第29話 敗北への足音
オルガを視界から失ったアベルは背後にいる死神の存在を再び強く感じ始める。
オルガの逃走。
これは最も恐れていた展開であった。
(最悪だ……。奴は持久戦に入るつもりだ……。)
時間制限があるアベルにとってのもっとも有効な攻撃。
オルガは偶然ではあるが最高の一手を打ったのだ。
(探さなくては……見つけ出さなくては!)
すぐに後を追い、民家の影を探すがすでにそこには影も形もなかった。
完全に見失ったのだ。
(落ち着け……! 移動できる範囲は村の中だけ……。見つけられるはずだ……!)
立ち並ぶ民家の数はわずか15世帯ほどである。
そこ以外はほぼ畑であるため隠れられる場所は少ない。
つまり、この中を総当たりで探せば見つけられる可能性は高い。
(とにかく一番近くからだ……! 時間がない! 急がなくては!)
だが、今のアベルに一軒一軒を丁寧に調べる時間はない。
子供のかくれんぼのようにのんびりとはできないのだ。
そのため目の付くところだけを見回すとすぐに一軒目を飛び出す。
(ここにはいないはずだ……! あれほどの巨体……! タンスやクローゼットの中のような狭いところにはいないはず……!)
仮にオルガが巧妙にアベルの目を欺き隠れおおせていればその時点で勝敗がつく。
だが、彼にはオルガがそのようなことをしないという確信があった。
(奴は馬鹿じゃない……。そのような場所に居れば隙を生んでしまう……。だから、絶対避けているはずだ……。)
隠れるということは同時に不利な体勢に入るということ。
奇襲を取れる可能性もあるが同時にバレていれば多大なリスクを背負うこととなる。
現在、優勢であるオルガがそのような手段に出ることはまずありえない。
(持久戦に持ち込むとしても何か目的があって実行したはずだ……。武器か? 罠か?)
二軒目の捜索を早々に打ち切って家を飛び出す。
そして、ドアを半開きにしてその上に石を置いた。
アベルの目が離れたすきに一度探索した家に入り込まれない様にするためである。
(これは、半ば気休めのような抑止力……。こんなちんけな策など簡単にごまかせる……。だが、今はこうするほかない……。)
今、即座に打てる最大の一手。
穴と逃げ道だらけの策というにはあまりにも脆弱なこの一手。
だが、残り7分という僅かな時間しかないアベルにはこれに賭けるほかない。
これがオルガの動きを封じ込めてくれる要石なると。
(後は探すだけ……! 運に任せての力任せの総当たり……!)
次々と家々に入りは探し、石を置く。
虱をつぶすようなこの作業に時間だけが刻一刻と消えていく。
7軒目を探し終える頃、アベルの顔からは滝のような冷汗が流れ始めた。
(これで7軒目……! 約半分は終わった……。だが――)
失った代償、すなわち時間も大きい。
すでにこの作業に3分を費やしてしまっている。
仮に今オルガを見つけたとしても残り5分で倒さなくてはならないのだ。
さらにアベルの最後の手札は切るのは非常に難しいものである。
仮に切れたとしても成功する可能性はどれだけ甘めに見ても半分を下回っている。
(この時間のうちに俺は最後のカードを切れるのか……? 何もできず負けてしまうんじゃないか……?)
あまりにも厳しい勝利への条件に歯を食いしばっているアベルの鼻孔に突然変わった匂いが届いた。
(なんだ、この匂いは……。これは……芋か! 芋の匂い!)
その匂いの元の方を見ると一軒の家から煙が立ち上り始めている。
今、こんなことをしている奴は一人しかいない。
(舐めているのか……? 馬鹿にしやがって!)
急いでその家の前までたどり着き扉を開けようとするが手を止める。
(もしかして、これは囮か……! 俺がこの家に入った瞬間に移動するための! それとも罠を仕掛けてあるのか!)
