王都の生活も落ち着いて3
俺は跳ねるように起き上がった。
この状況で、とにかく優先しないといけない事…!
「逃げるぞ!」
「えっ…」
俺は、皆を強い口調で急かした。
“あれ”が夢で見た塊と、同種の何かである事は間違いない。
となれば、俺達にはどうにも出来ないかもしれない。少なくとも、何とか出来ると言う保証はどこにも無い。
「ま、待って下さい…。あれがなんなのか、お兄さんは知ってるんですか? 確かに変な感じが」
俺の見幕に押され、皆動き始めてはくれた。しかし、俺ほど事態を掴めていないマリー達は、それまでに少し時間がかかってしまった。
その少しが、命取りだった。
穴から這い出ていた何か。速度からして、まだ時間はあると睨んでいたそれが、唐突に、加速度的にずるりとその全容を現した。まるで…こちらの世界に落ちるように。
なんだあれは…?
見た事の無い姿だった。
何の形とも表しにくい、そもそも骨格を持つ存在では無いように見える。
頭に浮かんでいたのは、あそこからいつもの魔物が出てくるパターンだった。でもあれは、それとは全く別の何かだ。
そいつが―――
「えっ」
「やばいかもぉ?」
今、こちらへ向けてまっすぐ突っ込んできた!
「マリー!」
「お兄さ―ひゃあ!?」
「っ!? ローナありがとう!」
俺たちは揃って、その異質な何かを躱した。
幸い何とか躱せる程度の速さだったが、それでも俺達が走る速度よりは速い。逃げ切るのは難しそうだ。
今も、マリーを庇おうとしたけど、俺では間に合いそうに無かった。ローナが居てくれて助かった。
ローナとマリーが一緒で、その反対に俺とアンシアがそれぞれ逃げた形だ。そして、考えている間にもその塊は反転し、こちらへ向かい始めている。
狙われているのは…俺か!
俺は半身になり、それを魔物と同じ要領で斜め前に躱し――――。
「ぅああ!?」
「翔さん!?」
「い、いやごめん! とりあえず大丈夫。でもあれに触れないで!」
相手がぐにゃぐにゃと形を変えているせいで、一部が俺の身体に触れてしまった。その瞬間、形容し難い寒気のような何かと、虚無感のようなものを感じさせされた。
一瞬力が抜けたような気がしたが…少しずつ、それは戻ってきている。
とにかく、あれは触っていいものでは無い。
仮にこの蠢く何かも、あの夢の塊と同種の物なら、勇者のように飲み込まれてしまう可能性もある。
次は誰の所へ…と考えた時だった。そいつは反転せず、今度は別の方へと向かっていく。その方向には、先程の騒ぎで距離が離れていた、地竜とおじさんが居た。
地竜に乗って逃げ始めてくれていたのに、偶然今あれが突っ込んでいった方向が、おじさん達の近くだったか…!
まずい。
あの地竜なら逃げ切れるかもしれないが、ここは山奥だ。平地ほど速度が出せる道は無い。村の中なら平らだが、当然そんな方向に逃げてもらう訳にもいかない。
標的をこっちに戻さないと…そうは言っても、戻してどうする?
そう考えた時には、動く影が二つあった。ローナとアンシアだ。
「ちょっ…無理だけはしないでよ!」
俺の無意味な声掛けに、ローナが軽く手を振って答えた。
その間に、それは地竜に接敵する。でも地竜もただではやられない。おじさんが上に乗っていると言うのに、軽快に横っ飛びし、それを躱して見せた。
そうしてそれが行き過ぎている間に、ローナ達が追いつく。
「おじさんは角度を変えて! 背中から追われない方向へ!」
俺はそう呼びかける。
事態は止まってはくれず、ローナ達の方は再びそれに接近していた。
ここでアンシアが、それに向かって土の塊を撃ち込んだ。
それで何とかなるのを期待したが…そうは上手くいかなかった。無形のそれは、何事も無いように岩を擦り抜ける。
アンシア達は、その可能性も予測済みだったのか、ひとまず余裕を持って、再びそれを躱した。
やはりあの二人は、俺とは段違いの速度で動いている。ああして引きつけてくれているうちは、しばらくは大丈夫なのだろうが…いかんせん、相性が悪すぎる。
ローナは完全な肉体派で、アンシアは魔術は使えても、基本的には土系統の物。つまりはどちらも物理タイプだ。
対して、相手は物理的な干渉を受け付けないと来た。
突然の事で何の対策もしていないし、今は余裕があっても、これは下手すれば、魔物襲来事件の時よりも、厳しい状況なのではないだろうか。
カインなら、今でもこいつに対抗する手段を持っているのだろうか?
そうだとして、どうやって連絡を付ける?
場所を知っていたとして、地竜で呼びに行ってもらったとして…何日こいつの相手をしていれば良い?
ローナとアンシアが、前線で踏ん張ってくれていると言うのに、俺は頭脳でも貢献する事が出来ない…!
せめて、二人の体力温存のため、時折俺も前線に加わるべきだろうか。
そんな先延ばしの策を検討し始めた時だった。
頭上から、いつかを彷彿とさせる影が差した。




