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亡霊×少年少女  作者: 雨霧パレット
長い夏
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長い夏

お久しぶりです、ひじきたんです!

亡霊(ポルターガイスト)×少年少女16話、どうぞお楽しみください!!

亡霊(ポルターガイスト)×少年少女 第十六話『長い夏』


わたしはなんどでも生まれ変わる。なんどでもあなたと出会い、恋をする。

それがどんなに辛い恋でも、わたしは強くなるの。

わたしは走り出す。

あなたの手から離れてしまっても。

二人同じ景色が見れるなら、あなたの元にいつか還りたいわ。

(引用:miwa『chAngE』より)


一九七四年四月二十九日、神奈川県横浜市中区。日向邸の書庫。

“一九四八年五月三日、『人造鬼第一世代』は七体生まれたが、二体を残して死んだ。七海家のコードナンバー004《沙頼(さより)》と、東雲家のコードナンバー006《基》。二体は順調に育ったが、能力の発現は見られない、失敗だ。“

“現代の医学では『人造鬼』といえど、人造生物の寿命はせいぜい三十年が限度だろう。細胞死が起こり、やがて全身に回る。“

「そんな……」

矢倉遥佳(やくらはるか)は愕然とした。このままでは、東雲基(しののめはじめ)はあと四年ほどで死ぬ。

どうしよう……どうして。どうすれば。いろんな感情が頭の中を駆け巡り、混雑する。確かな思いは、自分がまだ基を愛していることと、基をなんとしても救わなくてはいけないこと。それができるのは、遥佳だけだ。

————あたしがなんとかしなくっちゃ。

遥佳は落とした書類を持って、書庫を出た。十代目当主でこの研究の現在の責任者である、日向一誠(ひゅうがいっせい)を探し出して、洗いざらい吐かせて基の体に潜む危険を排除させる。

「いたぞ!捕まえろ!」

霊障士がぞろぞろ出てきた。遥佳は霊障武具を構える。

「邪魔よ……死にたくなかったら、どきなさい!!」

遥佳は鬼神のごとき獅子奮迅で、霊障士たちを蹴散らした。

「いいなさい……日向一誠はどこ?」

ひとりだけ残して、あとはみんな武器を破壊した上で昏倒させた。残したひとりの男の胸ぐらを掴んで、遥佳は唸った。男は遥佳に怯えて、すぐに答えた。

「ち、地下の研究室だ……!」

「ありがとう」

遥佳は男を解放して、地下に向かった。


地下室では、非人道的な実験が毎日繰り返されていた。

「また失敗か……」

日向一誠は実験槽に入った異形のものを見て、舌打ちをした。やはり細胞の結合が安定しない。父が作り上げた『人造鬼第一世代』の研究書を読みながら、なにが足りないのか検証しようとする。

父に追いつかない自分がもどかしい。いつか追い越してみせる……追い越して、父が叶えられなかった夢を実現させる。酒呑童子を復活させて、世界の覇権を握る。やってみせる。そのためには今、あの娘が必要だ。

「おい」

近くにいた霊障士をひとり呼び寄せる。

「矢倉遥佳を連れてこい」

霊障士の男は、明らかに動揺している。

「しかし……」

「いいから連れてこい!あの娘がいれば……きっと……!」

矢倉家の人間は、生まれながらにして鬼の血と融合した特別な、云わば天然の人造鬼だ。彼らに体には、なにがしかの変化、変質があると思える。それを解明できれば、この研究は進むだろう。いや、進むなんてものじゃない、進化だ。

世界の覇権は、この私が握る。父が成しえなかった夢を叶えるときだ。

「あたしならここよ」

ぞくりと冷えるほどの、冷気を放った声が背後から響いた。遥佳だ。一誠ははっきりと狼狽えて、振り返る。しかしすぐに立ち直って、余裕のある笑みを浮かべた。

「やぁ、遥佳様。ちょうど用がありまして、探していたところです」

「全部聞いているわよ。答えはノー、アンタにあげるのは侮蔑、それだけよ。もっとも、あたしが欲しい情報をくれるなら別だけど」

一誠は今度はくく、と馬鹿にするような笑みを送った。

「東雲基を救う、もしくは真人間にする方法、ですか?」

「!」

「無理ですよ。彼は人造鬼として完璧な存在……今のところはね」

「……どういう意味?」

一誠は口を三日月型に歪ませて、大仰な仕草で答えた。

「今は父の作った第一世代が最高傑作!しかし、これから作られる第二世代は先代を超える力を持つ!第一世代などクズに思えるほどにね!私は父を超える!父が経験したことのない賞賛を浴びる……それが私だ!……君には存分に協力してもらうよ」

「断る、と言ったら?」

「それなりの措置をとらせてもらう」

簡潔かつ、わかりやすい悪。絶対的な悪。彼の存在を表現するにふさわしい言葉だ。しかし、人造鬼など作ってなにになる?遥佳にはわからない。だから

「じゃああたしも、それなりの対応をさせてもらう」

遥佳は霊障武具を構えた。一見丸腰の一誠にだって、容赦はしない。

「馬鹿な娘だね。いくら『神速』の君であっても、こいつの相手は辛いと思うよ」

一誠が手近のドアを開くと、扉の奥から赤い目が光っていた。赤い目はぎゃりぎゃり、という金属音を立てて徐々に近づく。

それは、異形のクリーチャーだった。身長は二メートル近い。赤い瞳は白目が黄ばんでいて、唇のない口はよだれで濡れた歯が剥き出しだ。耳は尖っていて、髪はない、血管の浮いた真っ白な肌。申し訳程度に着せられたボロボロの上下の服。首には太い首輪と鎖。鎖は地面に引きずられている。さっきの金属音の正体はこれか。

「彼は人造鬼のなり損ないだ。といっても鬼の力を持っているからね、同じ鬼の力を持っている君とは違って、云わばリミッターを外した状態だ。簡単には勝てないよ」

クリーチャーは持っている霊障武具基盤を起動させて、身の丈に合った巨大な斧を手にする。

一誠はそれを合図にクリーチャーの後ろへ下がった。

クリーチャーは斧を思いっ切り振り下ろす。太刀で受け止めるのは不可能と判断した遥佳は、右へ飛んだ。クリーチャーの斧は直前まで遥佳がいた床にめり込む。これで動きを止めると思ったら、クリーチャーは驚くべき速さで斧を自分から見て左……遥佳の方へ振った。飛び退くことはできない、間に合わないと判断した遥佳は、太刀で受け止めた。恐るべき力だ。普通の刀では折れていただろう。

