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亡霊×少年少女  作者: 雨霧パレット
疫病神彼女
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外伝 『疫病神彼女』

お久しぶりです!

前話とだいぶ間があいてしまいましたが、久々のお話は外伝です。

本編主人公の一覇の友人である海くんの次兄、宙とその彼女の馴れ初め。

本編を知らなくても読めるかと思いますので、これを機会に是非!!本編もよろしく\(^o^)/

亡霊(ポルターガイスト)×少年少女 第十九話『疫病神彼女』


『僕の彼女は、疫病神です』

って、言ったら笑う?冗談だって、そんなことは言わないよね。

でも、僕にとっての彼女は、そういう存在なんだ。



————あの日、僕は自分の実力に絶望した。僕はこんなに弱いのか、こんなに役立たずなのか、でも。

崩れる地面の上で、金髪の少女を抱えて、宙はぼんやりと考えた。

————もっと、頑張れれば、なにかが違ったのかな……?

今更だな、と頭の隅でもうひとりの自分が言っているのを、他人事のように聴いていた。

————そんな想いが今も、僕を支配して離れない。


二〇〇六年十月二十四日、神奈川県横浜市中区。

結城 (ゆうきそら)は十六歳になった今日も、ひたすら「頑張って」生きている。

それは人から見たら、無駄な行為なのかもしれない。悪あがきって言うのかもしれない。それでも十二歳のあの時を思い出すと、なにかを精いっぱい頑張れずにはいられない。

それはきっと、「彼女」への贖罪なのかもしれない、と、心の片隅では思っている。あんな女認めない、と口では言っていても、やっぱり意味は違えど『気になる存在』なわけで、意識するのは当たり前なのだ。

それは二〇〇二年八月三十日、宙の十二回目の誕生日だった。

その日も残暑が厳しくて、宙と『彼女』……幼なじみの皇槻 神無(こうづきかんな)は、自宅の裏にある《鬼童丸(きどうまる)(ほこら)》へと遊びにでかけた。

この世界では幽霊や精霊、悪魔、鬼といった前時代でいう「非科学的」存在はひとつの科学技術として認められていて、日本独自の『霊障術』という科学のひとつということで認識されている。しかしその一方で、霊障術の元になった陰陽術は、滅亡の一途を辿っていた。

宙の家である結城家と神無の家の皇槻家は、現代に残る陰陽術宗家のひとつだった。皇槻家と結城家のご先祖たちは、悪鬼を封印しては祠を作り、今に残る子孫たちが日夜管理していた。《鬼童丸の祠》は、そのうちのひとつだ。

鬼童丸————『今昔著聞集』などに残された伝承の悪鬼である。鬼の頭領とされている酒呑童子(しゅてんどうじ)の亡き後、京都で大立ち回りをして封じられたとされている。

その鬼童丸の祠には、宙も神無も何度も遊びに来ていた。だからその日は、ちょっと油断したのだろう。

祠を管理している神無の父には、耳にタコができるほど言い聞かせられた。

「祠にある石を動かしてはいけないよ、大きな災いが起きる」

その日も朝からうるさく言われて、ふたりで文句を言いつつやって来た。水を飲んで、持ち寄ったおやつを分け合って、他愛ないおしゃべりをしていたその時だった。

神無がよろけたので、宙は受け止めようと立ち上がった。だがここは苔むした岩の上、宙も滑って転んだ。弾みで、祠の岩に触れてしまった。

『よくぞ起こしてくれた、感謝するぞ……人間の餓鬼』

という雷鳴にも似た声を聴いた。地響きとともに祠の岩が呆気なく砕けて、竜の爪痕のように地面が割れる。じっとりと汗ばむような妙な空気が、宙の肌にまとわりついた。その空気で不安がり、泣き出した神無をそっと抱きしめる。その途端、神無は雷に打たれたように体を反らせて、意識を失った。

彼女の名を何度も呼んで起こそうとする宙に、その何者かは呪いを残した。

『感謝の印だ、受け取れ餓鬼』

それは、宙の陰陽師としての生命線である霊子を、永遠に貪る絆ともとれる呪い。この呪いを受けた者は、その宿主に永遠と霊子を与え続けるため、そう、陰陽師としても、その派生存在の霊障士としても、致命的に霊子が足りなくなる。