疑い出したらきりがない。
次々と思い浮かぶ想定される可能性。
だが、その一つ一つを確かめるような時間は彼にはない。
(時間を無駄にするな! 今の俺に迷う時間すらないんだ!)
剣を抜き覚悟を決めドアを蹴破る。
木製のドアが倒れ、砂煙を巻き上げた。
窓を閉め切られ暗がりが広がっていた家の中に光が差し込む。
(奴は! どこにいる!)
アベルが中を見渡そうとしたがその必要はなかった。
なぜか火をつけられた暖炉の前にオルガは逃げる様子もなく腰を落としていたからである。
「よお。腹減っちまってな。この家の芋を勝手に拝借して焼いていたんだ。」
まるで知り合いが遊びに来たかのように素っ気ない態度で彼はしゃがんだまま話しかけてきた。
つきたてのためか小さな火に照らされ顔の影が揺らぐ。
「あんたも食うか? 半分上げるぜ。腹は減っては戦は出来ぬというだろう。」
ケタケタと笑いながらどこから拾っていたかわからない剣に刺してある芋を軽く振って見せる。
ふざけているとしか思えないこの行動にアベルは何の反応も示さず斬りかかった。
「あっぶね!」
だが、やはり簡単にかわされてしまう。
本来ならこのまま追撃をしたいが狭い室内であるため一度止める。
(室内で待ち伏せしていたのは俺の連撃を封じるためか……。だが、問題はない。奴も逃げ道が狭まっている。むしろ、リーチが長い分俺の方が有利だ。)
剣が振り回しにくい環境とはいえ、どこかにぶつけるようなヘマをするようなアベルではない。
彼は室内では分がある突きに構えを切り替える。
「芋は嫌いだったか? だからってそんなに怒るなよ。そんなんじゃ女にはモテないぜ。」
即座に態勢を立て直しながらオルガは芋付きの剣を構える。
それはアベルの目から見ると不自然な行動であった。
(なぜ、剣を構えた? 明らかに素人の癖に……。)
オルガの基本的な戦闘スタイルはその強靭な肉体を使った素手によるものである。
正確に言えば彼はそれしかできないのだが。
ゆえにこの自らの得意分野を捨ててのこの行動は実に不自然である。
(あの剣に何か細工が施してあるのか? それとも俺に直接接触することを避けているのか?)
理由などは全く分からない。
そもそもこの男の行動は非常に読みにくい。
どこまでが冗談でどこからが策中なのかが判断しにくいのだ。
暖炉のすぐそばにいるためなのか、緊張によるものなのかは分からないが一筋の汗がアベルの頬を伝う。
(判断材料が少なすぎる……。一度剣で弾くのが得策だ。)
直接受けても問題はないが不穏なものには触れないに越したことはない。
アベルが下したのは安全策であった。
(剣を弾けば隙が生まれる……。そこを突く! 恐らく奴も何かしらの策を準備しているだろうが俺の能力なら問題ないはずだ。)
いくら鬼とはいえ、剣の素人相手なら十二分に勝機はある。
彼がその思考に至ると同時にオルガが動いた。
剣術のケの字もない。
まるで子供がするようにただ闇雲に剣を振り回し辺りの机や椅子を切り散らかしながら進んでくる。
(剣がどこにも引っかからないのは流石鬼の怪力としか言えないな……。だが、所詮は力任せの付け焼き刃! 十分見切れる!)
じわじわと間合いを詰めてくるオルガの剣先に注目していた彼は気づいていなかった。
すでにオルガの策にはまってしまっていたことを。
(さあ、来い!)
全身に力を入れ、刃を交える瞬間を待っていた彼の視界は突如遮られた。
「なっ!」
思わず声を上げてしまう。
(これは……布か!)
アベルの視界を奪ったもの。
それは武器と呼ぶには程遠いもの。
女性用の厚手のコートであった。
(くそ! 真上から落ちてきたのか! 最悪だ!)