遥佳は斧に押されて床を二メートルほど円を描いて滑った。靴下が摩擦で熱い。埃が舞い上がる。クリーチャーは笑っている。余裕の笑いなのか、嗜虐的な笑いなのかわからない。だが、遥佳は背筋がぞくりとした。純粋で原始的な恐怖。こいつはヤバいと、本能が告げている。

遥佳は退路を確保しようと、横目で背後の入ってきた道を見た。遥佳の位置からは、出口はクリーチャーを挟んですぐ前。特攻するふりをして、出口まで一直線に走れば逃げられる。でも……

基のことが気がかりだった。

でもあと四年……四年以内になんとかすればいい。そうすれば基は生きられるんだ。今はその情報を持って帰ることが先決。なにがあっても帰らなくては。

遥佳は《霞》を中段に構え、目の前のクリーチャーを睨みつけた。

————ごめんね……。

あなたも実験の被害者なのに、攻撃をしてごめんなさい。心の中でそう謝った。

そして、剣を引き絞って脚の筋肉を締めて、クリーチャーに向けて剣で斬りあげた。クリーチャーは斧で防御の姿勢に入るが、遥佳の狙いは斧を持つ肩。遥佳の狙い通りに肩が斬られて、クリーチャーの巨躯はぐらりと揺れた。

チャンスがきた、遥佳は体勢を崩したクリーチャーの包囲網を抜けて、出口へと一直線に走った。もうすぐで出口だ、あと三メートル。というところで、なにかが足を引っ張り、遥佳は派手に転んだ。足元を見ると、怪我をしたクリーチャーが必死に遥佳の足を捕まえている。

「っ離して……!!」

お願い、もうこれ以上傷つけたくないの。

遥佳の願いをあざ笑うように、一誠は言った。

「無駄だよ、こいつは私たちのいうことしか聞かない」

どうすればいい?彼を斬るしかないのか。罪のない彼を殺すしかないのか。そんなこと、許されるのか。いいや、許されていいはずがない。彼には生きる権利がある。自分たちと同じ、生物だ。例え造られた存在だとしても、誰もが殺していい存在ではない。

「お願い……その手を離して!」

遥佳は必死に、クリーチャーに語りかけた。伝わりますように……

「あなたも救いたいの!!」

どうか伝わりますように!!

とたん、遥佳の足を掴む手が緩んだ。どうしてだろう……いいや、そんなことを考えている暇はない。遥佳は出口まで走り出した。

「おい、なにをしている!?追いかけろ!!」

一誠の叫び声が聴こえた。どんどん遠くなる。地下から這い上がって、屋敷をぐるぐる回って、十分以上かたった五分かわからないが、遥佳は外に出た。

もう陽は落ちて、空は暗くなっている。幸い、実験の証拠になる書類は胸に持ったままだ。これを祖父に見せて、摘発させれば日向家のおぞましい実験は終わる。基の体も診てもらえるかもしれない。

遥佳は急いで実家に帰った。帰ってみると、使用人たちは大騒ぎだった。

「遥佳お嬢様が帰られた!」

「おかえりなさいませお嬢様、いったいどちらにいらしてたのですか!?」

そっか……なにも言わずに基のアパートに泊まってたから、みんな心配してたんだ。

「黙っていなくなってごめんなさい!でも今、急いでるの。おじいちゃんはいる?」

時繁(ときしげ)様は出張で京都です」

なんという悪いタイミング。こうなったら皇槻(こうづき)家に乗り込んで、日向家の悪事を大々的に暴露してやろうか……と考えていると。

「遥佳」

母のトキだ。ここのところトキが部屋を出ることは、滅多にない。姉の時雨(しう)の駆け落ち事件以降、トキは体調を崩している。最近はようやく落ち着いてきたところだった。

「お母さん……」

パンッ!

トキは思い切り、遥佳の頬を叩いた。

「いったいどこに行ってたのですか!黙っていなくなるなんて……」

「……ごめんなさい」

「こんなことが外の家に知られたらと思うと、夜も眠れませんでした!まったく、時雨といい、私の教育が間違っていたのかしら……」

————お母さんは、あたしたちの心配じゃなくて、家の心配をしていたんだね。あたしたちじゃない……家のことだけ考えているんだ。

そう思うと、叩かれた頬は更に傷んだ。

「それで、いったいどこへ行っていたの?」

その瞬間、遥佳の中で反抗心が湧いた。これまでずっといい子にしていたけれど、もう限界だ。

「基の家」

トキはこれでもかというほど目を剥いた。

「いま……なんて?」

「基の家に泊まってた!」

そうすると母はより一層眉間のシワを深めて、目を見開いて、口をぽかんと開けた。息をするのを忘れたようで、たっぷりの間をあけて停止してから、浅く呼吸した。それからまくし立てるようにけんけんと騒ぐ。

「あっあなた正気なの!?あの……あの男に家に、泊まる!?あの男はうちをさんざん引っかき回した男ですよ!?」

「お母さんが考えているほど、彼は悪くないわ!むしろいい人よ!姉さんと卯月がかわいそう!」

この家では、特に母の前では、基の名前は禁句だった。それをあえて出して、母の怒りを買う。母は怒りで顔が真っ赤だ。それでも体調は悪いらしく、合間合間に顔が青くなる。

赤くなったり青くなったりせわしない母の顔を見て、遥佳は更に言ってやった。

「姉さんがおじいちゃんとどんな取引をしたのか知らないけど、卯月のことを思うなら基と別れるべきじゃなかった!もっと言うなら、この家から離れるべきだったのよ!」

そこまで言うと、トキは完全に顔を真っ青にして、今にも倒れそうだった。しかし、そんなことはもう関係ない。遥佳は黙り込むトキの横を通り過ぎて、自分の部屋に向かう。自分の荷物を持って、基の家に居候させてもらうのだ。荷物をまとめて出ていこうとしたら、なにやら玄関が騒がしい。とうとう母が倒れたのだろうか、と思って覗いてみると。