宙の陰陽師という未来は、潰された。しかし生きているだけで、今なら幸いだったと思える。

それからの宙の人生は、散々たるものだった。

母からは見限られ、なにを頑張っても兄や弟には敵わない。あれだけ見下していた神無にさえ、負け続ける日々。

自分には陰陽術しかなかったのに……。

それでも一生懸命頑張ることをやめなかったのは、きっとプライドだ。

呪いのことは、神無にだけは決して告げなかった。それもプライド故だ。ずっと見下してきた相手に哀れまれることが、その瞬間がくるのだけは、宙は耐えられなかった。

だがある日、そのプライドが崩されるときが来た。

二〇〇四年、宙が十四歳の春だった。

頑張っていい点数をとったテストの答案用紙を持って、宙は母の元へ走った。きっと褒めてくれる……そう信じて。

だが母は機嫌が悪く、

『こんなことで呼ばないでちょうだい。まったく……皇槻の娘に負けるはずだわ。あの娘はもう悪鬼狩りに出ているんですよ』

苛立たしげに、宙をあしらった。

————母さん。僕だって悔しいよ。僕が一番……つらいんだよ。

母の言葉に意識を囚われたまま歩いていると、神無と会った。毎度報告してくる彼女のテストの点数は、満点。

そんな神無の笑顔がいらだたしくて、つい、言ってしまった。

『全部お前のせいだ、疫病神!!』

それから二年間、彼女とは一切口をきいていない。


ということを思い出したのは、久しぶりのことだった。宙自身、あえて思い出そうとしなかったこともあるが、高等部に上がってから、毎日忙しくて暇がなかったのもある。

勉強を怠ったことはない。馬鹿な自分は、人の何十倍と努力をしないといけないとわかっている。そのうえで、春には彼女ができた。一生懸命大切にするつもりだった。なのにさっき、お昼休みのときに振られた。

『宙の一生懸命なところが気持ち悪い』

え、気持ち悪いってなに?一生懸命のなにが悪いの?意味がわからない。

それを友人に愚痴ったら、

『お前の価値観が意味不明』

と呆れたようにバッサリ言われた。ますます意味がわからない。

一生懸命頑張ることに、気持ち悪いとかあるの?

そんな感じで項垂れていたら、教室がざわついた。顔を上げると、教室には異彩を放つ美少女がいた。幼なじみ様の神無だ。

神無はこの私立久木学園高等部でも、全国レベルで最難関の学科《霊子科学科霊障士専攻》に首席で在籍している。外見と相まって、高嶺の花とか言われている。そんな彼女が普通科(雑草)の集まりに来るなど、一体どういうことだ。

「結城くん」

よそよそしく、彼女は宙をそう呼んだ。

「あ?」

柄悪く応えて見上げると、神無は宙の態度を特に気に留めず、いつものトーンでこう言った。

「先日の中間テスト、お疲れ様でした」

全国模試一位の神無と、不遜にも校内では肩を並べる宙。とはいえ宙が一度でも勝ったことはない。遡ればなくはないが、小学校までの話になる。

彼女の皮肉に、宙はいつものように乗ってしまう。

「なんの用だクソアマ。皮肉なら腹いっぱいだぞ」

ここ数年間、宙が彼女の名をまともに口にしたことは無い。それでも神無は気に止める素振りは見せず、あくまでいつも通りに話を進める。しかし。

「いえ、今日は大事な用があって来ました」

いつもの皮肉だろう、と考えていた宙の耳に、神無のいつもとは雰囲気の違う話が始まった。

大事な用……とはなんだろうと身構えていると、神無は顔色ひとつ変えずにこう言った。

「私と勝負をして……私が勝ったら結婚してください」

「は……?」

教室中が、静まり返った。そしてやがて、ざわざわと当然のように詮索の声が始まった。

「結婚……て皇槻さんと結城が?」

「ありえねーだろ」

「皇槻さんかわいいっ」

「結城死ね」

「勝負って、次の期末かなぁ?」

「てゆーかてゆーか」

『結城はどうするんだろう……?』

という一同の声を代表するように、宙の一番の親友である岡山賢一が宙の呆けた頭を殴って声をかけた。

「おい宙、どーすんだ?」

「ってぇ……賢一、グーで殴るなよ!!」

「はははめんご。で、彼女、答えを待ってるよ」

と言われて見上げると、確かに神無はじっと待っている。顔こそいつも通りの憎々しいポーカーフェイスだが、内心ではきっと汗ばんでいるのだろう。それが乙女っていうものだと、こっそり愛読しているロマンス小説にも書いてあった。

