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第24話  敗走の騎士

蛇人族の呪い、言葉にすれば聞こえは悪いがその実態は決して逃れることのできない契約の様なものである。

破ればいかなる強者であったとしても確実に死が訪れる恐ろしいものであるが守れば何の問題もない。

その特性のため裏の世界や貴族の闇取引に使用されているという噂が後を絶たない代物である。


「こいつを使えば安心して勝負ができるだろう? なあ、エオナ。」


「……飲むか飲まないかは条件次第だ。」


エオナは苦虫を噛みしめるような表情をしている。

当然である。彼らに拒否権など存在しないのだから。

砲門がこちらに向けられている以上どんな条件でも受け入れざるを得ないのだ。


「そんな辛そうな顔しないでくれよ、俺まで辛くなっちまう。勝負の内容はいたってシンプル。一対一の決闘だ。そっちはそこのバンダナ男を戦わせろ。」


まさかの思いがけない提案にエオナは驚く。

こちらから鬼人族の血を引くオルガを出す以上高い勝算が見込むことが出来る。

だが、それが不気味。

クライムは確実にオルガの正体に気が付いているはずである。

圧倒的有利な状態からの負けが高いこの条件。

何かしら裏がある、その確信がエオナ走った。


「くそったれ野郎が……。何を考えているんだ?」


「おいおい、人聞きの悪いことを言わないでくれよ。俺がエンターテイナーだから面白そうな舞台を用意しただけさ。で、どうだ? 飲むか?」


「……良いだろう。飲んでやる。」


しかし、断るわけにはいかない。

罠があると知っていても進むしかないのだ。

隠居したとはいえ元は人々の上に立っていた領主。

頭のねじは外れても無力な人々のために戦わなければならないと言う信念は未だに健在である。


「命令だ、オルガ。必ず勝て。」


「そんなこと言われなくても分かっているぜ。ここの村人共とはまだ博打の決着を付けなくちゃあいけないからな。死なれたら困るんだよ。」


オルガはそう言いながら震えている村人に近づく。

そして、いつも通りの尖った犬歯が見えるほどの不敵な笑みを浮かべる。


「てめえら、なにビビってんだ。この俺が戦うんだ。安心してこの後の祝いの打ち合わせでもしてな。」


強気なこの言葉。

何も確証があるわけではないがそれでもは人々に安心感を与えるには十分であった。


「負け……ないよな、あんたなら!」


「勝てよ! あのシルクハット野郎に一泡吹かせてやれ!」


恐怖に捕らわれていた彼らは立ち上がり拳を握り占める。

その顔はオルガの物が伝染したように皆、笑みであった。

だが、一人だけ不安げな顔のエマは小さな声でオルガに尋ねる。


「でも、……相手は何か手を隠しているはずですよね。大丈夫なんですか……?」


その彼女の頭を大きな手でわしゃわしゃと乱暴に撫でる。


「馬鹿言ってんじゃねえよ。小細工? そんなもの力でねじ伏せてやるよ!」


「……。相変わらず発想は馬鹿ですがなぜか頼りになる感じがしますね。身長のおかげでしょうか?」


「違うな、俺がいい男だからさ。」


「それは違うと思います。あと、血が付いた手で触らないでください。」


「ほんとにどんどん生意気になってきたな、エ……ガキンチョ。」


「エマです! というか覚えてますよね、絶対! 言い直す前に一文字出てましたもん!」


「さて、何のことかな?」


賑やかになってきた村人に囲まれているオルガを眺めながらクライムは嘲笑う様にエオナに話しかける。


「ヒーローの座を奴隷に奪われちまったな。どうする? 奴を殺して地位を取り戻すか? 今なら手伝ってやるぜ。」


「舌の回るやつだ。冗談を言っている暇があるならさっさと本題に入ったらどうだ?」


「ノリが悪いな、エオナ。もっと俺とのコミュニケーションを楽しもうぜ。まあ、でもお前の言っていることにも一理あるな。話を始めよう。」


シルクハットを整えたのち一度指を鳴らし注目を自分に集める。

乾いたその音に騒がしかったオルガたちも彼の方へと視線を向ける。


「ルールは簡単。手出し無用のサシの勝負。気絶、もしくは死亡したら終わりだ。そして、一番重要なことを今から言うぜ。聞く準備は出来たか? 耳かきがないなら貸してやるぜ?」


その芝居がかった動きがさらにエオナをいらつかせる。

薄れつつあった青筋が再び額に戻ってきた。


「戦っている二人は見学している奴への攻撃を禁ずる。これだ、よく覚えとけ。破れば呪いの効果が降りかかるぞ。」


「なるほど、理解したぜ。で、俺と戦う奴はどこにいるんだ?」


「ああ、すぐそこにいる。盗賊どもの後ろにな。」


クライムが指を指した方向には目の下が赤く腫れているがその目に強い光を宿したアベルの姿があった。



***



今から数十分前、エオナたちが交戦を開始したころアベルは山の中を走っていた。

道なき道を走りきれいに手入れされていた鎧は何度か転んだのか土や落ち葉が纏わりついている。

だが、彼はそんなことを気にすることもなく走り続ける。


(もう無理……。死ぬ……殺される……!)


