第30話 最後の手札
「あんたにダメージが入る方法は分かった。俺はこれ以上あんたには近づかない。言っている意味が分かるな?」
アベルが現状で準備できる武器でオルガに傷を入れられるものは剣しかない。
確かにボウガンはあるがそれではあまりに力不足。
つまり彼が近づかなければアベルには手の出しようがない。
「今、降伏すれば死刑だけは免れるように旦那に頼んでやる。悪くはない条件だろう?」
オルガは再度警告を促す。
彼がここで戦闘を終わらせたい理由は約束以外にもう一つあった。
それは先ほどの罠もほぼまぐれでアベルが引っかかった様なものだからである。
(油の残量には限界がある……。負けはまずないとしてもわずかにでも可能性があるなら避けておきたい。)
完全に優位に立っている今、オルガはこれ以上のリスクを背負い込むことは避けたかった。
「しかも、今なら俺の秘蔵のエロ本を差し入れとして毎月牢に持って行ってやる! これはもう降参するしかねえよな!」
「……っく! はあ……!」
そんな戯言を聞いてか聞かずかアベルはふらふらと立ち上がり近くに落としていた剣を構える。
それはこの条件を拒否したという意思表示のほかない。
当然である。
この戦いにおいて敗者は死以外の選択肢などありえないからだ。
オルガの言葉はすべて虚言。
従う道理など何一つとして存在しない。
「まだ、戦うってか? 呆れた奴だ。もう少し賢い奴かと思っていたぜ。」
わざとらしくため息をつく彼にアベルは悲鳴のような叫び声を上げながら突っ込んできた。
先ほどまでのような鋭い太刀筋ではない。
遅く狙いもいい加減なものであった。
「よっと。」
そんなものではオルガに傷をつけるどころか隙を与えるようなものである。
彼はその一撃をかわしながら横腹に一撃打ち込む。
やはりダメージにはつながらなかったが今回の物は威力をはじき返しては来なかった。
(能力が弱まっているのか……? それとも追い込まれすぎて精神がいかれたか……? 参ったな、もしそれなら何も聞き出せないかもしれねえな。)
オルガがそう思いながら身を引き次に備えたがアベルは再び切りかかっては来なかった。
「ああああああああ!」
代わりに叫びながら家の外へと走り出した。
「あ、待ちやがれ!」
オルガも慌ててその後を追う。
外に出たアベルは発狂しながら燃え盛る村長宅の前の家の中へ逃げ込んでいった。
(マジで狂っているのかもしれねえな、あいつ。やべえ、ヘイラに文句言われそうだ……。)
自害されるのは嫌なので刺激しない様にゆっくりと扉を開け後に続く。
「ヘイ、騎士さん。仲良くお話しようぜ。」
そう言いながら中に入ると家の中央で剣を前で付きまっすぐと立っているアベルの姿があった。
まるで彫刻のように凛々しく立つその姿にオルガは口笛を吹く。
「まるで絵本から飛び出してきたようだぜ、あんた。だが、一つ問題がある。騎士にそうやって立たれると俺が悪役に見えるってことだ。」
虚空を見つめていたアベルの目がオルガを見つめなおす。
そして、彼は絞り出したかのような声で話し始めた。
「今日は本当にツキがない日だった……。いや、今日までか……。」
「いいや、あんたは運がいい。なにせ対戦相手が俺という心優しい奴だったからな。おかげで殺されずに済むぜ。」
そんな彼の声が聞こえていないのかアベルは食い気味で話し続ける。
「鬼が出る……公爵がいる……挙句の果てには捨て駒として扱われる……。」
「……。」
「逃げたいのに退路はない……。進みたくてもお前がそれを邪魔する……。今日だけでもこれだけの不運に見舞われた……。」
「……。」
オルガは何も答えない。
脈略もなく話し始めたアベルに警戒したということもあった。
だが、彼が何よりも警戒した理由はその目である。
火傷をおい、負傷者の顔にしか見えないそこについている目にだ。
(……光が消えてねえ。まだ、勝つ気でいるのか……こいつは!)