「基!?」

基が仕事着の軍服を着たまま、玄関にいた。

「遥佳」

遥佳に気づいた基が、駆け寄ってきた。

「仕事が早く終わって帰ったらいなかったから、どうしたかと思って。荷物を取りに行ってたんだ」

「うん……お母さんは?」

「倒れちゃった。遠野さんと中沢さんが運んで行ったよ。……今日は時繁様は?」

「京都に出張だって」

「いつ戻られるの?」

「……なにかあるの?」

なにかの予感がした。第六感というのか、そういうものが遥佳に知らせた。

基は答える。

「いや、子どもの……卯月の様子だけでも知りたくて……やっぱりだめかな?」

「だめだったらあたしがきいてあげる!それよりお母さんが知ったらどうなるかわかんないよ、帰ろう」

「なんの騒ぎですか」

この声に、基の肩が揺れた。

もう懐かしく感じる、愛しい声。振り返ると、そこには少し痩せた彼女がいた。彼女……時雨も目を見開く。そして泣きそうな顔で使用人に平然を装って言った。

「お客様にお茶のひとつもお出ししないのですか?失礼ですよ」

その声に、使用人が数人動いて、基は遥佳と一緒に客間へと案内された。

お茶とお茶菓子を出されて、手持ち無沙汰にしていると、やがて襖が開けられた。時雨が赤ん坊を連れてきた。卯月だ。卯月は静かに眠っている。と思ったらやがて目を開けて、金の瞳をぱちくりさせて周囲を見ている。時雨は穏やかな声を上げた。

「卯月、お客様ですよ」

基のことを決して『父親』と言わないところに、時雨の頑なな決意が物語られている。その決意を汲んで、基は我が子の顔を覗いて優しく話しかけた。

「卯月ちゃん、こんにちわ」

その父親らしい、子を思う表情を見て、遥佳は飛び出しそうになる言葉をぐっとこらえた。基だって我慢しているのだ。本当は声を大にして言いたいはずだ、『自分がこの子の本当の父親だ』と。だが、基は我が娘と妻を思って、絶対に言わないようにしている。

娘の幸せを願って、身を引いているのだ。その気持ちは、誰に踏みにじられていいものではない。ましてや《他人》の遥佳が口にしていいものではない。これが、基の父としての愛の形、これが卯月の両親の形なのだ。

卯月は基の顔を眺めて、にこりと笑った。まるで天使のような笑顔を見て、基はどこか安堵したような表情をした。そして、これで心残りはない、みたいな笑顔で卯月の小さな頭を撫でる。

その基の顔を見て、遥佳はせめて、と思った。

「基、今日は泊まってこうよ」

「え……でも……」

「遥佳、突然なにを言い出すの」

「ね、いいでしょ?」

せめて一晩だけでも、そばにいてあげて欲しい。これは遥佳の我が儘だ、基と時雨が決めたことに口を出すつもりはないが、我が儘を言わないとは言わない。少しでも、ほんの一時でもすぐ近くに。これくらいは許されていいと思った。

時雨も基も内心では嬉しいのか、案外すぐに折れた。

「お客様がよろしいとおっしゃるのなら、わたくしは構いませんが……」

「ええと……それじゃあ……お世話になります……」

遥佳は自分にガッツポーズを送った。

その夜。

みんなで夕飯を囲んで、楽しい時間を送った。そのあと。

中庭にある大きな木の下。

「「あ」」

基は風呂上がりに涼もうとして、いつもの癖が出てここに来た。そうしたら、時雨がいた。おそらく同じようなことを考えていたのだろう、長い髪が濡れている。

「し、時雨さんも涼みにきたんですか!?偶然ですねっ」

「お客様もですか、本当に偶然ですね」

ちょっとつんとして、意地をはっている時雨に、基は少しむっとした。

二人っきりだったら別にいいかなって思ったのに……この状況が嬉しいと思うのはオレだけかっ!?

基は少し意地悪をしてみようと、時雨の肩に手を回した。ビクッと震える時雨の細い肩。

「なっ……なにをするのです!?やめてください……っ」

近づく顔、かかる吐息。

「時雨さんが本気でイヤなら……止めてください」

「い……いや……やめ……」

重なる唇は久々の感覚に、まるで初めてしたかのような震えがきた。

荒い吐息の中で、時雨が呟いた。

「相変わらず……子供っぽいですね……」

「へへ、子供だもん」

「一児の父がなにを言ってるのですか?」

「あの子、オレの子じゃないんでしょ?」

「根深いですね……まぁ、仕方のないことですが……」

久々にここから見た月は、基におかえりと言ってくれている気がした。月の光に照らされた時雨のさらさらした長い髪は、青く輝いている。

二人は気持ちを確かめ合うように、お互いに同じタイミングでキスを交わした。月は一瞬だけ雲に隠れ、また夜を照らす。二人を照らす。

「……もう、これでおしまいです」

「どうしても?」

その問いかけはずるい、と時雨は思った。だって基と別れてからもずっと、一途に想っていたのだから。

時雨は基から顔が見えないように立ち上がり、月を眺める。その頬には涙が伝い、雫が若い草に落ちた。

不意に、背中に熱を感じた。基が抱きしめていたのだ。

「時雨さん……」

基の熱い吐息が、首筋にかかる。時雨は震えを必死に我慢して、目を瞑る。

「オレはいつも……いつまでも、時雨さんを想っているから。生まれ変わっても、時雨さんに恋をする」

それは……保証のない約束。

「わかりませんよ、そんなの!基はもっといい人を見つけて、わたくしなんて忘れてしまうかもしれないのに!そんな……こんな約束、残酷なだけですっ……」

「じゃあこれだけ誓いますよ。生まれ変わったら、絶対に時雨さんに会いに行く。オレたちは絶対に会う。いい?」

「……会えるでしょうか……?」

会ったらきっと、わたくしはもう一度恋をするわ。

「絶対に。これだけの約束」

例えどんなに辛い恋でも、どんなに離れた恋でも。

「「約束」」

二人は小指を絡めた。僅かな希望に、大きな期待を膨らませて。

例え許されない恋でも、わたくしはもう一度恋をします。

「さ、戻りましょうか。あ、でも怪しまれるから別々に帰ったほうがいいですよね。時雨さん、お先にどーぞ」

ぱっと手を離して、右手を差し出す基。

「そうですね……では、お先に戻らせていただきます」

時雨が戻ったあと、基はなにか妙な気配を感じた。それは懐かしくて、同時に恐怖を感じる存在。血と硝煙、鉄の錆びた臭い。

「はぁ……基と姉さん、うまくやってるかしら……?」

久々の自室でのんびりしていた遥佳は、濡れた長い髪を風に当てて、ぽつりと呟いた。二人とも結構頑固だから、最初のうちはぎこちないかもしれない。でも打ち解ければ早いと思う。

