第05話 少女の涙
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その後盗賊たちと死体と返り血の処理に1時間ほどかけ、ようやくエオナたちはたき火の前に再び座ることが出来た。
そして、話を完全に中断されていた少女に話題が戻る。
「待たせて悪かったね。少々君の話を聞くのに手間取ってしまいすぎた。」
「いえ、私が後を付けられたのが原因ですし……。その、言いたいことがたくさんありすぎますが兎にも角にもありがとうございました。」
「気にすんな、俺らも飯の種を運んできてくれて助かったんだからな。それに盗賊も倒したしこれで明日には街に帰れるぜ。」
「まあ、一度村まで行って報告をしなくちゃあいけないけどな。でも、これで肩の荷が下りたってもんだ。」
焦げが大量に浮かんでいるシチューと酒を飲みながらオルガとヘイラは嬉しそうに笑い合った。
その様子を見て少女はかなり申し訳なさそうな顔になる。
「あの……非常に言いにくいお願いがあるんですけど聞いてくれます?」
「おお、言え言え。今の私たちは非常にご機嫌だ。お年玉だってあげちゃう!」
「換金してないから生きたままだけどな!」
勝利を祝う酒を飲む彼らは戦闘の熱が残っていることもあって完全に悪酔いになっている。
二人とも若い以外はダメ親父の代表格のようになってしまっているのだ。
「悪いね。あれでも普段はまともなんだよ。少なくてもヘイラ君は。というわけで僕が代表として君の話を聞こう。」
「ほっといていいんですか、あの人たち。」
「いいよ。少なくても僕はあれは置物だと思っているから。」
「随分と賑やかな置物ですね。」
少女は思った。
この人、顔以外は常識的な人だと。
そして、反省した。
人は決して見た目では判断してはいけない。
内心こそが人間性を語るうえで最も大事なものであるという事を。
「で、僕たちに頼み事とはいったい何かな?」
「あの……さっき村に行くって言っていましたよね? 実は村は……私の村は奴らの仲間に占拠されているんです。」
「これはまた随分と穏やかじゃない話だね。詳しく聞かせてもらえるかい?」
横で騒いでいた馬鹿二人に水をかけながら優しく尋ねるエオナの言葉に促され彼女はポツリポツリと話し始めた。
彼女の名はエマと言い依頼のあった山間の小さな村に住む農家の娘であった。
今から2日前、突如現れた約50人にも上る盗賊の集団が村を襲い、武器も力も何もない村人たちは抵抗する間もなく彼らに捕らえられてしまった。
だが、偶然にも山に山菜を取りに行っていた彼女だけはその難を逃れる。
山の中から襲われる村人と家族を見た彼女は怯え、震えながらも自らに出来る最善を考えた。
そして、年端も行かぬ少女が出した答えは助けを呼ぶこと。
自らの無力を知っている幼き彼女にはそうするしかなかったのだ。
しかし、助けを呼びに行こうと街を目指したはいいがその途中で盗賊に見つかってしまう。
そのため彼女は通常であれば半日で辿り着く距離を二日間かけて泥と寒さと恐怖と戦いながら進んできたのだ。
その勇気ある行動を神は見ていたのだろうか。
この大人ですら根を上げてしまいそうな過酷な逃走劇の結果、彼女はエオナたちに助けられるという幸運に巡り合うこととなった。
事の一抹を話し終えるころには、エマは完全に涙声になっていた。
無理もない。
数日前まで命を狙われるなどと想像もしなかった少女が平静のままいられると言う方がおかしな話なのだから。
盗賊に追われている間はそのような甘い思考は置き去りにされていたが落ち着いて自らの事実を振り返ると今さらになって恐怖が押し寄せてくる。
だが、涙のわけはそれだけではなかった。
「お願いします……! 村を……私の家族を……助けてください!」
