#1 適応能力には自信がある!
林 光輝、二十八歳。大型量販店で働くアパレル店員。彼女なし(今は!)趣味はゲームとかアニメとか、特技はなんだろう……まあ、とくにこれといった特徴のない凡人だけど、一生懸命生きていたつもり。
なのに、こんなにあっけなく人生って終わってしまうもんなんだな。ああ、こんなことなら、今日は仕事サボればよかった。数十年に一度の大雪だってのに無理して出勤して、客なんか来るわけないじゃん。無駄な時間を費やした挙句、帰り道で谷底に真っ逆さまなんて。
「ついてないな」
思わず発した言葉に驚く。あれ? オレ、生きてる?
ゆっくり目を開けると、ミラーに間の抜けた男が奇妙な格好で映っていた。もう、どっちが上か下かわからない。きちんとシートベルトしていてよかったな、うん。
右手、左手、右足、左足……順番に力を込めてみる。少し痛みはあるけれど、ちゃんと動いた。慎重にベルトをはずし、どうにか運転席から抜け出して体勢を整える。
車の外に出てみて、呆然とした。この状況で、生きていたなんて……
見上げても元の場所が見えないほどの切り立った崖、冬枯れした木々はまばらで、とてもクッションの役目なんて果たしていない。いびつにひしゃげた車はもう使えないな。オイルが漏れて引火したら大変だ。急いで離れないと。
幸い、怪我は打撲程度だ。歩ける。
オレは自分でも驚くほどの冷静さで状況を判断し、リュックに荷物をまとめて車を捨てた。
とりあえず、ひとのいるところに出ないと。たぶん下っていけば、どこかの街につくだろう。頭の中で地図を描いてみる。うん、大丈夫だ、さっきまで走っていた道なら、ふもとにちゃんと市街地が広がっている。
不思議と、あれほどひどかった雪は止み、このあたりには積もった形跡もない。ほんのちょっとの高低差で、こんなに気候が変わるもんなんだな。
なんて考えは甘かった。そんなはずはない、信じられるわけがない。ようやくたどりついたのは、ゲームとかに出てきそうな、中世ヨーロッパ風の街並みだった。
「どこ、ここ……?」
薄茶けたレンガ造りの建物、とがった屋根の煙突からはもくもくと煙がのぼり、窓からこぼれる暖かいランプの灯り……えっと……オレが知らないだけで、テーマパークとかあったっけ?
いそいそと歩くひと達の服装も、やっぱり変だ。女はずるずる長いドレス、男は半ズボンに白タイツ……おっさんの白タイツはやめろ! 甲冑に槍を構えた兵士風のひともいる。まるで……ゲームの世界だ。
「あの……ここは、どこですか……?」
兵士風のおっさんはじろりとオレを睨みつけ、槍でとんと地面を突いて偉そうに答えた。
「ケンロ=クエンだ」
兼六園……? こんな街だっけ? まあ、とりあえず言葉が通じてよかった。
「貴様、妙な格好をしているが、何者だ!」
「妙な格好してるのはおっさん達だろ。なに? イベントでもあるの?」
おっさんは眉を吊り上げ、槍を構えた。オレはあわてて後ずさる。
「わ、ちょっと、危ないな! そういうの、他人に向けちゃいけないんだぞ!」
だけどおっさんはさらにぐいっと槍をオレに近づけてきた。
「不審者を街に入れるわけにはいかん。貴様、何者だ! 何をしに来た!」
「えっと、雪で事故っちゃって、その、車がダメになったから、とりあえずバスか電車で帰りたいんだけど。ああ、腹も減ってるから、できれば晩飯も食っていきたい」
なんで街に入るだけで、こんな説明しなきゃならないんだ? おっさんは理解したのかしてないのか、難しい顔で首をひねってるし。
「怪しい奴め……職業は、そもそも、人間か?」
「アパレル店員……ああ、洋服屋だよ。人間。ちゃんと、普通の人間」
普通の人間って、どうやって証明すりゃいいんだ?
だけど、なんとなくわかった。これは、現実じゃない。きっとオレは、まだ車の中で、意識不明の重体なんだ。これは、夢だ。
「洋服屋だから、こんな変わった服着てるの。次の流行だぜ、覚えときなよ」
適応能力には自信がある。普通のダウンジャケットにボーダーTシャツ、ジーパンにエンジニアブーツという、流行りどころか鉄板のファッションだけど、おっさんはなんだか納得したようだ。よかった。
「ねえ、どこか飯屋ある? 本当に腹減ってて」
夢なのに腹が減るのも不思議だけど、まあいいや。せっかくだから夢の世界の美味いものを食ってみよう。おっさんが親切に教えてくれた店に行ってみることにした。