コロシアムで幾重にも殺し合いを積み重ねてきたオルガは過去にそのような目を何度も見てきた。
それは諦めを知らないもの見せる輝きであった。
(この目をする奴は総じて厄介だ……。大概が捨て身の攻撃を仕掛けてくるからな……。首だけになっても俺に食らいついて来ようとする……そんな奴らばかりだった。)
オルガの心の中に生け捕りという選択肢は薄れていっていた。
そのような甘えた考えでは自分の命を落とす可能性が出てくる。
達人が捨て身になるということはそれほどまでに恐ろしいものなのだ。
冷や汗を流し始めたオルガをよそにアベルは話し続ける。
「……お前、さっき自分に勝利の女神がほほ笑んだといったな?」
「ああ、ほほ笑むどころか熱いキスまでかわしたぜ。」
「本当は違う……。彼女が選んだのはお前じゃない……。彼女は……この俺を選んでいる。」
アベルは眼光を大きく開いたまま歯を出して笑った。
「証拠に俺に最後のチャンスをくれた……。それだけじゃない。俺に二つの幸福を持ってきてくれた。」
「……幸福?」
「そうだ……。一つ目の幸福はお前が俺の焼いてくれたくれたことだ。」
左手で顔の火傷を触りながらさらに口角を上げる。
その不気味な笑みにオルガの背中に嫌な悪寒が走った。
「……そいつはよかった。ご所望ならもう一度焼いてやってもいいぜ?」
「いいや、結講だ。これは一度だけでいい……。」
この言葉の真意を彼は必死に考える。
ただのはったりか、それとも本当に顔を焼かれてアベルにメリットがあったかどうかと。
(分からねえ……。顔を焼かれて喜ぶ奴が居るか? いたとしらとんだマゾヒストだけだぜ……。)
答えに辿り着けず思案を繰り返していると、アベルは剣を構えだした。
「もう一つの幸運は――」
彼はそこで一度言葉を切った。
そして、剣を強く握りしめるとこう言った。
「この家に来てくれたことだ。」
そういうと地面を蹴りオルガに向かって一歩大きく踏み出し低い体勢で突進を始めようとした。
現状何もわからないままこの攻撃を受けるのはまずいと判断したオルガは前を向いたまま後ろに飛び逃げようとする。
その時にオルガはここにあるはずのないものを見た。
それはアベルが走り出すまで彼の背後に隠れひっそりと息をひそめていた砲弾である。
彼は呪いの契約をする前、山から戻ってきた時にはすでにこの家の中に砲弾の準備を済ませていたのだ。
(自爆か! くそったれ!)
この距離であれば熱や爆風に関しては問題はない。
だが、砲弾の恐ろしいところはこの二つではない。
爆発と同時に辺りに吹っ飛ぶ鉄の破片である。
それが顔に当たればいかにオルガとは言え致命傷、当たりどころが悪ければ死に至る。
(さっきの会話は導火線が回るまでの時間稼ぎ! 今度してやられたのは俺だったということか!)
とっさに両腕をボクサーのように顔の前に持ってきて楯代わりとする。
(だが、これで問題はない! 筋肉がない頭部さえ守れば死にはしない! しかし距離があってよかったぜ。やはり、女神は俺の元にいるな。)
オルガが安堵し小さく笑う頃、アベルもあの不気味な作り笑いを外し彼と同様に僅かではあるが笑っていた。
(馬鹿が! お前が頭を守ることは最初から想定済み……! 分かり切っていたことだったんだよ!)
勝ちを確信したからである。
(むしろここまで……! ここまで状況をそろえれたことの方が予想外……! 本当に勝利の女神が俺に微笑んだとしか思えない豪運……!)
アベルがこの状態をそろえるには二つの難関があった。
一つ目はオルガをここにおびき寄せること。
普通の挑発ではここにおびき寄せることはまず不可能。
それどころか下手を打てば警戒し近づいてこないことすら考えられた。
(しかし、奴は俺についてきた……! 気が狂ったとでも思っていたのか……? アホが! あんなもの演技に決まっているだろうが!)
