躓きと、一歩目
何も問題は無かった。
あれから、あの時様子を見に来てくれた男性も再度来店してくれて、剣を二本も買って行ってくれた。
他にも数人、あえて店に寄ってくれたお客が来た。
その中の何人かが、武器を買ってくれた。
一週間に一本売れれば御の字だった売上が、今は週に1.5本くらいのペースで売れている。数%売り上げが伸びれば、爆発的な伸びとされる小売業で、この短い期間に50%の売り上げ増加だ。
これ以上ないくらいの成果になっている。
あとはこれを維持できるだけでも、マリーの家は十分に食べていくだけのお金を稼ぐことができる。
これからさらに余裕ができ次第、次に予定していることを実行に移せると考えれば、もう勝ったも同然だった。
だから俺は、今日も宣伝活動を終えてマリーの店へ戻る道中、これ以上ないくらいいい気分だった。鼻歌を歌ったりして、足取りも軽い。
しかし、事件というのは、いつだって唐突に起きるものだ。
身体に圧し掛かる、重たい音が鳴り響いた。
重量物が何かにぶつかったような、交通事故の映像で聞いた音に似ていた。
普段大きな音なんて何一つしないこの村に、何の前触れもなく響いた轟音に、俺は心底驚き、慌てた。
そう、慌ててしまった。
「なんっだよ今の音……!」
しかも音がしたのは、市場の方だ。
マリーは、市場の皆は大丈夫なのか!?
心臓がドクドクと、大きく脈打っている気がした。
驚きで思わず固まってしまったが、呆けている場合ではない。
早く市場に行かないと!
俺は思い切り地面を蹴り、駆け出した。小さな村だから、ほんの少し走れば市場には到着する。そして俺は、市場の惨状を目の当たりにした。
「いや、本当に……なんだよこれ……」
市場のほとんどの場所は、特に変わりが無いようだった。
そんな中で1か所、明らかに異常が起きている場所があった。そこはこの世界へ来てから、一番お世話になった人の居るはずの場所で……。
「マリー! マリー無事!?」
思わず呆然と立ち止まっていた俺は、再び駆け出してマリーの店に近づいていく。
それは、元の世界ではありえない状況だった。
いつもマリーと店を開いていた場所に、大きな岩が鎮座している。剣を立て掛けるために、いつも置かれていた木箱が、今は原型を失い、ただの木片へと変わってしまっていた。
それだけなら、まだあり得たかもしれない。
あの岩……地面から、生えてる……?
店を潰している岩は、ただの岩では無かった。先端が尖った形をしていて、それが地面から数本伸びている。
そう、それは魔術か何かで、意図的に作り出されたとしか思えない物だった。
「お兄さん……」
「マリー!?」
岩陰の向こうに、呆然とへたり込むマリーを見つけた。見たところ怪我をしている様子は無い。
まずは一安心だ。
「どこも怪我してないよね? 何があったの!?」
「いやあ……どうもこうも無いと言いますか……。いきなり目の前にズドンですよ。あははー」
「あははーって……」
「まあ、こういう日もありますよ」
「ちょ、ちょっとマリー、さすがにこれは、こういう日もあるで済む問題じゃないでしょ!」
「お兄さん、とりあえず片付けましょう。多分剣とかは無事だと思いますけど、いくつかはダメになっている物もあるかもしれないですねー」
なんでマリーはこんなに落ち着いているんだ?
こんなありえない状況に、急に追い込まれたって言うのに……。
魔術がマリーたち、この世界の人たちにとっては普通のことだから?
いや、そんなことは無いはずだ。
この世界に来てからもうそれなりに経つけど、こんなことが起きたのは初めてで、日常的なことだとは思えない。
それにこれを、銃とかに置き換えてみたらどうだ?
存在を知っていたとしても、いきなりその脅威にさらされて、特に何とも思わない。そんなことがあり得るだろうか?
そういえば、そもそもなんでこんなことになってるんだ?
誰のせいで……そうだ、これをやった犯人が居るはずだ!
「あ、あの! すみません皆さん! 怪しい人影とか、見ませんでしたか! マリーの店を、こんな風にした奴を!」
俺は振り返って、大声で市場の人たちに呼びかけた。
そうだよ。
ここはこんなに開けているし、お互いの店から相手が普通に確認できる。誰かが、こんなことをやった犯人を見ていてもおかしくないはずだ!
