第02話 盗賊 対 悪魔 ①
少女は逃げていた。
月明かりの下、空腹に耐えながら怯えるように追手から隠れながらも逃げていた。
靴は脱げ、服を泥だらけにしながら這いつくばり奴らを撒こうとする。
「この辺りにいるはずだ! 最悪殺しても構わん! 文字通り草の根分けてでも見つけ出せ!」
離れたところから男たちの声が聞こえる。
場所は草原。
どれだけ走ってもばれてしまう。
だが、諦めるわけにはいかない。
彼女の小さな背中には今、大勢の命がのしかかっているからだ。
(でも……見つかるのも時間の問題……。いったいどうしたらいいの……?)
その問いに答えてくれる者など誰もいない。
当然である。
近くにいるのは追手と自分と同じように地べたを這いずるミミズぐらいしかいないのだから。
しかし、彼女の目にわずかながらも希望が見えた。
暗闇の草原の中を照らすそれは木漏れ日のようにか弱い光ではあるが追い詰められた彼女を動かすには十分であった。
(あそこに……もしかしたら……もしかしたらだけど……『正義の味方』がいるかもしれない……!)
ずる向けになった裸足に最後の力を込めて彼女はその希望へ向かって闇の中を走り出した。
***
王都を出て6時間後、エオナ一行は予定通り目的地の村の10km手前にいた。
昼であれば草原と街道の自然と人工物との美しい景観を楽しめるのだが残念ながらそれは叶わない。
なぜなら日は完全に沈んでおり黒い闇が辺りを包んでいるからである。
光と言えば空の星と月と彼らの目の前にあるたき火ぐらいだ。
「思った以上に暗いね。だが、たき火の音と虫たちの輪唱……これも風流があっていいんじゃあないか。そうは思わないかい?」
「風流だか何だか知らないがそんなものを味わっている暇があるなら料理の手伝いでもしてほしいもんだね、ボス。」
「そうだぜ、旦那。それに顔に似合わないこと言っていると鬼が笑っちまうぜ。」
感慨に浸るエオナをシチューを作りながらヘイラとその横で早くも酒を飲んでいるオルガがバッサリと切り伏せる。
この二人が風情というものを理解する日は遠い未来の事だろう。
そう思いながら彼は一人静かにそれを味わうことにした。
「オルガ、あんたもだ。酒飲んでいる暇があれば私を手伝う気はないのか?」
「ない! こっちは半日も走ってくたびれているんだ。お前が動け、お前が。ずっと座っていただけだろうが。俺は絶対動かんぞ。」
「……ビーフジャーキーやるから皿持ってこい。」
「ふっ。しょうがねえな。300人の立食パーティだろうが何だろうが俺に任せときな。」
「……今の私があんたを見て感じた気持ちがあるんだが何かわかるか?」
「もちろんだ、恋だろ?」
「憐みだよ、その埃なみに軽いプライドにな。」
だが、それも後ろの会話が邪魔でろくに味わえない。
この二人がいる限りエオナに芸術を楽しむ時間は訪れないのだ。
仕方がないのでたき火の方へ向きなおす。
「ヘイラ君、そろそろ出来そうかい? オルガじゃあないが僕もお腹が空いてきたよ。」
「後は味を整えたら終わりだからな。もうちょっと待ってくれ。」
白い煙を上げている鍋をかき混ぜながらヘイラは言った。
中を覗くと町で買った野菜たちが食べられる瞬間を待っているように浮き沈みを繰り返している。
「しかし、こんなところで飯なんか作っていいのか? 盗賊たちに見つけてくれって言っているようなものだぞ?」
「分かっていないな、ヘイラ君。だからいいんじゃないか。今僕は君の料理に引き寄せられてくる盗賊を楽しみに待っているんだよ。」
「やべえぞ、この人。盗賊よりも危険だ……。俺の勘がそう告げている。」
「告げる前から分かっていただろうが。どっから見ても悪の根源にしか見えない顔なんだぞ。」
「時々僕は本当の敵は身内にいるんじゃないかという気持ちになるよ。」
そんなたわいのない会話をしていた三人であったが突然それを中断した。
近づいてくる足音に気が付いたからである。
ヘイラとエオナは武器に手を伸ばし、オルガは酒を自分の背後に隠す。
彼らは座ったままではあるが臨戦態勢に入っていき見えぬ暗闇の中から近づいてくる何かに警戒する。
だが、漏れ出る殺気が渦巻くその中に飛び込んできたのは拍子抜けするような者であった。
足音の正体は盗賊でもなければモンスターでもない。
まだ年端もゆかぬ12歳程度の少女だったからである。
ただ、ボロボロの服と見た目がただ事ではないことを示していた。
「これはまた随分と可愛らしい盗賊さんだね? いや、妖精さんかな?」
少女がまともな状況ではない事を最初に悟ったエオナがにこやかに彼女に近づく。
怖がらせない様にと即座にサーベルを置いた彼の行動はまさに紳士と言えるだろう。
だが、そんな行動は意味がない。
「怖がることはない。別に僕たちは君を取って食おうと思っているわけではないからね。」
「ひっ!」