もう一つの理由、それは逃げるために残してきてしまった家族の安否である。
酷い暴力を受けてるのではないだろうか。
いや、すでに死んでいるのではないだろうか。
そう考えると胸が締め付けられるような痛みに襲われる。
そんな泣き崩れる彼女の肩にエオナは優しく手を置いた。
「もう泣かなくてもいいよ。それでも、どうしても泣きたいのなら家族に会うまで取っておきなさい。」
「それって……助けてくれるんですか? 本当に……?」
彼女が顔を上げるとエオナはコクリと頷いた。
服を絞っていた残りの二人もやれやれといった風ではあるが口元を吊り上げながら頭を小さく頷く。
「僕は困っている人を前に利害を考えて見殺しに出来るほど賢くはないからね。必ず君の家族を助け出すと誓おう。だからもう君はただ安心して待っているといい。」
「……ありがとう……ございます。本当に……ありがとうございます。」
その言葉に止めようとしていた涙がさらに溢れ出す。
だが、今度は悲しみの涙ではない。
これは感謝の涙。
感激の涙。
それを止めるほどエオナは無粋なことはしない。
ただ、無言で彼女の前にハンカチを差し出す。
エマがそれを受け取ったことを確認すると彼はマントをたなびかせながら縛り上げられている頭領に近づいた。
「さて色々と話を聞かせてもらおうか。君たちなんだろう? この盗賊討伐の依頼を出したのは。」
「……。」
エオナの言葉に頭領は苦虫を嚙み潰したような表情をしながら睨みつける。
だが、エオナはそんなものは一切気にせずに質問を続ける。
「答えないのならそれでもかまわない。君の表情を見れば言いたいことは大体わかるからね。じゃあ、次の質問だ。なぜ、村民を殺さず人質にしたんだい?」
エオナには村民の大半が無事であるという確信があった。
なぜなら、先ほどの戦闘中の頭領の発言から生け捕りにしようとする意志を強く感じたからである。
更に依頼内容からもその考えが読み取れる。
軍隊を編成させなかったのも、バラバラで冒険者を呼んだのも、最下位のランクのE級を呼んだのも盗賊たちに勝てる要素を増やすためだとすれば納得がいく。
つまり、彼らの目的は戦闘力の低いただの人間を集めることだと考えられる。
それならば村人たちも生かしている可能性が高い。
「いうわけねえだろ……。」
頭領は先ほどの時と同様に睨むだけで質問の内容には何も答えない。
相変わらず口をへの字に曲げたままである。
だが、この答えにより人質が生きていることがほぼ確定した。
彼は生存そのものを否定しなかったからである。
「冷たいじゃあないか……。僕のことが嫌いなのかい?」
「ああ、大っ嫌いだ。」
そんなエオナの考えも知らずオルガは彼の言葉をそのままの意味でとらえていた。
そして、隣で髪を拭いているヘイラに尋ねる。
「なあ、これって単純に奴隷として売るつもりだったってわけじゃあねえのか?」
「それはありえない。あんたと違い人間が奴隷になるには条件がある。それ以外の者を奴隷にすることは禁じられている。つまり、その線はない。」
他種族であるオルガは問答無用で奴隷になるが人間は法を犯さぬ限りその地位までは落ちては来ない。
確かに極稀にさらわれた者が貴族の家から奴隷として見つかることはあるがそれはその者が何かしら優れた点があるからである。
王都外れの、さらには老人から子供までといった無価値な人間をリスクを負ってまで買う者など誰もいないのだ。
故に余計に分からなくなる盗賊たちの目的。
それを推測するには彼らはいささか情報不足である。
「まったく、女なら謎は魅力になるのに男じゃあただ不気味なだけでいい事なんかありゃしねえ。世の中うまくいかねえもんだ。」