だが、アベルにとって頭上から落ちてくる布は十分な脅威であった。
彼がはじき返せるものはあくまでその瞬間だけである。
つまり、このような不意打ちの衝撃は無力化するだけで終わってしまう。
(この布を落とすトラップは恐らく単純な仕掛け……。つり天井をよりシンプルにした様な子供だましなものか!)
彼の考え通りこれは実に簡単な仕組みであった。
まず服の端々を縄で縛り、それを纏め凧のように広がった物を作る。
そして、それを天井のつり木の上に通し近くの机の脚に縛り付ければ完成である。
後は脚に仕掛けた縄を切れば服が自然落下をする。
これだけの適当なものある。
(闇雲に斬っていたのはロープを切る瞬間を気づかれないためか……!)
それだけではない。
わざわざ暖炉に火をつけていたのはそこに目を向けさせるため。
暗闇の中では人の視線はつい明かりに吸い寄せられてしまう。
その性質を利用していたのである。
(理解不能な行動は自分に注目を集めるための行動! 暖炉の火は俺に新たな光源を持つという考えに至らせないため! 全ては縄の存在を悟られないための演出! してやられた!)
策にはまってから答えに辿り着いても何の価値もない。
ただ、手に入る物は苦汁という最悪の飲み物だけである。
(奴は最初から戦うつもりなんてなかったんだ! 安全に逃げるため……視界を奪いたかっただけだったのか!)
だが、急いで顔にかかったコートを取ろうと手を伸ばすアベルの目の前のオルガは全く逃げようとはしていなかった。
それどころか彼はアベルに向かって一気に距離を詰めていたのだ。
そして、アベルに拳をぶつけることもなく暖炉の中に手を突っ込んだ。
「アッツ!」
そう言いながらも中から火が付いたまきを掴むとコートに向かって叩きつける。
すると、コートが勢いよく燃え始めた。
「うわああああああああ!!」
顔面が火に包まれたアベルは急いでそれを外そうとするが焦ってしまうとなかなか取れない。
地面に倒れこみ悲鳴を上げながら転がりまくる。
何とか頭からコートを外すがやけどの痛みからか立ち上がれずうめき声を上げている。
アベルの能力はあくまで衝撃の無効化。
火や熱はそのまま生身にぶつかってくる。
(油をしみこませてあったのか……! 暖炉には着火の役割もあった……! くそ……! 蟻地獄にはまったような気分だ!)
軽度の火傷とはいえ場所が場所だ、激痛は免れない。
顔面を押さえながら、どんどん強くなる痛みを歯を食いしばり耐える。
ここで気を抜くことが出来たらどれほど楽であろう。
だが、気絶すればアベルにかかっている能力は解除されてしまう。
それだけは絶対に避けなくてはならない。
「悪かったな。ついうっかりお前に火をつけちゃったぜ。俺はおっちょこちょいだからよ。」
そんな彼にオルガは剣を握ったまま近づいてくる。
そして、落ちた芋を刺すと口に運んだ。
「まっず! 生じゃねえか、これ!」
芋を吐き出しながら剣を床に叩きつけた。
ふざけながらではあるがこの時点で彼は勝ちをすでに確信していた。
理屈までは分からないがとにもかくにも火が通用することが分かったのだ。
後は逃げながらじわじわと焼いて行けばいい。
(油の瓶はまだ二本ある。こいつにぶつけるなり、たいまつを作るなりで十分ダメージを入れられるはずだ。体力を消耗すれば能力も外れる。そうすれば俺の勝ちだ。)
アベルと一定の距離を取ったまま彼に話しかける。
「勝負ありだ、騎士さんよお。勝利の女神は俺の胸に飛び込んできた。これ以上やっても勝ち目はないぜ。分かったのなら降伏しな。」
勝者になることを確信したオルガがとった行動は止めを刺すのではなく、降伏を促すものであった。
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