頑張れ……基、姉さん。心の中で祈っていた。

ガタンッ。

「!?」

部屋の外で物音がしたので、襖を開けて確かめた。

「どうしたの?」

人影が見えたので、声をかける。しかし、返事がない。立ち上がって外に出て、人影の方向へと向かうと、

「ほほほ、これは幸運ですね。あなた、『神速』の矢倉遥佳でしょう?」

女の声だ。年頃は二十代後半だろうか。やがて姿を現す。長い薙刀の霊障武具を持った、和装のおかっぱの女。髪は黒く、瞳は赤い。

「こんばんわ『神速』。一応名乗りましょう。ワタシは《アベル》の安藤絹枝、人造鬼のなり損ないです」

女の足元には、使用人の死体が転がっている。

「自己紹介ありがとう。あたしは国家第三種霊障士矢倉家所属の矢倉遥佳。ききたいんだけど、《アベル》ってなにかしら?」

絹枝は足元に転がる死体の首に、いたずらに薙刀の刃を突き刺して遊びながら、どこまで話していいものか、と迷った末に答えた。

「一誠様のお父上、恭一様が作った反政府組織、とでも言いましょうか。とにかく、人造鬼を作って組織立てることが目的です。あなたはワタシたちの秘密に近づきすぎたようなので、処分させていただきます」

「ほう……それにしてはずいぶんな規模じゃないの。あたしを殺すことはただの名目ね。なにが目的?」

遥佳は霊障武具基盤を構えた。襲いかかってきたら、すぐに斬り殺す。

絹枝は一瞬ぽかんと口を開けて、それから呑気に笑った。

「これはこれは……案外頭の回転が速いですねぇ。えぇえぇ、今夜のワタシたちの真の目的は、あなたなんかじゃありません」

「誰!?誰を狙っているの!?言っておくけど、おじいちゃんはここにいないわよ!?」

「だから今夜にしたのですよ。正直、あなたには感謝しなくてはいけませんね……監視隊から連絡があったとき、一誠様は大層喜んでおられましたよ」

「……なんの話?」

話が見えない。どうして遥佳に感謝?

絹枝は今度は残念そうに眉を八の字に下げて、死体の首から薙刀を抜いた。

「さすがにそこまではわかりませんか、仕方ありませんね。……探していた第一種を呼び寄せていただき、ありがとうございます」

第一種。それはこの世に一人しかいない。

「まさかあんたたち……基を……?」

基を狙ってきたというのか。

絹枝はほほほ、と愉快そうに笑った。

「一誠様は第一世代を超えるものをお作りになりたいの。そのためには、あの男が必要なのよ」

「させないっ……基の人生は基のものよ、誰にも狂わせたりしない!!」

遥佳は霊障武具基盤を起動、太刀の《霞》が展開されて、土性質特有の青い霊子を散らせる。《霞》を正眼に構えて、絹枝の赤い瞳を射抜く。絹枝もまた、薙刀を構えて微笑んだ。

「っ……!」

太刀を横に振り抜いて、遥佳は廊下の絹枝までの五メートルを〇.一秒で駆け抜けた。太刀は絹枝の首に目掛けて、一直線に吸い込まれる……が、薙刀の柄がそれを防いだ。太刀の刀身と薙刀の柄が交錯し、青いスパークを放つ。両者背後に飛びのき、相手との距離を充分に取る。

再びのダッシュ。〇.〇一秒、薙刀の刀身が遥佳の髪を掠め、太刀の刀身が絹枝の小さな鼻先を抉る。その瞬間、絹枝は笑った。赤い瞳が歪んで輝き、流れる血を舌で舐めとる。残酷な無邪気の笑顔。

遥佳は震えた。この女は、戦い慣れている上に、戦い自体を楽しんでいる。対して遥佳が『神速』と謳われる所以は、所詮は訓練での賜物であり、実戦ではほとんど役立たずである。確かに実戦経験はあるし、その異名の通りに素早さを誇る。だが、実戦は実戦、訓練は訓練。

「『神速』はこの程度の実力なのですか?」

絹枝はまた笑う。そして……遥佳も笑う。

「あんた、あたしをナメてない?」

遥佳の真骨頂は、その先にある。

鬼の血を引いた矢倉家の、ごく限定された能力者だけが挑める境地————《鬼現化(きげんか)》。読んで字のごとく、体内に宿す鬼を出現させて自分の力として戦う。もちろん、鬼化が進行するが、ある程度までなら耐えられる。

遥佳は先代の誰も成しえなかった境地までたどり着き、すなわち鬼現化八十パーセント以上を記録した。もちろん危険なために、普段は使うことはないが、鬼現化八十パーセントの遥佳は日本最強の基や、あの戸賀俊典大将らと対等に戦える。

遥佳の瞳は金から赤に染まり、肌も浅黒く変化する。艶やかな黒髪は金に変化して、霊子の流れに沿って波打つ。霊障武具も淡いブルーから濃紺へ変わる。

スピードにも明らかな変化が生じた。絹枝との七メートルの距離を、わずか〇.〇〇五秒で縮め、さらに攻撃までする余裕ができる。

攻撃された絹枝にはなにが起きたのか理解できず、ただ斬られた腕の痛みを感じるだけだった。その痛みさえ、斬られた瞬間はなにも感じなかったのだ。攻撃の素早さを感じさせられる。

「なっ……なに!?なんなんですかその速さ!?異常でしょう!?」

さしもの絹枝も、余裕を崩して叫んだ。だが、遥佳は冷酷な現実を突きつけた。

「今ので三十パーセント。これ以上続けるなら、次は五十パーセントいくわよ」

「ひっ……」

絹枝は薙刀と斬られた腕を置いて逃げ出した。

殺される。そう直感した。ただの小娘だと舐めてかかっていた。再生できる腕を置いてきてしまったのは誤算だが、死ぬよりはいい。このままどこかへ逃げて、ほとぼりが冷めた頃に横浜に戻ろう。

そう計算しだした時だった。

体が動かない。景色が変わらない。どうして……見下ろしてみると、体がなかった。脚も、胴体もない。頭と体が切り離されていた。

絹枝の絶叫が響く。

「っ……は、はぁ……」

どう、と疲労感が全身に染み渡る。でも、倒れている場合ではない。基を探して、守らなくては。

自分の体に鞭を打って、遥佳この屋敷のどこかにいる基を探して走った。

「時雨さん!」

時雨と卯月を守らなくては、と、基は時雨の部屋へと急いだのだが、卯月はおろか時雨すらいない。かつての時雨の部屋は物置にされており、掃除は行き届いているが人が隠れるようなスペースはない。

「っくそ!!」

どこにいる?時雨と卯月はどこに……?