なぜなら、そんなことをもみ消すほど彼の顔が怖いのだから。
更に今ならたき火による逆光により怖さ3割増し。
当然少女はへたり込み小刻みに震えだす。
それはまるで食われる直前のウサギのようであった。
「見事だな、旦那。ヤクザの取り立てでもそんなに怯えられねえぞ。」
「……あれっ? おかしいな。目の前がかすんできたぞ。」
「もういい、ボス……。あんたは立派だったよ。ただ少し運がなかっただけさ。生まれた時からな。」
涙で袖を濡らしながらエオナは下がり代わりに比較的まともな見た目のヘイラが少女に話しかける。
「悪かったね、怖がらせて。取りあえずこっちに来な。泥だらけじゃあまずいだろう。私の着替えを貸してやるよ。」
「は、はい。えっと……冒険者の方ですよね!」
エオナが目頭を抑えながらたき火の前に腰掛けるのを横目で申し訳なさそうに見たのち少女は慌てるように尋ねた。
「ああ、そうだ。あの強面とこの巨体の奴もこれでも一応は冒険者だから安心しな。危害はない……はず。」
「おい、クソ女。この俺のどこが危険だっていうんだ? 体は優しさでできているというのに。」
「バフ〇リンか、あんたは。」
ちなみに血潮は酒で、心は防弾硝子。
幾たびの飲み比べを越えて不敗である。
「あの……その……私、追われてて! それでここに来たんです。急がないとみんなが!」
そんな糞ほどの価値もない会話を切り裂くように少女は話しかけようとするが混乱しているのか言動がはっきりしない。
「おい、ガキ。まずは深呼吸でもしな。そしてその間に言いたいことを考えるんだ。国語の問題に答えるように要点だけをまとめてな。」
オルガは酒を飲みながらなだめると少女は何か言いたげな様子ではあるが案外素直に従った。
小さな肩が大きく持ち上がり下がる。
それを三回ほど繰り返すと荒れた呼吸が消えた代わりに彼女の心に余裕が生まれた。
そして自分の役割を再認識する。
伝えねばならない。
自らが命がけでここまで来たわけを。
「あの……助けてください! 盗賊が近くにいるんです! 私を追いかけてて――」
「そこまでだ、冒険者ども。おとなしく両手を上げな。」
しかし、その言葉は最後までいう事は叶わなかった。
途中で遮るように男の声が響いたからだ。
そのすぐ後に暗闇の中から次々と男たちが次々と姿を現す。
数にして10人ぐらいであろうか。
彼らは皆、物騒なことに鞘から剣を抜いている。
どうやら少女の後を追ってきたようだ。
そんな彼らは殺気立っており少なくても仲良く食事をするような雰囲気ではない。
「あ、あいつらです!」
「言われなくても分かっているぜ。それとも俺たちがあれを草原の妖精か何かと勘違いするとでも思うのか?」
「全くだ。あんなブサイク共が妖精なら絵本の中が地獄絵図になっちまうからね。」
少女は怯えたように声を上げるがオルガとヘイラは笑いながら酒を飲む。
その態度は危機感がないというよりは余裕と呼ぶべきものであった。
馬鹿にする行為などをはるかに超えた侮辱の極みに盗賊たちに苛立ちを募らせる。
「なんだ、こいつら? 舐めやがって……。まさかこの人数差で勝てると思っているのか? ぶち殺すぞ!」
「その言葉、綺麗にラッピングして粗品までつけてお返しするよ、盗賊さん。」
彼らの姿を見た瞬間に傷心から立ち直ったエオナがサーベルを拾いながら笑いかける。
その笑みは先ほど少女に向けたものとは違い邪悪な笑みであった。
まあ、傍から見ればどちらも同じにしか見えないのだが。
その明らかに舐め腐った態度のエオナに盗賊たちは額に青筋が浮かび上がってくる。
安い挑発にのるほど頭のない連中のようだ。
「てめえ、殺してやる……! 親でも誰か分からないほど滅茶苦茶になあ……!」
「おい、落ち着け。冒険者は生け捕りにするのが今回の仕事だろうが。」
一人冷静な男が歯止めをかけるがもう止まらない。
怒りを抑え込めるほど彼らの大半は人間が出来ていないからだ。
目が明らかに座っている男がナイフを片手にエオナの目の前まで近づく。
「謝るか? 今なら許してやる。痛い目は見てもらうがな。」
「あいにくだが僕はサルの言葉は喋れないんだ。ゆえに君に謝罪することもできない。申し訳ないね。」
男はその挑発に答えるより先に体が動いた。
ナイフでエオナの顔面を狙う。
至近距離からの先手。
負けるはずがないと男は確信していた。
だが、彼のナイフが血に濡れることはなかった。
それを握っていたはずの手首が彼の体から離れて地面に落ちてしまったからである。
「え……?」
男には何が起きたのか理解できなかった。
そして、理解する必要もなくなった。
なぜなら、次の瞬間にエオナが彼の眼窩からサーベル突き刺し脳みそをかき回したからだ。
力を無くした胴体を蹴り倒し、サーベルの血を払いながら悪魔が笑った。
「さあ、ショータイムだ。地獄へ旅立つ前に楽しんでいってくれたまえ。」