————仕方がない、話だけでもきいてやるか……。

ガリガリと面倒そうに右手で頭を掻きながら、宙は神無に問いかける。

「その勝負ってのは、次の期末でってことか?」

「いえ……」

ますますわからない、と宙が首をかしげると、神無は鈴の音のような声でとんでもない勝負を仕掛けてきた。

「今夜、この学園敷地内にて、陰陽術勝負をしてください」

「…………は?」

教室も、ざわざわと揺れた。

「結城が……陰陽術勝負!?」

「待って、結城ってあの大地様と海くんの兄弟だけど……」

彼らの危惧したとおり、宙は陰陽師ではない。いや、正確には「陰陽師ではなくなった」。その事実は、幼なじみの神無は学園の誰よりも詳しく知っている。なのに、なぜ……。

「馬鹿馬鹿しい。僕に何のメリットもないじゃないか。それどころか、負け戦以外の何物でもないね」

「大丈夫です、あなたは戦えます」

更になにを他人事のようなことを言い出すのかと、今度こそ立ち上がって睨みつけてやるが……彼女の瞳には、曇りひとつない。実に綺麗な蒼天の瞳だ。

なんの根拠があってそんなことを言うのか、さっぱり見当もつかないが、こんな馬鹿げたお願いを受けるわけにはいかない。

……はずなのに。

神無の双眸は、不可思議なことに宙の勝利をこの上なく信じている。

「…………わかったよ」

ついに宙が折れたそのとき、教室中が湧いた。

絶対に負けるとわかっている試合。でも。

まぁなにかしらの策が生まれるだろう、と楽観視することにした。神無の言葉も気になるところだし。

そんなわけで、学園を巻き込んだ宙と神無の戦いの火蓋が切って落とされた。


午後九時過ぎ。

結城 海vs皇槻 神無の結婚を賭けた試合のために、学校中が動いていた。

バトルの模様は放送部が中継するということで、部員一丸となってカメラの取り付け作業を行っているところだ。

「これで……よしっと」

カメラの角度、位置を再度確認し、その女子生徒は本部テントのあるグラウンドへ向かうつもりでいた。だが。

ぴとん。

「?……なにこれ」

左肩に、なにか水のようなものが落ちてきた。雨漏りだろうか。いや、違う。擦った手のひらには、赤い血のような色がついた。そして、むっとする鉄のような臭い。

「やだ、気持ち悪い。なんなの」

不気味に思った女子生徒は、急いでみんながいるグラウンドへ行こうと、足を早める。だが、そのあとなにが起きたのか、女子生徒はわからなかった。

むしゃ……と、女子生徒の上半身は無惨に喰われた。

それは何事もなかったかのように、ゆっくりと動いた。呪った少年から送られてくる霊子だけで生き延びていたが、それも限界となってきた。この身体を保つためには、巫女の身体が必要だ。

そう、忌まわしき《皇槻の巫女》の身体が。


午後十時五十分。グラウンドは大勢の観客で賑わっていた。驚くべきことに、屋台まで出ているのだから、暇人が多いのだなと宙は呆れていた。

「まぁ鎮魂祭もあるから、宣伝になるんだろ。お前もなにか食べるか?」

先ほど屋台で買ってきたたこ焼きを頬張りながら、賢一が尋ねてくる。

今はとても食べたい気持ちにはならないと、丁重に断って携帯電話の時計表示をチェックする。そろそろ行かなくては。

「頑張れよ」

という激励を受けてから賢一と分かれ、宙はスタート地点であるグラウンドに向かう。人混みをかき分けながら、今回のバトルのルールを頭の中で確認する。

「陰陽術バトル」とは言っても、実際には陰陽術を使わなくてもできる。なにせ、学園内各所に配置された悪霊を、相手より多く捕らえればいいのだから。

宙には陰陽術を行使できるほどの霊子はない。だが、幽霊を視る「見鬼の才」はかろうじて残されている。視えるなら、なにかしらの対応はできるだろう。

グラウンドに着くと、会場は湧いていた。大勢の神無ファンのブーイングに負けまいと、兄の大地が精いっぱい宙の応援をしている。弟の海は、相変わらず我関せずといったところだ。

「逃げずに来たようですね」

巫女服に着替えた神無が、スタート地点にいた。既に準備万端といった様子だ。

「へっ、男たるもの、一度受けた挑戦を投げるものか」

強がりを言うものの、やはり「戦闘服」を纏った神無の迫力には身震いをしてしまう。

十二歳のあの日までは、神無はごく普通の少女だったはずなのに……いつの間にか、【プロの顔】をしている。彼女は本気だ。宙にだって、それなりにプライドというものがある。どんなに不利な戦いだからって、負けられない。

