第18話 生き残るための道
あの時はまさかこんなことになるとは思わなかった。
事実、つい今しがたまでうまくいっていたのだ。
アベルに任せられた仕事は盗賊団がバラバラになったり、内部抗争を起こさせないためのストッパーである。
これは簡単であった。
能力者であることと騎士であるということを使えば盗賊たちは渋々ながらもついてきてくれた。
(順調……。順調だったんだ。なのに何で……。あの化け物がここにいる!)
見えていたはずの栄光への道が煙の如く消えていく。
悔しさから涙がぽたぽたと目からこぼれる。
(才能、器、努力、勝者になるためのありとあらゆるものを持っているこの俺がまた負けるのか……? また、不運などという曖昧なものによって……。)
押し寄せてくる不の感情に負け心が壊れてしまいそうになる。
とめどなく流れてくる涙を何度もぬぐう。
(もう嫌だ……。逃げ出したい……。地位も名誉もいらない……。ただ、生きていたい……。)
だが、そんなことは出来るはずがない。
彼に残された道はオルガを殺すほかにはないのだ。
むろん、彼もそんなことは百も承知である。
(分かっている、分かってるんだ……。そんな至極当然のことは……。でも、怖いんだ……。死ぬことが……。)
恐怖、生への執着、その二つが渦を巻くように襲い掛かる。
それをねじ伏せるがごとく、嗚咽を漏らしながら歯が軋むほど食いしばる。
そして、堂々巡りをしていた思考がようやく終着点へとたどり着く。
(勝つしかない……。生き残るには勝つしかない! 止まってたまるか! 俺は未来のある人間だ! あんな人間もどきに邪魔されてなるものか!)
目には一杯の涙をためているがアベルの瞳には再び火が付いた。
肩で息を整えている彼に頭領たちが話しかける。
「突然だな。まあいい、攻撃するってなると部隊を編成しないとな。」
「おおいてえ。それじゃ、先生。突き飛ばしたこと許すんでわしの団から行かしてくれよ。なあ!」
尻餅をついていた頭領は座ったまま怒りを抑えながらアベルを睨みつける。
だが、鬼気迫る表情でいる彼はそんなことを気にする余裕はない。
「やるか! そんな無意味なこと! 結果は見えてるんだよ! だって、あそこには――」
鬼がいるんだ、そう言いかけた言葉を喉元で止める。
言っても彼にメリットがないからだ。
金と後ろ盾のおかげで繋がっているだけの頭領たちは相手が鬼であると知ればほぼ確実に逃げる。
知恵が多少なりとも回る人間であれば死の海に繰り出す泥船には乗りはしない。
この世界の人間にとって鬼人族とはそういった存在なのだ。
「あそこには……なんだ? さっさと言ってくれよ。年寄りは待つのが嫌いなんだ。」
「……知る必要はない。こっちの話だ。お前らは黙って俺に従っていればいい。」
「……分かった。まあ、あんたが化けの皮はがすぐらいやばいのがいるってことで認識しておくよ。」
初老の頭領が素直に納得すると他の二人もひとまずは頷いた。
他人と話すとわずかにだが頭の中が落ち着いてくる。
(あいつが鬼である以上作戦なんてものは組むだけ無駄だ。正攻法では倒せない。何か策を立てなくては……。)
現状における最善の策、それを必死に模索する。
そして、それは簡単に閃いた。
「……おい。今あの家を狙っている砲台は何門ある?」
「ええと……、たしか16門のうち6門だ。」
「よし、そいつをあの家に撃ち込む。全弾だ。」
「ちょっと待て! 村人ごと……人質ごと殺す気か?」
「撃たねばそれ以上の死人が出る。分かったら砲撃の命令を出してこい!」
ただ事ではないことをアベルの態度から察した頭領たちはそれ以上言及することは出来なかった。
結果、苦い顔をしながら一人の頭領が席を立ち外に出ようと扉に近づいた瞬間にそれを貫通して刃が飛び出した。
「うおっ!?」
その一撃を寸でのところでのけ反りかわす。
手ごたえがなかったためか刃は再び扉の中に吸い込まれていった。
「いやあ、当たったと思ったんだけどね。僕もまだまだ修業が足りないという事かな。」
そして、聞き覚えのない声と共に扉が開き声の主がゆっくりと姿を現した。
「抵抗しないでくれよ。民家の中で戦ったら苦情を入れられてしまうからね。」
それは凶悪な顔の持ち主のエオナであった。
彼は室内には入らず不気味な笑みで頭領らを見ている。
「誰だ、てめえは! わしらが誰か知ってて喧嘩売ってんのか!」
「頭領、だろ? 上で殺してきたのとは数が合わなくてね。わざわざ下山してきたんだ。山なんてあまり登らないから足にタコができてしまったよ。」
はったりか事実か分からないが目の前の男の言葉に頭領たちに緊張が走る。
本部に残してきた頭領の一人はかなりの腕の持ち主だった。
それを破ったのだと考えるとこの男の強さは計り知れない。
「なんだ、急に静かになって。葬式じゃないんだから。まあ、抵抗するならここが葬式会場になるけどね。」
「おい! どういうことだ! 山の中の連中は何をしたんだ!」
「ああ、彼らか。数は多かったが始末させてもらったよ。誰だって道行く先にゴミがあれば踏み潰して進むだろう?」
エオナは見下すような目をしながら手を口に当て笑った。
そんな彼を見ながらアベルは歯ぎしりをした。
(こいつは恐らく山に潜んでいた冒険者だろう……。だがなぜ、こいつはこのタイミングでここに来た? この最悪の瞬間に!)