彼は逃げ出したのだ。

誇りも未来も何もかもを捨て去り無様に、ただ生き延びるために。


(死にたくない……! 生きたい……!)


涙を流し、転びながらも走るその姿はまさに負け犬。

人生の敗者のそのものであった。


(今は遠くへ……。あいつらが相手をしているうちに少しでも遠くへ……! 捕まってたまるか!)


先のことなど何も考えない。

今を生きるために、少しでも生きながらえるためにひたすらに足を動かし続ける。


(これしかないんだ、今の俺には……。これが最善、正しい選択……。)


代わりに頭をよぎるのは今の自分を正当化しようとするあさましい考え。

勝利を放棄したこの男はそんな無意味なものにすがっていた。


(恥じることはない……。生物として至極真っ当な考え……。俺は間違っていない!)


こうなってしまっては人間という生き物は終わりである。

落ちるとこまで落ちたアベルはさらにその下へと落ちていく。

敗者の更にした、屑の世界へと。


(でも、逃げたところでどうする……。何もない……。本当にすべてを失うだけじゃないか……。)


正論が時折頭の中を過ぎ去っていく。

だが、アベルはそれを無視して道も分からない山道を進み続ける。

すでに自分がどこを走っているのかなど分からない。

それでもただ逃げ続ける。


(公爵様の所へ行けば……もう一度頭を下げれば……。まだ、やり直せる……! 次こそ成功して見せる!)


無理な話である。

信頼を手に入れるためにこの仕事を受けたのにそれを逃げ出す者にチャンスなど与えられる筈がない。

それどころか知りすぎた彼に与えられるのは死という運命だけであろう。

しかし、今の彼はそんなかりそめの希望に頼るしかなかった。

そうでなければ心が壊れてしまいそうだったのだ。


「おいおい、アベル。随分急いでどこへ行く? パーティー会場か? なら俺も連れて言ってくれよ。踊りは得意なんだ。」


絶望の中にいた彼の目の前に突然新たな絶望が現れた。

それは腰を楽しそうに振りながらアベルに近づいてくる。


「ク、クライム様……!」


「涙なんか流してどうしたんだ? ママに叱られたか? パパに殴られたか? それとも――」


「見逃してください……! お願いします……!」


膝をつき目にはいっぱい涙を貯め懇願する。

クライムが本当はここにいないことなど知っているが

今の彼にはそれしかできない。


「んん~。逃げるつもりなのか?」


「……仕方がないんです。なぜならあそこには――」


「鬼がいるからか? それともエオナの存在か?」


「そ、そうです。だから、今回は諦めて私にもう一度機会を……! 次こそ、次こそは……!」


一体いつから見ていたのかは分からないがクライムは状況を理解している。

ならば話は早い。

自分の罪のなさを分かってくれるはずだと思っていた。

しかし、クライムは一度ため息をつくと急に真顔になる。


「ないに決まっているだろ、二度目なんて。俺はお前の親じゃない。いらない人間は切り捨てる。当然だろう?」


初めて見る笑顔以外の顔だった。

それは怒っているのでもなく、落胆しているのでもない。

汚物を見るような目つきであった。


「で、でも鬼人族ですよ……! 人が挑んでもいいものじゃない……。逃げるのこそがベスト、最良の選択……。」


「糞だな。弱い自分を正当化しようとしている。まさにゴミ屑、幸せになれない考え方だ。」


「だ、だったらどうしろっていうんだ! 打てるだけの手は打った。それでも届かなかった……。だから、逃げるしかないだろう!」


「……言い訳はそれで全部か? よく思いついたものだ、ここまで走っている間に考えたのか?」


つまらなさそうにアベルの弁解を聞きながら紙煙草を胸元から取り出す。

それを口に銜えると自然に火が付き先から静かに煙が立ち上る。


「別に逃げることに関してはとやかく言うつもりはない。実際、俺もまずい状況であることは理解しているからな。」


それだけ言うと一度吸い込み口から一気に煙を噴き出す。

暗い山の中ではそれがとても白く見えた。


「でもなぁ、お前は今だけを逃げているから気に食わない。先のことなど見ずに今だけをだ。心まで敗残兵になっている。」


アベルにはこの男の言いたいことがよく分からなかった。

意味のない説教を聞いている暇があるなら一歩でも遠くへ逃げたかった。


「早く逃げたいって顔だな。だが、逃げてどうする? いくら走ったところでお前の運命に大きな変化はない。それなら俺とお話でもしようじゃあねえか。」


彼は空中に腰を掛けると椅子が現れる。

山の中には似合わない美しい刺繍が施された高そうな回転式のイスであった。


「そうだな、じゃあお前さんの目をつぶっていること、この先の未来についてでも話そうか。」


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