第17話 落ちぶれた騎士
どこから俺の人生は狂ったのだろう。
アベルは自分の過去を振り返ってみる。
彼は王の近衛兵を務める騎士の名家であるプロメッサ家の長男として生まれた。
母はすぐに病死してしまったが、父と使用人たちに愛され育った彼は言葉の通り幸せな少年時代を贈った。
騎士の学校に入学しても何一つ不自由な思いをしたことはなかった。
むろん、親の七光りのおかげだけではない。
勉学においても剣術においても彼が他の生徒より抜きんでていたからである。
他人を自分より下に見る性格とそれを隠す態度はこのころに生まれた。
卒業後も名門貴族の騎士として、文官として活躍し高い評価を得る。
そして、25歳になるころには能力も開花し近衛騎士団に推薦されるほどに成長していた。
しかし、騎士としての最高の地位を手に入れようとしていたがそこは彼にとっての通過点に過ぎなかった。
「俺は誰かを守る側の様なつまらん真似はしたくない。そんな役回りは騎士道とやらを大事にする馬鹿どもに任せておけばいい。俺は違う。守られる側こそがこの俺にふさわしい。」
この考えを持つ彼は騎士ではなく貴族になろうと考えていた。
これまでの人生は貴族の婿養子にふさわしい地位を得ることために努力してきたのだ。
そして、その努力が実を結び侯爵の次女との縁談までこぎつけた。
まさに順風満帆、成功者の人生、誰もがうらやむ騎士と称賛される。
だが、彼の人生が上手くいっていたのはここまでである。
隠居していた父が酔った勢いで人を斬り捕縛されてしまったのだ。
父は責任を取ったつもりだったのか獄中で自害するも世間の目を変えることは出来なかった。
アベルの評価は非の打ちどころもない騎士から殺人鬼の息子という評価に変わってしまったのである。
つい先日まで親し気に話していた友人や仕事仲間さえ腫物を扱う様に彼と接した。
騎士の称号の剥奪までは免れたものの縁談は取りやめになり、勤めていた貴族からは暇を出された。
そこから先の転落振りは言うまでもない。
汚名により彼を雇ってくれる場所はなく、金はなくなり住み慣れた家も売らざる負えなくなってしまう。
家を売った金も使用人たちに支払うと雀の涙ほども残らなかった。
彼は家族も部下も未来も何もかもを自分ではどうしようもなかったことにより失ってしまったのだ。
それから、一年間ほどは弱小貴族に頭を下げに行き交渉する毎日。
それでも彼は諦めなかった。自分が再び元の地位を取り戻すことを。
あの栄光と名声を自らに呼び戻すということを。
さらに上に上り詰めることを。
そんな彼の願いを神は聞いてくれていたのか復帰の機会は突然やってきた。
いつものように暗くなるまで歩き倒し頭を下げすぎて体も心も疲れて家に帰る。
なけなしの金を叩いて借りている小さな一軒家である。
最後の意地で借りたその家の門前に見知らぬ男が立っていた。
そいつはスーツを着てシルクハットをかぶった針金細工のように細身な男だった。
「よう、今にも首をくくりそうな顔をしているな。今日も成果なしか?」
その男は失礼極まりない態度でいきなりなれなれしく話しかける。
「なんだ、貴様は? 俺は気分が悪いんだ。殺されたくないならどこかへ消えろ。」
初心者の冒険者が扱うような安物の剣に手をかけるも男は相変わらずニタニタした気味の悪い笑みを浮かべていた。
「そいつは怖いな。お前の親父がやったように切り殺されては死に切れん。おおと、すまんすまん。口が悪いの生まれつきでね。余計なことをたくさん喋っちまう性分なんだ。」
「要件を言え。ないのならさっさとどこかへ行け。貴様と話しても腹が立つだけだ。」
芝居がかった喋り方をする奇妙な男にイラつきを覚えながらも最後の警告をする。
それでも男は愉快そうにケタケタと笑うとシルクハットを指先で回しだす。
「話は最後まで聞くべきだぜ、坊主。そんな態度じゃ幸せの青い鳥は逃げちまうかもしれないぞ?」
「はっ! 貴様が青い鳥だとでもいうのか? ゴミを荒らすカラスかなんかの間違いだろ。」
「まあ、そうかっかするなよ。これでも俺はお前を雇いに来たんだぜ。」
警戒を緩めないアベルに対して男は帽子をかぶり直しコツコツと靴音をならしながら歩き出す。
そして、家の前の郵便受けの近くに立つと不気味なほど口角を上げる。
