第37話 鬼の記憶
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少年は泣いていた。
立ち上がることすら出来ないほど小さな牢の中で。
しかし、その泣き方はおおよそ4・5歳の子供がすべきものではなかった
怯えているように震え、声を押し殺しているのだ。
まるで泣いていることを必死に隠しているかの如く。
その少年の髪はボサボサで、服もボロボロ。
全身には傷やあざがまるで模様のように刻まれている。
「ひっ……はっ……」
言葉を発さない様に歯を食いしばり、膝を丸めているその少年の姿は十分異様であったがそれ以上に異様であったのは彼を取り囲む環境である。
「おい! どうした、化け物! 何とか言ってみろよ!」
そんな彼の周りには囲むように集まった大勢の人間たちの姿があった。
少年とは対称に彼らは皆笑っている。
だが、それは決して気持ちの良い笑い方ではない。
見下し、軽蔑し、卑しみ、嘲笑うといったものである。
彼らは少年に侮辱の言葉を投げかけ、唾を吐き、あまつさえ中にはゴミを投げつける者さえいる。
「黙ってんじゃねえよ、クソが!」
「俺たちはわざわざ金を払って見に来てやってんだ、楽しませろよ!」
少年は何もできず耳をふさぎ、ただ泣きながらそれを受け止めることしかできない。
身を守るように背中を丸めその小さな体で必死に耐えようとしている。
誰も彼を助けてくれる者などいない。
憐みの言葉をかける者すら誰一人としていない。
少年の周りには味方と呼べる存在は何一つとしてなかった。
全てが敵、生きとし生けるものが今の彼にとっては敵でしかなかった。
「やめてよ……。お願いだから……。」
少年の小さな願い事は彼らの耳には届かない。
それどころか人間たちの行動は次第にエスカレートしていく。
ゴミや痰を吐きかけるだけには飽き足らず、檻を蹴ったり揺すったりし始めたのだ。
少年の体はその動きに逆らうこともできずについ体を開いて鉄格子を掴んでしまった。
人間たちはその瞬間を待っていたかのように彼の手を掴むと檻の隙間から引っ張り出した。
「おい、やっちまおうぜ。」
「いいねえ、じゃあ今回は俺だ! 押えていろ!」
人間たちは外に出た少年の腕を押さえつけると嬉しそうに彼の指にかかとを叩きつけた。
グシャリという骨が砕ける音の後にあふれんばかりの笑い声が響く。
一方、少年といえばこの状態でも相変わらず悲鳴の一つも上げようとしない。
「くっ……はっ……。」
不自然な形に曲がった指を守るように抱え込みながら激痛に対して歯を食いしばりただ耐え続ける。
喉の奥から出てきそうな叫び声を必死に押さえ込みながら。
人間たちはその様子が気にいらなかったのか彼らの間に少し不満げな空気が立ち込み始める。
それはまるでサーカスを見に来たのにも関わらずピエロのジャグリングしか見ることできなかった時の如く、退屈だと言わんばかりのものだった。
その空気を感じ取ったのか一人の男が檻の前に躍り出る。
「貴族の皆さま、大変申し訳ございません。このゴミがお客様の期待に沿えなかったことを見世物小屋の社員一同、誠に深く反省いたしております。」
彼はどうやら少年の飼い主のようだ。
にこやか、といえば聞こえはいいがどちらかといえば仮面のような凝り固まった笑いを浮かべながら頭を下げる。
人間たちは彼の発言に対しても文句を言っていたがその次の言葉で態度を変えることとなる。
「ですので、お詫びとして今回はいつもと違い一風変わったショーをお見せしたいと思います。」
男がそう言い指を鳴らすと奥の方から彼の部下と思われる者達が3人現れた。
彼らを見て人間たちは拍手と歓声を上げ、ただでさえ青白かった少年の顔は更に白くなる。
「本日のメインイベントは焼き印でございます。」
彼らが持っていたのは奴隷を意味する文様が刻まれた焼き印であった。
それは赤く熱せられ白い煙を上げている。
まず人に、ましてや年端もゆかない幼子にぶつけるものではない。
「おい、檻から出せ。」