ドォンッ。

爆発音がしたので外に出てみると、ここから北側……時繁の書斎がある方が燃え盛っていた。ダイナマイトでも仕掛けられたのだろう、勢いが激しい。このままでは屋敷じゅうに燃え移る。

「時雨さんっ卯月っ!!」

「基っ!!」

時雨の声だ。一安心して振り返ると、

「おーっと東雲基、動くなよ?」

時雨は卯月とともに、オレンジ色の頭の背が高い少年に捕らえられていた。少年は愉快そうにけらけら笑って、右手に巻かれた白いガントレットで時雨の首を締め付ける。

「この女が大事か?東雲基」

「基っ!わたくしはいいですから、卯月を!!」

「うるせぇよ女。どうなんだよ、東雲基?」

二人を人質に取られてしまうとは、迂闊だった。どうしよう……どうしたら……。

「……子供は……解放しろ」

少年は首をひねった。

「うーん……お前の命令ってのが気に食わない」

「解放してくれっ……頼む!!」

「いいよーん。ほれ」

少年は時雨から卯月をかっさらって、乱暴に投げつけた。なんとか受け止めて、少年の動きを探る。

少年は時雨の首を握ったまま、喋りだした。

「さーて東雲基。お前は桜木裕人(さくらぎひろと)って人を覚えているか?」

「桜木……裕人……?」

確か数年前に、基が弟子としてとった男の名だ。しかし彼は軍の機密実験体にされて、鬼化したので処分命令がくだり、基自らが処分した。彼の最期も覚えている。

『基さん……おれ……役に立ちましたか……?』

その問いに、基は頷いた。すると裕人は笑って

『よかった……』

そう言って、彼は自我を失った。

「よく……覚えているよ……そうか、君は」

オレンジ色の頭の少年は、泣いて叫んだ。

「れっちは桜木裕人の弟、桜木隼人だっっ!!!!!!」

よく似ている。きっと笑ったら、もっと似ているだろう。

隼人は時雨の首を握り締めて、基を睨んだ。

「どうして……裕人兄ちゃんが殺されなきゃならなかった!?兄ちゃんは……アンタを目指して霊障士になったのに……!!」

「言い訳にしかならないかもしれないが、裕人は……望んであの道を選んだんだ。オレに殺されることも望んで」

「嘘だ嘘だウソだっ!!!!!!!!兄ちゃんがそんなことするはずがない!!!!!兄ちゃんは……」

気がついた時には、隼人はよく磨かれた床に倒れていた。手の中にあった時雨の首は、ない。起き上がると、時雨と卯月を抱いた基が目の前にいた。

基は悲しそうな顔で言った。

「ごめんね……君の気持ちを知らずに……ちゃんと挨拶に行くべきだった。これはオレの逃げが生み出した結果だ。でも……オレにも守りたい人ができたんだ。だから、今は逃げさせて」

基は走った。隼人の怒声が聴こえる。必死に走って、隼人を振り切って、屋敷の正門まで来た。正門には、使用人等の大勢の人が避難していた。時雨と卯月を降ろして、基は周囲を見渡した。

「基……あの子が、遥佳がいません」

時雨も基と同じことを考えていたのだろう、基に必死にすがりつく。

「どうしましょう……あの子が……!!」

「時雨さん、落ち着いて」

時雨と卯月を交互に見て、思った。次はもう……ここには戻れない気がする。だから。

卯月を最初で最後に抱きしめて、基は精いっぱいの笑顔を見せた。

「ばいばい、卯月。お父さんはちょっと……行ってきます」

「基……?」

今……初めて自分で『お父さん』って。

時雨も基の気持ちの変化に気づいたのか、不安そうな表情を隠さない。

基は燃え盛る屋敷の中に、身を投じた。

「基!!どこーっ!?姉さん、卯月……いるーっ!?う……ゲホっ」

屋敷の西側。火が回ってきた。遥佳はハンカチを口に当てるが、それもだんだん無駄なような気がしてきた。どうしよう……逃げるか。しかしまだ三人が屋敷の中に取り残されていたらと思うと、踏み出せない。

仕方ない、北側まで行ったら、正門まで行ってみよう。そう決めたときだった。

「あ」

人影。あちらも気づいたようだ。近づいてくる。

「遥佳!いた!!」

基だった。煙と喜びで涙目になりながら、遥佳は基の名を呼んだ。

「基!姉さんと卯月は!?」

「正門まで避難させたよ。トキ様もいる。あとは遥佳だけだよ」

「よかったぁ……じゃあ基、早く行こう!このままじゃ、二人とも死んじゃうわ!」

「あぁ、行こう」

と駆け出した瞬間だった。

「東雲基……」

隼人だった。

遥佳は基を庇って、刀を構える。

「基、逃げて!」

「馬鹿!お前を置いて逃げられない!」

基も霊障武具大剣《花月》を取って、構えた。

隼人は右腕の白いガントレットを構えて、勇敢にも現役の霊障士二人に立ち向かってきた。

隼人はガントレットで右にいる基を殴打、基はその拳を大剣の分厚い刃でガードするが、衝撃までは防げない。隼人がかけた体重に乗って、基の体が後ろに飛ぶ。後ろにはなにもないので、慣性に従って飛ばされる。よく磨かれた木の床を土足で蹴って、飛ぶスピードを緩める。

飛び込んでくる隼人の腕を刎ねる。隼人は素早く腕を取って、傷口をくっつける。じゅう、という蒸発したような音とともに、隼人の腕は再生した。

「!君……その再生能力は……」

「鬼の血を飲んで得る力だ……これでアンタを、殺す……!!」

「あたしを忘れないでよね……っ!」

遥佳が太刀で割って入ってきた。

「遥佳、下がっていて。君は状況を外に伝えるんだ!」

遥佳は引き下がろうとせず、太刀を構える。

「基は……あたしが守る……!」

遥佳と隼人はじり、とお互いにけん制し合い、火花を散らす。

〇.一秒、深呼吸。一秒、遥佳は太刀を、隼人はガントレットを構える。そこに

「あれあれ隼人くーん、なんかひとりで楽しんじゃってないー?」

赤い瞳の男と女が数人、現れた。全員が全員、血に濡れている。最初に声をかけてきた男は、舌なめずりをして基と遥佳を見ている。

「隼人」

涼やかな少女の声に、人垣が割れた。人垣のあいだから、声の通りに可愛らしい少女が現れた。金髪を大きく二つに巻いた、青い瞳の少女。少女のイメージとはほど遠い、お揃いの黒いファティーグを身につけている。

沙頼(さより)……さん……」

隼人の声がひび割れた。沙頼と呼んだ少女に畏怖の念を感じているのだろう。沙頼はにこりと微笑んで、ゆっくりと隼人の元に近づく。すると隼人は自分よりずっと小さな少女にかしづいて、頭を垂れている。低くなった隼人の頭を撫でて、少女は微笑んだ。

