プロローグ
かつて最弱の種である人類は己れらの存命を賭け獣人族との戦争へ踏み切った。
そして、先制布告もなしに不意打ちを仕掛けた人類は見事に獣人族の一部領土を占拠することに成功する。
人々は歓喜に満ち溢れ、その後の勝利を夢見た。
だが、それは天に手が届かぬようにはかなき夢に過ぎなかった。
時が立つにつれ種族の差がものを言い、じわじわと押し返され始めたのだ。
人類側は名のある冒険者や志願兵だけでは戦況の打破は不可能と判断し二つの作戦に出た。
一つは人海戦術。
特殊志願兵と名を打ち一般市民から多くの若者を強制的に死地へと送り込んだ。
もう一つはゲリラ作戦。
優秀な騎士や冒険者の中からえりすぐりを選別し、「勇者」という一個小隊を編成。
獣人領土に潜入させ作戦を展開させるというものであった。
その作戦内容は井戸に毒を流し込む、無抵抗な一般人を虐殺するといった非人道的なものであり、戦況を好転させるというより嫌がらせを目的にしたものだった。
この二つの作戦の効果と偶然にも相手陣地で発生した蝗害の影響により戦争は和平交渉へ移動。
結果、人類側は人質の返還に応じることを約束し一部領土の入手に成功、4年半に及ぶ戦争は終わりを告げる。
当時の人口の25%に当たる約1200万人の屍の上に降り立った事実上の勝利である。
そして、戦後に英雄のようにあがめられていた「勇者」の生き残り5人には公爵の位を与えそれぞれに人類全領土の6分の1の自治を任せられた。
この戦争は流れた多くの血を薔薇になぞらえ「ローズ戦争」と呼ばれることとなる。
物語はその戦争から300年後の人間の持つ唯一の国、スギリア王都のコロシアム地下より始まる。
そのランタンの灯りのみが頼りの場所へ足を踏み入れるとその異様さ目を疑うであろう。
たった一つしかない細い出入り口の周りにはおびただしい数の砲台が奥へ向かって口を揃えているからだ。
その周りには常時砲撃手が配備されており、まるでこれより籠城戦をしようといわんばかりの気が満ち溢れている。
仮に地下より一個大隊が押し寄せて来たとしても彼らは引けを取ることはないだろう。
それ程の戦力である。
だが、彼らが警戒しているのはそんなものではない。
ではそれはいったい何か。
それを知るためにはさらに奥へと進まねばならない。
砲門の向く方へ進み、入り組んだ地下の迷路の先にその答えはあるのだから。
ランタンの炎と壁を走る虫たちの他に動くもののいない通路の先には厚さ50㎝の鉄の門がある。
その奥の牢に答えは静かに座っていた。
そこにいたのは大地を蹂躙するモンスターでもなければ、空を支配する龍でもない。
手足を鎖で縛られた全身傷だらけのたった一人の若い男である。
男の名はオルガ。
彼について説明するのならばまず彼がなんなのかというところから始めなければならない。
短刀直入に言おう。
こいつは極めて珍しい史上最強の種族である鬼人族と人間のハーフだ。
名を付けるのならばさしずめ半人半鬼といったところだろう。
彼が投獄されている原因はその血ゆえである。
鬼人族は圧倒的な筋力を持ち、魔法だろうが特殊な能力だろうがすべてを力でねじ伏せる種族だ。
簡単に言えば人間などという最弱の種では手も足も出ずに殺されてしまう。
その力を受け継いでいる彼が危険な生物として捕らえられているのは至極当然のことだろう。
だが、彼が危険視されている本当の分けはその先にある。
先ほど鬼人族について説明したが彼らには強さ以外に最大の特徴がある。
それは雑食性であるという事だ。
彼らは木の根っこから龍までと口に入れられるものは何でも食べる。
つまり人間もオルガや彼らにとっては捕食する対象に入るのだ。
餌である人間にとっては生きているだけで罪、排除しなければならない対象。
それでも彼が今日まで生き長らえているのはその希少性が金に変わるからである。
半人半鬼はオルガを含め僅か5体しか確認されていない。
