第39話 さらば村よ
「ボス~、交代だ。オルガの看病は私がって起きているじゃないか。」
エオナとオルガの沈黙をあっさり破ったのは扉を開け入ってきたヘイラだった。
重苦しい空気と軽い空気が混じり合いカオスな空間を作り出す。
場違いな空気を感じつつ彼女はオルガに話しかけた。
「よお、オルガ。元気そうだな。」
「本当にそう見えるのか? それなら、眼科に行くことを進言するぜ。」
「大丈夫だ。ぼろ雑巾にしてはという話だ。」
「分かっているじゃあねえか、ヘイラ。」
互いにいつも通りの冗談交じりの挨拶を終えると二人は握手を交わした。
ヘイラは優しく、オルガは力強く握りしめ自らの無事を伝えあった。
「さて、あんたに客人が来ている。通してやるか? ボスから話を聞いているなら用事は分かるだろう。」
「ああ、連れてきてくれ。粗相のないよう丁寧にな。」
「任せとけ、スイートルームに案内するように最高級のおもてなしをしてやるよ。」
そういうとヘイラは二人の人物を家の中に招き入れた。
そのどちらともがオルガと面識のある人物であった。
「おお、エクゾディアじゃねえか。」
「エマです。無駄に強そうな名前で間違えないでください。頭も中も重症のようですね、オルガさん。」
「てめえの口の悪さはグレードアップしているな。にしてもてめえは俺を怖がらないんだな。」
「あなたは馬鹿だけど悪人ではないことはよく分かっています、馬鹿だけど。」
「一言余分だ、一言。」
一人はオルガと人質の中では最も絡んでいた少女、エマであった。
対面早々やや険悪な空気を醸し出しているが特に言及しないでおこう。
「で、おっさんは……誰だ?」
「オルガ、こちらは村長さんだ。君が助けたと聞いたんだが……。」
エオナの言葉にしばらく小首を傾げていたオルガだったが思い出したかの如く指を鳴らした。
「酒のついで助けたおっさんか! 完全に存在を忘れていたぜ。」
「ヘイラさん、この人っていつもこんな感じなんですか?」
「酒が入ってない分いつもよりだいぶマシだ。」
「ええ……。」
困惑しているような表情を浮かべながら村長はエオナに一礼した。
「公爵様、お話があって参上させていただきました。どうかお耳に入れてくださるようお願い申し上げます。」
「内容は見当がついている。だが、僕に言うな。目の前の男に言え。」
「はっ、はい。」
恐ろしい形相を浮かべてはいるがエオナは別に村長や村人のことを恨んではいない。
いや、恨むことが出来ないのだ。
彼は元が付くとはいえ広大な土地を支配する領主であった。
故に分かってしまうのだ。
ただの村人である弱者たる彼らの気持ちも。
それでも心の奥底に納得できない何かが湧いてくる。
その何かがこの表情を作っているのだ。
「鬼の方、村人の間であなたの存在に関して確執が生まれています。このような小さな村ではそれは大問題なのです。ですので、その……。」
エオナに促された村長は歯切れの悪そうに、言葉を探すように口を詰まらせる。
それがオルガを恐れ機嫌を損ねない様にしていることはすぐに分かった。
「出ていけってことだろ。気にすんな、話は旦那……じゃなくて公爵様から聞いている。朝の霜が消えるころには俺たちも消えるさ。」
言いにくそうだったのでオルガは代わりに話を進めた。
彼は怒っていないわけではない。
事実、村人たちの態度に怒りを感じていないかと言われれば嘘になる。
だが、彼には村人を傷つけるという事は出来ない。
一つはエオナやヘイラのためというのもあるが本当の理由は別にある。
それは彼が殺したアベルのためである。
アベルは未来を掴むため、オルガは村を守るためというそれぞれの目的のために殺し合った。
そして、オルガが勝利した。
彼はアベルから未来を奪い、その報酬として村人の平和を手に入れた。
それを自らの手で壊しては彼に対して失礼に当たるというオルガ独自の持論が原因であった。
村人は皮肉なことにも彼らを襲ったアベルの最後の覚悟に救われたのだ。
「ありがとうございます……。」
「分かったから帰りな。こんな化け物といると残り少ない寿命がさらに短くなっちまうぜ。」
村長は最後にエオナに一礼すると無言で家を去った。
その光景を黙って見ていたヘイラにもまた言い様もない怒りが湧いてくる。
誰も恨むことが出来ないからだ。
村人たちは?
ジャッカルに襲われている人間を助けたライオンを誰が信頼できるだろうか。
彼らは愛する者を、自らを守るためにとった行動である。
決して悪ではない。
(クソッ、私はこの怒りを何にぶつければいいんだ!)