「まあ、そうふてくされるな。しょうがないから魅惑の美女であるこの私の秘密でも教えてやろうか?」
「馬鹿言うんじゃあねえよ。この世にお胸が絶壁の魅惑の美女はいねえよ。」
「なんだ、喧嘩の仕方を学びたかったのか。ちょうどいい、私の得意分野だ。」
「奇遇だな、俺もだ。」
「あの……喧嘩は止めた方がいいんじゃあ……。」
エマの仲裁もむなしく馬鹿二人が織りなす鉄と拳がぶつかり合う音が辺りに響く。
それに頭を悩ませながらもエオナは頭領にさらに質問をぶつける。
それは彼が抱いている最も大きな疑問である。
「次の質問だ。これにだけは必ず答えてもらう。そう睨まないでくれ。すごい怖い顔をしているよ?」
「……てめえにだけは言われたくない。」
「……この殺意は内に止めといてやる。それじゃあ質問だ。君たちの雇い主は誰だ?」
盗賊の目的として不自然であるならば彼らは雇われていると考えるのが当然。
そして、この推測が当たっていれば今回の事件の諸悪の根源までたどり着くことが可能であるとエオナは考えていた。
「……!」
そして、読みは当たっていた。
彼のこの質問を耳にした瞬間、頭領の表情に変化が起きたからだ。
まるでここにいない何かを恐れるような顔になる。
目が数度泳いだのち彼はエオナから視線を外し呟いた。
「……悪いが言えねえ。それだけは言えねえんだ。」
「君にその選択肢を許可した覚えはない。僕は答えろと言ったんだ。それ以外は認めないよ。」
「……それでも……言うわけにはいかねえんだ。」
「そうか。ところで君は駆けっこは好きかい?」
「……? 一体何を言って――」
その瞬間に彼の足にサーベルが刺された。
深さで言えば僅か数センチであるが激痛が走ることに変わりはない。
脂汗も即座に浮かび上がる。
「なにしやがる……。戦意のない者は攻撃しないんじゃなかったのか……!」
「僕に質問しろとは言っていない。次はアキレス腱を切り落とす。走れなくなる前に答えるのが賢明だと思うよ。」
「……!」
頭領は苦悶の表情を浮かべる。
このまま無言を貫き通せばエオナは確実に実行するだろう。
そして、答えぬ限り拷問はエスカレートしていくことも同時に理解する。
だが、彼には言えぬ理由も存在していた。
言えば死んでしまう可能性がある理由があったのだ。
彼にはもうすでに逃げ道はない。
何処へ行こうと碌な道はないのだ。
「分かった……。話す……。」
詰んでいた。
もういかなる手も打つ事が出来ない。
希望など何処にも見えやしない。
そんな彼に出来ることはただ一つ。
少しでも良い未来を選択することだけだと、彼は考えていた
しかし、彼は何も分かっていなかった。
それこそが最悪の未来につながる道であると。
「俺の……俺たちの雇い主は――」
そう言いかけた瞬間、彼の体が硬直した。
口をパクパクして何かを言おうとするがその喉からは何も聞こえては来ない。
その彼の肉体に人間の文字ではない言語が浮かび上がってくる。
それは血と泥を煮詰めたような色をしていた。
「見るな!」
先ほどまでふざけていたオルガはその異常に気が付くと即座にエマの目をふさぐ。
それとほぼ同時に、彼は目を見開きもがき苦しみ始めた。
のたうち回る彼の口や目、耳からは赤黒い血が大量に流れ出し嫌な音と共に地面を染めていく。
そして、まるで地面に打ち上げられた魚の如く自らの血だまりで泳いだのちうめき声の一つも上げることもなく絶命した。
その死体はみずみずしさを失い数秒前までの人物とは分からない程に変化してしまっていた。
「こいつは……! ボス!」
ヘイラはその死体に駆け寄り状態を確認すると憎々しげに拳を固める。
エオナもまた冷や汗をかきながら呟いた。
「ああ、間違いない。これは……『呪い』だね……。相手さんはかなりの厄介な物を準備してくれたものだ……。」