「位置について」

審判を務める男性教師が、ピストルを構える。宙と神無も、ぐぐっと構える。そして、

パァン!と開始の合図が鳴り響く。

宙は全力で走る。これでも脚には自信があり、加えて神無は女子の平均よりも足が遅い。スタートダッシュを決めてしまえば、こちらが有利だ。

「セコいぞ結城!」

「こ、け、ろ!こ、け、ろ!」

「じゃがあしい!!!」

ブーイングに負けず、宙はひたすら走る。そして。

最初の悪霊が見つかった。グラウンドの隅っこにある金次郎像にとり憑き、夜な夜な週刊少年誌を読みふける悪霊だ。

「おとなしく捕ま!?」

その瞬間、悪霊は水の檻に閉じ込められ、身動きが取れなくなった。もちろん宙がしたことではない。グラウンドに設置された巨大な電光掲示板を見ると、神無に一ポイントが加算されていた。神無を見ると、彼女の周りには透き通った水色の龍————皇槻家所有の式神《水龍(すいりゅう)》が踊っていた。

水龍(すいりゅう)》は神無に撫でられ、まるで仔犬のように喉を鳴らしている。当の神無は、得意気に吹けもしない口笛を吹いている。それがまた小憎たらしい。『わたしはこんなに余裕ですよ』と言っているような。

「ぜ……絶対負けないからなクソアマぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

焚き付けられた闘志を胸に、宙は全力疾走する。

一階の教室に気配を感じ、突入すると。

ぱぁん!と顔に教科書が飛んできた。同時にかん高い少年の笑い声が聴こえる。

「うひゃひゃひゃひゃひゃ!クソにぶいにーちゃんだな!」

少年の身体はよく見ると透き通っている。悪霊だ。

「こンのクソガキ……!!今に見てろよ!?」

と言って、宙は懐から長方形の札を取り出した。式神を呼び出す式符だ。

式神を呼び出すには、通常では強力な霊子が必要だ。だがこの式符は大地の特別製で、ある程度の霊子……どんなに微量なものでも、反応する仕掛けになっている。もちろん呼び出せる式神のレベルや種類も限られてくるが、今の宙にとっては非常に心強い味方である。

霊子が集束し、式神が呼び出しに応じた。

「すぴー……」

「「…………」」

宙の手のひらで、小さなネズミが、可愛らしい寝息を立てていた。

「驚かせるなよなー!」

バッサバッサと、少年が笑いこけながら教科書を投げて寄越す。それを躱しながら、宙は兄への呪詛を唱え始めた。と、そのとき。

すこんっと、一冊の教科書が寝こけるネズミの頭部に激突した。

キュッ、というおもちゃのような声を上げるネズミ。

「だ、大丈夫かネズ公!?」

宙が心配して指先で撫でると、ネズミの頭部には大きなコブができていた。するとネズミはつぶらな瞳をキッと釣り上げ、背中の毛を逆立てた。反撃をするつもりらしい。

こんな小さなネズミに、戦う力など無いだろうと、タカをくくっていた。それが間違いであることに、すぐに気付かされた。

小さなネズミの首周りに、一瞬で鮮やかな炎の首輪が生まれた。そして小さな口から巨大な灼熱の炎が飛び出し、教室は地獄と化した。

ネズミの正体は《火鼠(かそ)》。小さな体に大きな力を秘めていた。

それはそうとこのままでは、教室が燃え尽きてしまう。備え付けられているはずのスプリンクラーが作動しないので、おかしいなと思っていたら、

「やべ、さっきヒマつぶしにスプリンクラーいじってたら、壊しちまったんだ……」

という少年幽霊の声がした。

「アホ!!それを早く言え!!」

気が済んで再び休む《火鼠(かそ)》を頭に乗せて、宙は消火器を手に取る。だが炎は渦を巻いて、教室を包んだ。

どうしよう、どうしたら。

そのとき。しとしとと優しく、しかし確かに炎の勢いを鎮める雨が降り出した。

助かった、と思うよりも先におかしい、ここは校舎の中だ。雨なんて降るわけがないという疑問が浮かんだ。辺りを見廻すと、ひゅるひゅると透き通った水色の龍が宙を舞っていることに気がついた。

水龍(すいりゅう)》は鎮火が終わると、教室の出入口にいる主の肩に留まり、可愛らしく喉を鳴らす。

神無が、助けてくれたのだ。

「あ……ありがと……」

と言い切るかどうかのところで、神無は立ち去った。その表情は、宙の感覚に間違いがなければ、苦悶や悲しみに溢れていた。

————なぜ、そんな表情をする?