「お兄さーん? そんなのは良いから片付けを手伝ってくださいよ。とりあえず無事な商品を取り分けましょう」
「マリー……」
マリーがいつもと同じような口調で話しかけてくる。
でもやっぱり言葉の端々が震えているし、決していつもと同じでは無かった。今の言葉だって、普段ならこっちを責めるようなジト目もセットで、顔を見ながら言われるようなものだったのに、今はこっちを見てすらいない。
俺はこの状況を、そんなの、なんて言葉で片付けられなかった。
再び、俺は顔を上げて、周りを見まわす。
誰か、犯人を見ていないのか?
いや、むしろ犯人がまだ近くに居るかもしれない。怪しい人影はどこかに無いか!?
しかし俺の考えに反して、怪しい人影は見当たらない。市場の皆の中にも、そういった人影を見たという人は居ないようだった。
でもそんなことってあり得るのか?
これだけの人が居るのに、誰一人犯人らしい人を見ていないなんて、少し妙だ。
俺はしつこく、周りへ視線を飛ばし続けた。
そして俺はついに、一つ気になる物を目にする。
「あなた、なぜ笑うんです!」
初日に挨拶して以来、あまり関わったことが無い人だ。
別に大声を上げて、笑っていた訳では無い。でも、確かに口元が上がりニヤけていたようだった。
まるで嘲笑するみたいに……。
「酷いじゃないですか! マリーの店がこんな風になってるのに……笑うなんて!」
俺はその人を睨みながら、ズンズンと歩を進め近づいて行った。
ここの市場は確かに閑散としているし、和気あいあいとしている感じではないけれど、お互いに協力し合っている様子だったのに、一体なぜこの状況を笑うことができる?
もしかして、この人が犯人なんじゃ無いだろうか。
先程こちらを見て笑った人の、目の前までたどり着き、いざどう問い詰めたものかと思った時、後ろからぐっと腕を引かれた。
「お兄さん、何やってるんですか!」
「マリー、今この人が」
「いいから、戻りますよ! 片付けを手伝ってって、私言いましたよね!」
「マリーこそ、良いから聞いて! 今、この人がこっちを見て笑っていたんだ! 何か知ってるかもしれない。いや、むしろこの人が犯に」
「お兄さん!!」
それは、今まで聞いたマリーの声の中で、一番大きく、一番強く響いた。
「戻りますよ……」
「マリー、なんで? ……いや、ごめん。確かに何の証拠もないのに、同じ市場の人を疑ったのは悪かった。軽率だったよ。でもそれにしたって、こんな目にあったマリーを笑うなんて、ひど……い……」
俺は、振り返ったマリーの顔を見た。瞳に涙が溜まっていた。かろうじて、それはこぼれておらず、泣いてはいない。
でも、ここへ来たばかりの頃、徹夜させてしまった時の泣き顔とは、比べ物にならないほどの痛みが感じられた。見ていて、とてもとても辛い、今にも泣きだしそうな表情だった。
そうだ。
確かに、犯人捜しなんてしている場合じゃなかった。あんなことがあって、マリーがショックを受けていないはずがない。犯人なんかより、マリーを気遣ってあげるのが先だ。
「ごめん、マリー。俺がわかってなかったよ。言うとおりにする。まずは片づけだね」
「……そう、その通りですよ。しっかり手伝ってください」
俺は、先行するマリーの後ろに続いて歩いていく。
でも、興奮が収まっていなかった俺は、さらに言葉を続けてしまった。
「犯人はまた、追々捜してみるよ。悪いやつは許せないよね!」
そう俺が言った時、マリーが急に歩くのを止めた。そして少しの間があってから、マリーがポツリとつぶやく。
「悪い人は私た……っ!」
マリーが、何か言いかけてそれを止めた。そして、何かにハッと気が付いたかのように息を飲むと、やがて体が、ほんの少し震えだす。
まさか、我慢しきれずに泣いてしまった?
いや、ようやく売り上げも軌道に乗って、これから余裕ができそうだって時に、これほどのことをされたんだ。別に泣くのは構わない。
そりゃあ辛いだろう。
泣いたって何も悪いことなんかない。
でも気になるのは、泣き出したタイミングだ。
まだ若いのにグッと堪えて、こんなことがあったのにもかかわらず、しっかり次の為に行動しようとしていた。我慢をすることができていた。
それが、顔は見えないけど、今はきっと泣いてしまっている。一体どうして……。
「お兄さん……」
「うん、なに?」
俺はできる限り、優しく感じる声を心がけて返事を返した。
マリーの力になってあげないといけない。しっかり手を掴んで、守ってあげないといけないと思った。
「悪い人は……私です」
「……え?」
その言葉が、あまりに予想と違い過ぎていて、俺は呆然としてしまった。
その間に、マリーは俺の傍から駆け出し、もう、俺は手を掴んであげることができなかった。