「この中にお前さんの運命を大きく変える……かもしれない手紙が入っている。騎士として再び成り上がりたいならこいつを読むべきだぜ。」
「そこまでいうならお前がその中から手紙を出せ。何か仕込んでるんじゃないか?」
その言葉に男はわざとらしく肩をすくめながらこう言った。
「申し訳ないがそれは出来ない。こっちにも都合があるんだ。だが、約束しよう。お前の言う罠は仕掛けていない。」
「信用できんな。もういい、お前の戯言には聞き飽きた。自警団には通報しないからどこへでも消えろ。」
「強がりはよせ。そんな剣じゃ大根も切れないぜ。それにお前の目には迷いがある。」
「迷い?」
男の言葉に眉をひそめながら聞き返すと彼は得意げに話し出す。
「そうだ、迷いだ。お前は今ほんの少し、ちょびっとだけだが俺の話に期待している。もしかしたら本当なんじゃないかってな。だから、俺に攻撃をせずこうやって間合いを取り続けている。」
「仮にそうだったとしてもお前を信用することにはならない。」
男の言っていることは確かに当たっていた。
宝くじの当選を祈るのに近い感情ではあるがわずかには期待していたのである。
「別に俺を信用しなくてもいい。俺の仕事はこの手紙の持ち主から受け取るかどうかを見てこいと言われただけだ。これはお前を試しているんだよ。この条件でも信用してくれるかどうかってな。」
「随分勝手な言い分だな。怪しまれるだけの環境を整えておいてか? 実に馬鹿々々しい。」
「では受け取らないか?」
「いや、受けるさ。俺を殺すにしても手が込みすぎている。逆にそこが信用できた。」
彼は今の自分を襲う価値が何もないことを理解していた。
それに何より男の言っていることに興味が出たのである。
(まあ、最低限の安全は確保しておくがな。俺の能力を使えば大丈夫だろう。)
剣から手を放しアベルは不敵に笑いながら男のいる方へと歩いて行く。
そして、郵便受けの前に立つと首だけで男の方を向いた。
「今から中を見るが仕掛けがあり次第貴様を殺す。だから、両手を上げて待っていろ。」
「用心深い奴だ。しょうがねえな。いいぜ、間抜けに見えて恥ずかしいからさっさとやってくれよ。こんな姿を女に見られたら嫌われちまうぜ。」
男は抵抗も文句も対して言わずに素直に両手を上げた。
アベルはちらちらと警戒しながら中に入っていた封筒を取り出す。
心配の種であった罠らしきものはなかった。
何も書かれていない真っ白な封筒であったが指で触れた瞬間にアベルは気が付いた。
(こいつは最高級の紙で出来ているじゃないか! しかも貴族が使用するタイプの紙だ。少しむかっ腹が立つ男だが信用してもいいのか?)
疑惑とわずかな希望に押されるように封を切り中に入っていた便箋を無言で読んでいく。
読み進めるうちにアベルの顔からは汗が噴き出してくる。
だが、それと比例するように彼の口角も上がっていった。
そして、三回読み直した後に男に対して跪いた。
「公爵様からの使者だとは知らずに無礼の数々、どうぞお許し下さい。」
「頭を下げなくていい。俺はあいつの部下じゃない。それより、明確にしておきたいことがある。分かるか?」
「はい、このお話謹んでお受けさせていただきます。」
「そりゃよかった。ここで人を殺すと処理がめんどくさかったんだよ。ああ、本当に良かった。」
男はそう言いながら暗闇に向かって合図を出すと目では見えないがかなりの数の何かが離れて行くのを感じられた。
断われば殺されていたのだと悟ると先ほどの汗とは違うタイプの汗が流れてくる。
「そんじゃあ、採用試験の説明をするから明日の丑三つ時に王都の公爵邸の東門に来てくれ。そして、門を8回叩くんだ。リズムに乗っちまって沢山叩くなよ。その瞬間に命日になっちまうからな。」
「承知しました。あと、手紙に書いてあった通りこのことはプロメッサ・アベルの名に懸けて消して他言は致しませんのでご安心を――」
そう言いながらふと男の方を見るとそこには誰もおらず目がくらみそうなほどの暗闇だけが残されていた。
翌日に公爵邸の門を叩くまではすべてが半信半疑であった。
たちの悪いいたずらだったのではないだろうか、あれはすべて自分が見た都合のいい幻覚だったのではないかという様々なことが浮かんでは消える。