宙には、彼女の心のうちは、なにもわからなかった。


神無は階段を駆け上りながら、昔のことを思い出していた。

昔の宙は、神無にとっては自信があって、頼もしい少年だった。陰陽師としても期待されていて、神無の憧れだった。そのすべてを————神無が奪ってしまった。

取り戻してあげなくては……わたしになにがあっても。なにを犠牲にしても。

————そのためにわたしは、『あの話』を引き受けたのだ。

決意と覚悟で身を引き締めて、二階に降り立った。だが、その光景は信じられないものだった。

血を浴びたなにかが這いずり回ったような跡が、廊下にあったのだ。恐る恐る跡を辿ると、やがて強い血臭が漂ってきた。血溜まり、それからなんだろう。月明かりに照らされた脈打つ塊。

『久しいな、弱い方の餓鬼。いや……【皇槻の巫女】よ』

塊から、声が聴こえた。聴き覚えのある、重厚な妖霊の声。

そして塊は動き出す。神無の命を奪わんと、その重そうな外見とは裏腹な速さで襲いかかってきた。


宙は校舎中を回ったものの、一向に点差をつけられるばかりで徒労に終わる。もう無理かな、諦めて婿入りしちゃおうかな、とか階段を上って思い始めたそのときだった。

大きな地響きがして、天井の埃が落ちてきた。

「なんだ……?」

と、頭上で寝ていた《火鼠(かそ)》も、恐ろしい何者かの気配を感じ、つぶらな瞳をキッと釣り上げる。《火鼠(かそ)》の変化に気づいた宙は、不安げに天井を仰ぐ。

いったいなにが起こっているのだろう。

そのときだった。天井が崩れてきたのだ。宙は大慌てで瓦礫から逃げ、落ちてきたものを確認すると……

「皇槻!?」

「下がって!」

巫女服をボロきれのように纏わせた神無は、宙のそばに降り立つと、赤い文字が浮かぶ式符を合掌するように挟んだ。あれは結界を張るための式符だ。

四方に赤く光る線が素早く走り、それを捕らえた。

「な……なんだこれ!?」

結界の中には、赤黒い肉の塊がいた。四方八方に皮と爪がない手足が生えていて、巨大な一つ目は血走り黄ばんでいる。

「鬼童丸です」

四年前に出会い、宙の霊子を今も奪い続ける【鬼童丸】。

神無は結界に閉じ込められて暴れているそれを、確かにそう呼んだ。しかし。

「なんで、コイツがここにいるんだよ……?封印されていたはずだろ!?」

四年前のあの日、確かに宙たちのせいで一度は封印を解かれた。だが、そのあと神無の両親や宙の父と兄たちの手によって、封印されたと説明されている。その戦いで神無の母親が亡くなったことも。

「……そう、鬼童丸は封じられました。ですが力を蓄え、自ら封印を破ったのです」

「力を……蓄えた……?どうやって……」

と言いかけて、宙は気づいて青ざめた。鬼童丸がどうやってその力を得たのか。

簡単な話だ。宙は今、鬼童丸に霊子を根こそぎ奪われている。言い方を変えると、つまり鬼童丸は、宙から力を得ていたのだ。四年間ずっと。

「僕の……せい?」

足の力が抜けて、その場に崩れ落ちる。

今までずっと、自分の不幸を呪って生きていた。なぜ自分ばかりこんな目に遭うのだ、世界は不公平だ。死んでやるとさえ思いもした。

だがそもそも、宙が《鬼童丸の祠》に行かなければ、霊子を根こそぎ奪われることはなかった。神無の母親が死ぬこともなかった。宙は今も、陰陽師として生きていられた。神無は今も、笑えた。宙と神無に、こんなにも距離はできなかった。