そのため彼を利用し幼き頃は見世物小屋、成長してからはコロシアムで戦わせることによって一部の人間は巨万の富を得ることができた。
そのような理由が彼にとっては幸運ではないが奴隷として生き延びるという結果に繋がったのだ。
しかし、そのため彼は何も知らない。
文字、歴史、政治をという一般教養どころか誰もが知っている親の愛情さえも知らないのだ。
彼が知っていることと言えば生物の殺し方と差別的な視線ぐらいである。
そして物語が動き出す今日、そんな彼に初めて女神がほほ笑んだ。
殺し合いを知らせに来る案内人以外に誰も来ないこの場所に珍しく人間が来たのだ。
客人は2人。
一人はスーツ姿に二本のサーベル、背中にはマントを羽織っている男。
もう一人は自らの半身ほどの大きさもある柄頭を持つハンマーを背負っているポニーテールの少女である。
少女の持つランタンの炎にゆらゆらと影を躍らせながら彼らはオルガの檻の前に立った。
男の方がオルガに優しく話しかける。
「10年ぶりだね、オルガ。ここでの暮らしはどうだったかい?」
「なかなか快適だったぜ、旦那。強いて文句を言うならば日当たりが少し悪いってことぐらいだな。」
オルガは声の主の正体にすぐに気づくとニヤリと笑いながら答える。
逆立った髪の下にある小さな二本の角と鋭く尖った犬歯が彼は人間ではないことを知らせていた。
「お茶の一杯でも振る舞ってやりたいが残念ながらここにはティ―カップすらありゃしない。代わりにおやつのゴキブリでも食べるか、旦那?」
「いいや、結構。気持ちすら受け取ることを拒否するよ。」
「そいつは残念だ。以外にいけるんだぜ、これ。」
旦那と呼ばれた男も笑顔で対応する。
だが、ランタンに照らされた彼の顔は悪人というにはあまりに言葉が足りないほどの恐ろしい顔であった。
「それにしてもあいっかわらず鬼面みてえなツラしてやがるな。鬼の俺でもブルっちまうぜ。」
「君の人のコンプレックスを抉る口の悪さも健在のようだね。一つ残念なことはそれを懐かしむよりもむかっ腹が勝ってしまっているという事かな。」
狂気に満ちたような顔をしている彼の名はジンキョウ・エオナという。
こんな顔ではあるが彼は「勇者」の子孫であり公爵という地位についている。
この国において五本の指に入るほどの権力者なのだ。
こんな顔なのに。
「さて、オルガ。あの日の約束通り僕が君を買いとり自由を与える。次は君があの日の約束を守る番だ。」
「もちろんさ、旦那。自由をくれるのならあんたが悪魔だろうが死神だろうが約束は守るぜ。」
「そいつを聞いて安心した。それじゃあ――」
エオナは牢の前に立ち手を差し出した。
「共に冒険者になろう。そして出かけるんだ、心躍り血肉が燃えるような素敵な冒険に!」
「おうとも。うまい飯と酒、そしていい女がいるのなら俺は地獄だろうとどこへでもついて行くぜ。」
そして、それを座ったままオルガは固く握る。
口の端からゴキブリの足が飛び出していることに対しては特に言及しないでおこう。
「ところで旦那、そっちの女は何もんだ? 会話に入ってこねえからけど俺にしか見えない幽霊ってことはねえよな。」
「ああ、紹介するよ。彼女はヘイラ君だ。僕の護衛で君の同僚になる若いけどベテランの冒険者だよ。」
「そういうことだ、え~と……オルガ?」
首から冒険者の証であるドッグタグを下げた少女ヘイラはオルガに手を差し出す。
だが、彼はその手を掴もうとしない。
ジロジロと彼女を観察しながら難しそうな顔をしている。
「なんだ? そんなに見つめて。いきなり私に一目ぼれでもしたのか?」
「いいや、違うね。どうせならボインボインのいい女とパーティを組みたかったと心の中で嘆いていただけさ。」
「ああっ!?」
突然のオルガの挑発にまな板ことヘイラは明らかに機嫌を害したような声を上げる。
そして、無意識であると信じたいが片手でハンマーの柄を掴んだ。
「私の聞き間違いか? 怒らないからもう一度言ってみろ。」