だが、門が開いた直後に確信する。すべてが真であったのだと。
顔色の悪い門番に案内されながら屋敷の中を歩いて行く。
ろうそくに照らされて肖像画や高級そうな壺が現れてはまた見えなくなる。
「ここでございます。中で公爵様がお待ちになっています。」
「ありがとう。これはお礼だ。取っておくと良い。」
アベルは門番にいくらかの金を渡した。
金に余裕がないのにそんなことをしてしまったのは調子に乗っていたからであろう。
門番が無言で頭を下げ歩き去っていくのを確認したのち気を引き締め直して扉をノックする。
どうぞという声が中から聞こえて来たので緊張しながら扉を開けた。
「失礼します。プロメッサ・アベル、ただいま命をうけ参上仕りました。」
「そう、固くならなくてもいい。では、面接を始めるぜ。つっても、仕事の依頼だがな。」
部屋の中には昨晩訪ねてきた奇妙なシルクハットの男が机に座りながら待っていた。
一瞬頭が停止したのち色々尋ねたいことが浮かんでくる。
困惑しているアベルの姿を見て男は愉快そうに笑った。
「聞きたいことがあるみたいだから答えてやろう。だが先に教えておくことがある。俺は公爵じゃない。あいつは今領地にいてここにはいないからな。俺はあいつの代理だ。」
「で、では僭越ながら質問させていただきます。あなたは何者なのでしょうか?」
「俺は俺だ。階級や職業にはとらわれていない男だ。まあ、指名手配はされているがな。」
「し、指名手配ですか。」
男の冗談として笑い飛ばせばいいのか、事実として受け止め捕まえればよいのか様々な考えが脳裏を走る。
「そうだ。これでも有名なんだぜ。シュクリス・クライム。聞いたことないか?」
聞いたことがあるどころの人物ではない。
スギリア全土で犯罪行為を行っているテロリストのリーダーである。
アベルも子供の頃から人類の恥として何度も聞かされたことがある。
(公爵はそんな奴とつながっていたのか! だが、知ったところでどうする気も起きないがな。今の俺にとってこいつは公爵に取り入るために必要な人間なのだから。)
クライムは、アベルの考えなど気にしない様に続ける。
「まあ、俺のことはどうでもいい。それよりも聞くべきことがあるだろう?」
「単刀直入に言います。仕事とはいったい?」
「まっすぐでいいな。若さとはそうでなくっちゃな。」
クライムは一度手のひらを叩くと大げさな部屋の中を歩き始める。
アベルはせわしない奴だと思いながらも表情には出さない様に気を使っている。
「お前は昨日俺たちから『信用』をして貰うために手紙を受け取った。あの行動により俺たちもお前を『信用』することにした。」
アベルは無言のまま男の動きを目で追いながら話を聞いている。
「だが、まだお前を雇うことは出来ない。俺たちはお前を『信用』はしていても『信頼』はしていないからな。」
「短く話しては貰えないでしょうか? 私には話の先が見えません。」
なかなか本題に入ろうとしないクライムにアベルはイラつきを抑えながら言った。
「要は信頼を手に入れるために仕事を受けろって話だ。内容も簡単だぜ。盗賊と人質と一緒に1週間くらい過ごすだけ。泥団子を作っているガキでもできる簡単なものだ。」
「ちょ、ちょっと待ってください! 盗賊? 人質? 話の内容を聞かなくても犯罪であることは分かります! 私にそれを受けろと?」
「そうだ。無論、断っても構わない。それならこの机で遺書を書いていくと良い。最高級のペンと紙があるぜ。」
ここに来てようやく引き返せないことをアベルは悟った。
敵の胃袋の中と言ってもいいこの場所まで連れてこられてしまったのだ。
退路など準備されているはずもない。
だが、アベルもこの仕事を断るつもりなどさらさらなかった。
(断る? 笑えない冗談だ。見知らぬ人間がいくら不幸になろうが知ったことではない。俺の未来のための踏み台になってもらおう!)
彼には自分以外の人間の姿など見えないし見るつもりもない。
言葉のままに自己中心的な男である。
「引き受けましょう。その仕事。」
「良い目になったな。狩る者の目だ。やっぱり人間はそうでなくっちゃな。」
クライムはシルクハットのつばを持ち上げながらニヤリと笑った。