「隼人、アンタは第一種を相手にしていいわ。わたしたちは、そこの小娘を始末するから」

「で、でも沙頼さんっ……」

「嬉しくないの?だってアンタ、ずーっとあの男への復讐ばかり考えてたでしょう?」

二人とも始末するつもりでいた隼人には、少し複雑な思いだった。沙頼の手を煩わせる……でもあの女がいなければ、自分の復讐は完璧にこなせる。ジレンマ。

しかし、隼人は復讐を優先させることにした。欲望のままに、あの男を殺す。

「ふふ、いいわ……隼人。アンタにはその瞳が合っている」

復讐に燃える瞳、それは沙頼の好物だ。自分と似通っているからか。とにかく好きだ。

隼人は白銀のガントレットを握って、基を睨みつける。この男が兄ちゃんを殺した。こいつは兄ちゃんの仇。この男を殺す。

「殺すっ……!!」

隼人は基に向かって突撃する。

凄まじいスピードだ、これまでとは段違いである。隼人の流星のような拳を、基は霊障武具大剣《花月》で受け止める。重い……体重が乗った拳だ。普通の剣であれば、折れていただろう。しかし《花月》は硬い炭素鋼で出来ている。容易には折れたりしない。

硬い白銀のガントレットと黒い炭素鋼の《花月》が混じりあい、黒白の光が辺りを照らす。それはまるで流星群のようだった。カァン、キィン、と鉄の打つ音が連続して、黒と白のコンツェルトが奏でられる。

「いいわね、こういうの大好きよ」

それを眺めながら、うっとりとした声で沙頼が呟く。

「さて矢倉のお嬢さん、わたしたちと一緒に、殺しあいましょう?」

切り替えて、沙頼は自らの霊障武具を取り出した。

細い、細い剣。レイピアだ。柄にはシンプルながら美しい装飾が施されている。少女の青い瞳と同じ、水晶のように輝く青い刀身と柄。沙頼は半身を引いた構えで、すっと目を細める。その瞬間、青い瞳は赤く輝いた。

つられて遥佳も太刀を構える。基と隼人の剣戟が、遠くに聴こえる。どちらともなく、走り出した。剣が空気を滑る。キィン、という剣と剣がぶつかる音。白い光が同時に起こって、スパーク。沙頼のレイピアの切っ先が、遥佳の頬を掠める。

「っ……!!」

「あら、速いのね。さすがは『剣帝』の娘、『神速』。でも……もっと速くなるわよ、『そのまま』で付いてこれる?」

言う通り、s剣のスピードが上がった。頬や腕、脚を突かれて、少量ずつだがダメージを食らう。それでも致命傷を避けているのは、舐められているということか。

悔しい。なればお望み通り、喰らってやろう。

遥佳の瞳が金から赤に変化し、太刀の刀身も青から赤い光が生まれる。鬼現化五十パーセント。剣を振るうスピードも力も上がる。沙頼の速さを圧倒的に超えて、重みが増す。沙頼のレイピアは速さはあるが、重みに欠ける。速さと重みのある遥佳の剣が圧倒的に有利だ。しかし。

沙頼は的確に、遥佳の動きを読んで、いや予測して最低限の動きだけで避けている。そして更に、反撃までしてくる。その反撃で遥佳の狙いは狂わされて、次々と攻撃を外す。

「くっ……」

ただ力が強くなるだけではダメだ。的確に、正確に攻撃する能力がなくてはいけない。集中しろ、敵の攻撃を避ける、そして攻撃を当てる。今の遥佳になら出来るはずだ、まさに超人の鬼の力を持った遥佳になら。

遥佳は超人的な集中力を発揮して、沙頼の攻撃をすべて弾いた。しかし、弾くので精いっぱいで反撃には至らない。それにこんな集中、そう何分ももたない。徐々にミスが増える。

「あっ……」

ついにはレイピアで太刀を弾き飛ばされて、丸腰になった。

「ふふふ……チェックメイト?」

沙頼はレイピアで遥佳の鼻っつらを、撫でるように指して無邪気に笑った。この状況を心の奥から楽しんでいる。しかしそこで、今まで黙って背後にいた沙頼の部下らしき女が、右手に握った日本刀をすらりと構えて前に進んだ。

「沙頼様のお手を、これ以上煩わせるわけには参りません。始末は私がいたします」

「あらそう?まぁどちらにしろ、レイピア(これ)じゃあ傷つけられないわね。あとはあなたに任せるわ」

沙頼は霊障武具レイピアを停止させて、きびすを返した。日本刀の女は一礼して、遥佳の首を刎ねようと武器を振りかざす。

遥佳は体が痺れたように、動くことができなかった。まるでスローモーションのように、女の日本刀を持った手が見える。

あぁ……これで終わりなのか。せめて基に想いを伝えてから死にたかった。そうすれば、思い残すことはなにもないのに。それから、時雨にも一言謝りたかった。

卯月を妊娠したとわかったあの日から、ずっと言葉を交わすことはなかった。時雨にぶつけた基への想い。ずっと重しになっていた。言わなければよかった、と。自分の気持ちに気づかなければよかったのに。そうしたら、卯月を憎む気持ちだってなかったはずなのに。

ごめんね、姉さん。

ごめんね、卯月。

基……。

日本刀の研ぎ澄まされた刃が、首元に迫る。これで、死ぬのか……。静かに瞳を閉じた。『その時』を待つ。

しかし、どういうことか『その時』はいつまで待っても来なかった。そっと瞳を開けると、目の前にはカーキ色の軍服の背中。

「……基!?」

女の日本刀を受けたのは、隼人と戦っていたはずの基の体だった。基は左肩から右胸にかけて深い傷を受け、その場に倒れた。

「基……なんで……なんでよ!?どうしてあたしなんか助けたの!?」

基は浅く息を吸ったり吐いたりして、薄く微笑んだ。

「だって……遥佳は大事な妹だから……さ」

嘘。嘘だよ。基は誰より自分のことを『矢倉家の人間』として見ていない。認めていない。そんな人が、遥佳を『妹』だなんて思うはずがない。

「……好き……」

涙があふれる。この傷では基は助からない。遥佳は基の手を握る。抑えられない気持ちを吐き出す。

「基のことが……ずっとずっと好きだった……!!」

基はきっと、遥佳の気持ちに気づいていたのだろう。別段驚く素振りは見せず、微笑んでありがとう、と言った。

そして、静かに息を引き取った。

遥佳の中で、なにかが切れる音がした。手は自然に、武器を取る。瞳の紅は冴え渡り、いっそう毒々しく輝く。鬼現化は百パーセントを超えて、髪が白く変色した。

遥佳の中の鬼は、猛々しく暴れた。

気づいたら消防隊の人たちが遥佳を囲んでいて、頬を軽く叩いて気付けをしていた。全焼した屋敷は鎮火され、遥佳の周りには、たくさんの死体が残されていた。みんな刀傷がついている。遥佳の手に収まる太刀は、血にまみれていた。