仮に彼らがオルガに対して悪態をつき行動に移ってくれればどれだけ気が楽になるだろう。
だが、彼らは干渉を避けたものの治療をしてくれた上に容態が安定するまで村においてくれるといった。
彼らも心の奥底ではオルガに感謝しているのだ。
その証拠に物騒なことを言っていたのにも関わらず誰もオルガを殺しには来ない。
本当に命の危機を感じているのならば他の冒険者に助けを求めたりするなど、何らかのアクションを起こしているはずだ。
それがないという事は信用が少しは残っているという事。
彼らもまた自らの良心と恐怖のはざまにいるのだ。
誰も悪くはなく、誰もが誰を攻めることは出来ない。
この現状は中途半端な優しさが生んだ悲惨な状況なのだ。
「怒らないんだな、オルガ。私はてっきり怒鳴りつけるぐらいはすると思っていたよ。」
「あいつらは俺を殺したいと思っただけで行動には移していない。心の中にまで文句を言うほど俺の器は小さくないぜ。」
ヘイラの言葉にオルガはケタケタと笑いながら答えた。
それが彼女を逆に苦しめた。
かける言葉が見つからないからである。
落ち込んでいれば励ますことが出来る。
怒っていれば共に怒ることが出来る。
だが、笑っているのならばそのどちらもできない。
本人が納得した以上、第三者であるヘイラも納得しなければならないのだ。
「まあ、襲ってくるなら容赦はしないがな。捕まえて生きたまま夜食に変えてやるぜ。」
「さっきまでの言葉で止めておけば器がでかいままだったんだけどな……。今ので大幅に縮小した感じがする。」
「君は格好を付けることが多いけど余計な一言も多いよね。」
「あ、あの……。」
しばらく黙っていたエマが急に口を開いた。
そして、オルガに対して深々と頭を下げる。
「すいませんでした……。私の村の者が助けてもらったのにひどい事を――。」
「頭を上げなさい。それは君がやることじゃあない。」
だが、エオナはその彼女の謝罪を中断させる。
「君は村の代表か? 違うだろ。それならば安々と簡単に頭を下げてはいけないよ。他人の行動で頭を下げるのは上の人間の仕事だ。」
「は、はい。」
「旦那のいう通りだ。謝るときってのは必ず自分に非があった時だけだ。だから、俺はめったに頭を下げない。」
「でもあんた、しょっちゅう居酒屋の店主に支払いを待ってくれって土下座しているよな。」
「今言わなくてよくない、それ。」
どこか締まらない感じではあるがエマの心は少し軽くなった。
そもそも彼女は誰も謝りにいかない大人たちを見限り村長について来たのだ。
そして村長が謝らなかった今、責任感にかられ村を代表するような行動に出てしまった。
それをエオナがとがめてくれたおかげである。
かつて頂点に立っていた人間の言葉には重みがあった。
「じゃあ、代わりにお礼をさせてください。」
そういうと彼女はオルガに少し模様がはいった白い布を渡した。
それはバンダナである。
角が分かりにくいように少し厚手に作ってある手作りのぬくもりを感じる一品である。
「あまりいい生地ではありませんが……良ければ貰ってください。」
「おお、ちょうど頭が寂しかったんだ。助かったぜ。おい、ヘイラ巻いてくれ。」
「あいよ。」
「あと、これです。村で作った地酒です。」
更に取り出したのは葡萄酒である。
田舎で作ったあまり上質なものではないがアルコールが切れている今のオルガにこれほど嬉しいものはない。
だが、嬉々として受け取ろうと手を伸ばす彼の手をエオナが止めた。
「オルガ、最後にいいニュースを言い忘れていた。」
「後で聞く、後で聞く。酒酒酒。」
「そうはいかない。傷が治るまで君は禁酒だ。」
「……あんだと?」
その言葉にオルガの周りから殺気が漏れ始める。
だが、いたずらっ子のような笑みを浮かべながらエオナは続ける。
「当たり前だろう。内臓がズタズタの君に酒なんか許可できない。これは治るまで僕が大切に保管しておくよ。ヘイラ君しまっておいてくれ。」
「……おい、それのどこがいいニュースなんだ? 正体がバレた以上にバットなニュースじゃねえか。」
「つまりこういう事だ。やったね、オルガ! 健康になれるよ!」
ヘイラの小馬鹿にした様なその一言がオルガの怒りをついに爆発させた。
「ふざけるな! 酒ええええええええ!」
「お、おい! 馬鹿! 暴れんな!」
「やばいぞ! また傷口が開いてきた! ヘイラ君、取り押さえるんだ!」
「私、お医者様を呼んできます!」
翌朝、再びやや瀕死に戻ったオルガはヘイラが引く荷車に乗せられ村を去った。
人々がオルガを、鬼という存在を理解することは永遠にないだろう。
だが、そんな中でも僅かではあるが彼を鬼ではなく、人として見てくれる者もいる。
その事を教えてくれたエマの存在に心を温めながら、エオナ一行は王都への道を行く。
大きな矛盾が出てしまいました。読者の皆さまには申し訳ありませんが打ちきりとさせてもらいます。




