだ。

 普段と違い、目が見えているだけで、なぜだかドキリとしてしまうほどかわいらしい。

「なのでっ…ちゃんと踏み出すわたしと、翔さんの好きなわたしで…その…半分ずつで…どうでしょう…?」

 今度は、思わず顔を手で覆ってしまった。そのまま天を仰いでしまう。

 どこまで良い子なんだろうかアンシアは。

「うん」

 俺はきちんと向き直って、言葉を続けた。

「とっても、似合ってる」

「……はいっ」

 とてもレアな、アンシアの表情が見える笑顔。

 これからは、きっとたくさん見る事が出来るはずだ。

 そんな笑顔の為に、それからこんな日常を続けるために。

 慌てず、時期を見て迅速に、これからも頑張って行こう。

 この日、俺は改めてそう誓った。


 そういえば結局、なんで急に組手だったんだろうな…?

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