母の記憶
分割しております(((^-^)))
茂みから勢いよく身を踊らせた菜奈は背の高い悪魔を目の前に、思わずその身を竦めた。
一覇にあんなかっこいいことを言ったものの、菜奈には勝算も勝つ自信もまるでなかった。
菜奈の戦力は、正直に言って全然強くない。
学校の成績もいつも真ん中より少し下だし、授業では基本的にチーム戦なので、一人で戦うのには慣れていない。ついでに加えるなら集団戦が得意なわけでもない。
それでもやらなくちゃ、と思ったのは、きっと母のような強い霊障士に憧れていたからだろう。
母はとても強かった。プロの霊障士の中でも上級の、第二種免許を取得出来るほどだ。
一度だけ、模擬戦闘を見せてもらったことがある。
母は美しく強く華麗で、幼い菜奈の瞳にはきらきらと鮮烈な光を与えた。
いつかわたしもこんなふうに……と、夢をふくらませて母の背中を見ていた。母もそれが嬉しいのか、たまの休みの日は熱心に剣技の指導をしてくれた。
そんな母が戦死するなんてことは、到底信じられない現実だった。
母の葬儀の日、母の部下だという男が一度だけ挨拶に来た。
その男によると、母は彼を庇って死んだのだという。
母らしい最期だったのだと、妙に納得して涙は止まった。かといって、その男を責めることもしなかった。
ただただ純粋に、母への憧れと尊敬を強めるだけだった。
だからだろうか。菜奈には鬼魔に対する憎悪というものが、一般の霊障士よりも希薄である。
憎いから戦って、殺す。
それが当たり前の世界で、菜奈はきわめて異質な存在だった。
それはもちろん自覚していて、鬼魔のすべてが悪いわけではないと、今でも信じている。
小学生の中学年頃から、菜奈は霊障士になりたいと父に打ち明けた。
妻を亡くした父はやはり強く反対したが、それでも菜奈は引き下がらなかった。粘りに粘って中学三年の春、父はようやく折れてくれた。
それからの菜奈は苦心しただろう父の想いに報いるべく毎日猛勉強をして、ようやく私立久木学園の入学模試判定Aを得るまでになり、ついには入学を果たした。
しかし、現実は甘くはない。
どんなに勉強しても、埋まらない実力差が菜奈を苦しめた。一度は父にすがって辞めようとも思った。
だがそれでも菜奈は、厳しい世界を生き残った。
母のように強くなれなくても、せめて優しい霊障士になりたいから。母が守った世界を、守り続けたいから。
その穏やかな気持ちだけが、菜奈の心を支えていた。
今、菜奈は人生で初めての「戦闘」というものに立ち向かっている。
菜奈の腕には何人、何十人もの命がかかっている。
学生が浸かっているぬるい世界ではなく、生死を賭けた殺伐のせかいにいる。
そう思うと、自分が死ぬという恐怖ではなく、プレッシャーに襲われた。その何人かには、もちろん一覇の命もかかっているのだ。
……一覇。自分が初めて愛した少年。
彼と出逢えたから、菜奈は優しく温かい《愛》を知れた。さまよう亡霊の時間が覚めた。
————これが無事終わったら、告白しよう。君が好きです、って。
なんて思うかな、なんて言うかな?びっくりするよね?
でもきっと、ちょっと目を上に逸らして顔を赤くして、口元を隠して照れるよね。
口ごもって結局、なにも言ってくれないだろうな。
そんな君を、わたしはもっと愛おしく想うの。
あぁ好きだなぁって、深く思い直すんだよ。
————ねぇ一覇。もし君と生きるなら……。
「……『具現せ、“かぐや”』!!」
深く息を吸いこんで、霊障武具基盤の起動音声コマンドを入力。
菜奈のオレンジ色の霊子が唸りをあげて、右手に握られた小さな基盤に吸い込まれていく。
月の國の美姫。その名を冠した、滑らかで美しい銀盤の中に組み込まれたエンジンが駆動する音を待った。
しかし。
————起動、しない……!?
いくら待っても、手の中の基盤はなにも反応しない。
何故。どうして。
だがそんなことを考えている暇はない。今は戦わなくては。
————わたしが……みんなを守るんだ。
菜奈は気を取り直して、左手に握ったままの古びた角材を正眼に構え、気勢とともに悪魔に突進する。
「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
しかし悪魔はそれを避けて、骨ばった細い右手に握るノコギリをのろのろした勢いのまま振りかぶる。
菜奈はそれを後方に宙返りしてかわす。乾いた砂ぼこりが舞い、両者の間にもうもうと立ち込める。
今、自分はなにをするべきか。なにができるか。
それは、一覇が助けを呼べる時間を稼いで、この悪魔をここに出来るだけ長く引き留めること。犠牲者など出してはいけない。
わたしはわたしのやり方で、いまと戦うんだ。
————だったら……!
角材をこれでもかと強く握り直して、自分を鼓舞する。
その瞳には、《生きる力》が宿った。
「かかってきなさい悪魔!わたしがお前の相手をするんだから……!!」
————もしも君と生きるなら……わたしはきっと、この命さえ惜しまず棄てられる。
君のそばにいられるなら、どうなっても構わない。
矛盾した奇妙な気持ちが激しく燃えて、菜奈のこころを巻き込んでいく。
これが《恋》、これが《愛》。
凄絶なる深く原始的な感情が、熱く燃えたぎる。
一覇を想うたびに、強くなれる。どこまでも飛んでいける羽が生えたみたいに。
だが。
悪魔はきょろきょろとなにかを探すように周囲を見回して、ややあってもそもそと途切れ途切れの言葉を発した。
「……おまえ……ちが、う……しゅで、んどうじ……さま、じゃ、ない……」
「……酒呑、童子?」
菜奈の感情が、わずかに落ち着いた。
まだ続くよ!