そのまま病院に搬送されて、遥佳は入院した。

「よかった、遥佳が無事で」

りんごをナイフで剥きながら、背中の卯月をあやしている時雨が笑った。

「一時はずっと入院かもしれない、なんて言われていたのですよ」

「基は……?」

訊かなくてもわかっている。彼は死んだ。でも、確かめたくて、信じたくなくて、問いにしてみた。

案の定、時雨はナイフを操る手を止めて、口をきゅっと引き結んだ。

「死んだんでしょう……?お墓は?行きたい」

「まだだめですよ。先生は二週間は安静にって」

「姉さんは平気なの?自分の旦那さんが死んだのよ?」

「あの人はわたくしの夫ではありません。わたくしの夫は天地(てんじ)さんです」

「そんなの詭弁よ。姉さんは基のことが好きなんでしょう?じゃなきゃ、あたしの気持ちに気づいてくれるもん!」

すると時雨はりんごを見つめる目を、遥佳に向けた。遥佳はそれを無視して、次々と言葉をぶつけた。

「姉さんはいつもそう、自分勝手だけど下手に優しくて、その優しさがひとを傷つけてるってわかってない……過干渉でおせっかいなのよ!どうしてそうやって平気でいられるの!?好きな人が死んだのよ!?もうこの世にはいないの!」

そこまで言って、遥佳は自分の目に涙が出ていることに気づいた。

泣いている。基が死んだという事実を受け止められていないのは、遥佳の方かもしれない。遥佳は泣きじゃくって、ベッドの隣に座る時雨の薄い胸を両手で叩く。何度も、何度も、何度も。

あたしが……あたしが基を死なせたんだ。あたしが、あたしのせいで。

どん、どんと遥佳の拳が時雨の胸を叩く音が、病室に響いた。

どん、どん、どん……とん……。

「う……うえぇぇぇぇ……」

我慢できずに、子どものように声を出して泣いた。

基が死んで、遥佳のこころも同時に死んだのだった。

それから三日後、遥佳は病院を抜け出して自殺した。自分のこころの一部だと言わんばかりに、霊障武具基盤を基が死んだ矢倉邸跡地に埋めて。


二〇〇九年七月十二日、午後三時四十分。

神奈川県横浜市中区、私立久木学園高等部第一校舎、二年F組の教室。

「……酒呑童子のドッペルゲンガーは、ボクだ」

「ということはアンタが東雲基?」

「まさか。ボクは……松野雪片(まつのゆきひら)、《災厄の悪魔》だ」

放課後、夕陽の傾く教室の中で、日向逸覇(ひゅうがいつは)七海沙頼(ななみさより)に向かって、確かにそう言った。それを逸覇の双子の兄である河本一覇(こうもといちは)はきいた。

逸覇が、雪……?

そんなこと、ありえるのだろうか。あっていいのだろうか。そして、『ドッペルゲンガー』とはいったいなんなのだろうか。いろいろな疑問が湧いてきたが、なにをどう確かめるのか、その術は知らない。

そもそも、一覇自身が東雲基で、四季が矢倉遥佳だということ自体を、まだ完全に信じていない。信じ切っていない。半分夢であってくれとさえ思っている。

「…………」

必死に頭を回して、次に起こすアクションを考えた結果、電話で四季と約束した場所に行くことに決めた。リンが死んだ、あの防空壕跡地へ行く。

雪片……逸覇にも教えようかと思ったが、雪片が遥佳を恨んでいることを思い出してやめた。このままなにも言わず、立ち去ろう。そう思ってそっと足を後ろへ伸ばしたとき。

リノリウムの床と靴底のゴムが裏切って、キュッとかん高い音を立てた。

その音に気づいた逸覇と沙頼が、一覇の方を振り向く。目が合った。

「兄さん……?」

「あっ……や、やっほー逸覇、沙頼!二人でなにしてんの?オレは今から帰ろうとしてここに来たばっかりだよ!鞄を取りたいんだけどいい?」

説明くさい台詞回しでささっと教室に侵入して、机に突っ込んである教科書とノート、筆箱を取って鞄に押し込んだ。

「じゃ、じゃあまた明日!」

「兄さん」

教室を出ようとする一覇を、逸覇は引き止めた。一覇はなるべくゆっくりと振り向いて、ぎこちない笑顔を向けた。

「なに、逸覇?」

「…………なんでもない。また後でね」

なにを考えたのだろうか、逸覇は一覇の顔をじっと見つめてから、そっと解放した。

一覇は走った。学校を出て、元町中華街駅から電車に飛び乗って、横浜駅で乗り換えて、相鉄線瀬谷駅へ。

駅から歩いて十分もしないところで、目的の場所に着いた。かつては公園だったその場所は、今は住宅街になっている。防空壕跡地も綺麗に均されて、更地になっていた。そこに、四季がいた。