部下らしき男たちは少年を牢から乱暴に引きずり出すと両腕を押さえ込み身動きを封じた。
少年も必死に抵抗を試み暴れるが、大人二人に勝てるはずがない。
力という暴力には抗えないのだ。
「では、皆さま。憎い化け物の悲鳴をどうぞお楽しみください。」
後ろから鉄の熱さを知らせるような嫌な音が近づいてくる。
あれが当たればどのような痛みが走るかなど少年にすら明白に理解できた。
だが、逃げられない。
「いやだ……! やめて……! やめて……!」
少年の涙の訴えは人間たちの興奮にさらに油を注いだだけだった。
当然辞められることもなく焼き印は彼の背中へじらすようにゆっくりと近づいてくる。
その時のことを少年は生涯忘れることはないだろう。
痛みの話ではない。
嘲笑う人間の声を、顔を、存在を。
そして、汚く卑屈で凶悪な心こそが人間の本性であると。
「やれ。」
次の瞬間、肉が焦げる音とその香りがふわりと広がった。
***
その香りが鼻孔をくすぐろうとした瞬間にオルガは意識を取り戻した。
そして、早まった自らの動悸を感じながらさっきまでのものが夢であったという事を悟る。
(とんだ悪夢を見ちまったもんだ……。どうせ見るならかわい子ちゃんといいことする夢の方がよかったぜ……。)
浮き上がった油汗のひんやりとした感触を味わいながら大きく息を吐いた。
それほどさっきの夢は現実味を帯びていたのだ。
当然である。
全て実際にあった彼の過去の出来事なのだから。
(忘れたい思い出っていうのに限って中々忘れられないもんだな……。どうせならパンチラの瞬間とかを繊細に覚えていたい……。)
オルガが感傷とアホな考えを同時進行に考えながら虚空を眺めていると突如その視界は不気味な顔が横入りしてきた。
「やあ、オルガ。目が覚めたようだね。」
相も変わらず狂人じみた顔の持ち主であるエオナである。
寝起きに彼の顔ほど心臓に悪いものはないだろう。
「いいや、旦那。まだ俺は悪夢の中にいるようだ。なぜなら、目の前に悪魔みたいな奴が居るからな。」
「……寝ぼけているようだね。傷口の消毒という名目で塩でも塗りこめば目が覚めるかい?」
「やっぱり悪魔じゃないか! ……まって旦那! 無言で塩を準備しないで! というかなんでスタンバイしてあんだよ!」
やかましく叫びまくるオルガの姿を笑いながらエオナは近くのイスに座り込んだ。
すぐに自分がからかわれた気づいたオルガは苦々しい表情をしながら辺りの様子を確認する。
目だけを動かし最初に理解できたことはここがどこかの民家の中であり、自分はベッドの上に寝かされているという事である。
(体は……一応動くか。だが、右腕に至っては激痛だけはあるくせにピクリとも動かないと来た。全く、これじゃあスプーンも持てねえじゃあねえか。)
そう考えながら比較的傷が少ない左腕を杖代わりに半身を起き上がらせる。
「すごいな、人間なら死んでいてもおかしくはないはずの怪我なのに……。君は痛覚がないタコか何かなのかい?」
「そんなわけねえだろ。現に俺は今起き上がったことを後悔しているぜ。めっちゃいてえ。」
「馬鹿だろ、君。」
半泣き状態のオルガに対し頭を押さえながらエオナはため息をついた。
一つはこの男が相も変わらず馬鹿であるという事に対してだが本当の理由は別にある。
安堵したのだ。
オルガが無事であったという事に。
「ところで旦那、ここはどこだ? あの後何があった? つうか俺はどれだけの時間眠っていたんだ? ヘイラは!?」
そんな彼の親心にも似た感情など知ったことではないオルガは矢継ぎ早に質問する。
エオナは内心自らの気持ちを軽く蹴飛ばされた気がしたがその問いに答えていく。
ここは村医者の家であること、気絶して約15時間が経過したこと、ヘイラは村の警護のため席を外していること、血の入ったボトルに関してはオルガが実費で払うことなどだ。
それを相槌と舌打ちをしながら聞いていたオルガだったが一つだけ納得ができないことがあり大声を出す。
「ちょっと待て、シルクハット野郎が何もせずに逃げたってどういうことだ!? ガキの喧嘩じゃねえんだぞ、ありえるかそんな話!?」