すべての「もしも」が叶っていたかもしれない。それを宙が潰した。

たくさんの悲しみが、涙となって溢れた。言葉にできない思いが、洪水のように荒れ狂う。

「立ってください結城くん。後悔するのはまだ早いです」

力が入らない宙の肩に、神無の細い指が優しくそっと触れる。しゃがんで、目線を合わせる。

「わたしがなんとかしますから」

その言葉と瞳は、力強いものだった。神無は立ち上がり、《水龍(すいりゅう)》を呼び寄せる。

「…………っ!」

いったいどれほど、彼女のこの小さな背に荷を抱えさせるのだろうか。

神無はきっと、宙が能力を喪った原因は自分にあると責めていただろう。そして決意したのだ……自分が宙を守ると、その一生をかけて償うと。

————僕は、そんな責任を感じたことがあるだろうか。

誰かのせいにして逃げて、目も耳も塞いで、立ち止まって膝を抱える。そんなことしかしてこなかった自分が、ひどくちっぽけな存在だと気づいた。

このまま神無に、すべてを背負わせる気なのか。————いや。

少年は涙を拭って立ち上がる。

己の力を、幼なじみの少女の未来を背負う覚悟を抱えて。彼女の隣に立つ。

鬼童丸を消滅させ、明るい未来へ。

神無が展開させた結界は破られ、鬼童丸が放たれた。

ムッとするような血の臭いが辺りに立ち込め、宙と神無は顔をしかめる。しかし式符を構える手は緩めず、目の前の敵を見据える。

『餓鬼が……何匹集まろうが、同じことよ。今の儂に勝てるわけがなかろう』

地響きのような嗄れた声。幾本もの手足がざわめき、そして……

ドッ……という爆発音ともとれる音を響かせ、鬼童丸の巨大な肉塊が跳んだ。信じられないほどの跳躍。風が強くはためき、瓦礫が木の葉のように舞う。その中には鬼童丸の血も混じっていた。

神無はとっさに、自分と宙を結界で囲う。結界の壁により、瓦礫と鬼童丸の血が弾かれる。驚くべきことに、血が落ちたリノリウムの床が一瞬で腐った。

『残念だな、労せず始末できるところだったのだが』

上空から鬼童丸の声が聴こえた。

どうやら鬼童丸の体液には、物質を腐食させる効果があるようだ。

「鬼というものは、死体から生まれたとも伝承されています。このような能力があっても、不思議ではないでしょう」

「ほー……なるほどな」

「感心している場合ですか」

神無の結界はそれ自体を動かせないし、一定量のダメージを受ければ次第に消滅する。とにかく宙を舞う鬼童丸を引きずり下ろす策を練らねばならない。

とりあえず手持ちの式符を確認するが、宙には当然のように《火鼠(かそ)》の符しかない。神無の手持ちはまだ余裕があるが、霊子にも限りがある。慎重に使わなくては、鬼童丸というかの伝説の鬼は倒せないだろう。

そうこうしている間にも、結界は徐々に削られていく。

「わかりました……結城くんだけでもこの場を離脱して、会場にいるわたしの父を呼んでください。再び封印する手はずを整えてもらいましょう」

神無は振り返ることなく、提案した。しかし、宙は即座に反対する。

「それじゃあコイツは、また封印を解いちまうじゃないか!完全に倒す手立てを考えよう!」

鬼童丸と宙の絆とも呼べる繋がりを絶たなければ、鬼童丸は再び力を蓄え、封印を破ってこの世に降臨する。その連鎖は、ここできっちり断ち切らねばならない。

「……やっぱり、宙は変わらない」

「え?」

ぽつりと、神無がなにか言った気がするが、鬼童丸が生み出すひどい暴風で宙には届かなかった。

「なんでもありません。……では、わたしが予め式符に霊子を込めておきますので、その結界式符で少し時間を稼いでもらえますか?」

と言って、神無は式符を用意する。

「いいけど……どうする気だ?」

式符を受け取った宙が尋ねると、神無は淡々と答えた。

「あなたと鬼童丸の絆を断ち切ります。鬼童丸が吸い取っていた霊子は、あなたにすべて返ってくるはずなので、その力で鬼童丸を倒してください」

「んな無茶な……」

賭けとも言えて、作戦とは言い難い。しかし現状では、それに縋るしかない。

「よろしくお願いしますね……宙」

微笑みを残して、神無は結界を出た。まだ鬼童丸の血液が飛び散る中で、それはあまりにも危険な行為だ。宙は止めようと、手を伸ばした。だがそこで、ふと気づいた。

————いま、『宙』って……。

考える間もなく、もうすぐ結界が解けそうなので張り直した。

『なんだ【皇槻の巫女】。ちまちまと結界を張るのはやめたのか?』

鬼童丸の粗野な声に、神無は堂々と答えた。

「えぇ。わたしとしては、計画そのものがパァになってしまうので、この手は最後まで取っておきたかったのですが……致し方ありません」

鬼童丸の飛び散る血液の雨により、皮膚がところどころ崩れるのも気に止めず、神無は前に進む。

懐から不思議な真っ白の式符を二枚取り出し、一枚にありったけの霊子を込める。すると式符の表面に、赤い炎のような五芒星(セーマン)が輝いた。それが二つに分かれて、ひとつは鬼童丸に、そしてもうひとつが宙の胸に張り付いた。両者の間に、黄色い糸のような霊子の繋がりが露になる。