「お、おいヘイラ君……。落ち着いて――」
「止めてくれるな、ボス……。売られた喧嘩は買うのが冒険者だ……。」
「何度でも言ってやるぜ。俺はボンキュボンが好きでキュキュボンは好みじゃねえて言ったのさ。」
「おお、そうか。私は来年から新たな桃太郎として名をはせなくちゃあいけなくなったんだな。」
なめらかな胸を持つ彼女はランタンを置き青筋を浮かべながらハンマーを構える。
その様子が気に入ったのかオルガは更に口角を吊り上げ笑うと立ち上がった。
座っていた時では分からなかったが彼は身長が2mに届くほどの巨体の持ち主であった。
だが、ヘイラが目を惹かれたのはそれではない。
彼女が注意を引かれたのはまるで彫刻のように完成された筋肉の鎧である。
「犬、猿、雉の助けは必要ねえのか、ペチャパイ? それともきびだんごを家に忘れてきたのか?」
「援護はいらなかったからね、全部昼飯に食ったさ。」
ヘイラは軽口を叩きながらハンマーを抜き大きく引く。
この瞬間にはもう彼女の怒りは冷めていた。
それでも戦闘を続けようとしたのは純粋に自らの力がこの化け物に対してどこまで通用するか気になったからだ。
オルガもそれを悟りニヤリと笑う。
「手加減はしてやる。準備はいいか?」
これは言うならば互いの実力を図るための挨拶。
同僚として、仲間としての力を図るための儀式。
初対面の二人がこのような喧嘩の真似事でそれを行おうとしたのは単に血の気の多さが原因であることは言うまでもない。
悪いところは似通った二人である。
「いつでもどうぞ。だが、女の子をあまり待たせると嫌われるよ。」
「そいつは困るな。それじゃあ、行くぜ!」
彼は牢の中で大きく振りかぶる。
広がった体の大きさについてこられなかった鎖がおもちゃのように千切れ地面へと向かう。
それが地にぶつかり音を立てた瞬間を合図にオルガは拳を振るった。
横振りに振るったそれは鉄格子など無いもののようにいとも簡単に破壊しながらヘイラへと襲い掛かる。
彼女も負けじとハンマーを振るいそれに答えた。
鉄と生物の拳がぶつかったとは思えない音が地下に響く。
打ち勝ったのは、オルガの拳。
押し返したというよりそのまま振り切ったという表現が最も正しいほどの圧倒的力量差であった。
負けたヘイラは即座に後方へ飛び宙を回転して衝撃を逃がしてなんとか回避する。
腕ごと持っていかれてもおかしくなかったのにも関わらず五体が欠けることもなく逃げ切れたのは彼女の実力ゆえであろう。
冷や汗を流しながら笑う彼女にオルガは追撃をせずに話しかける。
「てめえ、『能力者』か。通りで手ごたえがおかしかったわけだ。それに壊すつもりで殴ったハンマーも壊れなかったしな。」
「まあな。だが、読みが甘かった。こいつを見ろよ。」
プラプラと力なく揺れる右手を持ち上げる。
「能力使ってまで逃げたのにこのザマだ。手首が外れちまったよ。これじゃあ、スプーンも持てやしない。」
「そいつは悪かったな。お詫びに俺が二人羽織で食べさせてやろうか? おでんを。」
「結構だ。あって数分だがあんたなら口の横に当ててくることぐらいは予想がつく。」
笑いながら彼女は左手で外れた手をはめ直す。
そして、ハンマーをしまいオルガに再び手を差し出した。
「それじゃあ改めて仲よくして行こうぜ、オルガ。」
その手を今度はしっかりと彼は握りしめる。
そして、悪意のない屈託な笑顔で彼も答えた。
余計な一言を添えて。
「俺からもよろしく頼むぜ、ペチャパイ。」
その後地下には再び拳と鉄の音が響き、黙って見ていたエオナは今後の先行きの不安さに静かにため息をつくこととなった。
「……僕は人選を間違えたような気がする。」
頭を抱える彼の悩みは2人に届くことはなく消えていった。
かくして馬鹿な鬼と悲しい胸をもつ少女と極悪な顔の男の冒険が幕を開けた。
この物語はのちに「革命期」と呼ばれる時代の業火の中を、一匹の化け物がどのように駆け抜け、そしてどのように振る舞ったかという物語である。