彼が考えていたことはエオナを殺すことではなくオルガの処理であった。
戦闘においてよそ事を考えるなど論外な事であるがこの状況に限っては吉と出た。
エオナの考えが読めたのである。
(分かったぞ! こいつは砲台を恐れているんだ! 撃ち込まれることを! あの鬼を失うことを!)
そう思うと感情的なものを抜いて彼のことを見えるようになる。
今まではサーベルや手と足先の動きしか見ていなかったが全体的に観察できるようになった。
(よく見れば服のあちこちに葉や蜘蛛の巣、枝が付いている! 盗賊たちの中を通ってきたなんて嘘! 本当は道なき道を急いで降りてきたんだ! こいつも追い込まれているんだ!)
アベルの読みは的中していた。
中からは確認できないがエオナは外では大勢の盗賊に囲まれた膠着状態である。
村に入ってからわずかな時間とはいえ大暴れしたので当然である。
現在は人形で人質を一人取り権勢をしているが長くは持たないだろう。
家の中に入らないのは完全に退路が断たれるからである。
山の上から村を見ていた時、頭領たちが砲撃の準備をしようとしていると思い急いで降りてきたのであり大した作戦を持っているわけではない。
(だが、俺を取り囲む現状は厳しいまま……。こいつを人質にして鬼と交渉するか? 駄目だ、キレて暴れられれば一巻の終わりだ。)
アベルはオルガという男の性格を全く把握していない。
それなのにも関わらず下手に目の前の男に手を出せば一気に先が読めなくなる。
(今の俺に最善は砲撃を行う事、ただそれだけ。こいつの処理は後でいか様にもできる……。)
命がかかっている以上、大きな賭けには出たくはない。
憶測に憶測を塗りつぶすという形ではあるが彼は安全策を優先的に選んでいった。
(そうと決まれば話は早い。今すぐこいつを倒し――)
だが、それが悪かった。
思考の中心を敵ではなく自分に置いていたため真の答えに辿り付くのに時間がかかってしまったのだ。
(いや、待て! なぜ、こいつは今悠長に話をしている……? 時間がないのは奴とて同じはず……。いやまさか、こいつは囮なのか!)
エオナの目的は彼の読み通り指揮官の動きを封じ込めることであるのは間違いではなかった。
しかし、その先があったのだ。
辺り一面の盗賊がエオナに注目している今、警備は手薄になってしまっている。
それを狙いエオナはヘイラとオルガの合流を図ったのである。
(まずい……。あの鬼を解放されれば勝ちの目は完全に消える……。何とかして阻止しなければ……!)
もう時間がないなど以前の問題である。
今この瞬間にも鬼が扉の影から現れてもおかしくはない。
(大砲の命中精度から移動されればその時点で詰み……! 奴を何とかしてあの場所にとどめなくては……!)
直接的な戦闘を何とか避けようとしていたアベルであったが事態がこう動いてしまってはどうしようもない。
準備から発射までかかる約5分という時間を稼がなくてはいけなくなったのだ。
(クソ……! こうなったら俺が直接時間を稼ぐしかないじゃあないか……!)
残された唯一の道。
綱渡りの縄の如くか細いその道。
それをアベルは突き進まなくてはならない。
生きるために、勝つために、栄光を得るために。
(覚悟を決めろ、プロメッサ・アベル……。5分でいいんだ。勝たなくてもいい、あそこに居させさえすればそれでいい……。奴さえ殺せば何とかなる!)
落ちた騎士による起死回生の一手が今打たれようとしていた。