そしてその糸に、残りの白い式符を貼り付ける。そしてこれも懐から出した真っ黒な筆で、五芒星(セーマン)を描く。その瞬間、霊子がはじけた。

光の奔流、いや嵐が、宙の身体を襲う。めまぐるしい明滅を繰り返し、そして世界が変わった。

霊子の流れが、今までよりもハッキリ視える。身体は羽根のように軽く、力が奥底から溢れるようだ。

————身体にすべての霊子が戻った。

戦える。そう確信して、宙は式符をいくつか掴み、霊子を込めてその術式を発動させる。

太陽のごとき熱い炎の塊、研ぎ澄まされた刃のような氷柱、世界樹にも勝る大樹のうねり、黄金に輝く狼の群れ、巨大に渦巻く砂嵐が、一瞬で生まれた。それらすべてが弾丸のごとく鬼童丸を襲い、苦しめる。

鬼童丸が奪った霊子が何十倍、何百倍にもなって返ってきて、宙はいまや神のごとき強さを誇っていた。

『馬鹿な……っ、こんな餓鬼が……貴様は化け物か!?』

鬼童丸はみるみるうちに、弱体化していく。

宙は黄金の大剣を生み出し、背負うように構える。そして素っ気なく答えた。

「ただのガキだよ、化け物」

ほぼ同時に、大剣で鬼童丸の胴を思い切り強く叩く。鬼童丸は真っ二つに割れ、塵のような霊子もろとも跡形もなく消え去った。

黄金の大剣も役目を終えて消え去り、あとに残されたのは校舎の瓦礫。振り返ると、ボロボロの神無が横たわっている。

そっと近づいて、安全な場所に運ぼうと肩に触れる。

「……神無?」

異変に気づいた。神無は息をしていない。どうして?

騒ぎに気づいて駆けつけた神無の父に、彼女の異変を伝えた。神無の父は顔をひどく青ざめさせて、携帯電話で部下を数名呼ぶ。部下の陰陽師が駆けつけて、神無を担架で運び出そうとする。

「待ってくれ!神無はどうなるんだ!?」

状況を説明されない苛立ちと嫌な予感から、宙は叫ばずにはいられなかった。無言でうなだれる神無の父の肩を、乱暴に揺らす。

娘を溺愛する神無の父は、しかし自身の感情を押し殺して答えてくれた。

「神無ちゃんは、じきに死ぬ」

「え…………?」

死ぬ?どうして……。

気を失いそうな脳を必死に回して考えるが、理由がわからない。すると神無の父が答えてくれた。

「君と鬼童丸の絆を断ち切る術式は、実は二年前に完成していた。だが、代償があまりにも大きすぎて、私たち————君のご両親との間で議論が繰り返されてきた」

鬼童丸を完全に滅ぼすには、確かにかつて《神童》と言われた宙の力が不可欠だった。そのために払う犠牲も、神無の父もある程度は覚悟していた。だが。

「《皇槻の巫女》を……娘を人身御供として捧げる、なんて……」

神無の父はそこで耐えきれなくなり、涙を流した。

つまり。

宙の力を取り戻すためには、神無が犠牲にならなくてはいけない、という現実。

「…………っ」

宙は言葉を失った。

神無は全部知っていた。知っていて、この一連の騒動を起こして、宙のすべてを取り戻した。そう断言できる。

————僕の、ために……?

