新店、丸猫屋7
子供がはぐれたのは、今一番人の多いインテリア売り場だ。
そして大人しい子の場合、遠くの物を見たからと言って、そこまでどんどん行ってしまう事は少ない。そもそも、子供の視線では、遠くまでは把握し辛い。
でも、何かに興味を惹かれる事はある。
例えば、その対象が目の前の時。それなら、立ち止まってしまう事はあるだろう。
あの付近の売場で、小さな子でも興味が向きやすく、足早に通路を見て回っただけでは、確認できない場所。
もちろん、この絞り込んだ場所に居るとは限らない。しかし、最初にしっかり探すなら、当然確率の高いところからにするべきだ。
込み合う店内で小さい子を探す時は、足元を見て回る。そうしないと、人が壁になっていて見つからないから。
ここまでの条件で、俺が探すべき場所は残り僅かで…。
やけに大きな人ごみの中を、声を掛けて分け入り、目的の売場へと近づいていく。
「……はぁ」
俺は思わず、肩の力が抜けてしまった。
そこには、寝具の展示で気持ちよさそうに眠る子供と…ローナの姿があった。
これは決して珍しい事じゃない。
椅子の売場、クッションの売場。迷子になった子供は、意外とそれらしいところなら、どこでも居座って、時には寝ているものだ。
まあ…一緒になって店員が寝てるのは初めて見たけど。
でも…きっとおかげで、この子も泣く事は無かったんだろう。ならまあ、仕方がない…と言う事にしておこう。
ローナも、こんな忙しい状況下で、サボる為に寝たりする人じゃない。この子をあやしてるうちに…ってところかな。
とりあえずは…。
二人を起こしていても、少し遅れてしまう。
カウンターに居る親御さんとアンシアに、報告に向かうとしようかな。
さっき見つけた子供は、探していた子で間違いなかった。
その子は本当にぐっすり眠っていて、そのままおぶられて帰って行った。
お客さんは本当に感謝してくれて、また後日、改めて買い物に来てくれるそうだ。何事も無くて、本当に良かったと思う。
ローナはと言うと…。
先程の、パッと見では先が確認できない程の人だかり。あれは、珍しい商品が展示されているのもそうだが、いつものローナによる集客も合わさっていた。
そのあまりに気持ちよさそうな様子に、嗜好品に分類されるはずの快眠グッズが、予想よりもお客さんの手に取られていたんだ。
ここ王都であっても、浸透し始めるまでは時間がかかると読んでいたのだが、本当に彼女の力は計り知れない。
お店の店員と言っても、全員同じである必要は無い。
得意なところを活かして、お客さんを満足させてもいいし、店の売り上げを伸ばす事だって、立派な貢献だ。
この世界は、皆違って皆良いって言葉を、本当に現実のものにしてくれる。
こういう良さを、俺の持ち込んでいるマニュアルで潰さない様に、改めて注意して行こう。
マニュアルは、守らないといけない物じゃない。
守る事で、皆を助けてくれる物なんだ。
俺が居た世界みたいに、それに縛られて、皆が不幸になる様な状況にしちゃいけない。
…絶対に。
今日の営業は、それから先も続いた。
皆、あっちへこっちへの大忙しだ。
マリーは俺の補佐として、ずっと全体へ目を配ってくれた。役割が広いと言う事は、この忙しい中、誰よりも気を配る必要がある。本当に頑張ってくれている。
アンシアは、他の従業員が見逃しがちなところも、ずっとフォローしてくれていたのを俺は知ってる。それでいて、お客さんへの気遣いが消えない。作業に目が行きがちな人が多い中、これは本当にすごい事なんだ。
ローナも、どういう理屈なのか、こういう勘は鋭い。迷子の件の後、すぐに目を覚まして商品の補充に勤しんでいた。重い物であっても、素早く補充できるのはやっぱり強い。それで…本当に魅了みたいな魔術は使っていないんだよな? 接客した商品の、そのままお買い上げ率が高すぎる…。
そしてイエローが居なければ、店の雰囲気はここまで明るくなっていなかったかもしれない。待たされれば、当然イライラもしてくる人も出てくる。それを持ち前の笑顔で、どれほど和らげてくれたかわからない。この混雑を乗り切るのに、間違いなく彼女の力も欠かせなかった。
指示した休みも、皆なかなか取ってくれない。逆に、こんな状況で何言ってるのと、俺が注意を受ける始末だ。
確かに、マニュアルと同じで、ルールだって、時には守る事で、誰も得しない事もある。
皆の体調を考えて、それでも休憩は取って欲しかったけど…。
限界一杯まで人を集めて臨んだ今日、それでも人手が足りないのは確かだ。やると言ってくれてるのを、わざわざルールだからと押し込めるなんて、見方によっては馬鹿らしい。
俺は皆と、精一杯動き回った。
あっという間に日も傾き…夕暮れ時。この世界では、日暮前には皆帰路に着く。
つまり店は、どこもそろそろ終わりの時間だ。
そして、本日最後のお客さんを見送る。
「ありがとうございました!」
「また来てくださいねー!」
今日の営業が…今、終わった。
「………」
「………」
店内が、にわかに静まり返る。
そして数秒の後、それは崩れた。
「お…終わりましたあぁーー! もう色々あり過ぎてあり過ぎて、色々が色々ですー…」
「おつかれさま…でした」
「ふわぁーおやすみぃ…」
「皆お疲れー!」
その場に座り込む人も居れば、誰とは言わないがそのまま眠りに就こうと言う人まで居る。
でも、そうなるくらい皆頑張ってくれた。本当に、本当に…頑張ってくれたんだ。
…だから俺は、今非常に心苦しい。
しかし、グランドオープン初日の店長は、このタイミングで、心を鬼にして告げなければならない事がある。
朝以来の、メガホンを取り出して構える。
「えー皆さん」
皆がのそりとした動きで、こちらに注目する。
「売場を見て下さい」
そして、その注目が外れる。
その視線の先には、今日の営業で見るも無残になった売場が広がっていた。
もちろん、営業中も商品の補充、崩れた展示品の修正はやっていた。しかし、千人を超える規模だったお客さんに対して、こちらの従業員は数十人。当然、追いつくはずも無い。
「明日も、丸猫屋は営業します」
「お、お兄さん…あの、あ、明日」
「今から、もう1時間だけ、踏ん張って行きましょう!」
「おーーー!」
「一時間!? 完全に日が暮れますよ!」
「大丈夫、俺達のおうちは店のすぐ裏だ」
「………むにゃあ」
「ローナ、俺でもわかる寝たフリは諦めて」
「わたし、レジの皆さんを…」
「そうだねアンシア。レジ雇用の皆さんは、解散して。そういう契約だからね。手伝える人は、ちゃんと給料も出すから残って貰って」
「はい」
「アンシアは偉いねえ…?」
「わ、わかってますよ! もう手は動かしてるじゃないですか!」
もう客の居ない店内なのに、また随分と騒がしい。
平和なやり取りに、笑い声が響いていた。
小さな事件、小さな不満はいくつも出てしまったけど、しっかり対応し、成果は上々。
俺達の新しい店は、大成功で初日を終える事が出来たのだった。