それはオルガとアベルの戦闘の後の話についてのことであった。
「砲撃は!? 強襲は!? どれもなかったってのか!?」
呪いが嘘だった時点でエオナをはじめとする村民たちの身の安全を保障するものはなくなってしまっているはずだ。
その事実を元にするとクライムからの攻撃があったと考えるのが常識。
どう転んでも無傷という事はありえない。
それなりの代償を支払ったはずだとオルガは考えていた。
しかし、その考えは大きく外れていたのだ。
「なかったよ。クライムは君にまた会おうとだけ伝えろと言ってすぐに消えたしまったし、僕が逃げようとした盗賊を二人殺しただけで小鳥のさえずりを楽しめるほど平和だったさ。」
「……意味が分からねえ。あいつは何がしたかったていうんだ……。」
オルガの疑念は至極当然の物であった。
あの状況であればクライムにとっては手は打ち放題。
敗走を選ぶという事はまずありえないのだ。
せめて瀕死の自分だけは殺しに来なければ納得がいかない。
そうでなければアベルとの戦闘の意味がなくなってしまう。
「君の言いたいことはよくわかる。僕も同意見だ。だが、実際に奴は何もせずに消えた。それが現実なんだ。」
エオナも苦虫をかみつぶしたかのように渋い顔で答える。
クライムは嘘の呪いを結ばせたり、砲兵を配備しておくなど準備に余念はなかった。
そんな彼がアベルの敗北を予想していなかったとは考えにくい。
むしろ、負けることを前提に行動をしていたはずだ。
されど彼は逃げた。
自らの目の前に運ばれてきた勝利という料理に口を付けずにその場を去ったのだ。
行動に矛盾ばかりが生じている。
「そうだ! 夜襲を起こすって可能性はないのか?」
なにかしらの問題が発生し行動を起こせなかったクライムが戦力を整え襲ってくる可能性を指摘する。
そうなればヘイラとエオナだけで村人を守りつつ戦闘を行うのは至難の業だろう。
クライムがそれを狙っているとすれば強引ではあるものの納得がいく。
だが、またしてもエオナはそれを否定する。
「大丈夫、とまでは確証を持てないが恐らく心配はない。クライムがこの村を襲うことはもうありえないだろう。」
「どういうことだ?」
「君が気絶している間に他の冒険者たちが続々と到着したんだ。今、この村には約70名の戦力がある。奴が襲うにはメリットよりデメリットの方が大きいはずだ。」
確かにエオナの言葉の通り期を逃したクライムが行動を起こすにはあまりにも不利な条件。
仮に勝利したとしても彼の側にもそれなりのダメージが入る。
勝機をみすみす捨て去った男がその条件を理解した上で攻めてくる可能性は極めて低い。
オルガも渋々ではあるが自分の中で納得させる。
「あいつの話はここまでにしておこう。答えに辿り付くにはあまりに情報不足だし、何よりむかっ腹が立ってくる。」
「同意だ。次会ったら塩を撒くんじゃなくて食わせて塩分過多で殺してやるぜ。」
「そいつは素敵だ。だがどうせやるなら何日もかけてじわじわと殺してやろう。生まれてきたことを後悔するほどに、呆れるほど執念的に、地獄の方が居心地がいいと思えるほどの辛い拷問を味わわせてやろうじゃないか!」
「お、おう……。」
一人で立ち上がりヒートアップしていくエオナの表情はこれぞ悪魔といっても差し支えないだろう。
それほど恐ろしい表情だったのだ。
横にいるオルガですら引くほどに。
その視線に気付きエオナはマントを整え咳ばらいをして再び席に着く。
「ええと、まあ君が眠っていた間の話は以上だ。質問はあるかい?」
「はいッ! 旦那はデーモンの子孫なんですか?」
「無いようだね。じゃあ、次の話に移ろうか。」
「質問を求めたくせに答えない。これが大人という生き物なのか。それならば俺は生涯少年の心を忘れない様にしよう。」
馬鹿の野次をすべて無視してエオナは足を組みなおし話始める。
「今度はこれから先の話に関してだ。悪いニュースといいニュース。どちらから聞きたいかな、オルガ?」
次の更新は日曜日です。