どうしてそこまで、自分の命を賭けてまで、尽くしてくれる?自分たちはただの幼なじみだろう。ただの、仲の悪い幼なじみだろう。

担架に乗せられた神無に目を向ける。すると、まだわずかに意識を保った神無が、薄く目を開ける。

その美しい碧眼は、宙だけを見ていた。宙だけを、必死に見つめていた。「愛している」と、訴えていた。

それは最大の愛でしかない。幼なじみという枠を逸脱した、捨て身の恋。

やがて意識を失い、再び長いまつ毛が伏せられた。

————まだ、間に合う。

直感だった。

今の僕ならば、消えゆく彼女の魂を引き戻せる。やるしかない。

残されたわずかな式符を握りしめて、宙は叫んだ。

「戻ってこい……神無ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

自分が持つすべての霊子を込めた。

七色の荘厳な輝きが、神無を包み込む。宙は喉が掻き切れるほどに、心が叫ぶままに神無を呼んだ。

戻ってきて、また嫌味を言ってくれ。

あれだけ熱烈に見つめていたんだ、告白のひとつくらいしてくれ。

大地兄貴と仲が悪かった、また喧嘩してくれ。

もう一度、『宙』って呼んでくれ。

横浜中に、その光が届いた。

やがて集束して、ひとつの光が流星のように落ちた。




二〇〇六年十月二十五日、二十三時五十八分。

横浜市港南病院の病室に、宙はいた。

神無は薄い緑の入院着を纏って、真っ白なベッドで寝ている。静かな寝息と、機械類の駆動音が響いている。

あのあとすぐに神無はここに運ばれて、当直医の処置を受けた。命に別状はない、と判断されたときは、神無の父と抱き合って喜んだ。

今は無事に目覚めてくれ、と、ただ祈るだけ。

ベッドに投げ出された細く白い手を握りしめて、宙は一日中そばにいた。

神無の父が時々パンとおにぎりなどの軽食を差し入れてくれるが、とても手をつける気にはなれなかった。

と、そのときだった。

ふるり、と長い金のまつ毛が震えた。ゆっくりと瞼が動き、その視線が宙の姿を捉える。

「そ……ら……?」

絞り出される鈴の音のような声が響いたとき、宙は思わず涙をこぼした。

「ったく……心配させるなよ、クソアマが……!」

震えた鼻声で、わざといつもの悪態をつく。

「わたし……どうして生きてるの……?まさか失敗して……?」

不安そうに眉を寄せる神無に、宙はなるべく優しく答えた。

「いいや成功したよ。鬼童丸は僕が倒した」

「でも……だったらどうして……」

宙はただ笑みを浮かべた。神無の柔らかい手を撫でて、決して不安にさせまいと笑った。不思議と、この現実とは向き合えた。

「僕の霊子すべてを賭けて、神無の魂を取り戻したんだ」

「…………っ!それって……!」

宙の霊子は、二度と返らない。二度と、陰陽師として戦えない。

その事実を知れば、神無は傷つき、自分を責める。そうとわかってて、宙は告げることに決めた。その責任は取ると、取らせると決意して。

「んまぁそんな感じだから、えーと……皇槻 神無さん」

「は、はい……?」

突然改まった呼び方をされて、神無は戸惑いを隠せない。

宙はす、と右手を真っ直ぐに差し出す。

「僕と、結婚を前提に、お付き合いしてください」

「…………え……?」

神無は宙の顔と、伸ばされた右腕を交互に見やる。

まさか、と思った。そのあと夢ではないと確認して、涙が出るほどの喜びを感じた。だが、この申し出を受け取っていいのだろうか。自分のせいで宙は二度と戦えなくなってしまったのに。

だがそんな戸惑いや不安も、宙には見透かされていたようだ。

宙は恥ずかしそうに微笑んで、

「陰陽師じゃない僕なんて、アレだぞ?無能だぞ?だ、だから……それこそ責任とってくれると助かるんだが……」

神無は震える手を、そっと宙の右手に添える。それを承諾と取った宙は、にっと笑った。幼い頃となんら変わらない、太陽のような笑み。

神無も泣きながら微笑みを返した。





————これから僕たちは、きっと喧嘩して、仲直りしてを繰り返す。笑って、泣いて、怒って、喜んで。そうしてふたりで生きていく。



これは、僕と疫病神の彼女の物語。

そのはじまりに過ぎないプロローグ。



『亡霊×少年少女』 十九話 了


改めまして、お久しぶりです。

この『疫病神彼女』は元々漫画作品として独立したストーリーにしたつもりでしたが、結構繋がりあるじゃん!と思い直して設定をちょちょいといじったのが始まりです。

私は元々幽霊とか、陰陽師とかそういった設定が大好きなので、当たり前といえば当たり前なのですがね(^^;;

本編も「いつか連載とれたら作りたいな~」的な気持ちから膨らませたヤツです。

しかしこの『疫病神彼女』は読切のつもりなので、続きは考えていません!

というわけで、本編もよろしく!!

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