二つ目の難題は導火線に火を付ければその匂いで気づかれるという心配であった。
だが、偶然にもオルガに焼かれたおかげでその匂いについての問題も解決した。
たんぱく質が燃えた時に発生する匂いが導火線の存在を見事に隠しきったのだ。
(偶然が偶然を呼んだような奇跡! この勝負、完全に俺に流れが俺に向いている!)
確かに今のアベルに運が向いているのは事実だろう。
しかし、ここから先で試されるのは運などという不明確なものではない。
覚悟だ。
それなくしては勝利にはたどり着けない。
オルガが守りに入り、アベルの足が二歩目に入る直前に命運を分かつ砲弾が光を放った。
その光に遅れ衝撃と破片、爆炎が後を追ってくる。
ほぼ爆心地にいたアベルを今度は顔だけでなく全身が火に包まれる。
破片と衝撃は問題ないが皮膚が出ている手先は焼かれ、顔に至っては二度目の火傷を負う。
(歯をくいしばれ! ここが正念場だ!)
苦痛を越える苦痛。
激痛を塗り替える激痛。
まともな神経であれば意識を持っていかれるこの中でもなおアベルは正気を保っていた。
(単純な砲弾の威力では奴の筋肉は突破できない……! 殺すのなら……覚悟で! それを破らなくてはならない!)
砲弾により発生した衝撃をすべて右足に移動させる。
そして、それを地面に向かって放出した。
アベルの体は吹き飛ばされるようにオルガとの間合いを詰める。
その速さは蹴られた地面がえぐられる頃にはすでにオルガの正面にいるほどであった。
(この速さ……いける!)
彼は最初この砲弾でオルガを倒すつもりで準備していた。
しかし、剣が刺さらなかったことからこれではあの鬼を倒すのは難しいと思い直接攻撃へと切り替えたのだ。
(砲弾で奴を仕留めるなら恐らく1メートルほどの至近距離でなければ殺せない……! だが、それは不可能……! さすがにそこまで近づけたらバレる……!)
そのため、アベルはこの離れた距離での爆発を余儀なくされた。
だが、これがまたの幸運を呼ぶ。
この状態からのオルガの行動が手に取るように推測できたからだ。
(奴の動きは確かに読みにくい……! しかし、これほどの不意打ちならどうだ? 取れる行動など限られてくる……!)
1秒にも満たないこの瞬間ではいかにアベルとはいえ方向転換や剣の軌道を変えることは出来ない。
つまり、砲弾が爆発した後の行動はすべてオルガの動きを予測したものとなる。
かわし方、守りの構え、後ろに下がるタイミング。
彼はこのすべてを寸分の違いもなく予知していた。
(計算通り……! 奴のあそこに刺す……! それで……俺の勝ちだ!)
彼は最も急所となる脳と心臓は狙うつもりは毛頭なかった。
確かにこの二つではあれば即死を見込める。
だが、ゆえにこれらは最も守りが固くなるのだ。
現にオルガの構えでは腕を貫通し、大胸筋さらにはあばら骨の突破が求められることとなる。
それはあまりにも厳しい条件である。
(この守りは確かにその二つを守れる……! だが、一つおろそかになる場所が生まれた……! そこだけはノーマーク、言葉のままにがら空き……! お前の敗因はそれだ、化け物!)
アベルの剣がオルガの皮膚を破り、その体内へと刺さっていく。
先ほどまでの甘い刺さり方ではない。
止められることもなくズブズブと沈むように奥へ奥へと進み彼の体に穴を開ける。
「ッ!?」
オルガが痛みで気が付いた時にはアベルの攻撃はすでに完了していた。
一瞬の慢心が弱者に王手を与える機会を与えてしまったのである。
(くたばれ……! ここで死ねええええ!)
彼が狙った場所は人間の急所の内の一つ。左太ももの内側。
そこを走る大腿動脈である。
勝敗を左右するのはたった一太刀。
この一太刀がすべての盤面を覆す。
ここにきて初めてオルガとアベルの戦況が一気に逆転した。
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