「基は……気づいていたのか?」

一覇の気配に気づいた四季は口を開いた。

「なにを……?」

「遥佳が基のことを好きな、こと」

一覇は必死に記憶をたどった。『東雲基』だった頃の記憶。『オレ』の気持ちを。

「知っていたよ。ずっと」

その一覇の言葉に、四季は激昂した。

「だったら……だったらどうして突き放したりしないで、優しくしたの!!どうして思わせぶりな態度をとってたの!!どうして……」

遥佳が時雨にしたように、四季は一覇の胸を叩いた。

「あのとき『ありがとう』なんて言ったの……?」

そんなこと言われなかったらきっと、諦めがついたと思う。いっそ突き放してくれたら。中途半端な優しさが、期待を持ってしまう。持たせてしまう。

一覇はなにも言えなかった。基がしたことは、残酷なことだと思う。彼女を傷つけたと思う。だから、自分に出来ることはなんだろう。そう考える。

そして、突き放す。

「遥佳が『妹』だからだよ」

四季は手を止めた。一覇の言葉に耳を傾ける。

「大切だから、その気持ちを受け止めたかったから、だから礼を言った。そうだと……思う」

「なんだよ……なんだよそれ!!僕は……遥佳はどうすればよかったんだ!!結局、基を困らせるだけだったの!?」

「違う、困ってなんかいない!嬉しかった!嬉しかったから……困るんだ……」

一覇も、自分で自分がなにを言っているのかわからなかった。でも、確かな答えはひとつ。

「基も……オレも遥佳のことが好きだ」

時雨のことは、今でもずっと大切な人。好きな人。愛する人。ずっとずっと、愛している。だけど。

「弱ったとき、辛いとき、いつもそばにいてくれたのは……君だった、遥佳」

ずっと見守ってくれていたね。離れていても、想ってくれていたのも知っている。全身からあふれる愛情を、オレは気づいていた。

「ありがとう、遥佳。愛している」

四季は……いや、遥佳は涙が止まらなかった。想いはずっと、通じていた。一方通行の恋は、これでおしまい。

涙を乱暴に拭いて、笑顔を向ける。

「ありがとう、基。大好きだよ」

「まだ……終わらない……」

「「!?」」

声がした方へ、一覇と四季は振り向いた。真っ暗な森には、ひとりの女性。

「あの人だ……」

四季は呟いた。

十二歳のあの日、四季にすべてを教えたあの女。遥佳の人形。存在するはずのないレヴァナント。

四季の魂は、確かに遥佳である。レヴァナントが存在するはずがない。出来るはずがない。だが、《彼女》はいた。あの日、四季は確かに会った。

遥佳の姿をした『なにか』の存在。それは幽鬼か幻か。はたまた……

「……オバケ?」

「馬鹿、作り話の《オバケ》など、この世には存在しないだろう」

一覇の一言だって、あながち間違いではないかもしれない。

彼女の存在は『オバケ』としか表現できようもない。だが、彼女は確かに地に足をつけて歩く存在だ。

彼女は青白い顔で、そっと微笑んだ。

その細い首には、縄で絞められたような跡がある。自殺者のように。

「それ……」

彼女は四季の手に握られている、霊障武具基盤を指した。

「それはあたしのもの……返して……」

「《あたし》?あなたが本当に『矢倉遥佳』だというのか?遥佳は僕だと教えてくれたのは、あなただろう?」

彼女はなおも、首をかしげて考える。その動きは緩慢で、まるで脳を腐らせたゾンビのようだった。

「おい、もしかしてゾンビじゃないのか?」

隣で四季にヒソヒソと声をかける一覇に、四季は答えた。

「それはない。ゾンビには話ができる知能がないからな。だが……」

四季は彼女の随所を見て、首を傾ける。

「あの日と様子が違う……あの日はもっとはっきりとしていて、まるで生きている人のようだった……」

「そんなこと、ありえるのか?だって遥佳は確かにお前だろ?だったら、蘇らせる術はないはずだ」

「死体を使うことくらいはできる。死体を回収して、なにかしらの術を施して、仮初の魂や記憶を与える……可能かもしれない。一覇はどう思う?」

一覇はうーん、唸って、幼い頃に読んだ霊子科学系の資料の記憶をくくる。と同時に、基の記憶も辿った。だが。

「オレの知る限りはない。ない……けど、じいさんなら可能かもしれない」

四季はあの男を思い出して、苦い顔をした。

「日向一誠……か。ありえないことはないな」

日向一誠の研究は、度を越した非人道的研究だ。彼が考えることは底知れない。だが着眼点は少しずれている。

『可能か、否か』。『考えに至るか』ではない。

果たしてこのような奇怪な《人形》は作れるのだろうか。

しかし、それについて考察している暇は無いようだ。彼女は四季が持っている霊障武具基盤を目指して、ものすごい速さで飛び込んできた。

二人はとっさに左右に飛んだ。

「返して……あたしの……返して……!!」

「四季っ、とりあえず渡せよ!それでこの人も落ち着くだろ!?」

「無理だ……」

「なんで!?」

四季は先ほどから、武器を離す素振りを見せている。だが、瞬間接着剤でくっつけられたかのように、霊障武具《霞》は四季の手から離れない。

「まるで武器が拒絶しているようだ……」

「じゃあどうする!?戦うのか!?」

四季は霊障武具基盤を左右の手に構えて、答えた。

「やるしかないだろう……!」

右手に霊障武具小太刀の《朧》を、左手に太刀の《霞》を構えて、四季は彼女と対立した。一覇も倣って、左右に霊障武具基盤を構える。右手に火性質の霊障武具曲刀かぐやを、左手に金性質の霊障武具ハンドガン《月代》。

一覇は月代の弾丸を彼女の足元にばらまいて、隙を作ったところでかぐやで斬りこんだ。しかし、彼女はその剣さえもよけてみせた。

四季が飛び込み、左右の刀で次々と技を繰り出す。しかし丸腰だということを感じさせない、鮮やかな手さばきで刀を弾く。

「このっ……!」

一覇は後ろに回り込んで、彼女の両肩を掴んで動きを封じた。これで四季が攻撃できる。そう思ったのもつかの間。彼女は一覇の両腕を掴んで、一礼するように一覇を投げ飛ばした。前に迫っていた四季にぶつけられて、二人同時にダウン。

彼女はゆっくりと迫り来る。

「邪魔しないで……」

コツ、コツと靴の音を立てて、じわりじわりとにじり寄る。


第十六話 完


ひじきたんです。

亡霊(ポルターガイスト)×少年少女』16話、いかがでしたか?

今回、過去編(基たちの物語)が一応終了ということで、かねてより自分内過去編テーマソングに(勝手に)していたmiwaさんの『chAngE』を引用させていただきました。この曲は学生時代からずっと大好きで、遥佳のテーマだと勝手に思っておりました。

聴いたことがない方も、知ってるよ!という方も、このお話を読みながら聴いてください!ゼヒ!とってもいい曲です!!

さて、話的にはアレですね……非常に後味の悪い終わり方で申し訳ない、という感じです。

基と遥佳はもう《終わった》人達なので、《これから》の一覇と四季に注目して頂きたいです。という感じかな?

実は原案ではもっとむごたらしい終わり方だったのですよ!でも、そんなにむごくする必要はあるのかなって作った当時の自分に疑問に思って、このような終わりにさせていただきました。結果オーライ!

一応、四季→一覇の恋も区切りがついたということです。元々、四季は遥佳の話に引っ張られて一覇のことを好きになっただけなので、彼自身が好きというわけではありません。ソフトホモと思いきや、ノーマルです。

次回でその辺も書いていきたいと思います。お待ちください。

すべての謎が解き明かされる?過去編クライマックス、どうぞ乞うご期待!!

最後に……。

ご飯を作ってくれた母ありがとう!いつも美味しいよ!

バイト先の皆様、いつもご迷惑をおかけします。これからも頑張ります!

見守って下さる読者様、ありがとうございます!あなたのカウントが、私の糧になる!!

以上、ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます!次回もお会いしましょう!

2015.9.13 ひじきたん

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